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【第五章完結】世界を渡りし者たち  作者: 北織田流火
第二章 獣人解放編
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第六話 契約

 □■椿


 紅葉が死んだ。

 椿の目の前で、熊に食われながら死んでいった。

 さっきまでお互いに、大丈夫だと言いながら励まし合っていたのに、いつの間にか、それすら幻であったかのようにすら思えてくる。


(どう、して……)


 どうしてこうなってしまったのか?

 いったい何がいけなかったというのか?

 椿はただ、家族と一緒に、幸せな日々を過ごしたかっただけなのに。

 それなのに、人間たちは椿から家族を奪い、巨大な熊は椿の大切な親友を奪い去った。


「ッ!」


 悔しい。

 ただただ悔しい。


 何もできなかった自分が。

 何もできずに、何も守れなかった自分が。

 自分の弱さが、何よりも許せなかった。


(力さえ、あれば……)


 力さえあれば、もう何も奪われない。

 力さえあれば、大切なものを守り抜ける。

 力さえあれば、もう自分たちを脅かす暴力に屈することもない。


「…………」


 椿は当てもなく、ただ何もない虚空へと手を伸ばす。

 霞んでいく視界の中で、その先に何かあってほしいという願いを込めて。


 だがそんな都合のいい願いが、そう簡単に掴めるはずもない。


 そんなことは椿にもわかっている。

 だがそれでも、伸ばさずにはいられなかった。

 例え叶わぬ願いであったとしても、無意味な望みであったとしても、それでも、奇跡を信じて、最後くらいは抗いたかった。


(……私に、力を!)


 何を捧げても構わない。

 最後の一時だけでも、自分から何もかも奪っていった奴らに、一矢報いてやりたい。


 それだけが、今の椿が抱くたった一つの願いだった。


 だが、伸ばしていた手からは、徐々に力が抜けていく。

 椿の意志に反して、体はもう既に限界だった。

 意識も朦朧として、前に伸ばしていた手が地面に付きそうになった時――


 ――誰かの手が、椿のその手を受け止めた。


(!)


 確かな人の手の感触がした直後、何者かの声が椿の頭の中に響く。


『私と、契約を結びませんか?』

『…………契約?』


 いったい誰なのかはわからないが、椿は消え入りそうな意識で何とか聞き返す。


『えぇ、契約です。私と契約していただけるのであれば、私はあなたに力を与えます』

『!』


 ――力を与える。

 その言葉が聞こえた瞬間、椿の意識は力を取り戻し、迷うことなく自分の決意を固める。


『わかった! 契約する! 私に力を!』


 椿は誰ともわからない声に向かって、心の中で叫ぶ。

 だが声の主からは、どこか苦笑いを浮かべているような返答が返ってくる。


『…………即決ですか。しかし、私はあなたに力を与える代わりに、あなたに対価を求めます。それを聞いてから、改めて答えを聞かせて下さい』


 声の主はそう言うと、そのまま契約内容を語り出す。


『まず私からあなたに与えるのは、先ほども言ったように力です。どれほどかは、私にもわかりませんが、あの熊を倒すことはできるはずです』


 声の主が告げた内容に対して、椿はすぐに了承する。

 元より、叶うはずのなかった願いなのだ。

 少しでも強くなれるというのなら、椿にとっては何の問題もない。


『次に、私があなたに求める対価ですが、私にあなたの力の半分を貸していただきます。この場合、あなたは本来の力の半分しか発揮できなくなります』


 続けて告げられた対価に、椿は拍子抜けになりながらも了承する。


 元より、全てを捧げる覚悟があったのだ。

 力の半分が使えなくなる程度など、椿にとっては些細なことでしかない。


『以上が、私との契約内容です。改めて、私と契約を結びますか?』


 今一度、声の主に問いかけられるが、既に椿の答えは決まっている。


『結ぶ。私に、力を!』

『契約成立です』


 その直後、椿の中に途方もない力が流れ込んでくる。

 全身に力が溢れ、傷口が塞がり、自分の全てが作り変えられていくのがわかる。


(……すごい)


