第二話 黒猫の友情と殺意 弐
□■万衣
「今日も万衣ちゃんすごい人気だったねー」
夜。桃と同じ布団に入って、就寝の準備をしていると、一緒に横になっていた桃がそんなことを呟いてくる。
昼間のことを言っているのだろうけど、どうにも万衣にはピンとは来なかった。
(人気?)
(そうかな?)
(声かけられたから?)
(別にいつものことだけど?)
(それが人気ってことなのかな?)
正直、万衣には自分が人気者だという実感がよくわからない。
というのも、万衣は基本的に人の目を気にしないし、今日みたいな視線を向けられるのが初めてというわけではない。
物心ついた時から、そういった視線を向けられることが当たり前だったし、今更ということもある。
「わかっていなさそうだねー。でもまぁ、万衣ちゃんは可愛いから、しょうがないのかなー」
不意に桃に抱き寄せられて、万衣の顔が桃の胸元に埋められる。
優しく頭を撫でられて、その心地よさからさらにそれを求めようと、桃の背中に手を回して、今度は万衣が桃を抱き寄せる。
初めは別々の寝台で寝るつもりだったのだが、初日に一緒に寝てしまってから、なんだか別々に寝るのが憚られて今に至る。
「ふふ。万衣ちゃんは甘えん坊だねー」
「……桃ちゃんも、可愛い、よ……」
谷間から顔を上げて、万衣は桃の顔を見上げながら呟く。
万衣からしてみれば、桃も十分に可愛い。
自分と違って活発で明るくて、猫という上方修正も相まって、よほど自分より可愛いとすら思える。
だけど桃にとっては、そうでもないらしい。
「か、可愛い!」
桃は何かに射抜かれたかのように一瞬固まると、次の瞬間には気持ち激しく万衣の頭を撫でてくる。
それでも嫌ではないため、万衣は桃の好きなようにさせる。
またしばらくなでなで時間を過ごして、もうすぐで寝落ちしそうになったその時、たまたま出していた分身体から、外の異常が伝わってくる。
(…………あれ?)
「……どうしたの?」
万衣の考えていることに気づいたのか、桃が気遣わしげに聞いてくる。
万衣はそれには答えず、窓の側まで行って外を見る。
自分の目でも確かめてみると、やはり村の外にある森が少し明るいような気がした。
(何だろう?)
(赤い)
(火?)
(火事?)
(松明?)
その明かりは次第に村の方へと近づいてくる。
万衣たちがいる村は、所謂宿場町であり、人の出入りはそれなりに多い。
だがこんな暗い時間なってから村に入ろうとする者はそうはいない。
普通なら日が出ている間に余裕を持って着けるようにするのが常識らしいが、なぜか明かりは今になって村に入ろうとしていた。
(…………嫌な感じがする)
特に理由もなく、ただ漠然とした不安でしかないが、万衣はあの光を村に入れちゃいけないような気がした。
そしてその不安は、次の瞬間には現実のものになった。
「!」
「え!? 何!?」
突然の轟音が響き、万衣の目の前で、頑丈そうな村の門が突き破られるのが見えた。
その開いたところから、今度は何人もの人影が村の中へと入って来る。
(人?)
(猫さんじゃない)
(人間?)
(剣?)
(何を…………え?)
次の瞬間、万衣は信じられないものを見た。
たまたま外に出ていたのであろう女性が、突然やって来た人間たちに動揺して座り込んでいると、その人間の一人が、持っていた剣を使って女性の首を斬り飛ばしたのだ。
目の前で人が殺される光景など見たことのなかった万衣は、何が起きたのかわからず、呆然と固まってしまう。
「! まさか、あれが…………」
隣にいる桃は何かに気づいたのか、急に万衣の手を掴んで引っ張る。
「逃げるよ! 速く!」
突然のことで頭が混乱するが、万衣は引かれるがままに部屋を出る。
するとちょうど出たところで、桃の両親が最低限の防具を持って立っていた
「父さん! 母さん!」
「桃……今すぐ万衣ちゃんと一緒に逃げなさい」
「父さんたちは?」
「私と母さんは少しやることがある……心配するな。私たちはこれでも元冒険者だ。盗賊なんかに遅れは取らない」
「でも、あいつらは……」
桃が続けようとした言葉を、桃の父は彼女の唇に指を当てて静止する。
「これは親としての最後の我が儘だ。どうか聞きいれてはくれないかい」
父の言葉に、桃はそれ以上何も言わなかった。
ただ父の目を真っすぐに見て、それから手を広げて抱きついた。
その横から、桃のお母さんも二人を包み込むように抱き締める。
「絶対、帰って来て」
「あぁ、必ず…………万衣ちゃん」
桃のお父さんが顔を上げ、万衣の方を見る。
「この子を頼むよ」
「……うん」
娘を託すという思いに、万衣も正面から受け取って頷く。
それから三人は静かに離れて、桃の両親は玄関の方へと向かう。
「速く行きなさい」
「…………行こう」
桃は万衣の手を掴んで走り出す。
掴まれた桃の手は、小刻みに震えていて、万衣はその震えを無くすように、力強く握り返した。
△▼
桃に手を引かれながら、万衣はただひたすらに走り続ける。
目指すのは、盗賊たちが入って来た門とは反対に位置する門。
村の周りには頑丈な木の壁と、それなりに深い堀があるため、逃げるなら門からしかできない。
見つかりにくいように、細い道を選んで逃げていたのだが、折悪く、ちょうど角を曲がったところで人間の男と鉢合わせしてしまう。
「な!」
「!…………へぇー」
男は前にいた桃を見ると、続いて後ろにいた万衣の方へと視線を向けてくる。
男の瞳に万衣の姿が映った瞬間、男の目の色が少し変わったような気がした。
あまり人の目を気にしない万衣であっても、思わず嫌悪感を抱いてしまうような視線。
それがどのような種類の視線なのかは知らなかったが、少なくとも、自分の身が危ないことだけはわかった。
「万衣ちゃん、私を置いて先に行って」
「え?」
万衣にだけわかる小さな声で、桃は突然そんなことを言ってくる。
だがその言葉の意味を、万衣は上手く呑み込めなかった。
(逃げる?)
