第六話 見届ける者・見届けられる者
□■椿
全く歯が立たない。
それほどまでに、この人間は強かった。
力が強いわけでも、特別速いわけでもない。
その気になれば振りほどけるし、動きは目で追うことができる。
だというのに、どうやっても倒すことができない。
まるで近くにいるのに、ずっと遠くにいるかのように。
決して届くことのない、遥かな高みを相手にしているかのように。
だけどそれでいい。
自分にはまだ届かないからこそ、その強さを目指すことができる。
自分が憧れた、強さの到達点。
その場所に至るためなら、どんなことだって耐えてみせる。
守りたいものを守るために強くなると、そう決めたのだから。
「ガハッ!」
浮遊感を感じた直後、鈍い痛みが背中に突き上げてくる。
これで何度目かもわからない痛みに耐えながら、椿は体を回して起き上がる。
顔を上げて前を見れば、相変わらず全く疲れた様子もない一人の人間が立っていた。
「そろそろ終わりにするか」
その人間――神楽零はそう言うと、椿に手を差し出してくれる。
だけど椿はその手を取らずに、両足に力を込める。
「もう一回……」
もう限界に近い体に鞭打って、何とか二本の脚で立ち上がる。
全身に強化の魔法を巡らせて、もう一戦交えるために拳を握る。
「まったく……どうしてそこまでするのかねぇ」
零は若干呆れを含んだ声音でポツリと呟く。
だけどどうしてするのかなんて決まっている。
椿の戦いは、まだ終わっていないと知ったのだから。
△▼
美咲たちに助け出された後、椿は彼女から盗賊団討伐の動きがあることについて聞いていた。
もう直アジトに攻め込んで、捕まった他のみんなも助け出されると知って、その時は本当に嬉しかった。
だけどそれは、美咲の城に来てから、その凶報を知ったことで崩れ去った。
盗賊団のアジトには、まだ弟の翔もいる。
ただじっと待っていることなんて、できるわけがない。
だからすぐにでもそのアジトに乗り込んでやりたかったけど、流石にそれは進や他のみんなに止められた。
だけどこのまま何もしないわけにはいかない。
そんな時に見かけたのが、あの時助けてくれた零だった。
その強さに憧れ、目指したいと思えた人間。
そんな存在を前にして、気づけば椿は、彼の前に出て言っていた。
「私と、手合わせをしてほしい!」と。
零と戦えば、強くなるための何かが掴めるかもしれないと思った。
だけど今思えば、あまりにも突拍子もないことだったけれど、零は快く受け入れてくれた。
それからは時間さえあれば、椿は零に手合わせを申し込むようになった。
零と戦うにつれて、少しずつ自分の戦い方磨かれているような気がしていた。
足の運び方、拳の振るい方、そして何より魔法の使い方。
戦いの中でそれらを指摘されて、直していって、後少しで何かが掴めそうな気がするのだ。
後もう少しだけ、椿は零と戦いたかった。
「あー! 零やんが女の子虐めとるー!」
するとそこへ、二人の女性――天照と月詠が椿たちのいる訓練場へと現れる。
「人聞きの悪いことを言うな」
零は椿に視線を向けたまま、天照に向かって言葉を返す。
「……だがまぁ丁度いい。天照、椿に強化魔法をかけてくれ」
「? 別にええけど?」
天照は僅かに首を傾げるも、椿に強化の魔法をかけることを了承する。
その零の言葉がどこか改まって、自分がまだ弱くて相手にすらならないと言われたような気がして、椿の積み上げた自信は簡単に崩れ去っていく。
「あぁ、そういうわけじゃない。ただ何の実感も湧かないのに、上を見ててもしょうがないと思ってな。そういう意味では、天照の魔法はちょうどいい」
「?」
「ほないくでー!」
「!……これは……」
天照の魔法が椿に掛かった瞬間、体の中がほんのり熱くなるような気がした。
全身に力が溢れて、それがどこか、進と契約を交わした時のことを思い出させる。
「その力を使いこなしてみろ。そうすれば、今よりも強い自分が見えてくるだろう」
その言葉に、零の言いたいことが何となくわかったような気がした。
つまりこれは、椿が初めて魔法を手にした時と同じなのだ。
いきなり強い力を手に入れて、その使い方もわからない過去の自分と。
だが逆に言えば、それは今よりも強い力を……さらに強い自分を示されたということだ。