 椿はゆっくりと立ち上がり、手を握ったり開いたりしながら、自分が手にした力を確かめる。


 そして顔を上げ、椿は目の前にいる親友の仇を視界に収めた。


「…………あ」


 思わず小さな声が漏れる。

 それは眼前に仇を前にして、恐怖を覚えたからではない。

 寧ろその逆だ。


 目の前にいる存在が、あまりにも()()見えたから。


 ただ図体がでかいだけで、動きづらそうな体。

 手先に付いている爪は、まるで飾りなのではとすら思えてくる。

 さらに言えば、椿に気づいて振り返った姿が、どこか及び腰になっているように見えることも、その弱弱しさに拍車をかけている。


 初めて目にした時には、この上なく恐ろしい存在に見えたというのに。


「…………」


 次に椿が抱いた感情は、哀れみだった。

 もちろん親友だった紅葉が殺された怒りが消えたわけではない。

 ただ、ふとこう思ったのだ。


 『あぁ、こいつは今から私に殺されるんだ』と。


 自分が負ける姿など、微塵も想像すらできない。

 今の自分と熊との間には、それだけの力の差があるのだということを、椿は本能的に理解していた。

 そうであるならば、椿がやることはもう決まっている。


「……行くよ」


 椿は足に“力”を集中させて、地面を蹴る。

 一瞬で距離を詰めて、上体を起こしている熊の懐へと飛び込む。


「ッ!」


 熊は突然のことで目を見開いているように見えるが、そんなことは椿には関係ない。

 指を揃えた手刀で、熊の胸元を貫き、そこにある心臓へと手を掛ける。

 ドクドクと鼓動するそれを、手を広げてその手中へと収める。


「じゃあね」


 最後に一言だけを言い残して、椿は熊の心臓を握り潰した。

 手と一緒に心臓を引き抜き、距離を取ったところで、熊は力尽きたように地面へと倒れ伏した。


「…………」


 椿は最後にその熊の死体を一瞥すると、傍にあった食い散らかされた死体――自分を庇って殺された、かつての親友の亡骸の前で膝を折る。


「勝ったよ……」


 ただ一言。

 椿はもう見る影もない紅葉の亡骸へと語り掛ける。

 湿っぽい別れにならないように、もうこれでおしまい。

 そう思っていたのに……


「……勝てたんだよ。あの魔獣に……すごいでしょ。私、魔法が使えるようになったんだよ。それでね……」


 言葉が止まらない。

 もう紅葉には聞こえていないというのに、伝えたいことが湯水のように溢れ出て来る。


 まるで話し続けていれば、いつか紅葉が答えてくれるのではないかと、勝手に思っているかのように。

 だがいくら椿が語り掛けたところで、紅葉がそれに答えてくれることは…………もう二度とない。


「あれ?」


 椿は地面に落ちた二つの雫に、言葉を止める。

 視界が歪んでよく見えなくなって、頬には何かが滴っているような感触が伝わって来る。


「なんで……今になって……」


 地面を濡らしている雫が、自分の涙だということに気づくのに、そう時間はかからなかった。

 椿は血の付いた手でも構わずに、顔を濡らす涙を拭う。

 だが拭っても拭っても、涙は止めどなく溢れ出てくる。


 両親が殺された時にも、暗い牢に入れられた時にも、一度だって泣かなかったというのに、今はもう、涙を抑えることができそうになかった。


「紅葉……」


 椿はもう一度、目の前にいる親友へと語り掛ける。

 だが当然、紅葉はもう、その呼びかけには答えてくれない。


 椿がどれだけの力を手にして、仇を取ったとしても、もう失ってしまったものを守れなかったことには、変わらないのだから。






 ◇◆


 その日、森の中に一人の少女の叫びが響いた。

 今まで積もった感情を全て吐き出すかのように、彼女の絶叫は、森の空気を悲しみ一色に染め上げる。

 どれだけ喉を傷めても、どれだけ声を枯らしても、彼女の叫びが止むことはなかった。


 その傍らで一人の人間が、静かに彼女のことを見守っていた。


 彼女と繋がって見えた彼女の記憶。

 彼女の抱いた感情も含めて、彼は見てしまった。

 彼女を取り巻く悪意と、それを覆そうとする彼女の意志を。


 だからこそ彼は、ただ静かに彼女の背中を見守り続けた。


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