第三十五話 終幕を告げる夜の雪 伍
◇◆
「よもや……これ程とは」
天真は自分の目に突き刺さった氷漬けの刀を握ると、そのまま引き抜いて、力任せに握り潰す。
砕けた氷と共に、零の刀もまた一緒になって砕け散り、最期の煌めきを見せるかのように、光を反射して地面に散らばっていく。
「…………」
最後の最後、目の奥に時間停止の氷壁を張るなどという離れ技をしていなければ、確実に天真は負けていた。
零の刀は天真の脳を貫き、間違いなくその命を奪っていたことだろう。
例え神剣の力があったとしても、零が相手では、それも変わらない。
それでもやはり、一歩間違えれば、自滅していたのは天真の方だ。
体内に絶対不動の異物を作り出すなど、本来であれば正気の沙汰ではない。
少しでも動いてしまえば、世界に固定されたそれが、体内にあるもの全てを削り取ってしまうのだから。
だがそれでも、天真は迷わずそれを実行した。
同時にそれは、天真が零に対して、最大限の脅威を覚えた証でもある。
「認めよう」
元々天真とて、襲撃者の正体に察しが付いていなかったわけじゃない。
自分に匹敵するだけの魔力を持ちながら、今まで世間に知られなかった存在。
それだけで、敵が“渡り人”であると察するのには十分だろう。
加えて、零がここに現れた時の襲撃方法が、帝国軍を撤退にまで追い込んだ隕石攻撃を想起させるものだと来れば、これ以上天真が小手調べを続ける理由もなかった。
だからこそ、天真はこれまで伏して来た奥の手を解放する。
神剣から魔力の粒子が溢れ出し、その粒子が神剣を取り巻くように包み込んでいく。
それは天真との戦闘中に、律器が試みた技と全く同じ。
されどその完成度は、若輩者の律器なんかとは比べるべくもない。
そしてその結果は、魔法を具現化させた神剣の姿となって現れる。
《神剣奥義:神装具現》
神剣の内に秘められた魔力を実体化させ、それに宿りし魔法を飛躍的に向上させる技。
神剣の使い手として選ばれ、向き合い、その力の全てを掌握し、魂の形にまで辿り着けた者だけが至れる、神剣使いとしての極致。
その力を解放させた天真は、手始めに世界の移ろう流れに反逆する。
「反転」
天真が一言呟けば、彼に流れる時間が反転する。それも凄まじい速さで。
言葉の通り、今までの正の加速を、そのまま負の方向へと置き換えたかのように、天真に流れていた時間が巻き戻っていく。
現実世界では刹那の時間、加速した零からしてみても、現実時間とあまり変わらない速さで修復されていく。
時間の流れが戻ったそこには、潰れたはずの左目が元へと戻り、五体満足に神剣を握る天真の姿があった。
「さて、まずは返礼をせねばな」
天真は唇の端から、歯を覗かせるようにして笑う。
それは獰猛な、飢えた獣が獲物を見定めたかのような笑みだ。
それは決して、ただの比喩というわけではない。
実際のところ、天真は強者との戦いに飢えていた。
ただ一方的に蹂躙するだけじゃない、命を賭けた、血肉が躍るような戦いだ。
命を燃やし、己が全てを出し切れるような殺し合いを、天真はずっと追い求めて来た。
生まれながらに才能に恵まれ、神に等しき力を与えられた彼には、これまで対等に戦えるような存在はいなかった。
帝国随一の強者たちが集う軍部へと殴り込み、古き洞窟に住まう竜へと挑み、森を跋扈する魔獣の軍勢と三日三晩戦い続けた。
だがそれでも、どれだけの敵を相手にしても、天真と本気で殺し合えるような存在はいなかった。
天真にとって、この世界に居る者すべては、ただ蹂躙するだけの弱者でしかなかった。
どれだけ強大な力を持っていたとしても、その力を思う存分に振るえなければ、彼にとっては何の意味すらもなかった。
己が力の全てを振るえる強者への渇望だけが、彼の心の中を満たしていく。
だがいつまでも、どれだけの時間が経とうとも、彼の渇きが消えてなくなることなどなかった。
だから天真は、この弱き世界に絶望した。
彼に残されたのは、ただ皇帝として、その責務を果たすことだけだった。
それだけが、天真がこの世界で生きる、たった一つの動機だった。
この世を統べる皇帝として、人を支配し、国を支配し、その先にある世界を支配する。
この世に生きる全ての弱者を支配することが、世界に絶望した天真に出来る、せめてもの反逆だったのかもしれない。
王国への進軍も、“渡り人”の召喚も、全てはそのための一環でしかない。
だが、もしかしたら、天真は密かに願っていたのかもしれない。
その先に、天真と本気で殺し合える存在に出会えるのではないかと。
己の全てをぶつけられる、そんな強敵が、自分の目の前に現れるのではないかと。
そんな淡い期待が、彼の中に芽生えなかったと言えば、それはきっと嘘になるのだろう。
だが、現実はそんな都合のいいものじゃない。
王国が所有する二振りの神剣――【暴風神剣:緑の六番】と【再生神剣:白の七番】。
帝国が所有する【時操神剣:灰の九番】に比べれば、その数字は下位ではあるものの、使い手の力量次第では、天真に打ち勝つことだって十分に可能だったことだろう。
