第六話 父親というもの
□■神楽零
王都を発ってから数日後、零たちは魔境〈天竜山〉の麓にある町へと到着した。
町のつくり自体は他の町と大差はないのだが、この地に漂う独特な雰囲気は、他の場所とは大きく異なっていた。
「何と言うか……不思議な感覚だな」
零は馬車から降りながら、ふとそんなことを呟く。
例えで言うのなら「母親のお腹の中にいるような感じ」とでも言えば良いのだろうか?
もっとも、別にその時の記憶があるわけではないのだが、なんとなくそんな風に感じるのだ。
「そっかー。れいやん、魔境に来るのは初めてなんやなー」
すると後ろで、天照もまた零に続いて馬車から降りてくる。
「まぁな……これが魔力の満ちている感覚か」
魔力が満ちている。
それこそが、この地が魔境と呼ばれている所以だ。
この世界には空間中に魔力が存在している。
多くの土地ではその魔力が微量で、ほとんど人体に影響を及ぼすようなことはない。
だが一部の土地、魔境と呼ばれる地には魔力が濃く漂っており、それによって心身共に様々な影響を及ぼしているのだ。
(なるほど、確かにこれならずっとここに居たくなるのも納得だな)
零がこの地に住まう者たちの気持ちに共感していると、降り立った城から数人の人たちが進み出てくる。
どうやら、ここの領主が出迎えに来たらしい。
「ようこそ参られた、神楽卿。私がこの地を預かる破音恭平だ」
その中の一人、零よりも体が一回り大きく、どっしりとしたその男は、その手を零に向けて差し出してくる。
「こちらこそ、神楽零と申します」
零もまた破音の手を取り、互いに軽い握手を交わす。
「鳥目殿もよくぞ参られた」
一通り零との挨拶が終わると、破音は零の後ろに控えていた一人の男――鳥目直弥にも声を掛ける。
鳥目は王都からここまで零たちの馬車の御者を務めており、騎士ということは聞いていたが、この様子だとそれなりに地位は上なのかもしれない。
「はい。破音卿もお変わりないようで」
「あぁ……ところで、そちらの二人は?」
鳥目との挨拶も終わると、最後に破音の視線は残った天照と月詠の方へと向けられる。
「あぁ、彼女たちは精霊の天照と月詠です。まぁ、ここでは私の班の一員とでも考えていただければ幸いです」
「おぉ、そちらが噂の精霊様か……」
目の前にいる二人が超常の存在である精霊だとわかると、破音はわかりやすく感嘆の声を漏らす。
やはりこの世界の人にとって、精霊はどこか特別な存在であるようだ。
もっとも、何故か敬われていい気になっている姉とその妹は、今の零にとってみれば、ただの取引相手でしかないのだが……
「まぁ。何はともあれ、まずは食事を用意させた。長旅で疲れたであろうから、今日はゆっくりと休まれよ」
それから零たちは、破音が用意してくれた食事に舌鼓を打ちながら、軽い世間話をして時を過ごしたのだった。
△▼
食事が終われば、どうやらこの町には温泉があるようで、零は今、城内にある浴場でここ最近の疲れを癒していた。
「はぁー……」
熱くもなく、温くもなく、ちょうどいい湯加減の温泉に浸りながら、零は露天風呂から見える雲のかかった〈天竜山〉の山頂を眺める。
山頂に蓋をするように掛けられたその雲は、今まで一度も晴れたことはなく、かつてその中で巨大な竜の影が見えたことから、〈天竜山〉と呼ばれるようになったのだそうだ。
〈天竜山〉は今も火山活動を続けており、その恩恵が、この温泉だというわけだ。
「隣、良いか?」
するとそこへ、何故か隣にやって来ていた破音が、零に声を掛けて来る。
「……えぇ、どうぞ」
「失礼する」
零が了承すれば、破音はそのまま零の隣へと座って、同じ湯船に浸る。
「どうかね、ここの温泉は?」
「……はい。とてもいい湯だと思います。旅の疲れが抜けていくようです」
「それは良かった」
「…………」
いきなりの話題に、零は無難に返事を返してみるが、それだけで会話が終わってしまう。
たが零にとっては、特に何かを話したいわけでもないため、そのまま静かな時間を過ごして行く。
「しかし、その年で特級魔戦士とは……まだ俄かには信じられぬな」
「……まぁ、私自身もここまでになるとは思っていませんでしたよ」
正直、零も流石に、ここまでの力を得ることになるとは思ってもみなかった。
書物で読んだ限りでは、基本的に魔力量の階級が上がるごとに、成長の振れ幅は小さくなり、いずれ頭打ちになるというのが、この世界では一般的な魔力の成長だ。
だと言うのに、零の成長は明らかにその法則を逸脱している。
「君は、〈天啓の曙〉の他の団員については聞いているか?」
