第四話 一級魔戦士
□■天眼美咲
静寂が戻った路地裏。
足元には意識を狩り取られた男たちが倒れ、それを成した青年は路地裏の奥へと消えていった。
「…………」
別れの最後、美咲はあの青年を引き留めることができなかった。
最後に見せた彼の横顔が、どこか寂しそうに見えたから。
自分の掛けるべき言葉が見つけられなくて、結局彼を一人で行かせることしか、美咲にはできなかった。
「何をやっているんじゃろうなぁ、妾は……」
美咲は自分がした行いに対して、呆れを含ませながらポツリと呟く。
町にとっての危険人物を放置するなど、自分の立場から考えればあってはならないことだ。
だがそれでも、美咲は声をかけることができなかった。
例えそれが、町を危険にさらす決断であったとしても……
(じゃが、それも今回だけじゃ)
心機一転。
美咲は情に流されるのを止め、自身に課せられた責任を果たすべく、行動を開始する。
するとちょうどいいところに、一羽の青い鳥が美咲めがけて舞い降りてきた。
(ちょうどいい時に来たのぅ)
美咲は片腕を上げて、その上に飛んできた鳥を止まらせる。
『美咲様、また勝手に城を抜け出されては困ります』
腕に止まった鳥は、開口一番で流暢な日本語を喋り出す。
そのことに特に動じることなく、美咲はその青い鳥の先にいる召喚者に命令を下す。
「蒼鳥、至急じゃ! 今すぐ夜色の髪の青年を見つけて監視するのじゃ。まだこの辺りにおるはずじゃから急ぐのじゃ!」
『! いきなりどうしたんですか? そんなことよりも早く城へ――』
「妾もすぐに城へ戻って、このことを父上に知らせる。じゃからお主は早く、奴を見つけて見張るのじゃ! よいな!」
『わ、わかりました……』
何とも渋々といった様子で、青い鳥は美咲の腕から羽ばたいて飛び立つ。
「ああ、それとじゃな。この辺りに転がっておる連中は、適当に騎士団に突き出しておれ」
美咲はそれだけ言い残すと、壁を蹴って屋根へと上り、町の中央にたたずむ城へと向かって走り出した。
◇◆
美咲の住む町の中央には、統治者の威厳を示すように、高く立派な城が聳え立っている。
その正門へとたどり着いた美咲は、そのまま中へと入り、父の執務室へと向かう。
途中何人かの使用人たちとすれ違うが、皆一様に頭を下げ、彼女が通る道を開ける。
その目には畏敬の念が籠められており、彼女がそれだけの地位にいるのだということを示していた。
そして目的の部屋へと辿り着いた彼女――天眼辺境伯家令嬢、天眼美咲は、扉の前で控えている執事の声掛けを待つことなく、部屋の扉を開け放った。
「父上!」
美咲の声かけに、部屋の中で書類仕事に勤しんでいた男――天眼辺境伯家当主、天眼心悟は微笑みながらもどこか咎めるような表情で自分の娘を見つめる。
「やぁ、美咲。そんなに慌ててどうしたんだい? 戸音も立てずに入るなんて君らしくも――」
「今はそんなことを言っている場合ではない! 緊急の要件じゃ」
「…………詳しく聞こうか」
心悟は扉から見える執事を下がらせ、美咲に先を話すよう促す。
美咲の方も、一度呼吸を落ち着かせて改めて心悟の方を見る。
「信じられぬかもしれぬが……この町に、一級魔戦士が紛れ込んでおる」
美咲の言葉を聞いた瞬間、心悟はすぐに答えることができなかった。
だがそれは無理からぬこと。
一級魔戦士とはこの世界において、実質最強の戦士に与えられる称号なのだから。
その戦闘力は、単騎で軽く町一つを滅ぼせる。
「…………確かなのかい?」
なんとか絞り出すような声で、心悟は改めて美咲に確認を取る。
もしもそれが本当なら、この町は今、喉元に短剣を突き付けられているに等しい状況なのだ。
「確かじゃ! 妾がしかとこの目で見た。間違いない!」
美咲の返答に、心悟はただ頷くことで返す。
代々受け継がれてきた家系の魔法が証明しているというのなら、それ以上の言葉不要だった。
「わかった。それで、今はどういう状況だい?」
覚悟を決めた心悟は、美咲から現在わかっている状況について尋ねる。
「妾を探しに来た蒼鳥に監視をつかせておる。あ奴がちゃんと見つけておれば、居場所もすぐにわかるはずじゃ」
「ふむ」
心悟は一つ頷くと、手元にあった小鐘を鳴らす。
すると扉が開き、中に執事が入ってくる。
「お呼びでしょうか。旦那様」
「至急、蒼鳥と速風、それから結城を呼んできてくれるかい。至急に、最優先だ」
「承知いたしました」
執事は優雅に一礼すると、すぐに部屋を出て扉を閉める。
「さて、詳しい報告は三人が来てからしてもらうことになるけれど、まずはよく無事でいてくれたね」
心悟は自身の最愛の娘が、無事に帰ってきてくれたことに心からの言葉を贈る。
「うむ。流石に妾も死ぬかと思おたが、まぁ見ての通り無事じゃ。心配をかけたな」
「それを言うのなら、日頃の脱走も自制してほしいところだけどね。あまり蒼鳥君に負担をかけるべきではないし」
「じゃが、今回はその脱走が功を奏したとも言える。妾はこれからも止めるつもりはないぞ!」
「はぁぁ……」
呼び出した三人が来るまでの間、心悟は自分の娘が、自分とよく似てしまったことに、ほんの少しだけ溜息をこぼした。
それから待つこと少し、心悟の執務室に三人の人物が集まった。
「皆、よく集まってくれた。早速で悪いんだけど、一つ重大な報告が上がってね。どうもこの町に、一級魔戦士がやってきているようだ」
