第三十六話 終幕を告げる夜の雪 陸
□■神楽零
それは帝国との前線に赴く前、魔境にある桜の家で、彼女から手ほどきを受けていた時のことだった。
△▼
『《精人一体》?』
『そう。人と精霊、二つの魂を重ね合わせることで、本来出せる何倍もの力を発揮できるようになるのよー。理屈としては単純だけれど、実際やってみようとすると、そう上手くはいかないわー』
『だろうな。そもそも二つの魂を重ね合わせるっていう時点で、単純な話でもないような気がするがな』
『えぇ、零くんの言う通り、元々は別の魂だものー。そう簡単に一つに交わったりなんかしないわー』
『? ならどないすればいいん?』
『……この技で一番大切なことはね。お互いのことを、心から信頼し合うことなのよ。特にあなたたち、二人の零への思いが一番重要ね』
『私たちの?』
『えぇ、わかってると思うけれど、霊体の時の私たちって、とっても不安定な状態よー。依り代もなければ、実体化もしていない。ある意味では当然だけれど……そんな時、誰かの魂に溶け込むようなことをしてしまったら、私たちは自分の魂を保つので手いっぱいになってしまうわー。少なくとも、自分の意識を保つことだって、難しくなるでしょうねー』
『『…………』』
『だからね。《精人一体》というのは文字通り、精霊にとってはその身の全てを、たった一人の相手に捧げる行為でもあるのよ。自分の魂の全てをその人に委ねる。あなたたちの場合は零くんね。その覚悟が、あなたたち二人にはあるかしら?』
『あら? そんなの愚問ね。私は最初からそのつもりだったわよ』
『う、内も……れいやんに全部を上げる覚悟は出来とる、よ?』
『うふふ。零くんは本当に愛されているわねー』
『……そうだな』
『それでー。零くんには、二人の覚悟を受け止める覚悟はあるのかしらー?』
『正直、まだ気持ちの整理はついていないがな……それでも、受け入れる努力だけはしていくつもりだ』
『そう……まぁ、ここからはあなたたち三人の問題でしょうから、私からこれ以上、とやかく言うつもりはないわー。だけど最後に一つ忠告よ。この《精人一体》は、間違いなく切り札と呼べる強力な力だけれど、その分あなたたちに負担を掛ける力だということを忘れないようにね』
△▼
あれからまだ数日しか経っていない。
日々少しずつ訓練はしているが、それでもまだ、実戦で使えるようなものじゃない。
彼女たちとの関係がどうとかではなく、まだ技術的な面として、この技を使いこなせていないのだ。
だがそれでも、今ここで使わなければ、もう零には後が残されていない。
これほど誰かに追い詰められるのなんて、いったい何時ぶりだっただろうか?
だが何故か不思議と、心の中に恐怖や焦燥感といったものは感じない。
それがどこか頼もしくて、これから負ける未来が見える気がしなかった。
△▼
(『《精人一体》!』)
その直後、内にいる天照の気配が、一際強くなったのを感じる。
彼女の存在が、少しずつ零の中へと溶け込んでいき、彼女の思いや感情が、ありのまま零へと伝わってくる。
だが不思議と、それを不快に思うようなことはない。
寧ろ彼女の全てが心地良いとすら思える。
それが自分への好意の表れなのかどうかは、零にはわからない。
だがどちらにせよ、彼女という存在が、今はとても心強いことには変わらなかった。
そして同時に、零自身の力もまた、魂の奥底から漲ってくるのがわかる。
零と天照、二つの魂が深く干渉し合うことで、お互いがお互いの魔力を高め合っている。
そしてそれこそが、《精霊奥義》とでも言うべき、《精人一体》の真骨頂だ。
(最大強化! 最大加速!)
天照と魂が一つになったことで、零は彼女の魔法を、自分の意思で使えるようになっている。
しかも仮初とは言え、零の肉体に宿ることで、依り代を手に入れた天照の魔法は、本来の力を取り戻している。
加えて、《精人一体》の効果は天照の魂にも及んでいるとなれば、その強化の度合いは計り知れない。
だが当然、これほどの力を得るために、零に何の負担もないわけじゃない。
《精人一体》における零の役割は、離れてしまいそうになる天照の魂を、零の魂に繋ぎ止めておくこと。
それも付かず離れず、適切な距離を保ち続けながら、だ。
浅ければ《精人一体》の効果は薄くなるし、深ければ本当の意味で、零と天照の魂は一つになりかねない。
だからそれを維持し続けることは、自分を信じ、その身を預けてくれた零の役割だ。
だがそれでも、例え零であっても、それは一朝一夕に出来るようなものじゃない。
まだ習得してから日が浅い今では、長くこの状態を維持し続けることは難しい。
持って十秒といったところだろう。だからこそ……
(それまでに決着を付ける!)
