第一話 小さな幸せ
第二章投稿開始です。
□■???
――腰が痛い。まるで重石を乗せているかのように痛みが走る。
ズキズキとした痛みではないけれど、じんわりとした痛みが、腰の悲鳴を訴えてくる。
今すぐにでも柔らかな草むらに寝転がってしまいたいけれど……もう少しだと最後の気力を振り絞る。
あと少し、あと少しと、残り少なくなってきた苗を確かめながら、泥の中に手を入れて植えていく。
そしてすべての苗を植え終わったところで、椿はようやく顔を上げ、少しだけ残った綺麗な手の甲を使って、目にかかった前髪を除ける。
「よし! 今日の分は終わり!」
やり遂げた達成感に、椿は腕を伸ばして、凝り固まった筋肉をほぐす。
そのまま腰に手を当てて、今日の成果を確かめる。
目の前には、できたばかりの青々しい田んぼが広がり、その奥には雄大に佇む山脈が広がっている。
それらが夕日の光で赤く染められている光景が、椿はいつも好きだった。
頭の耳をピクピク、尻尾をフリフリさせて、思わず満足気な笑みを浮かべてしまう。
「お疲れ様。帰って夕食にしようか。母さんたちも待っているだろうしね」
「うん。お父さん」
先に終わって待っていた父の言葉に、椿は振り返って答える。
横に並んで一緒に歩いていると、途中で幼馴染の紅葉とバッタリと会った。
「あ! 椿ちゃん!」
「紅葉ちゃん。そっちも今帰り」
「うん。今日も一日疲れたよー」
「私もー」
小さい頃からずっと一緒にいて、今でも大切な親友との会話もそこそこに、椿たちは日が暮れる前に家へと着いた。
「「ただいまぁ」」
「おかえりなさい」
「!…………」
家に帰ると、母がちょうど夕食の支度を終えて待っていた。
その横では、何故か弟の翔がじっと座ったまま、そっぽを向いて大人しくしている。
やんちゃ盛りのお年頃にしては、かなり珍しい。
椿は一度着替えるために箪笥を開けて服を取り出していると、何故かその上に置いてあったお気に入りの簪が無くなっていることに気づく。
「?」
どこへ行ったんだろうと軽く辺りを探してみても見つからず、後でお母さんにでも聞いてみようと、一先ずみんなが待つ囲炉裏へと向かった。
「じゃ食べようか」
全員が席についたところで、父が声を掛けて食事を始める。
いつもと変わらない献立の、いつもと変わらない母の料理に、いつもと変わらない幸せを感じて食事を楽しむ。
囲炉裏の中にくべられている炎が、優しく家族みんなの笑顔を照らしていた。
△▼
椿はこの夕食の時間が何よりも好きだった。
家族みんなで囲炉裏を囲んで、「今日も大変だったね」と小さな変化を語り合いながら笑い合う。
そんななんてことのない生活が、椿にとっては何よりも幸せだった。
村の外に出れば、この生活よりももっと幸せなことがたくさんあると聞いたことはあるけれど、椿はそんなのを求めない。
村の外での生活なんて椿は知らないし、何よりもこの幸せを捨ててまで、他の幸せを求めるなんて、罰が当たるのもいいところだ。
椿の願いは、ただこの小さな幸せが、いつまでもずっと続いてくれることだけ。
それだけが唯一の願いだったし、実際いつまでも続いていくと思っていた。
そう、この夜までは――
△▼
それは突然にやって来た。
どこからともなく現れて、寝ていた椿たちの家に押しかけて来たのだ。
夜目が聞く方である椿は、その正体を見て、すぐに自分たちとは違う種族だと気づいた。
自分たち猫人族と違って、頭に耳もついておらず、尻尾もない。
まるで猿のような顔をした種族を、椿は噂だけは聞いていた。
――人間――
それは北の山脈の向こうに住んでいるという種族。
身体能力は自分たちよりも低いが、その分魔法に長けているのだという。
かつての猫人族も含めた獣人族は、彼らの迫害を受けて、この南の地へと追いやられたのだそうだ。
椿はそんな話を、たまに来る行商人から片言ではあるが聞いていた。
ただ自分にとっては、過去の出来事なんかよりも今の生活の方が大切だったし、何より実際会うこともないだろうと興味もなかった。
だが今この瞬間はそうも言っていられない。
椿は、母と翔を守るために、父と一緒に人間たちの前に立ち塞がる。
「誰だ!」
父は狩猟用兼護身用の槍を持って、家に侵入してきた人間たちに問いただす。
だが人間たちに答える様子はない。
ただ値踏みでもするかのようにねっとりとした視線を椿たちに向けてくる。
「うっほぉー。いい女がいるじゃねぇか。これ、売る前に味見していいのか?」
「いいんじゃねぇか? まぁ、お頭に聞いてみねぇとわかんねぇけどなぁ」
「ぐずぐずしてねぇで、さっさと仕事済ませようぜ。話はそれからでもいいだろ」
「ちげぇねぇ」
椿は自分に向けられる不快な視線に思わずゾッとして、尻尾の毛並みを峙たせる。
あまりにも気持ち悪い視線に、これ以上視界に入れることすら嫌になる。
そんな椿に向かって、父は何やら小さい声で呟いて来る。
「椿、母さんたちを連れて逃げなさい」
「え? 何言って――」
一瞬何を言われたのかわからず聞き返そうとするが、それよりも速く一人の人間が父に向かって斬りかかった。
「は! 何こそこそ話してんだよ!」
「クッ!」
