第二十話 まだあなたの傍で
□■上条進
宴の会場の一角。
そこには一つの卓が置かれ、その周りに酒の入った樽がいくつも並べられている。
卓には一組の男女が向かい合って座っており、両者が杯に入った酒を同時に含んだところで……片方の男が突っ伏せるように倒れた。
「いえーい! また内の勝ちー!」
勝利の杯を上げた相手の女性――天照はまだ余裕そうな笑みを浮かべながら、もう一杯を樽から掬って喉へと流し込む。
「まったく……程々にしておきなさいよね」
天照の傍では、妹の月詠が呆れたように溜息を吐いている。
もう既に三人を相手にしているというのに、天照は全く酔いつぶれる様子を見せない。
「あ! ここにいたんだ」
そんなことを考えていると、手の皿にこんもりと料理を乗せた椿が、進を見つけて傍へとやって来る。
「おや? 椿さん。そちらはもういいのですか?」
「うん、これ以上は無理! 私だって美味しいものいっぱい食べたいもん!」
そう言うや否や、椿は一番上に乗っていた厚切り肉を口の中へと運ぶ。
さっきまで多くの獣人たちに囲まれていたのだが、どうやら一段落は着いたらしい。
「何見てたの?」
「飲み比べですね。面白そうなので見ていました」
椿と話している内にいつの間にかもう一戦が始まっており、天照と対戦相手の獣人は並々に注がれた杯を傾けて豪快に飲み干している。
「進はやらないの」
「私はあまり、お酒は得意な方ではありませんので」
弱いわけではないが、特別強いというわけでもない。
人並み程度にはお酒も飲めるが、目の前の対決に入れるほどのものは持ち合わせていない。
「ふーん。そうなんだ」
椿も適当に相槌を打つと、皿に乗った料理へと箸を進める。
しばらく椿との間に静かな空気が流れていると、再び「また内の勝ちー!」という声が響いたところで、徐に椿が口を開く。
「ありがとう」
「?」
「あの時一緒にいてくれて……多分私、一人だったら耐えきれなかったと思うから」
“あの時”というのは、きっと椿が弟さんとの最後の別れをした時のことだろう。
その時は進自身も、いったい何が起こっているのかわかっていなかった。
不意に椿との繋がりを感じて、彼女の心の声が聞こえてきたかと思えば、彼女に進の声が届いて、気がつけば見知らぬ空間にいたという感じだ。
恐らく心の声云々は進の魔法によるものだろうが、見知らぬ空間については進のものではない。
それはきっと椿の弟さんのものであり、最後に姉弟の間にあった何かが、あの奇跡を起こしたのかもしれない。
「いえ……私に出来たのは、それくらいでしたから」
進がそう返せば、再び椿との間に静寂な空気が流れる。
また「内の勝ちー!」という声が聞こえたところで、今度は進の方から彼女に話しかける。
「椿さんは、これからどうするのですか?」
王国で獣人たちを救い出した後にも聞いたその質問を、進は改めて椿に問うてみる。
ここまで椿を追い立ててきた事件が、彼女にとっては最悪の結果で幕を閉じて、これからどう生きていくつもりなのか、進にとってはそのことが気がかりだった。
椿は一度食事の手を止め、進を一瞥してからどこか遠くを見るように語り始める。
「正直、最初はどうしようかと思ってた。お父さんもお母さんも死んじゃって。紅葉も翔も、みんないなくなっちゃって。もう私には何も残っていなくて。これからどうしようかって思ってた」
改めて聞いてみれば、椿はあまりにも多くのものを失い過ぎたように思う。
家族や友人、その他にも親しかったであろう多くの人たちを失って、普通であればそう簡単に立ち直れるようなものではない。
それでも椿は、決して過去の悲しみに飲み込まれることなく、顔を上げて真っ直ぐと前を向き続けている。
「だけど一つだけ、私にも残っているものがあったの」
「それは?」
進が聞き返してみれば、椿はニカッと笑いながら進の方を見る。
「進がくれた魔法だよ」
「!?」
思ってもみなかった答えに、思わず何度も瞬きをしてしまう。
「まだ私には、進がくれたこの力が残っているって思ったの。あなたがくれたこの力を無駄にしないためにも、私が強くなったことに意味があったんだって思えるためにも、私はこれからも強くなろうと思う。それに約束したから……今度はちゃんと、守れるお姉ちゃんになるって……」
「……そうですか……」
果たして、これほど嬉しいことがあるだろうか?
