第七話 同じ“人”
□■椿
「じゃあね」
椿は今度こそ、紅葉に別れを告げて立ち上がる。
もう喉も痛くて、きっと目も真っ赤に腫れているのだろう。
だけどそのお陰で、気持ちの整理はついた。
もう椿に迷いはない。
助けてくれた紅葉の分まで、強く生きようと、そう誓ったのだ。
「……大丈夫ですか?」
「うん。もう、大丈夫」
後ろから掛けられた声に、椿は振り返ることなくそう答える。
その声の主が何者なのかを、椿はもう既に知っている。
「助けてくれて、ありが……」
後ろに振り返ってお礼を言おうとして、椿は思わず口をつぐむ。
目の前にいる彼が、椿を助けてくれた人だということはもちろんわかっている。
それは椿の中に根付いた、確かな繋がりからも明らかだ。
だがその容姿を見てしまえば、恩義よりも先に憎悪が内側から込み上げてくる。
なぜなら椿の前にいたのは――
「人間!」
両親を殺し、椿から何もかも奪い去った、憎き人間だったのだから。
「なんで私を助けた!」
無意識に鋭い爪に力が入る。
今すぐにでも引っ掻き殺してやりたいが、目の前にいる人間が、自分を助けてくれた恩人だという事実が、何とかその衝動を押さえていた。
「…………私は、あなたを助けたいと思って助けました。それ以外に他意はありません。ですが、あなたはそれを信じられないのでしょうね」
「あなたに何がわかるって言うの!」
まるで自分のことを知ったような口に、思わず声を上げてしまう。
するとその人間は、どこか後ろめたいように椿から目を逸らす。
「……こちらも、本意ではなかったのですが……契約の際、あなたの過去の記憶を見ました。あなたがなぜ、私に敵意を向けるのかも理解しているつもりです」
その言葉を聞いた瞬間、椿の中で何かが切れた。
自分の記憶を覗き見られたこともそうだが、何より彼が椿のことを勝手にわかった気になっていることが、何よりも我慢ならなかった。
「ふざけるな! あなたに何がわかるって言うの! 人間なんかに…………私の気持ちがわかってたまるか!」
理解されてなるものか。
何もできずに、ただ指をくわえて、何もかも奪われた者の気持ちが、奪って行った側の人間たちにわかってなるものか。
そんな惨めが許されていいわけがなかった。
「…………すみません。出過ぎたことを言いました」
「!…………」
人間の言葉を聞いて、椿は自然と毒気が抜けられたような気分になる。
彼の態度が、本当に椿のことを申し訳なく思っているように見えたから。
今まで見てきた人間たちとは何かが違う。
そこには紛れもなく、椿を“人”として見る目が確かにあった。
「…………それで、私を助けた目的は何?」
いくら毒気を抜かれようと、彼が敵である人間であることには変わらない。
再び問いただせば、人間は椿の方に向き直る。
「さっきも言いましたが、私はただ、あなたを助けたかっただけです。それ以外の目的なんてありません」
「それを信じろと?」
「いいえ…………ただ出来ることなら、私はあなたの力になりたいと思っています。これから、仲間の皆さんを助けに行かれるのでしょ?」
「…………」
一瞬、何でわかったと思ったが、彼は椿の記憶を見て知ったのだろうと思い直す。
だがそれとは別に、椿にはわからないことがある。
「……なんで?」
目の前の人間が、わざわざそんな申し出をする意図がわからない。
これは獣人の問題であって、彼には全く関係ないのだから。
「私だって許せないのですよ。あなたの記憶に映っていた彼らの所業を。あれは人が行っていい行為ではありません。人の人生を。歩まれるはずだった道を、同じ人に踏みにじられるなんて、許せるはずがないでしょ」
人間の言葉は、まるで心の底から滲み出たかのように重く、そして強い言葉だった。
思わず後ろにたじろいでしまうほどに。
「私も知ってしまった以上、もう見なかったことにはできません。微力ながら、あなたの力にならせて下さい。一人よりも、二人の方がいいはずです」
「……それでいったい、あなたに何の得があるって言うの?」
目的はわかっても、それに対する利益が椿にはわからない。
人間は少し考える素振りを見せると、改めてその口を開く。
「得ですか……そうですね……強いて言うなら、あなたの傍にいられることでしょうか」
人間はなんてことないように椿にそう告げてくる。
だがいったい何を言っているのかがわからない。
出会った時から理解に苦しむ人間だけれど、今回のこれはとびっきりだ。
どうやらその様子を察したのか、人間は再び椿に向かって語り始める。
「私はですね。人が歩んでいく姿を見るのが好きなんです。その人がどこへ向かって、どこに辿り着くのか。それをその人の傍で見届けるのが好きなんです…………あなたのことは、一人の“人”として興味があります。あなたはあの危機的状況の中でも、最後まで諦めていませんでした。それはきっと誰にでもできることではありません。ですからどうか、私にあなたの行く先を見届けさせて下さい。私があなたに与えたその力を無駄にしないで下さい」
人間の言葉を聞いて、椿は最初に心の中で「あぁ、まただ」と思う。
彼は本当になんてことないように、椿のことを同じ“人”だと言った。
今まで椿が見聞きして来た人間たちは、一人だって自分たち獣人を同じ“人”だと言った者はいなかった。
村に来ていた商人から聞いていた話でも、椿たちを攫った盗賊たちも、誰もが椿たちを下等の獣のようにしか見ていなかった。
だが目の前の人間はそうではない。
