第三十二話 終幕を告げる夜の雪 弐
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律器の立てた作戦通り、万理たちは無事に厩舎へと辿り着いていた。
今のところ、万理や生徒たちの中で死傷者は出ていない。
律器が単身で、彼らの対抗策として用意されていた戦士たちを相手にしていたこともあるが、律器が彼らに渡していた、城の見取り図があったことも大きい。
多少警備の配置が変わっているとはいえ、前に地奈津と響生が作成した見取り図が使えないわけじゃない。
律器はそれを魔法で複製して、各生徒たちに配っていた。
そして今、彼らは厩舎から馬を引っ張り出し、馬車へと繋げる作業に追われている。
馬車の準備をしている生徒たちの周りでは、戦争参加組の生徒たちが、襲撃してくる兵士たちの対処に追われている。
「急げ! 速くしろ!」
「わぁってる! あんまり急かすな!」
「落ち着いて、ここは私たちが守るから!」
各々がそれぞれの役割を果たそうと手を動かしてはいるが、やはり所々で焦りの声が響き渡る。
文字通り、彼らは今、自分の命が掛かっているのだ。
まだ年端もいかない十代の少年少女たちに、落ち着いてやれという方が酷な話ではあるのだろう。
だがそれでも、着実に馬車の準備は進んで行き、あともう少しのところまで準備が完了する。
「もうすぐで終わるぞ!」
これでようやく、こんな地獄みたいなところから逃げられる。
誰もがそう思った瞬間――
「「「「「!」」」」」」
まるで空でも降って来たかのように、絶望の気配が生徒たちの頭上より降り注いだ。
「……まさか!」
いち早く反応したのは、他でもない万理だった。
この場で一番の強者である彼女には、同じ強者への耐性が相応に備わっている。
だが反応できたところで、状況は何も変わらない。
“彼”が現れた時点で、もう何もかもが手遅れなのだから。
「皆さん! 今すぐ逃げ……!」
それは彼女の咄嗟の判断だった。
この世界に来て磨かれた勘に従って、万理は生徒たちを囲むように障壁を展開する。
そして次の瞬間、絶対零度の氷壁が、万理の張った障壁へと直撃する。
一面が氷の世界に閉ざされ、役目を終えた障壁が、音を立てるように砕け散っていく。
万物を凍らせる冷気の中から足音が響き渡り、中から一人の男が姿を現した。
「よもや……このような愚行に走ろうとはな」
「…………」
無機質な灰色の髪に、透き通るような水色の瞳。
手には身の丈もありそうな大剣が握られ、威風堂々たる姿で歩みを進める。
目の前に現れたその男を、万理は油断なく杖を構えながら見据える。
「やめておけ。死ぬぞ」
氷華帝国皇帝――氷華天真は、戦いを挑まんとする万理へと声で制する。
いくら生徒の誰よりも強かろうと、それで万理が天真に勝てるわけじゃない。
戦闘になったところで、一瞬で敗北することは目に見えている。
だが……
「……それでも、私はここを引いたりはしません。例えあなたが相手であっても、一秒でも多く時間を稼いで見せます」
「面白い」
天真は口の端を吊り上げて、獰猛な笑みを浮かべる。
「やはり気に入ったぞ。万理よ、余の妃となれ。さすれば此度の一件、余に対する反逆は不問としてやろう」
「……どういう意味ですか?」
「ふむ、言葉が足らなかったと見える。ではこうしよう。貴様の後ろに控える生徒たちとやらも、此度の一件では罪には問わぬと約束しよう。これからも我が帝国の剣として、その力を存分に振るうがいい」
それはつまり、ここで万理一人が犠牲になれば、今回の謀反はなかったことにするということだ。
確かに、万理がこの申し出を受け入れれば、この場での生徒たちの安全は保障されるだろう。
だがそれでは、今までと何も変わらない。
ただ戦争の道具として、これからも使い潰される日々へと戻るだけ。