自分の与えたものが誰かの心の支えになってくれて、生きていく目的だと言ってくれた。
彼女が今も前を向いて歩いて行けることに、少なからず自分も関わることができたことに、喜びを覚えないはずがない。
だから自然と、今の気持ちが口からこぼれてしまう。
「……やはり惜しいですね」
「?」
「もう少しだけ、あなたの成長を見ていたかったです」
だがそれはもう叶わぬ願いだ。
明日にはもう、零たちと一緒にこの国を発つ。
そしてそのまま、王国の近衛騎士団に入る運びとなるだろう。
もう椿と会うことも、彼女の成長を見届けることもできるはずはない。
そう思っていたのだが……
「なら、そうすれば良いと思いますよ」
「?」
声のした方に振り返って見れば、そこには進と同じ正装を身に纏った零の姿があった。
「神楽さん、それはどういう――」
「しかし驚きました」
「?」
進が零の言葉の真意を聞き返そうとすると、それを遮るように零が口を開いて話し始める。
「まさか上条さんが今回の一件で、獣人たちを捜索するために派遣された調査員であり、獅子王からの密命を帯びていた特務官だったとは」
「……はい?」
一瞬何を言われたのかわからず、思わず首を傾げてしまう。
進が今ここにいる経緯は、零もよく知るところで、同じ境遇に立った者同士だということもわかっているはずだ。
それがいきなり「調査員」だの「特務官」だの言われて、理解できるはずもない。
「本当なら是非とも、王国はあなたを引き入れたかったはずですけど、元々あなたが連合国の人だったのであれば、王国は素直に引き下がるしかないでしょうね」
「…………」
続けて言われた内容に、進も遅らせばながらその意図がわかってきたような気がする。
つまり零が言ったことは、全て進が自由になるための建前であり、進はこの連合国に留まっていいということだ。
「……神楽さん、それはつまり……」
零に確認の意味で尋ねてみれば、彼は小さく頷いてみせる。
「既に話は付けてあります。上条さんはご自身の思うようになさって下さい。折角こんな異世界に来たのですから」
「……ありがとうございます」
進は零にお礼を伝えると、椿の方へと振り返る。
「どうやら私は、まだあなたの傍にいられるようです。もっとも、椿さんが良ければの話ですが」
進が自分の意思を伝えてみれば、椿は一瞬嬉しそうな表情を浮かべるが、すぐにどこか戸惑うように目尻を下げる。
「……でも私は、もうあなたから力を返してもらっちゃったし……今更私が進の傍にいる意味なんて……」
椿から齎された拒絶の言葉に、進は軽く自分の自意識過剰さに思わず殴りたくなる。
いくら自分が椿の成長を見届けたいと言っても、彼女自身が進のことを必要としているわけではない。
「……そうですよね。もう椿さんに、私は必要ありませんよね……」
だがいざ面と向かって言われると、流石に堪えるものがある。
わかりやすく肩を落として沈んでいると、何故か椿は慌てたように声を掛けてくる。
「ち、違う! そうじゃなくて!」
「?」
「今まで進は、私の力が使えたから傍にいたんじゃないの?」
「……あぁ、そういうことでしたか」
言葉の内容から察するに、どうやら椿は一時的に進が力を返したことを気にしてしまっているらしい。
もしかしたら、進との繋がりが切れたと勘違いしているのかもしれない。
「それなら心配はいりませんよ」
「え?」
進はそう言うと右手を椿の頭の上に乗せて、今まで椿に預けていた魔法の操作権の半分を自分へと引き戻す。
「これで私も、あなたの力が使えるようになりました。あくまで力をお返ししたのは一時的なもので、あなたとの繋がりそのものが消えるわけじゃありませんから…………どうかしましたか?」
「別に……」
何故か椿は不服そうにそっぽを向いてしまうが、これで彼女が心配するようなことはなくなったはずだ。
「それで改めて尋ねますが、私はまだあなたの傍で見届けてもいいのでしょうか?」
「……好きにすれば」
素っ気ない返事ではあるが、どこか懐かしさを感じるやり取りだ。
それは忘れるはずもない。
椿と初めて会って、彼女に協力すると決めたあの時の状況によく似ていた。
「はい。私の好きにさせていただきますね」
進もあの時と同じような返事を返せば、椿も同じことを思ったのか、どちらからともなく笑い出し、これで何度目かもわからない「また内の勝ちー!」という声が、会場の中に響いた。
次回で第三章も最終話です!