次に目指すべき、椿が求める理想の強さ。
まだ自分の中で暴れまわっているその力を、自分の意志で使いこなすことができれば、それはきっと、自分が強くなったという証なのかもしれない。
「行く!」
椿は地面を蹴り、零に向かって挑みかかる。
少しずつでも前に進んで、強くなるために――
△▼
気づけば椿は、柔らかな寝台の上で横になっていた。
最近ではよく見るようになった〈聖教会〉の天井を眺めてから、ふと、隣で腰掛けている人間の方を見る。
「気が付きましたか?」
「……進」
相変わらず柔らかな微笑みを浮かべる進を見て、どこか落ち着いた気分になりながら、椿は寝台から体を起こす。
「今日は私が運んできました。今回も手ひどくやられたようですね」
「……うん」
零との手合わせが終わると、椿は必ず最後にぶっ倒れる……と言うよりも、ぶっ倒れるまで手合わせをしているため、治療をするためにも、誰かに〈聖教会〉まで運んでもらうことになっている。
ほとんどの場合は零が運んでいるそうだが、今回はわざわざ進が運んできてくれたらしい。
二人には申し訳なく思っているが、強くなるためにも、限界まで続けることを止めるつもりはない。
「途中から私も見ていましたが、流石は“不可侵の神楽”と呼ばれただけはありますね」
「“不可侵の神楽”?」
聞きなれない言葉に、椿は進に聞き返す。
「ええ、神楽さんの二つ名ですよ。もう随分と前のことですけどね。全く相手を寄せ付けない、まるで舞のような戦い方から、そのような呼び名で呼ばれていました」
「……そっちの世界でも、あの人は強かったの?」
村にいた時も、たまに二つ名を持った戦士の活躍は聞いたことがある。
そのどれもが、今の椿ですら想像できないほどの逸話ばかりであり、椿は二つ名を持った者のすごさをよく知っていた。
「そうですね。私もあまり詳しくなかったのですが、彼が注目を浴びるきっかけになったのが、格闘の世界大会で最年少優勝を果たしたことでしたから。確か当時は十五歳だったはずです」
「え!?」
今の自分と二つも下の頃の話だということに、椿はこれでもかと目を見開いて驚く。
「驚きましたか? まぁ、当時は世界中に衝撃を与えましたからねぇ。無理もありません」
「…………」
自分の目指している高みが、想像以上に高いことを改めて突きつけられて、椿は軽く天井を仰いでから――
パシッ!
――頬を軽く挟むようにして叩いた。
「よし!」
今更零が強いと知ったからなんだというのだ。
そんなの初めからわかっていたし、零が椿との手合わせで、全く本気を出していないことだってわかっている。
なら今更へこたれることなんてない。
寧ろ自分の目は正しかったと見るべきだ。
椿が目指した相手は、こことは違う世界で、世界最強となった男なのだから。
椿が目指して、掲げた目標は、決して間違ってなどいなかったのだから。
「進」
「?」
「私、絶対に強くなる」
椿はもう一度、進の前で自らの決意を宣言する。
他の誰でもなく、暗闇の中に生きる道を示して、導いてくれた彼に向かって。
「だから見ていて」
「…………はい」
思わず出てきた椿の言葉を、進は頷いて答える。
椿はその返答に満足して、窓の外へと視線を向ける。
その隣で、頷いて下を向いたままになった進の顔を、椿が覗き見ることはなかった。
□■上条進
夜。
自室の机で日記を読んでいた進は、最後の頁を読み終えてからその表紙を閉じた。
数日掛けて読んだそれに手を当てながら、進はそっと目を伏せる。
「……この人は幸せだったのですね」
日記の最後の感想を述べながら、進は嘗てこの地にいた同郷の人――一色頼子の記した日記をなぞる。
「ですが結局、最後まで日本へ帰ることは叶わなかった、というわけですか」
結局のところ、頼子の日記からわかったことは、この世界から日本に帰る方法は今のところないということだ。
「彼もそのつもりで渡したのでしょうね」
進はこの日記を渡して来た同胞――神楽零の顔を思い浮かべる。
彼と出会ったのは、囚われた獣人たちを救出する時だったが、実際にしっかりと話したのは、天眼家のこの城に来てからだ。
初めて目にした時に、どこかで見たことがあるような気はしていたが、それがあの“不可侵の神楽”だと気づいた時には少しだけ驚いた。
