第五話 撫で心地
□■神楽零
王との謁見をした同日、零は一台の馬車に揺られながら、王国にある魔境の一つ〈天竜山〉へと向かっていた。
その理由は、ついさっき国王から直々に初任務を言い渡されたからなのだが、それにしたってと零は思う。
(……何でこうなったのかねぇ)
ついさっきまでの出来事を思い返しながら、零は小さく溜息をこぼす。
王との謁見が終わってすぐに、零は一度屋敷に戻ろうかと思っていたのだが、どういうわけか有無も言わせてもらえずに、この馬車に詰め込まれたのだ。
しかも屋敷に置いてあったはずの荷物さえも準備している周到さである。
王からの勅命は何においても優先される。
まさに王政の実態を体感させられるような状況となっていた。
「どうかしたの?」
そして何故か向かいの席には誰も座らず、一列三人で座っている隣から、月詠がそんなことを聞いてくる。
「いや、騎士っていうのは案外大変だなぁって思ってな」
根性なしと言われればそれまでかもしれないが、ただ少しだけ、まだ慣れないなぁと思ってしまう。
「およ?」
そこでふと、零はこちらを追って来ている小さな影があることに気づく。
本来なら気にも留めないような小さな影だが、零は何となく魔法を使って馬車の扉を開けてみる。
サッ――
すると開いた扉から、一体の黒い何かが馬車の中に入り込んでくる。
それはピタリと零の膝の上で止まり、綺麗に座って零の顔を見上げてくる。
「ニャー」
それは黒い毛並みに真っ赤な瞳を宿した一匹の黒猫。
なんてことはない。
もう随分と一緒にいる万衣の分身体である。
「おっ! 万衣ちゃんやないかー。なんやー、内らを追って来たんかー?」
「ニャー」
隣に座る天照に鳴いて答えて、万衣は「撫でて撫でてー」とでも言うように、零に頭を擦り付けてくる。
「はいはい」
中々に仕方のない妹ではあるが、ご要望通り、零はその手に彼女を収めて撫でてあげることにする。
ふさふさの毛並みは非常に触り心地が良くて、釣られて零の頬も緩んでいくのがわかった。
「そういえば、美咲は何か言っていたか?」
ふと零は、王都に残して来てしまった美咲のことを思い出して万衣に聞いてみる。
本当なら今日か明日にでも王都を一緒に回る予定だったのだが、この調子ではしばらくは無理そうである。
「……?」
すると万衣は顔を上げてこちらを見ると、コテッと首を傾げてまた元の体勢へと戻る。
(あぁ……こいつ、何も考えずに追いかけて来たんだなぁ)
零が王との謁見に挑んでいる間、万衣は天眼家の屋敷で美咲と一緒に大人しく待っていたはずである。
だが恐らく、誰かから零が帰らないということを聞かされると、真っ先に後先考えずに飛び出したのだろう。
それこそ、美咲のことを気に留めるようなこともなく……
(あいつ、今頃どうしているのかねぇ?)
恐らく帰った時には盛大に拗ねていることだろう。
ただでさえ美咲の機嫌が直ってもらうために、王都を回ることになっていたというのに、それを反故にしてしまえば悪化していくのは必然である。
加えて、あまり長いこと時間を置いてしまうと、美咲たちはさっさと領地の方へと戻ってしまうかもしれない。
今の零に出来ることは、さっさとこの任務を終わらせて、少しでも早く王都に戻ることだけだった。
(まぁ、焦りは禁物だけどな……?)
「ッ!」
そこでふと、天照とは反対の席に座っている月詠の視線を感じて振り向いてみると、顔を上げた月詠と目が合って、何故かそっぽを向かれてしまう。
だが顔を上げる前の視線を見る限り、どうやら膝の上に乗っている万衣のことを見ていたような気がする。
(……素直に言えばいいものを……)
何となくその意味を察した零は、万衣に隣へ移ってもらうように撫でていた手をどかす。
「なぁなぁ、れいやん! 次は内が撫でてもええ?」
とそこで、折り悪く天照がそんなことを言ってくる。
「…………」
こうなってしまえば天照の方に万衣を引き渡すしかなくなってしまうのだが……
そこでふと、零はついさっきの謁見で考えていたことを思い出す。
「そうだなぁ……撫でると言えば、あの時は随分と楽しそうだったなぁ」
「!?……えーっとー……」
そう天照に笑いかけてみれば、彼女は表情を固めたまま、両目をどこかへと泳がせ始める。
「いや、いいんだ。それがお前たちとの契約だからな……その分しっかりと働いてくれれば、俺としては文句はないんだ……だがまぁ、俺も自尊心がないわけでもないんだ」
あの謁見の場で、他に見ている人たちがいる中で、天照が零の頭を撫でる必要は果たしてあったのだろうか?
