第五話 伸ばされた手の意味
ここから場面が変わります。
□■???
意識がぼんやりとする。
今までオフィスで打ち合わせをしていたはずなのに、うまく思い出すことができない。
お酒はあまり飲まない主義なのだが、ここ最近の激務で疲れが出たのだろうか?
そんなことを考えながら、上条進は不意に意識を覚醒させた。
「…………」
まず目に飛び込んできたのは、どこまでも青々しい森の景色。
現代日本の高層ビルなど欠片も見当たらない自然の光景に、進は頭の中に疑問符を浮かべる。
「どこでしょうか? ここは?」
一通り辺りを見回してみるが、やはり森の中であることは変わらない。
携帯を取り出して画面を見てみると、「圏外」という表示がはっきりと出ていた。
「携帯も通じませんか。そうなると……非常に困りましたね」
一瞬だけどっきり企画かとも考えたが、自分はあくまでもマネージャーなのだから、その可能性は低いだろうと考える。
さらに言えば、意識を失う前に見た白い光の壁を思い出したのも理由の一つではある。
「さて、どうしましょうか?」
サバイバル知識もないため、進にできるのは、ただ助けを待つことだけだ。
だがじっと助けを待つというのも性に合わないため、進は何かできることはないかと思考を巡らせる。
すると不意に、草木をかき分ける音が辺りに響く。
「!」
「! おいあんた! こんなところで何してるんだ」
「……あなたたちは?」
木々の間から現れたのは、いかにもガタイのいい男が五人。
それだけなら、助かったと歓喜するところなのだが、進の視線は男達が持つ武器へと注がれる。
日常生活ではまず見ることのない槍や弓矢。
ドラマなどの小道具としての模造品なら何度か見たことがある。
だが男達が持っているそれは、間違いなく本物だった。
「あ? 俺たちはそこの村のもんだ。で、あんたはこんなところで何してるんだ? さっきまでよくわかねぇ光が見えてたんだがなぁ。あれはあんたの仕業か?」
「?」
突然よくわからない質問をされて、当然のことながら、進には全く心当たりがない。
「……すみません。話の内容がよく見えないのですが……この近くには村があるのですか?」
「あぁ、俺たちの村がな……あんた、ここがどこだかわかってねぇのか?」
「ええ。ついさっき目が覚めたところでして。もしよろしければ、その村に案内していただけませんか? 私も、何が起きたのか知りたいので」
こうして進は、突然に出会った男たちと一緒に彼らの村にお邪魔することになった。
△▼
それから五日が経った。
この五日間の間で、進は一つの確信を得ることになった。
それは「どうやらここは異世界であるらしい」ということだ。
いや……予感だけなら最初からあったと言うべきだろう。
この五日間というのは、それを納得するための時間だったとも言える。
「人生というのは、本当に何が起こるかわからないものです」
高校を卒業してすぐに、友人と一緒に芸能事務所を立ち上げた時にも思ったことだが、今回はそれ以上だと思う。
「しかもファンタジーと来ましたか」
進は右腕を上げて、そこに刻まれた黄色く輝く模様を見る。
現時点でこれと関わりがあるかどうかは不明だが、この世界には魔法というものがあるらしい。
そしてその力を、進もまた持っていることが最近になってわかった。
日が経つにつれて少しずつ、自分の魔法が頭の中に流れ込んできたのだ。
ジグソーパズルのピースが埋まっていくように、全体像が少しずつ姿を現し、そして完成した時に――
――進は自分の魔法を面白いと思った。
まるで自分の生き方そのものを示されたかのようにすら思えた。
だからこそ、進の魔法はそう易々と使えるものではなかった。
「まぁ。時が来れば、使ってみることにしましょう」
進はそこで一旦思考を切り替えて、これからのことについて考える。
この五日間の間、進は村長の屋敷で生活をしていた。
田植えの時期だということで、進もまた一緒になって、村人たちと汗水を流したのはいい思い出である。
その中での交流で、進はこの世界について彼らに聞いてみた。
ここはどこなのか?
魔法とはいったい何なのか?
自分と同じ、日本から来た人は他にもいるのか?
それらのことについて聞いてみたが、彼らから返って来る答えはパッとしないものだった。
彼らはこの村の周辺のことしか知らないし、魔法についても、ただ使うことができるという程度でしか知らなかった。
進がなぜ、この世界に来たのかということなど言うまでもない。
これでは進が知りたいことにはまるで足りない。
「やはり、町へ行くしかありませんね」
村人たちの話によれば、ここから徒歩で半日ほどかけたところに町があるらしい。
それなりに大きな町らしく、そこであれば、この世界の情報が集まるかもしれなかった。
「明日にでも出発するとしましょう」
翌朝、進は日が昇るのと同時に村を出発した。
△▼
何の舗装もされていない、車一台分ほどの獣道が続いている。
歩き辛くはあっても、決して苦というわけではない。
既に二、三時間ほどは歩き続けているはずだが、それほど疲れてはいなかった。
「やはり、こちらに来てから体が軽いですね。これなら無事に着くことができそうです」
途中で少し休憩を挟みながら、そのまま町へと向かって歩いて行く。
さらに小一時間ほどが経ち、大きな道との合流地点が見えたところで――
ドッシャァァァ!