一時期世界中にその名を轟かせ、それから間もなくして忽然と姿を消した、謎の多き天才格闘家。
彼が地球で受けていた評価はざっくり言えばそんなところだ。
(もう少し取っつきにくい人かと思っていましたが、意外と親しみやすい人でしたね)
とある格闘大会において、彼が歴代最年少で世界王者となった秘訣は、完璧な間合い管理と動体視力、そして的確に相手の急所を狙っていく冷徹さだったと言われている。
そのあまりの容赦の無さから、「まるで機械だ」と言う者さえいたという。
だが実際に話をしてみれば、人間味がないとかそういうことはなく、実に誠実で気遣いの上手な人だった。
(それに本当に強い人です)
まだこの世界に来てからそれほど経っていないはずなのに、零はこの世界を受け入れていた。
先のことを悲観するでもなく、ただ前を向いて歩いている。
(私は……どうするべきでしょうね)
「それに比べて自分は」と進は思う。
未だに進は、これから先のことについて考えあぐねていた。
一応零からは、一緒に近衛騎士団に入らないかという打診はされている。
と言うよりも、それ以外に選択肢はないだろうと言われている。
「…………」
進は右手に刻まれた黄色く輝く模様を見る。
特に意味があったわけではないが、その奥に自分の強大な魔法の力があるような気がしていた。
そう、進に選択肢がないのは、ひとえにその強力過ぎる力が故だった。
進自身にそんな自覚はないのだが、この世界ではそうではないらしい。
進が属する強さの階級は一級。
零曰く、その強さや影響力は地球における戦略核ミサイルに匹敵するのだそうだ。
だが何度も言うが、進自身にそんな自覚はない。
進ができるのは、契約した相手を強くして、その力の一部を借り受けることだけだ。
零のように相手を倒すための力があるわけではない。
実際に獣人たちを助け出す時には、全く役には立たなかった。
それを零に言うと、ものすごく呆れた表情をされてしまった。
彼にしてみれば、進の魔法は無視するにはあまりにも問題があるらしい。
わかりやすい例えとして、なんてことなかった豆鉄砲を、拳銃どころか戦車に変えて、その半分を自分の意志で使うことができるのだと言われてしまった。
特に戦車を増やせるということ自体が問題であるそうだ。
ただ進と契約をさせるだけで、強力な戦力を手に入れることができる。
国からしてみれば、十分に脅威に成り得る力なのだそうだ。
確かにそんな風に言われてしまえば、納得せざるを得ない。
今までそういった考えをしてこなかったため、零の話はとても勉強になった。
もしかしたら、そういった考えができるからこそ、彼はすぐにこの世界に馴染んだのかもしれない。
だがそれをすぐに進にもしろと言うのは無理な話だ。
今まで平和な日本で暮らしていたのに、いきなり戦いが日常の世界で生きていくなど、これほど酷な話もないだろう。
地下で双騎と戦った時、進は自分の死を間近に感じた。
振り下ろされた剣が自分の体を斬り裂き、血を流して倒れる様を何度も幻視した。
それでも進は生き残ったが、これから先はそういった目に会うことが増えるかもしれない。
近衛騎士団に入って、戦力として期待されるのであれば尚更だ。
元の世界に帰れず、この世界で生きていくのであれば、そういった覚悟をしなければならないだろう。
だがそれは、今すぐにできるようなものではなかった。
「だから考える時間をくれたのでしょうね…………期限は今回の一件が終わるまで、でしょうか?」
今日椿を〈聖教会〉へと運ぶ前、零から椿たちを送り届ける際に同行しても構わないということを聞かされた。
というのも最初進は、この町に残ることになっていた。
本当は最後まで椿を見届けたかったのだが、一級戦力という立場上、それは許されなかった。
だが今回、零がどうやら心悟に話を通してくれたようだ。
彼には話していなかったはずだが、気を使わせてしまったらしい。
だが同時に、それは猶予期間でもあるのだろう。
だからこそ、それまでに覚悟を決めなければならない。
零と一緒に近衛騎士団に入るか。
あるいは…………
△▼
それから二日後、獣人たちを輸送する準備が整い、進たちは獣王連合国へと出発した。




