第十話 ふざけるでない
□■天眼美咲
「まぁ、その話はいいな……それで、俺の正体の確認が終わったところで、次はどうするつもりだ?」
話の続きを促されて、美咲はここでもう一度、気合を入れ直す。
ここから先が、美咲にとっての正念場なのだ。
「お主は、これからどうするつもりなのじゃ?」
美咲はもう一度、あの路地裏で最後にした問いを投げかける。
「? あの時も聞いたよな? それ」
「……うむ、そうじゃな……して、今はどうなのじゃ?」
「…………そうだねぇ…………」
青年は少し考える素振りを見せながら、美咲の後ろへと視線を向ける。
そこには未だに瀕死で倒れている速風がおり、美咲は固唾を飲んで、青年の答えを待つ。
「……まぁ一先ず、この町からは出ていくことになるだろうなぁ。我ながらこれだけのことをしたわけだし……できれば、近くの町がどこにあるのか知りたいところだけど……まぁ、その後のことはその時に考えるさ」
青年は周りを見回しながら、まるで自分が行った結果を自虐するように苦笑する。
その姿を見て、美咲はついさっきまでの青年の殺意の無さに困惑する。
「……妾たちを……殺さぬのか?」
美咲は確かめるように、青年に尋ねる。
「ん? あぁ、後ろにいる爺さんは、いろいろと世話になったからなぁ。ひと思いに逝かせようと思っただけだ。そのままだと苦しむだけだろ?」
理由はそれだけだと言う青年に対して、美咲はさらに困惑を募らせていく。
「……妾のことは……殺さぬのか?」
「? なんでそんなことをする必要がある?」
「なんでじゃと!? 妾たちはお主を殺そうとしたのじゃぞ!」
青年の反応に、美咲は思わず声を上げる。
この状況で、自分を殺そうとした相手に情けを掛けることが、美咲には理解できなかった。
「……まぁ、そうだねぇ……とは言え、お前が直接、俺を殺しに来たわけでもないし……何より、俺はこの世界にとっては“異物”みたいだからな」
「“異物”?」
その不可解な言葉に、美咲は青年に問い返す。
「あぁ。知っての通り、俺はこの世界の人間じゃない。ただ少し力を持っただけの、この世界にとってはただの“異物”でしかない。そんな奴が、世界と関わろうとした時に何が起きたのか……お前はもう知っているだろ?」
そう言うと、青年はゆっくりと後ろへと振り返る。
美咲も釣られて青年の後ろにあるものを見る。
そこにあったのは、青年と速風との戦闘で倒壊した建物の残骸だった。
(…………)
その光景を見て、美咲は青年が何を言いたいのかを理解した。
青年の言う、『“異物”が世界と関わった時に起きた出来事』というのは、今まさに、美咲たちが体験している状況そのものなのだと。
そして同時に、美咲は今更ながら自覚させられる。
今のこの状況を作り出す引き金を引いたのは、他の誰でもない、美咲自身であるということを。
「…………」
美咲は、自分が引き起こした光景を眺めながら、しばしの間押し黙る。
青年の話を聞き、目の前の光景を眺めた時に、美咲はどうしても思ってしまった。
もしも自分が領主である父に、この青年のことを知らせなければ、こんなことにはならなかったのではないかと。
だが同時に、それを否定して首を振る自分がいる。
そんな美咲の内面に気づいたわけではないのだろうが、青年は美咲に向き直って言葉を続ける。
「別にこの状況は、お前がいたから起きたわけではないだろ? 俺がどこにいたとしても、遅かれ早かれこうなっていた。違うか?」
青年の言葉に、美咲は肯定も否定もせずにただ黙り込む。
実際、例え青年の力に気づいたのが美咲でなかったとしても、今と同じ状況になっていた可能性の方が高い。
さらに言えば、彼が異世界からの来訪者だと気づいたとしても、だからこそ、未知の存在――それこそ世界の“異物”として排除に乗り出す結末すら有り得た。
「今はこの程度で済んでいる。……だがもし、ここでお前を殺せば、間違いなくこの程度では済まなくなる。流石にそれは俺でも御免だからな」
その推察も、美咲は内心で正しいと思う。
美咲はこれでも、王国では力のある貴族のご令嬢なのだ。
それがたった一人の人間に殺されたとなれば、国の威信にかけて、その討伐に乗り出すだろう。
それこそ、王国が管理している神剣すらも使って……
「できれば相互不干渉が望ましいところだがなぁ……まぁそれでも、向かってくるというのなら容赦はしない。降りかかって来た火の粉は払い続ける。俺だって死なずに済むのなら、死にたくはないからな」