「!」
突然道の先で、何かかが勢いよく横転したような轟音が響く。
(……何でしょうか?)
進は地面を蹴り、合流地点へと走る。
するとその時、二台ほどの馬車が進の前を走り去っていくのが見えた。
どんどんと小さくなっていく馬車を尻目に、進は馬車が走って来た方向へと視線を向ける。
「!」
するとそこにいたのは、体長三メートルを超える巨大な一頭の熊だった。
傍らには轟音の原因であろう横転した馬車があり、熊はその馬の肉を無残にも食い散らかしていた。
進は無意識に、近くにあった木の陰へと隠れる。
(あれが魔獣というものでしょうか? 聞いてた以上ですね)
進は息を殺しながら、熊が行っている食事をただじっと眺める。
食事に集中しているためなのか、熊がこちらに気づく様子はない。
(兎に角、すぐにここを離れるべきですね)
進は熊と馬車に背を向けて、その場から離れるために走り出そうとする。
ガン!
だがそこで、突然金属音が進の耳へと届く。
「!」
振り返って見てみれば、いつの間にか荷台の扉が開かれており、中から女性らしき人の姿が出てきていた。
いや、正確に言えば、それは進の知る人の姿ではなかった。
頭の上に耳があり、後ろには細い尻尾が見え隠れしている。
まるで猫を人の形にしたような姿が、そこにはあった。
女性は馬車から出てくると、進とは反対の方へと走り出す。
一心不乱に、少しでもその場から離れようと必死になって走っていく。
だが当然のことながら、音に気づいたのは進だけではなかった。
「いけません!」
進は思わず声を上げる。
だが、時すでに遅し。
音に気づいた熊は、まるで餌を逃がさないとでも言うように、その巨体に見合わない素早さで、女性を地面に叩きつけて圧殺した。
熊の足下が赤い血の海に染まり、引き千切られる赤い肉が、妙に生々しく進の目には映った。
「ムッ」
進は吐き気を押さえながら口元に手を当てる。
馬の時はそこまで感じなかったが、人が目の前で食われる姿は、流石に直視することができなかった。
進は今度こそ、その場から離れようと踵を返そうとする。
だが……
「今のうちに」
その小さくとも確かな声に、進はもう一度後ろへと振り返る。
横転した馬車の出口に、今度は赤い髪色をした二人の少女がいた。
二人は、熊が食事に夢中であることを確認すると、進がいる方へと走り出す。
だが一方は足を怪我していたのか、駆けだした傍からその場で転んでしまう。
「キャッ!」
「紅葉!」
その二人の声で気づいたのか、熊が二人の方へと振り返る。
再び餌が逃げ出そうとしたのを確認して、熊は二人に向かって襲い掛かる。
少女たちの方は、転んでしまった相方を起こそうと、もう一人が肩を貸そうとしている。
このままいけば、二人一緒に熊の餌食にされてしまうだろう。
すると、転んでしまった少女もそう思ったのか、肩を貸そうとしている相方を前に向けて突き飛ばす。
その決断が、二人の運命を分けた。
突き飛ばされた少女はそのまま前に倒れこみ、突き飛ばした少女は自分を盾にするようにその身を熊へと差し出す。
熊の牙が少女の首筋に突き刺さり、その身につけた衣服を赤く染めあげる。
「紅葉!」
「……にげ……て…………」
少女は最後に一言残すと、そのまま事切れたかのように動かなくなる。
「……この! 紅葉を離せー!」
残された少女は、立ち上がって熊に殴りかかろうとする。
だが熊は、まるで「お前は後回しだ」とで言うように、その腕を振って少女を叩き飛ばす。
「グハッ!」
少女は近くの木に叩きつけられ、そのまま地面に倒れこむ。
進はその様子を、ただ木の影から眺めていることしかできなかった。
多少体が動けるようになった程度で、熊一頭を相手にできるわけがない。
助けられるなら、助けてあげたい。
だが進には、そのための方策が思いつかなかった。
(すみません)
進は最後に、もう一度少女の姿を見る。
これから自分が見捨てる少女の、せめて最後だけでも見届けようと目を向ける。
そこで進は、残された少女の横顔を見た。
「…………」
その横顔には、悔しさと怒りの感情が滲み出ている。
もうほとんど動かないであろう体で、顔だけはしっかりと上げ、歯を食いしばり、眼光は鋭く、目の前の熊を射抜いている。
彼女の目は、まだ死んでなどいなかった。
そんな彼女の姿が、進には眩しく見えた。
この絶望的な状況下でも、彼女は何も諦めてなどいなかった。
できることなどもうないはずなのに、それでも彼女は、目の前の絶望に打ちのめされずに抗おうとしている。
その姿を見て、進はただ一つこう思った。
――見てみたい、と。
彼女がこれから歩んでいくであろう人生を、彼女の傍で見届けたいと、そう思った。
「!」
不意に彼女は、何もない虚空へと手を伸ばす。
その伸ばされた手の意味を、進はすぐに理解した。
彼女がいったい何を求めて、その手を伸ばしているのかを。
そしてその手に応えることこそが、自分が持つ魔法の意味なのだと、進はこの瞬間に確信した。
(やれやれ)
気づけば進は、彼女の隣へと歩み寄っていた。
優しく彼女の手を取り、その魂へと問いかける。
『私と、契約を結びませんか?』と。