(桃ちゃんを置いて?)
(一人で?)
(私だけ?)
(桃ちゃんは?)
様々な疑問が頭を廻り、桃の言葉が理解できずにその場で固まってしまう。
いつまでも動かない万衣に、桃は責め立てるように叫ぶ。
「いいから早く逃げなさい!」
「!」
桃の叫びで全身がピクッと震え、万衣の体は桃の言葉に従うように走り出そうとする。
だが――
「ガハッ!」
「!」
後ろから聞こえた呻き声に、万衣は後ろへと振り返る。
そこで万衣の目に映ったのは、男の足下で力なく倒れる桃の姿だった。
「桃ちゃん!」
万衣は大切な友達の名を叫ぶ。
隣にいた男は、特に気にした素振りもなく万衣に向かって歩いてくる。
だがその男の脚を、桃は最後の力を振り絞るようにしがみつく。
「……早く逃げなさいって……言ったじゃない……私が……お姉ちゃん、なんだから……」
「なんだ。くそ! 離せ!」
「言うことを……聞きな、さい……」
「この! いい加減にしろ!」
男は持っていた剣を逆手に持ち替え、しがみついている桃の上に振りかざす。
そしてそのまま、男は剣を桃の背中に突き刺した。
「桃ちゃん!」
万衣の叫びも虚しく、男が剣を引き抜くと、桃は事切れたように地面に倒れ伏す。
彼女から流れ出る真っ赤な血が、まるで止まっているかのようにゆっくりと広がる。
「桃、ちゃん……」
もう一度彼女の名を呼んでも、彼女はもう答えてくれない。
そんな現実を受け入れたくなくて、万衣は両手で自分の前髪を鷲掴む。
(やだ……やだやだ……)
(死んじゃやだ!)
(死んじゃだめだよ!)
(一人にしないで!)
(せっかく、お友達になれたのに……)
届いているかわからない心の声を、万衣は現実を拒絶するように吐き出し続ける。
日本にいた頃、万衣の友達はほとんどなかった。
生まれ持った才能のせいで根っからの口下手。
言いたいことや、話したいことがたくさんあるのに、そのどれか一つを選べなくて、結果的に何も言えなくて、初めは仲良くしようと接してくれていた子も、次第に気味悪がられて友達にまで至ることはなかった。
そのことは少しだけ寂しかったけど、万衣は別にそれでもよかった。
家に帰れば、万衣のことを理解してくれる両親と、優しい兄がいた。
万衣にとってはそれだけで良かったし、それだけで十分に幸せだった。
だけどこの世界に来て、万衣は初めて、自分のことを心から理解してくれる友達に出会った。
それが桃だった。
うまく言葉に出来ない万衣を気遣って、何も言わずに心を読んで汲み取ってくれる。
傍にいるだけで落ち着けて、いつか親友と呼べるようになったらいいなと、そう思っていた。
だけどそんな友達はもう、万衣の傍にはいない。
そのことを受け入れてしまうと、万衣は崩れるように、地面に膝をついた。
「まったく、手間取らせやがって……だが……」
万衣の側まで来た男に前髪を引っ張られて、俯いていた顔が上がる。
「これほどの上玉は見たことがねぇな。俺もついていやがる」
男が何か言っているような気がするが、万衣の耳には全く入ってこない。
何故だか滲んでいる視界の中で、万衣は覗き込んでくる男の顔を見る。
(誰だろう?)
(知らない人)
(でも知っている)
(友達を殺した人)
(桃を殺した人)
桃を殺した。
その認識が頭の中に浮かんだ瞬間、万衣の中で何かが震えた。
(桃を殺した?)
(なんで殺したの?)
(邪魔だったから?)
(私を助けようとしただけなのに?)
(悪いことしたの?)
(していない)
(桃は優しい子)
(桃は可愛い子)
(なのに殺したの?)
(なんで?)
(もう桃はいない)
(殺されたから)
(死んじゃったから)
(許せる?)
(許せない)
(そんなの決まっている)
(許せるはずない!)
(許せるわけない!)
(私の友達を奪った!)
(私の桃を奪った!)
(許してやるものか!)
(許されると思うな!)
(殺してやる)
(私の手で……)
(一人残らず……)
(最後の一人まで……)
(襲ってきた奴ら全員……)
(……許さない)
(絶対……)
(絶対に……)
「絶対に、許さない!」
その瞬間、万衣の中で何かを縛っていた大きな枷が外れたような気がした。