今日まで律器たちが頑張ってきたことが、全部が水の泡になってしまう。
だがそれでも、今までの万理だったなら、迷わずこの申し出を受け入れていたかもしれない。
このまま申し出を断れば、間違いなくこの場にいる全員が殺されてしまうだろう。
だがここで、万理一人が犠牲になれば、誰一人掛けることなく、生徒たちを守ることが出来る。
嘗ての万理にとっては、それこそが最善手だった。
だけど、今の万理にとっては……
「……お断りします」
「ほう……」
毅然とした万理の返答に、天真はさらにその笑みを深くする。
「もう私は、私一人が犠牲になる道は選びません! そんなことをしなくても、私にはもう、頼りになる生徒さんたちがいます! みんなで力を合わせれば、どんなことだって乗り越えられると信じています! だから、あなたの申し出を受け入れるわけにはいきません!」
「そうか……ならば――」
天真は手に持つ大剣の――【時操神剣:灰の九番】の魔法を起動する。
彼の時間が何十倍にも加速され、周りにあるもの全てを置き去りにして前に出る。
そして……
「死ね」
ただ冷徹に、天真は万理の首筋目掛けて剣を振るう構えを取る。
相対的に止まっている敵を仕留めることなど、彼にとっては造作もない。
彼と同じ世界で動ける者など、この場には存在しないのだから。
ただ一人を除いて……
「!」
突然襲った後ろからの殺気に、天真は振り向き様に剣を振るう。
後ろから襲ってきた剣と衝突し、そのまま片手で、相手との鍔迫り合いに応じる。
そこで初めて、天真は斬りかかって来た敵の正体を見た。
「……ほう」
そこにいたのは、天真と全く同じ大剣を持った少年だ。
何ものにも染まらない漆黒の髪に、これといった特徴のない灰色の瞳。
その目には怒りの感情が灯り、天真にとっても、その顔に見覚えがあった。
「なるほど……爪を隠していたというわけか」
力任せに剣を押し込んで、天真は新手の剣士――影林律器と距離を取る。
律器もまた、天真と距離を取って複製した神剣を構え直す。
「面白い。どれほどの贋作か……見せてみろ」
「寝言は寝て言ってろ!」
律器と天真は、互いに息を合わせたかのように前に出る。
二振りの神剣が衝突し、その余波が《時間加速》の範囲外で停滞する。
何とも奇妙な光景だが、この世界で真面に動けるのは、律器と天真の二人しかいない。
そんな世界の中で、万理や他の生徒たちを庇いながら、律器は天真の相手をする。
手に持つ神剣の性能は、まったく同じ。
例え偽物であっても、寸分違わぬ力を発揮する。
それこそが律器の《武器複製》の真骨頂だ。
だがそれでも、例え武器の性能が同じであっても、彼らの戦力差は火を見るよりも明らかだ。
「グッ!」
同じ時間上に立ちながら、律器は天真の剣技だけで後ろへと下がらされる。
両者の身体能力は大して変わらないが、剣を持って戦った経験が、律器には圧倒的に足りていなかった。
何せ、真面に剣を持ったのだって、律器はこの世界に来てからが初めてなのだから。
それでも戦えているのは、単純に天真が手加減をしているから。
天真にとってこれは、ただの余興でしかない。
この場にいる全員を皆殺しにする前の、ただの暇つぶし。
天真はまだ、自身の魔法さえも一切使ってはいない。
嘗て栄華を誇った暁帝国の皇帝に連なる氷華家に代々伝わる魔法――《氷結地獄》。
万物を凍らせるその力を以ってすれば、この場にいる全員を皆殺しにすることなど造作もない。
今のままでは、天真相手に勝ち目がないことは、律器自身が一番よくわかっていた。
だから彼は、ここで一か八かの賭けに出た。
「やるしかない!」
律器は自分が持つ神剣へと意識を集中させる。
出来るかどうかは彼にもわからない。
だがどのみち、ここでやらなければ、彼らに未来なんてものはない。
そして律器は、嘗ての名工が打ちし神剣の、真の姿を解き放った。