強化された《時間加速》が、さらに世界の時間を遅らせる。
霞んでいるようにしか見えなかった皇帝の姿が、今でははっきりと目に映り、ちょうど皇帝の神剣が、零の首筋に迫ってきているところだった。
右目を潰された零では視認できない、右からの攻撃だ。
だが《空間把握》を使える零にとっては、知覚するのはそう難しいことじゃない。
それに……
「ッ!」
「!」
今の零は、皇帝よりも遥かに速い。
半歩下がることで回避した零は、そのまま攻撃へと転じる。
心底楽しそうな笑みを浮かべる皇帝に、零は右からの拳を振り上げる。
だが皇帝は、それを後ろへと飛んで回避する。
間合いが広がり、同時に振り下ろされた神剣が、零の肩口へと迫る。
当たれば《重力障壁》があったとしても、恐らくただでは済まないだろう。
だが最初から、零の狙いは皇帝じゃない。
(――取ったぞ)
「!」
突き出した右手をそのまま横へと振り抜き、零は振り下ろされた神剣を掴み取る。
《重力操作》で威力を殺し、右手の握力だけで何とか掴むことが出来たが、本番はこれからだ。
(月詠!)
『えぇ! 食らいなさい!』
零の意思を汲み取った月詠は、自分の魔法を圧縮して、零が掴む神剣へと叩きつける。
霊体状態の月詠では、確かに特級魔装具である神剣に、魔法の効果を及ぼすことは難しいだろう。
だが今この瞬間、月詠が零を通して、神剣の魔力に触れている今だけは例外だ。
魂ある者へと、直接魔法で干渉しようとすれば、必ず相手の魔力量に応じて、その抵抗を受けることになる。
だが相手の魔力に直接触れ、物理的にその抵抗を薄めることで、対象への魔法の効果を通せるようになるのだ。
加えて今の月詠は、魔法の“夜”を圧縮して、その効果を高めている。
例え霊体状態の月詠であっても、今なら神剣相手にも魔法の効果は通せる。
「!?」
そして狙い通りに、月詠の魔法は神剣の魔力を弱体化させ、少しずつ皇帝の《時間加速》を鈍らせていく。
だが当然、それを黙って見過ごすような皇帝でもない。
《精人一体》によって強化された零の手を振りほどけないと察すると、皇帝は絶対零度の冷気で攻撃を仕掛けてくる。
無数の氷刃が零へと襲い掛かり、足場を奪うように、地平の全てを氷で埋め尽くしていく。
流石は、この世界最強と謳われた特級魔戦士の力。この猛攻は零でも防ぎ切れない。
一度神剣から手を放し、後ろに飛んで距離を取る。
氷壁が皇帝の視界を遮るのと同時に、上に飛んで皇帝の頭上へと舞い上がる。
月詠の魔法は、例え効果圏外に出たとしても、すぐには完治しない一種の毒だ。
例え効果が切れたとしても、この一瞬で神剣の力が元に戻るようなことはない。
眼下に見える皇帝に向かって、零は自身の体を重力によって打ち出して迫る。
その直前、皇帝は上空にいる零の存在に気づいたようだがもう遅い。
打ち出された零の攻撃を防ごうと、皇帝は咄嗟に神剣を盾のようにして構える。
だが、それは悪手であり、零の狙い通りだ。
拳を握り、落下の勢いもそのままに、全ての力を神剣へと叩きつける。
「おおおぉぉぉぉ!」
だが相手は腐っても神剣だ。
五〇〇年以上も現存している頑丈さは伊達ではない。
だが――
「朽ちなさい!」
零の背に実体化した月詠は、その手を伸ばして神剣に触れ、自らの魔法を行使する。
今度の月詠は霊体状態じゃない、実体化した本気の魔法行使だ。
今まで以上に深い“夜”の魔法が、少しずつ神剣の魔力による頑丈さを損なわせていく。
それから次第に、その表面に無視できない程の亀裂が入り始める。
そして……
「砕けろぉ!」
最後の一押しに振り絞った一撃で、神剣の刀身は木端微塵に砕け散る。
同時に《時間加速》の効果も切れ、皇帝の身体は微動だにも動かなくなる。
だがこちらも、そろそろ《精人一体》を維持するのも限界だ。
着地と同時に、もう一度拳を握り締め、零は皇帝の顔面目掛けて拳を振り上げる。
「終わりだ」
狙い違わず、零の拳は皇帝の顔面を沈め、確かな手応えと共に振り切られる。
その直後、零の《時間加速》も解除され、元に戻った時間の流れの中で、皇帝は周りの氷塊を砕きながら吹き飛んでいく。
そして静かになった森の中で、砕け散った氷の破片が、まるで降りしきる雪のように、夜の空を彩っていた。