極自然と、椿を同じ“人”として接してくれていた。
そのことが少しだけ、椿が体に入れる力を緩めさせる。
だけどきっと、椿にそうさせたのはそれだけではない。
自分と彼を繋ぐ契約のつながり。
その繋がりが、どこか温かいように、椿には思えた。
まるでそっと肩の上に手を乗せて、ゆっくりと、それでも力強く、前に進ませてくれるような、そんな安心できるような温かさが彼との繋がりにはあった。
それをはっきり意識してしまえば、もう彼のことを疑うのが馬鹿らしく思えてくる。
「……本当に変な人間」
思わず本音が漏れて、椿は小さく笑う。
それから表情を引き締めて、改めて人間の方を見る。
「私は今からみんなを助けに行く。手助けしたいなら好きにすればいい。だけど、私の邪魔だけはしないで」
突き放すような物言いだが、人間は気分を害した様子もなく、ただ静かに微笑む。
「わかりました。私の好きにさせていただきますね」
どこか嬉しそうに言う人間に、椿は顔を逸らして目的地へと足を向ける。
「そういえば、まだ名乗っていませんでしたね。私は上条進と言います。あなたは?」
「椿」
「椿さんですか。わかりました…………ところで、目的地はわかっているのですか?」
「……みんなの匂いが残っているから、それを辿って行けば、きっとみんなのところに行ける」
「わかりました。では、先行はお願いしますね」
「……言われなくても」
椿は足に“力”を集中させて、森の中を走り出す。
進も後ろから追いかけて来るのを確認して、椿は連れ去られた仲間たちの下へと急いだ。
□■上条進
椿の後を追いながら、進も今まで体感したことがないような速さで森の中を駆ける。
まるで新幹線に乗っている時のように、次々と流れていく景色を目で追いながら、この超常を自分の足で行っている現実に些か動揺する。
それを可能にしているのは、椿が進との契約で得た魔法にある。
《部分強化》。
それが、椿が進との契約で得た魔法だ。
身体機能の一部を部分的に強化することができる。
嗅覚を強化すれば、道に残る僅かな匂いを嗅ぎ分けることができるし、脚部を強化すれば、今のように超常の速さで走ることも出来る。
自身の魔法によって、椿の魔法も扱えるようになった進は、彼女から流れ込んでくるそれを、本能的に理解して使っていた。
そしてあっという間に森を抜けて、その奥に聳え立つ城壁が見えてくる。
今までの道順から察するに、どうやらあそこが、村長が教えてくれた町であるようだった。
「みんな」
椿は城壁が目に入ると、また一段とギアを上げて加速する。
このまま行けば、そのまま城壁の中に突撃する勢いだ。
だが当然、城壁の門には衛兵の姿があり、そう簡単に通れるもようなのではなかった。
「待って下さい!」
「ッ! 何!」
突っ走ろうとした椿の腕を掴んで、無理やり彼女の走りを止めさせる。
振りほどこうとしている腕を必死に抑えながら、なんとか落ち着かせるように椿を説得する。
「落ち着いて下さい。流石にこのまま中に入って、騒ぎを起こすのはマズいです。私なら正規の手続きを踏んで中へ入れます。焦る気持ちもわかりますが、ここは一旦落ち着いて下さい」
進の言葉が届いたのか、掴んでいた椿の腕から徐々に力が抜けていく。
本意ではないだろうが、一応は理解を得られたようなので、掴んでいた腕を離して門へと向かった。
門の前にたどり着くと、村長からもらった町への入場許可証を手元に出して、それを衛兵へと見せる。
「はい。問題ありません…………ん? そちらの獣人は?」
椿の存在に気づいた衛兵は、訝しげに眉をひそめる。
「彼女は私の同行者ですが、何か?」
進は何食わぬ顔で応じるが、衛兵はどこかを疑いの目を向けるように、目を細めたままだ。
「お手数ですが、この許可証ではあなた一人しか入れませんので、そちらの獣人には別途審査が必要になります」
「! そんなことしている暇なんてない! 今すぐここを通して!」
「申し訳ありませんが、規則ですので。早くこっちに来なさい」
衛兵は、無理やり椿を連れ出そうと、彼女に向かって手を伸ばす。
その行動はあまりにも一方的で、進にとっても不自然極まりない。
まるで審査を口実に、彼女を連れ去ろうとしているようにすら見える。
この時点で進は、この一件が想像以上に根が深いことを察した。
椿も同じようなことを思ったのか、その顔を怒気の色に染めていく。
そしてその行動もまた苛烈だった。
「!?……ぎゃああぁぁぁ!」
椿は伸ばされた衛兵の手を逆に掴み返して、その手首を握りつぶす。
彼女は衛兵を一瞥することもなく、そのまま門の中へと走り出してしまう。
「椿さん!」
遅れて進もまた、彼女を追いかけて走り出す。
魔法も使っているのか、その動きはまさに本物の猫のように俊敏で速い。
大通りには人や馬車もあるが、一応それらを除けて走る理性は残しているようだった。
(マズいですね。このままでは……)
もしも相手が、進の考えている通りなら、到底椿一人では太刀打ちできないだろう。
進が加わったとしても、それは同じことだ。
だが現実は、容赦なく非情を突き付けて来る。
椿自身はただ、仲間の匂いを辿っているだけのつもりなのだろう。
だがその行先は、町の中央に立つに城へと向かっている。
そのことがさらに、進の考えを確信へと変えていく。
「!」
その時、椿が走っている正面から、何かが衝突した音が聞こえてくる。
人混みを飛び越えた先で見えたのは、椿ともう一人の幼い少女が対峙している姿だった。




