第三十七話 夜明けを告げる朝日に向かって
第五章も残すところあと二話なので、年内に全部投稿しちゃいます
明日最終話を投稿予定です
□■神楽零
氷の破片が雪のように舞い落ちる中、零は皇帝が吹き飛んでいった彼方を見つめ続ける。
足元には嘗て神剣だった破片が散らばっており、それらが《時間反転》で復活するような様子はない。
手応えは十分。
皇帝がもう一度姿を現さないところを見るに、もう勝敗は決したと見ていいだろう。
「……終わった、か……」
流石にもうそろそろ限界だ。
天照との《精人一体》を解除すると、どっと疲れが押し寄せてくる。
同時に、今まで全身に満ちていた力が抜けていき、立っていることすらままならなくなる。
これは少々マズいかもしれない。
「零!」
そして倒れる寸前、月詠の声が聞こえたかと思えば、零の身体が何か柔らかいものに受け止められたように感じる。
「零! しっかり!」
すぐ横から月詠の声が聞こえて来て、彼女が自分の身体を受け止めてくれたのだと気がつく。
仄かな甘い香りと、何より慣れ親しんだ夜風のような“気”が、彼女の存在を証明してくれている。
「……あぁ……大丈夫……とは、いかないかなぁ……天照は?」
《精人一体》を解除してから、天照は霊体に戻って、零の中で休んでいるはずだ。
一応、一連の行為に不手際はなかったはずだが、それでも何かしらの不都合があるかもしれない。
だが内から返って来たのは、いつもの陽気な彼女の声だった。
『内のことは、気にせんで大丈夫ー。せやけど、内ももうくたくたやわー』
「そうか……」
どうやら割かし、元気ではあるようだ。
だが確かに、皇帝との戦いで、彼女には常に強化の魔法を掛けてもらっていた。
加えて《精人一体》では、その魂をさらに不安定にさせていたのだ。
もしかしたら、本当は今の声ほど元気ではないのかもしれない。
だが今は、取り敢えず彼女が無事であるのなら、それでいいことにした。
「……お兄様」
すると今度は、氷塊の間から一匹の黒猫が姿を現す。
言うまでもない、万衣の分身体だ。
零をここまで呼んだ張本人でもあるが、今この場で、兄妹の長い会話は必要ない。
「万衣……役目は果たした。後は……お前の仕事だ」
「……うん……ありがとう」
それだけを万衣に言うと、零は首の力を抜いて、月詠の肩へと顔を埋める。
「月詠」
「ん?」
「……少しの間……頼む」
何とも情けない、とは自分でも思う。
自分のことすら真面に出来なくなるなんて、そんなのは赤子と大して変わらないではないか。
だがそろそろ、意識を保つのも限界に近い。
しばらくは気を失って、自分では何も出来なくなってしまうだろう。
何か不測の事態が起きたとしても、零ではもう対処することなんて出来ない。
そんな零の心情を知ってか知らずか、月詠は何の前触れもなく、ただ静かに、零の身体を強く抱き締め直す。
「!」
「……えぇ、ゆっくり休んで。後のことは私に任せて」
いつからだろう?
こんな風に、誰かの人肌を感じなくなっていたのは。
だが不思議と、それが嫌というわけじゃない。
寧ろこの温かさに、自分の全てを委ねてしまいたいと思った。
それはこの世界に来て初めて、美咲に心を許した時に似ているのかもしれない。
自分の全てを受け入れてくれた、その上で、自分の力になりたいと願ってくれる相手に、見栄を張ることなんて出来るわけがなかった。
だからつい、みっともない弱音が、口の中からこぼれ出てしまう。
「あぁ、頼んだ……」
そんな月詠の、確かな抱擁を感じながら、零は静かに、自分の意識を手放した。
「お疲れ様……零……」
□■影林律器
目の前でいったい、何が起きていたというんだ?
土煙が上がったかと思えば、直後にガラスが割られるような音がして、土煙が晴れたかと思えば、今度は氷の破片が、まるで雪のように空から舞い降りて来ている。
土煙が晴れた場所にはもう、皇帝の姿はどこになくて、代わりに城外には一面の氷の世界で広がっていた。
(何が起きたんだ……)
あまりにも多くのことが起こり過ぎて、状況が上手く掴めない。
あの土煙はいったい何だったのか?
皇帝はいったい、どこへ消えたのか?