だが、今代の神剣使いの二人では、それは余りにも無謀な話だ。
本人たちの実力は、特級魔戦士である天真の足元にすら及ばない。
加えて、彼らは神剣使いの奥義である《神装具現》すらも使えないのだ。
そんな相手に、天真が一歩たりとも後れを取るはずなんてなかった。
そしてそれは、異世界から召喚した存在――“渡り人”が相手であっても、何も変わりはしなかった。
特級魔装具である神剣を自らの魔法で複製し、王国の神剣使いですら至れなかった《神装具現》にまで辿り着いた、影林律器。
あらゆる想像を具現化させ、天真ですら不可能な、自身の魔力を実体化させる境地にまで、一月も掛けずに至った、乙坂万理。
この二人の才能は、どちらもこの世界において比類なきものであることには間違いがないだろう。
だが、それでも、今の彼らでは、天真に希望を与えるには、まるで力が足りていなかった。
二人の才能を以ってすれば、いずれは天真を倒せるほどの強者に到達するかもしれない。
だが、天真にとって、その“いずれ”では駄目なのだ。
彼がこの世界で味わった絶望は、その程度で収まるようなものじゃない。
今この時、この瞬間、彼に匹敵するだけの存在が現れない限り、彼の絶望が消えてなくなることはないだろう。
だが、今この場には、天真の右目を奪ってみせた存在がいる。
天真に匹敵するだけの魔力を持ち、天真と同じ、強さの次元に立てるだけの存在が。
そいつになら、今まで誰にも振るわなかった、天真の全てをぶつけられるかもしれない。
そんな抑えきれない興奮に全身を震わせながら、天真は赴くままに剣を振るう。
「この程度で、死んではくれるなよ!」
零と同じ、右目を狙った天真の突きは、狙い立たずに零の眼球を抉り出す。
だが天真の神剣は、まるで何かと反発するように押し返されて、それ以上前には押し込めなくなる。
そんな零の確かな手応えに、天真はさらにその獰猛な笑みを深くした。
□■神楽零
氷の平原から出てきた天真の姿を見て、このままでは勝てないというのはすぐにわかった。
《未来視》で次の攻撃が見えてはいるが、どれだけ見直しても、それを回避できた未来が見えてこない。
それだけ皇帝との間には、埋められない速度の差が存在しているというわけだ。
もはや《神装具現》という奥の手も出された以上、こちらもそれに見合った切り札を出さなければ、勝ち目なんてない。
であれば、零の取れる選択肢は一つだ。
(あれをやる)
『『!』』
零がそう言った瞬間、内にいる二人の気配が、少しだけ動揺したのがわかる。
だが、その二人の反応も無理はなかった。
『……分の悪い賭けになるわよ』
(あぁ、わかってる)
月詠の言う通り、確かに“あれ”は、まだ実戦で使えるようなものじゃない。
もし、それで皇帝を倒せなければ、零にはもう後がなくなるだろう。
(……だが、もうこれしかない)
どの道、ここで何か手を打たなければ、今の皇帝の速さに付いて行けないのだ。
座して死を待っていられるほど、零は物分かりのいい人間じゃない。
少しで勝てる可能性があるのなら、それを選ばない道理なんてない。
後はただ、愚直に前を向いて進み続けるのみ。
今までと何ら変わりなんてない。
だが一つだけ、変わったことがあるとしたら……
「――ガッ!」
『『っ!? 零!』れいやん!』
天真の神剣が右目を貫き、途方もない痛みと共に、視界の半分が消えてなくなる。
だがそれでも、《重力障壁》のお陰で、何とか命は繋がった。
全部覚悟の上だったとはいえ、少しでも何かが違えば、神剣が脳にまで達して絶命していただろう。
そう、全ては覚悟の上だった。
《未来視》でどれだけ未来を見直しても、皇帝が零の右目を狙うことだけは変わらなかった。
だから零は、逆にそのことを利用させてもらった。
いくら回避しようとも避けられないのなら、受けることを前提に行動を起こせばいい。
お陰で、切り札を出すための数瞬の余裕ができた。
この僅かな勝機を、無駄にするわけにはいかない。
(構うな!――俺に力を貸せ! 天照!)
『!……あぁっ! もうぉ! どうなっても知らへんからなー!』
そんなどこか怒ったような、それでも力強く答える天照の声に、零は少しだけ、自分の頬が緩んだような気がした。
果たして日本にいた頃は、こんな風に心の底から、誰かと一緒になって何かを成そうとしたことがあっただろうか?
目の前に困難が立ちはだかった時、自分の隣に、誰かが一緒になって立っていたことなんてあっただろうか?
いや、恐らくは一度もなかっただろう。
人との関わりを拒絶して来た零には、心の底から誰か頼れる存在なんていなかった。
だが今は、自分を好いて、零の力になりたいと言ってくれる存在がいる。
それがどこか心地良くて、これほどの安心感があるのかと噛みしめながら、零は一つの技を行使する。
(『《精人一体》!』)
そして自分と、自分以外の存在が重なり合うような感覚を覚えながら、零と天照の魂は、文字通り一つになった。