「いえ、詳しくはまだ。拝命されてすぐにこっちへ送り込まれてしまったので」
そこでふと、零は〈天啓の曙〉の名簿の中から、ある一人の人物の名前を思い浮かべる。
「そういえば、一人だけ破音の名字を持っている人がいたような気がしますが……」
「あぁ、それは私の息子だ。今は神剣使いなどと持て囃されているようだがな」
もしかしたらと思ったが、関係者どころか息子さんであるらしい。
〈天啓の曙〉第二席――破音涼真。
特級の零の一つ上の席次であり、特級魔装具【再生神剣:白の七番】の使い手だ。
「いずれどこかで対面する機会があるだろう。その時はまぁ、仲良くしてやって欲しい」
「はい。その時があれば、頼りにさせていただきます」
まだ当分先の話になるだろうが、その時が来れば、後輩としていろいろと教えてもらうことになるだろう。
「神剣使いということは、今は帝国との国境ですか」
「……あぁ、そうなるな」
ふと呟いてしまった言葉に、破音からは少しだけ暗い声が返って来る。
言った瞬間に「しまった」と思ったが、言ってしまったものは、もうどうしようもない。
「……すみません」
「いや、いい。気にするな。私も覚悟はできている」
何の覚悟なのかは言うまでもないだろう。
王国は今、帝国との戦争状態であり、いくら神剣使いと言えど、いつ何が起きるのかわからないのだから。
ふと破音の手に目を向けてみれば、その拳はこれでもかと言うほど、強く握りしめられている。
「心配なんですね」
「心配だとも」
口では「持て囃されている」などと言ってはいるが、内心ではその息子のことが気になってはいるのだろう。
「君は、こことは違う世界から来たと聞いている。その世界に残してきた家族などは居るのか」
「……どうでしょう。まだどれだけの人が巻き込まれたのか把握できていないので……まぁ最悪、父は向こうの世界に残してしまっているでしょうね。母はもう亡くしていますし、妹は私と一緒にこっちの世界へ来ていますから」
「妹がいるのか?」
「えぇまぁ。ですがもう再会は済ませていますので。今は他国の方で元気にやっているようです」
零は浴槽の端で、顔を縁に乗せて浮かんでいる黒猫の方を見る。
猫は風呂が苦手だとよく聞くのだが、万衣の分身体は普通に湯船に浸っている。
「そうか。その父君は、さぞ君たちのことを心配しているのだろうな」
「心配ですか?……どうでしょうね?」
零はふと、あの全てを見通しているかのような父のことを思い浮かべる。
頭脳方面では決して敵わない、人工知能すら凌駕する推理の権化。それこそが零から見た父の姿だ。
あの人ならなんやかんやで、異世界転移なんていう出鱈目な真相に辿り着いて、零たちの現状すらも把握してしまっているような気がして来る。
「心配だとも。私とてそうなのだ。父親とはそういうものだ」
「そういうものですかね……」
「そういうものだ」
まだ零にはよくわからないが、同じく息子を持つ破音が言うのならそうなのかもしれない。
「折角の時間を邪魔してしまったな。私はもう出る」
「いえ、お構いなく」
破音はそれだけ言い残すと、さっさと湯船から上がってしまう。
別に気を使われなくてもいいのにと、零は思うのだが……
「一つ言い忘れていた」
「?」
「恐らく王国は、君を呼び水にして、一気に帝国との戦争に決着を付けるつもりでいる。正直、君にそのような重荷を背負わせてしまうのは申し訳なく思っている」
浴室から出る一歩手前で、破音はそんなことを言ってくる。
確かに現状で、そういった動きがあるのは、寧ろ必然と言うべきだろう。
王都に来る前から、零も考えていたことだし、その覚悟をしてこなかったわけではない。
「ご心配なく。私はただ、出来る範囲でのことをするだけですから」
「……そうか」
破音が出て行ったのを確認して、零はまたしばらく温泉に浸かりながら、時間が過ぎていくのを待つ。
その間、万衣の分身体は楽しそうに足を掻きながら湯船の中を泳いだりして遊んでいた。
「……そろそろ上がるか」
「ニャー!」
万衣も零に答え、一緒に湯船から上がると、零は体に付いた水滴を綺麗に布で拭き取っていく。
その隣では、万衣が全身をブルブルと振るわせながら、全身の水滴を飛ばしている。
拭き終われば、さっぱりとして浴衣に着替え、脱衣所から外に出る。
するとちょうどいいところで、零は女湯から出てきた一人の女性と目が合った。
「「あ」」
一瞬誰だろうと思ってしまったが、なんてことはない。
女湯から出てきたのは、髪を上げて浴衣に着替えた月詠だった。




