おおむね平和です
「沈黙は金」なのだそうだ。
そうだよ。そうなんだけど、私は意味のない話をたくさんしたい。
どんな考え方をする人なんだろう、とか
話すなかで、私はどれくらいこの人に踏み込んでいいのだろう、とか
どの程度自分をさらけ出そうか考えたい。
時々起こる、クリティカルヒット的フィーリングの合致がとても好きだ。俺がお前でお前が俺で感。
演技か本気かは別にどちらでもいい。
一緒に居て、心地が良くて、楽しい時間を過ごせるのならば、たとえ嘘でも構わない。
ただし壺は買わない。
「有り難う」と「当たり前」のさじ加減を間違えなければ、私は大体安定している。
「お母さんというものは、家庭の太陽として……うんたらかんたら」
母親を縛りつける、呪いにも似た励ましの言葉。太陽神だって天岩戸に引きこもるんだぞ?
我慢を続けて笑っても、私はちっとも幸せだと思えない。
役割分担として、家事育児をこなす。
役割分担として、仕事をこなす。
どっちも大変。有ることは難しい。
毎日を当たり前にこなすことは、実はとっても大変だと思う。
でもだからって、なにかにつけて「ありがとう」を連発すりゃぁいいってもんじゃない。
「当たり前のことだよねー」とスルーするのもなんだか違う。
その、お互いの欲しい言葉(あるいは態度)の微妙な違いを埋めて補ってくれるのが、会話による互いに対する理解だと考えていたのだけれど。
相手にも都合がー、とか余裕ありそうな時を見計らわなくちゃー、とかで延び延びにしていたら。
段々とお互いに我慢すること、我慢をさせることが当たり前になっていって。
私が我慢すればいい。そうすれば、平和が保たれる。
平和だが、幸せではない。でもたぶん、幸せな家庭に擬態はできていると思う。
特別に不幸という訳でもない。ただ寂しさが纏わりついているだけ。