人間の動きは速く、何とか持っていた槍で受ける父だったが、そのまま家の壁へと叩きつけられる。
「お父さん!」
ひびの入った壁から崩れ落ちる父を見て、椿は思わす声を上げる。
「おっと。お前は大人しくしていろ!」
「!」
いつの間にか近づかれていた人間に、椿は腕を掴まれて身動きが取れなくなる。
「この! 離せ!」
椿はジタバタと足を振って暴れてみせるが、一向に力が緩まる気配がない。
椿が捕まっている間に、他の人間たちは母と弟に近づいていく。
「おら! さっさと立て!」
「クッ!」
「お母さん……」
一人の人間が、母の腕を掴んで立たせようとするが、母は翔を抱きしめながら、一向に立ち上がらずに抵抗する。
だがそんな母の様子に、人間は徐々にその力を強めていく。
「この! いい加減にしろ!」
そして遂に、その人間は母の頭を殴り飛ばした。
倒れる途中で箪笥の角にぶつかり、母はそのまま動かなくなる。
母が倒れた床には、赤い血のようなものが広がっていくのが見えた。
「……お母さん?……」
椿は母に声を掛けるが、返事は返ってこない。
「お母さん!」
もう一度声を上げるが、結果は同じ。
声が返ってくることはなく、椿の視界が少しずつ霞んでいく。
「やっべ。やっちまった」
「何やってるんだ。こいつも十分商品になっただろうに」
「悪い悪い。ついカッとなってな」
まるでちょっと力を入れ過ぎたから死んでしまったとでもいうように、軽い会話をする人間たちに対して、椿は歯を食いしばりながら睨みつける。
「よくも! よくも、お母さんを!」
「こら! 暴れるな!」
「絶対! 絶対に、殺してやる!」
椿は必死になって掴まれている手を振りほどこうとするが、やはりどう足掻いても振りほどくことができない。
「おぉ、怖っ。まぁやれるものならやってみなよ」
「そうそう。俺たち人間様に楯突くなんて、十年早いんだよ。ギェヘヘヘ」
カチャッ――
その時、部屋のどこかから物音が聞こえる。
椿がそちらを見てみれば、そこには満身創痍で槍を構える父の姿があった。
「ウォォオオオオオ」
父は持っていた槍を、椿を捕えている人間に向かって投擲する。
人間は椿を盾にしようと動かすが、ギリギリそれは間に合わない。
槍は確実に人間に命中する。
そう思った直後――空中にあった槍は、唐突にその姿を消した。
「グハッ!」
「!」
いったい何が起こったのかわからず困惑していると、突然父が血を吐いて倒れる。
「……お父さん?…………お父さん!」
母の時と同じで、呼んでも返事は返ってこない。
それに代わって、一人の人間が椿たちの家に入って来る。
「おいお前ら、何遊んでいやがる!」
「お、お頭……」
新たに入って来た人間の右手には父が投擲したはずの槍が、左手には今もドクドク動いている赤い何かが握られている。
その大柄な人間は、一通り家の中を見回すと、椿へと視線を向ける。
「おぉ。結構な上玉じゃねぇか。やっぱ獣でも、中にはいるもんだなぁ」
「……よくも」
人間たちの呼び名から察するに、この人間がこの集団の長なのだろう。
そして父が持っていた槍を持っているということは、この人間が父を殺したことに間違いない。
椿は目から血の涙が流れそうなほどに、目の前の人間を睨みつける。
「おぉ、怖い怖い……おい、お前ら! そこのガキも連れてさっさとずらかるぞ!」
「「「おぉ!」」」
大柄な人間の掛け声によって、他の人間たちもそれに応え、椿と翔は家の外へと運び出される。
外に出て目に飛び込んできたのは、辺りを赤く照らして燃え盛る村の光景だった。
◇◆
その後椿たちは、他の村人たちと一緒に馬車に乗せられて、北の山脈にある廃鉱山へと運ばれた。
そこで椿たちは一切の抵抗も反論許されることなく――
――人間たちの奴隷となった。
《隷属刻印》。
それが椿たちにかけられた魔法――否、呪いだ。
主人の命令を強制させ、逆らおうとすれば、その胸元に刻まれた刻印がその者に激痛を与えるのだ。
実際、開口一番で反抗した椿は、その痛みを身を持って味わうことになった。
まるで体の深いところから、何かが突き刺さるような痛みが、体の隅々にまで広がるのだ。
それでも何とか抗おうとすれば、徐々にその痛みも増していく。
それが、本人が従順になるまで続くのだ。
これによって椿たちは、彼女たちを攫った盗賊団に逆らうことができなくなった。
文字通り、従順な奴隷として…………
椿はそんな人間たちの理不尽を許せなかった。
父と母を殺し、自分と弟を、まるで物のように扱うその行いを許せるはずもなかった。
だが何より椿が許せなかったのは、そんな人間たちに抗うこともできなかった自分自身だ。
力に屈し、何もできずに、ただ見ていることしかできなかった己の弱さが、何よりも許せなかった。
だから彼女は、何よりも力を求めた。
あらゆる理不尽を跳ね除け、自分の大切なものを守り抜ける、そんな強い力を、彼女は求めた。
そしてそんな彼女の願いに、一つだけ答える声があった。
『私と、契約を結びませんか?』
その声は確かに、椿の魂に届いた。
果たしてそのささやきは、魂を対価とする悪魔のものか?
それとも……
第二章は毎日投稿していく予定です。




