09 お忍びデート、反乱を添えて
王になったら一度やってみたかった事がある。
お忍びだ。
身分を隠して一般市民に変装。町に降りて、民と仲良くなり、正体を隠したまま困っているところを助ける。最後は民を苦しめている悪人を倒し、正体がバレ、風のように去っていく。
水戸黄門の観過ぎな。
現代風にいえば現場に新入社員として社長が潜入するようなものだ。現場を知らない社長の無茶振りほど恐ろしいものはないという話は有名だ。俺も上に立つ者として民の声を聞かなければならない……というのは建前で、俺も水戸黄門になって人助けをして可愛い町娘にチヤホヤされたいだけだ。
俺は下心満載で人助けするぞ。人助けチャンスがなくても王の責務から離れて羽を伸ばせるだけでいい。
今まではお忍びどころではない仕事量に忙殺されていたのだが、【法律制定】のおかげで余裕ができた。致命傷大出血でじわじわ死にかけているのを食い止めようとしていた国体が回復傾向に転じたのだ。
強盗、強姦、放火、殺人、人身売買――――悪い事をすれば神罰が下る。全国民がそれを知り、一部は身をもって知った。これは大きい。
ザヴィアー王国の国民である限り、王権によって王が定めた法からは誰も逃れられない。
罪を隠そうとしても無駄だ。罪を犯した時点で自動的に罰が下るから。投げたリンゴが地に落ちるように、罪に対する罰は絶対的な法則として働いている。
火に手を突っ込めば火傷すると分かっているのに、わざわざ手を突っ込む馬鹿がいるだろうか? いやまあ、そういう馬鹿もいるのだが、大多数はそこまで馬鹿じゃない。犯罪抑止効果は抜群だ。
結果、ザヴィアー王国全土で治安が劇的に改善し、治安維持にかけていたコストも大幅にカットできた。
スーちゃんはちょっとした軽犯罪に至るまで相応しい罰を提案してくれたのだが、俺は重犯罪にだけ【法律制定】をした。
子供が喧嘩で友達を叩いたとか、嫌いな仕事仲間の弁当にこっそり虫を入れたとか、そういう微妙な悪さにまで神罰を下すなんてアホらしい。どんだけ神経質な王なんだよっていう。
例えどんなに平和でも、行動全てを監視制限されてる息苦しい国で暮らすのは嫌だろ。三歳ぐらいサバ読んで年齢制限かかったえっちな本買っただけで神罰受けるなんて嫌すぎる。俺だったら国外逃亡するぞ。
俺だけでは【法律制定】は上手くいかなかっただろう。
穴だらけの法律を幾つも制定し、国民を無駄に雁字搦めにして苦しめてしまったに違いない。小学生の時の「クラスのもくひょう」決めにも失敗して結局先生に決めてもらったのに法律を決めるなんて無謀だ。
俺はスーちゃんの功績を讃え、何か欲しいものは無いかと聞いた。
可愛い服でも宝石でも美味しい料理でも、専用の大浴場建設でも図書館独り占めでもなんでも聞いちゃう。青髪の小さな天才美少女はそれだけの事をしてくれたのだ。
スーちゃんはもじもじ両手の人差し指を突き合わせながら上目使いにおずおずおねだりした。
「王様。一緒におでかけしたいです。一日……半日でもいいんです。お願いします」
「分かった。トリシャ、スーちゃんと一ヵ月バカンスに行く。準備を頼む」
「かしこまりました、ギルバード様」
「ふぇっ!? いえ、半日で大丈夫です! 国が大変な事になっちゃいます!」
俺とトリシャはイケイケだったのだが、控え目で大人しいスーちゃんが慎ましく遠慮するので一日だけのお忍びデートをする事になった。
せっかくなので使用人達にも一日休みを出す。休んでも仕事が勝手に減るわけではないのでしわ寄せが別の日に来るだけ説もあるが、堂々と休んでも突き上げを喰らわない日と考えれば、まあ。使用人達の状況を根本的に解決するためにはやはり人員増加、設備投資、資金確保……ヴッ頭痛が!
やめだやめだやめだデートなんだ仕事は忘れよう。うん。
お忍びデートは二人で行くつもりだったのが、忍べない美貌と神秘的威厳通常装備なトリシャが強硬に着いていくと主張したため、護衛も兼ねてフードを被り仮面を被った怪しいお姉さんとして同行する事になった。絶対に王から離れないという強い意思に気圧された。
すまないスーちゃん。護衛も要らないぐらい平和な国になったらまた二人でデートしような。好きなものなんでも買ってあげるし、行きたいところにどこでも連れていってあげるから許してくれ。
「さて」
お出かけ当日、俺達は王城の裏口から変装して城下町に出た。
今日の俺は仮面の怪しいお姉さんとオシャレしたいいとこのお嬢様を連れた一般青年だ。
ガリガリに痩せていたスーちゃんはこの一ヵ月で一気に健康になった。華奢で儚げではあるが、今にも倒れてしまいそうなほどの病的な痩せ方はしていない。いっぱい食べていっぱい遊んで大きくなりな!