零は万衣を持ち上げて月詠の膝の上に乗せると、改めて天照の方に向き直る。
「だからまぁ。今度は俺が撫でてやるよ」
そう言って、零は拳を握りながら天照の頭に腕を伸ばす。
「ちょっ! ちょっと待って! な! なんで握り拳なん!? それは撫でると違っ――ウギャアアアアアァァァァァァァァァ!――」
天照のこめかみに拳を押し当てて、グリグリとねじ込んでいけば、非常にいい断末魔が馬車の中に響き渡る。
それなりに痛いのか、もうほとんど天照の顔が涙目になっている。
「次からは時と場所を考えようなー」
「――わかった! わかったからー!」
それから最後の念押しを入れてから、ようやく零は天照を開放したのだった。
□■月詠
「うぅぅ……あたまが……」
「……何やってるのよ」
零を挟んだ隣の席で、天照は頭を抱えながら蹲っている。
零のお仕置きと称したグリグリ攻撃によって、天照は完全に撃沈させられていた。
とは言え、全部彼女の自業自得なので、痛そうとは思っても同情してあげられる余地はない。
月詠は自分の膝の上で丸まっている黒猫に目を落としながら、優しい手つきで彼女の背中を撫でる。
(それにしても、やっぱり可愛いわね)
こうして改めて見ていると、自然とそんな感想が湧いてくる。
今の今まで、万衣はずっと零の傍にいたし、いつでも触らせてもらえる機会は確かにあった。
だけど中々言い出すことが出来なくて、それがこうして撫で撫ですることが出来ているのだと思うと、少しだけ感慨深いものがある。
「…………」
そこでふと、月詠はこの機会をくれた零の方を盗み見る。
天照へのお仕置きが済んだ零は、後はただ時が流れるのを待つだけとでも言うように、ただ静かに腕を組みながら目を瞑っている。
そして自然と、月詠は零の頭の方へと目を向けた。
(そんなに触り心地が良いのかしら?)
月詠は、謁見の間で天照が零の頭を撫でていたことを思い出す。
藍よりも深い、夜を思わせる髪色をしたそれは、サラサラとしていて艶もあって、確かに撫でてみたら触り心地は良さそうに見える。
「…………」
あの姉が思わず堪能してしまうほどのものとは、いったいどれほどのものなのだろうか?
ちょっとくらいならと、月詠は半ば無意識にその手を零の頭の上へと伸ばして……
「……ッ」
「!」
急に零の瞼が上がったのを見て、月詠は急速に帯びていた熱が引いて行くのを感じる。
そして零の頭に伸ばそうとしていた自分の手に気づいて、月詠は慌ててその手を引っ込めて、体ごと零に背を向ける。
(……私! 今何しようとして!……)
一瞬底冷えしそうになるほど熱が引いていったというのに、今はこれでもかというほど頬に熱が籠っている。
とてもじゃないけど、今は零の方に振り向けそうにはなかった。
「……どうかしたか?」
「…………何でもないわ」
月詠はせめてそう答えるのが精いっぱいだった。
魔力で形作った心臓の音が、ドクドクと鼓動を鳴らして、今は少しだけうるさく感じる。
やはり最近の自分はどこか可笑しいのかもしれない。
零と天照が仲良くしていると、妙に二人のことが羨ましく思ったり――
何気ないことで零と気があったりすると、何故か少しだけ嬉しかったり――
今みたいに思わず零の体に触れてみたくなったり――
(何なのよもう!)
もう何が何だか、わけがわからなくなって、しばらくは蹲ったまま、月詠は顔を上げることが出来なかった。