今は何もかもが、わからない状況だ。
だが少なくとも、今は取り敢えず、この無くなった腕をどうにかしないことには、そろそろマズい。
「! 影林君!」
「……先生」
「! その腕……」
駆け寄って来た万理先生は、律器の無くなった腕を見ると、一瞬だけ絶句する。
まぁ確かに、今もまだおびただしい量の血が流れ出ているし、実際、今も歯を食いしばっていなければ、発狂してしまいそうなほどには痛いのだ。
「! 速く! 速く止血しないと!」
万理は動揺して慌てふためきながらも、それでも地面に広がった血を気にした様子もなく、膝を付いて両手を律器の方へと向ける。
「待って!」
だがそこに、地奈津が律器の斬り飛ばされた腕を掴みながら駆け寄ってくる。
「先生! 律器の腕、くっつけたら治ったりしないかな?」
「……やってみます」
万理は持って来た腕と律器を見比べてから、決意したように一つ頷く。
地奈津が断面を合わせるように腕をくっつけると、言いようのない痛みが瞬間的に襲い掛かってくる。
「っ!」
そこに万理が軽く手を翳すと、傷口が淡い光の中に包まれる。
少しずつ両断された腕がくっついていき、痛みも段々と引いていく。
(もう何でもありだな)
そのあまりの万能さに、もはや呆れれば良いのかすらも、今一よくわからない。
だけど今は、その突拍子の無さが、何よりも頼もしく思えた。
「おいおい。なんか外もすげぇことになってんぞ」
するとそこへ、城壁の近くにいたはずの彗が、崩れた先に見える氷原に興奮したようにやって来る。
最後に会った時と何も変わらない、いつも通りの彗がそこにいた。
そのことが、律器は堪らなく嬉しかった。
生きていることはわかっていたけれど、実際にこの目で見ると、それが事実だったのだと、心の底から思えて来る。
本当なら、今すぐ文句の一つでも言ってやりたいところだが、今はまだ、そういうわけにもいかない。
(こんだけ無防備なのに、何もしてこないのか? いったい奴はどこに……)
さっきまで目の前にいたはずの皇帝は、どこかへ消え、律器たちを攻撃してくる様子もない。
それどころか、あのガラスが割れるような音が聞こえて来たのを最後に、誰かがこの辺りで戦っている気配すらない。
まるで全てが終わったかのように、辺りは一様に静まり返っている。
だがまさか、本当にこれで終わりなのだろうか?
腕を治してもらいながら、周囲を警戒していると、それに気づいた黒猫がとんでもないことを口にする。
「大丈夫……もう、皇帝は死んだから」
「…………は?」
律器は一瞬、この黒猫が何を言っているのかわからなかった。
さっきまで目の前にいたはずの皇帝が死んだ?
俄かには信じられない話だが、黒猫は律器の反応を気にした様子もなく、崩れた城壁の方を見る。
「お兄様が倒した……もう来る」
黒猫に釣られて、律器たちもまた、そちらの方へと目を向けると、そこから一人の女性が城の中へと入って来る。
十二単に似た着物を身に纏った女性の腕の中には、お姫様抱っこをするように、一人の男が抱きかかえられていた。
「! 彼奴は!……」
その女性、と言うよりは、その抱きかかえられている男の方を見て、彗は何やら驚いたように声を出す。
彗はあの男のことを知っているのだろうか?
万衣の言っていることが正しければ、彼が万衣の兄であるということになる。
「早く……逃げる準備……お兄様はもう……戦えない」
「! みんな! 馬車の準備は!?」
ここで最初に動いた地奈津の号令をきっかけにして、今まで止まって馬車の準備が再開する。
幸いなことに、あの皇帝による馬や馬車への被害はなかった。
わざとなのか、あるいは偶々だったのかどうかはわからないが、それからは何事もなく、全ての馬車の準備が整えられる。
「皆さん! 速く乗ってください!」
生徒たちが次々と馬車へと乗り込んでいく中で、律器も彗、地奈津、響生の三人と万理先生、あと一緒について来ている和服美人の女性と男が一つの馬車へと乗り込んでいく。
「それで彗、行く当てはあるんだよな」
律器はまだ、この城を囲む森から一度も出たことはない。
他の生徒たちも、ずっと空間魔法で出入りしていたせいで、自分の足でこの城から出たことはないはずだ。
だから、この辺りのことで一番詳しいのは、ここまで実際に歩いて来た彗になるだろう。
「あぁ、まずは東に向かって、一度この半島を抜けてから、南に向かう。そんでそのまま、その先にある明護王国に亡命しようと思う」
「「「「!」」」」
「王国って……完全に敵国だったけど、大丈夫なの?」
「多分な。恐らく、そいつが目を覚ませば、どうにかなると思うぜ」
彗はそう言って、馬車の一角で膝枕をされて寝ている男の方へと目を向ける。
その膝枕をしている女性の方は、答えるつもりがないのか、一度こちらに視線を向けてから、目を離して男の頭を撫で始める。
この二人のことを、彗は何か知っているようだが、いったい何者なのだろうか?
だが彼女が否定しないところを見るに、彗の言ったことはあながち間違ってはいないのかもしれない。
「わかった。ならそれで行こう」
律器だけでなく、他のみんなもまた頷いて、遂に全ての脱出の準備が整った。
「出発します!」
万理の号令で、生徒たちを乗せた馬車は一斉に走り出す。
繰り出すのは、魔獣が蠢く〈帰らずの森〉。
だが今の律器たちなら、そこに住む魔獣などものの数じゃない。
向かって来る魔獣の全てを蹴散らしながら進んで行き。
そして……
「森を抜けるぞ!」
律器たちは遂に、夢にまで見た〈帰らずの森〉の外へと飛び出した。
目の前には、夜明けを告げる朝日が煌々と輝いていて、これから始まる、律器たちの新しい門出を照らしていた。