「どこに行こうか。スーちゃん、行きたいとこあるか?」
「では王様、あの店を御存知ですか? 王城の窓から見て、ずっと気になっていたんです」
「お、どの店だ? 教えてくれ」
「はい!」
スーちゃんが嬉しそうに俺の手をぐいぐい引いて歩きだす。
チワワでももっと力強いだろうという程度の引っ張り方だったが、握りしめた小さな手からは楽しさと興奮が伝わってきた。
横目でトリシャの様子を見ると、心得たとばかりに頷いて俺の手を握ってくる。両手に華だ。そういう意図で見たわけではないがまあいいや。
ただ立っているだけで威厳と威光を振りまく我が王権は仮面とフードで顔も髪も隠してはいたが、姿勢と歩き方が綺麗過ぎて露骨に一般人と違った。思いっきり目立って注目を引いている。特に男は胸や腰のラインに目が吸い寄せられていた。何見てんだおい金取るぞ。
道行く人々の顔は明るく、忙しそうで、客引きの声やおしゃべりのざわめきがうるさいぐらいだ。食べ物屋からただよう美味しそうな匂い。人々の熱気。スーちゃんに手を引かれて歩きながら周りを見ていると、小奇麗な帽子や服を身に着けている市民が多い事に気付いた。皆痩せ気味ではあるものの血色はいい。
以前の城下町は何かに怯えているかのように静かで人通りも少なかった。色あせた服を着て俯いている者が多かった。
今は違う。
俺が王になって二ヵ月。少しずつだが国は良くなっている。
と思いたい。
スーちゃんが俺を引っ張っていったのは菓子屋台だった。店主のおじさんが器用に風魔法を使って細い麺を空中でフワッとした塊にして、更に火魔法で炙って焼き固めている。綿菓子を焦がしたようなそれに蜜をかけて食べるようだ。甘い匂いが遠くまで漂っている。
器用な事してんね、おじさん。
風魔法か火魔法だけなら最下級の家庭魔法だが、同時に使ってるし一階級上がって村落魔法かな。
村落魔法を使えるのは数十人に一人と言われる。職人によくいるレベルだが、俺は家庭魔法しか使えないからめっちゃ高度な事をしているように見える。いいなあ。俺に魔法の才能があれば。
「二つくれ」
「おっ、まいどあり! ちょいと待ってくれ、すぐ作る」
財布を出して言うと、店主はすぐに大袈裟なパフォーマンスで菓子を作り始めた。目を引く火と風の魔法で他の客も集まってくる。いい商売してる。
そわそわわくわくしているスーちゃんの頭を撫でながら出来上がるのを待っていると、菓子を作りながら店主が気さくに話しかけてきた。
「その子はおにいさんの親戚か何かかい? 可愛いねぇ」
「可愛いだろ。許婚だ」
「……許婚かあ。そうかあ」
店主は恥ずかしそうに照れているスーちゃんと俺の身長差を見比べ一瞬言葉を失ったが、すぐに愛想笑いを作った。なんだぁ? 文句あんのかよ。
「アレかい、この子も王様の御乱心に巻き込まれたクチかい」
「御乱心?」
俺、乱心したっけ?
殺気を漏らして前に出そうになったトリシャの足を踏みながら首を傾げると、店主は軽く頷いた。
「例の美少女令だよ。今の王様になって俺もカミさんも弟もお隣さんもグッと暮らし向きは良くなったがね、やっぱりアレはよく分からんよ」
「普通に美少女を侍らせたかったんじゃないか?」
「先王様みたいにかい? 俺も酒飲み仲間と可哀そうな女の子がまた御無体な目に遭わされるもんだとばかり思って話してたんだが、違ったろう。集めたかと思ったら土産持たせて帰らせたっていうじゃないか。まったく、尊きお方のお考えは分からんね」
「あー……」
気まずい。別に深い考えなんてなくて、行き当たりばったりでごちゃごちゃしただけなんだが。
俺が頬を掻いていると、スーちゃんが控え目に主張した。
「王様はいつでも民の事を考えておられます」
「ん? ああ、そうだな。そうだといいな。神罰を下しなさるお方だし、悪いようにはされんと思いたいが。ほれ」
店主は適当に頷いてスーちゃんと俺に出来立ての菓子を手渡した。それから背後でじっと控えていたなんとなく高貴な気配漂う怪しい仮面女に躊躇いがちに話を振る。
「そっちの……あー、仮面の美人さんもどうだい? 甘くてアツアツでうまいぜ」
「不要です。トリシャは食事を必要としないので」
「ん? トリシャ? そりゃ確か新しい宰相様のお名前と同じ――――」
「店主! また来る! じゃっ!」
口を滑らせたトリシャの手を引き、俺は急いで離脱した。
思いっきり顔合わせて話してた国王がカケラもバレなかったのに、宰相が一瞬で正体バレしそうになっちまったぜ。
女神と同じ名前だしそっちに勘違いされるかと思ったが、王権にして宰相の名前は思ったより広まっているのかも知れない。まあ【法律制定】の時に俺の名前と併せてトリシャの名前も全国に布告されているから有名になるのも当然か。