それは紛れもなく、青年の覚悟の表れだった。
例え世界から拒絶されようとも、ただ生きたいという意思を貫き通す。
美咲はそんな青年の在り方がどこか眩しく、そしてどこか痛ましく思えた。
己を殺し、世界から外れ、ただ無害な存在として生き続ける。
それはあまりにも寂しくて、あまりにも悲しい生き方に思えた。
「……お主は……それがわかっていて、なおも生き続けるというのか。世界の意志に刃向かうこともせず、ただ従順に、この世界で生き続けると!」
美咲は堪らず、自分の中で湧き起こる感情の言葉を漏らす。
「まぁ、それがお互いにとっての最善だからな。刃向かうことはしないが、抵抗はする。その程度の権利は俺にもあるからな」
青年は淡々と、ただ淡々と言葉を吐き出す。
口から出てくるのは、「それが最善」「お互いのため」「権利がある」。
思わず聞いているだけで虫唾が走る。
その言葉の全てに、青年の生きること以外への、望みや願いがなかった。
まるでそれら全ては、生きるためにもう捨てたとでも言うかのように。
生きてさえいれば、他の全てはいらないとでも言うかのように。
そのことが何よりも許せなかったし、我慢ならなかった。
「……ふざけるでない……」
「?」
「ふざけるでないぞ! お主は……お主はそれだけの力があるというのに、何も望まぬと言うのか! ただ生きていれば満足で、それ以外は捨てても構わぬと、そう言うのか! そんなの……そんな己を殺して、ただ生き続ける生き方など……死んでいるのと変わらぬじゃろうが!」
美咲は自分の中で溜まっていた青年への感情を爆発させる。
「だいたいお主は、この世界の人間ではないのじゃろ! ならばなぜ、この世界に従う必要があるというのじゃ! お主は、お主の望むまま、この世界で好きに生きればよいじゃろう! なに、この世界に遠慮しておるのじゃ! この大馬鹿者が!」
美咲は喉が嗄れるほど声を張り上げて、青年が送ろうとしている生き方を否定する。
そんな美咲の姿に面食らったのか、青年は面白いほど間抜けな表情を浮かべていた。
「…………お前は随分と、他人思いな奴なんだな」
「…………」
青年は、まるで仕方のない奴だとでも言うように、美咲のことを見る。
そして美咲の目に映った彼の表情は、僅かに微笑みを浮かべながら、今までの中で一番綻んでいるように見えた。
「まぁでも、その言葉はありがたく受け取っておくよ。実際にそうするかどうかは別だがな」
一時の微笑みは消え、青年は再びその表情に影を落とす。
美咲はその様子を、ただじっと何も言えずに見ていた。
美咲も内心では、自分の言ったことが到底叶わないことであることはわかっている。
だがそれでも、美咲は伝えたかったのだ。
決して世界のためなんかに、自分を殺す必要などないということを。
世界で自由に振舞っていてこそ、真に生きるという意味なのだということを。
「じゃあ、俺はもう行くよ。いろいろ世話になったな」
青年はそう言うと、踵を返して美咲に背を向ける。
これでもう二度と会うことはないのだろう。
これでこの騒動も終わり。
そう思って、ただじっとその青年の背中を眺めていると、美咲はそこで、最初に青年と別れた時のことが頭を過った。
そして気づいた。
今とあの時とで、何も変わってなどいないということに。
(……違うじゃろ!)
美咲は心の中で、これで終わりにしようとした自分を殴り飛ばす。
自分は最初、何のためにここまで来たというのか。
何のために、今まで悩んで、危険を承知で彼の前に立ったというのか。
それは決して、このまま彼を行かせるためではない。
美咲が今ここに立っているのは、突然この世界に連れてこられ、誰も頼れる者もおらず、帰る場所も失ってしまった一人の青年を、もうあんな顔で、一人にさせないためだ。
美咲は腕を前に出し、立ち去ろうとする青年に向かって手を伸ばす。
あの時の美咲は、彼を引き留めることができなかった。
それは無意識に、彼の持つ力を恐れ、拒絶し、受け入れようとしなかったから。
そしてなによりも、美咲に、その覚悟が足りなかったから。
だが、今は違う。
彼が持つ強大な力も、彼がここにいる経緯も、その全てを知り、向き合った上で、美咲は今ここにいるのだ。
「待つのじゃ! お主は……本当はどうしたいのじゃ!?」
美咲の放ったその言葉は、青年の耳へと届き、彼の立ち去ろうとした歩みを止めた。