「「「…………」」」
心悟の言葉を聞いて、部屋にやってきた三人は、先ほどの心悟と同じような反応を示す。
だがそこで、誰かは当主の言葉に答えなくてはならず、代表して騎士団長の結城誠也が心悟の言葉に答える。
「よろしいでしょうか。僭越ながら、そのような来賓の予定はなかったと記憶しているのですが……」
「そうだね。私もついさっき聞いたところだ。どうも正規の手続きをして来たわけではないようでね。門からの報告も上がってきていなかった」
「「!」」
心悟の含みを持たせた物言いに、三人のうち二人はどういう状況なのかを察した。
「まさか、帝国からの攻撃ですか!?」
現在、天眼家が属する王国が、隣国の帝国と戦争状態なことを踏まえて、結城は一つの最悪の可能性を口にする。
「どうだろうねぇ。そこのところはどう思う? 美咲」
「わからぬ。じゃが、妾が見られた限りでは、あ奴はおそらく重力を操れる。空も飛べるじゃろうから、王国を渡ってここまで来ることは可能じゃろう」
「重力使いか……厄介な相手が来たものだね」
心悟に話を振られた美咲は、結城が述べた可能性を肯定し、そのことに心悟もまた遠い目をする。
「あのぉ……」
そこで、今まで半分以上空気になっていた蒼鳥空が、恐る恐るというように手を上げて発言する。
「美咲様。まさかだとは思いますが、今僕が監視させられているのって……」
「うむ。そ奴が、今問題になっておる一級魔戦士じゃ」
美咲の答えを聞いた瞬間、蒼鳥はこの世の終わりでも見たかのような表情を浮かべて呆然と立ち尽くす。
彼からしてみれば、いつの間にか町の命運を左右しかねない大役を負わされていたのだから、無理もないだろう。
「蒼鳥君、君の気持ちはわかるが、今は非常時だ。その一級魔戦士が、今どこで何をしているのか、報告を頼めるかい」
「…………わかりました」
その後、何とか意識を取り戻した蒼鳥は、自分の召喚した鳥から送られてくる情報を基に、その一級魔戦士――零が美咲の目の前でやったのと同じように、町の不良たちに絡んで何かしていることなどを報告する。
「……目的がわかりませんね」
蒼鳥からの報告を聞いて、誠也は素直な感想を口にする。
「確かにわからないねぇ。ただの破壊工作ならそんなことをする必要はないし……何か他に狙いがあるのか?」
心悟もまた、結城と同じ考えに至って、頭を捻らせる。
だが心悟の中では、すでに打つべき手は決まっている。
「とはいえ、私たちのすることは変わらない……勝ち筋は見えましたか?」
心悟は今まで盲目して静かにしていたご老人――速風剣士郎にそんなことを尋ねる。
「誰にもの言うておる……と言いたいところじゃが、確約はできんな」
「十分です」
速風の答えに、心悟は満足して頷く。
自分の師匠でもある彼には、いつも頭が上がらないが、その実力は骨の髄までよく知っている。
実力は零の一つ下の二級魔戦士ではあるが、彼なら例え相手が一級魔戦士で、この世界の最強の一人であっても勝てるという、確かな信頼があった。
「ですが、被害は出来るだけ最小限に抑えたい。師匠と結城で、その一級魔戦士の監視を。何か行動を起こしそうなら、二人の判断で対処してもらって構わない。だけどそれまでは、こちらから手を出すことは厳禁だ。敵の狙いが分からない以上、迂闊に被害を出すことは避けたいからね」
「相分かった」
「了解しました」
心悟の立てた方針に、速風と結城は同意を示す。
「騎士団はすぐに出動できるように待機。王都に早馬を出して、このことを王城に報告する。それから、蒼鳥君は連絡の中継役として、私と結城に一羽ずつ付けて、会話を仲介してくれ」
「……わかりました……」
もうこの件から降りてどこかに逃げてしまいたいという表情をありありと浮かべながらも、蒼鳥は何とか首を縦に振って頷く。
「ではみんな、よろしく頼む」
心悟がそう言うと、三人はそれぞれ部屋を出て行って、持ち場へと向かっていった。
静かになった部屋の中には、心悟と美咲の親子二人だけが残った。
「さて美咲、君は――」
「断る」
美咲は心悟の言葉を遮って、彼に拒絶の言葉を突き付ける。
まるでこの後に言われる言葉がわかっているかのように。
「美咲……」
「妾たちだけでも逃げろと言うのじゃろ。彰と母上を連れて、近くの領主の下にでも身を寄せろとな。気持ちはわかるが、妾とて貴族の娘じゃ。父上や彰と違って、妾には戦う術がある。何もせずに領民を置いていくことなど、妾にはできぬ!」
それは、美咲が心悟に示した貴族としての覚悟だ。
貴族の娘として生まれた以上、その責務の一端は自分も背負うと、そういう覚悟の現れだった。
それに対して心悟は……
「ダメだ」
「父上!」
拒絶として美咲に返した。
「君がそれを背負う必要はない。それは私と彰が背負うべきものだ。君にはどうか自由なままで生きていてほしい」
それは美咲と同様、深く自分の中に宿る、心悟が娘に望む素直な気持ちだった。
それに対して美咲は……
「そうか。ならもうよい! 妾は好きにさせてもらう!」
「ッ! 待ちなさい、美咲! 美咲――」
心悟の静止を振り切って、美咲は彼の執務室を飛び出した。
一目散に、少しでも部屋から遠ざかるように。
残された部屋の中では、心悟の声が寂しく木霊していた。
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