屋台の次は遠慮するスーちゃんを宝石屋に連れて行き、肉を挟んだパンを食べながら魔法を使った大道芸を立ち見して、古書店で稀覯本を買い、最後に裏通りで似顔絵屋を開いていた画家に描いてもらった絵を抱えて帰途についた。
なんやかやこれぐらいの買い物には困らないだけの金はあるんだよな。全国民から銅貨を一枚ずつ徴収するだけで莫大な金になるのが腐っても莫大な人口を抱える国家という大規模組織の利点だ。
トリシャが心配していたような賊の襲撃はまるでなく、スリに遭ったり喧嘩に巻き込まれるような事もなかった。困った事といえばトリシャが行く先々で正体バレしそうになったぐらいだ。
なんで俺の正体はバレる気配すらなかったんだ。あまりにもバレないから実は王城勤めで~、と匂わせても薄ら笑いされたのは忘れないからな。でもトリシャの言う通り溢れ出る王威を隠すのが上手過ぎたんだと思っておこう。精神衛生上。
俺が抱えた荷物を持ちたそうに手をワキワキソワソワさせながら、トリシャは控え目に言った。
「ギルバード様、使用人を呼んで荷物を持たせましょうか?」
「いや俺よりスーちゃんを気遣ってやれよ。今日はスーちゃんを甘やかす日なんだから」
「失礼しました。スーちゃん様、何かトリシャにできる事は? 何かご要望があれば手配しますよ。まだ遊びたいだとか、これが物足りなかっただとか――――」
「いいえ、大丈夫です。今日一日すごく楽しかったです! ……でも、えっと。一つだけ相談してもいいですか?」
「なんなりと」
トリシャが礼儀正しく一礼する。
スーちゃんは少し不安そうにトリシャを見上げた。
「トリシャ様が王様と一緒にいるとなんだか胸がモヤモヤするんです」
!?
「モヤモヤ、ですか?」
「はい。それと、お二人が手を繋いだり、楽しそうにお話ししてらっしゃったりするとズキッってします」
「まあ。御病気でしょうか」
二人共深刻そうに話している。いや御病気でしょうかじゃないが。
スーちゃんはどうしてそれをトリシャに聞いちゃったんだ。
そしてどうしてその話を俺を挟んだ両隣で真剣にしてるんだ。
やべーよ。居心地悪いなんてもんじゃない。ダッシュで逃げたい。
俺の自惚れじゃないなら、そりゃ嫉妬だ。俺と親しいトリシャにスーちゃんが嫉妬しているのだ。たぶん。自惚れだったら恥ずかし過ぎて死ぬから口には出さないけども。
賢い美少女スーちゃんはクソ真面目に自分の病状を宰相王権トリシャちゃんに相談した。
「お二人が顔を近づけたりされてもズキズキします。典医や宮廷魔術師の方に体を調べて貰ったのですが、若干の栄養不足と発達不良の他に異常は無いと言われて。トリシャ様と王様の接触を認識する事が鍵となって発生する病状だという事までは突き止めました。でも治療方法が分からなくて。今日もすごく楽しかったですけど、何度もズキズキしてしまいました。トリシャ様は何か御存知ありませんか?」
「うーん。魔法や毒、病については知りませんが、少なくとも私以外の王権にそのような呪縛をかけられるモノは無いですね」
「トリシャ様でも分かりませんか。もしかして不治の病なのでしょうか……」
スーちゃんが泣きそうだ。トリシャも困り顔でおろおろしてしまっている。
なんだこの恋愛偏差値赤点女子のむず痒い茶番。見てられない。
俺は思わず口を挟んだ。
「あー、二人とも。もっと、こう、感情的な、こう、視野でみると、こう、原因? も分かるんじゃないかなと俺は思うね。うん」
「もしかしてギルバード様は何か御存知なのでしょうか!?」
「いやぁ……」
スーちゃんが目をキラキラさせ尊敬の目で見てくる。愛想笑いで誤魔化すしかない。
君は俺に惚れてるから他の女に嫉妬してるんですよ、なんて俺の口から説明できるわけねぇだろ新手の拷問か?
二人揃って教えて教えてとせがんでくるのをなんとかあしらいながら王城に戻ると、なにやら慌ただしかった。
不安そうな使用人達が槍を持った衛兵に付き添われ、廊下を渡りどこかへ連れていかれている。また別の衛兵は鎧をがちゃがちゃ鳴らしながら慌ただしく階段を駆け上がっていっていた。物々しい雰囲気が肌を刺す。
前にもこういう事あったな。その時は王族が死滅して国が内部爆散して俺が王になった。
やっべ、ものすごく嫌な予感する。
俺は声を潜めた。
「トリシャ、お前またなんかやらかしたか?」
「心外です。ギルバード様に害成す事などどうしてしましょうか」
「ああ、やろうと思ってやるとは思ってない。ただお前の場合良かれと思ってやった事が裏目に出たりするだろ……いや悪かった、忠義を疑ってるわけじゃないんだ」
傷ついているトリシャを慰め、ひとまずスーちゃんと一緒にお土産を持って部屋に戻らせた。
その間に誰か捕まえて話を聞こうとすると、通りすがりが逆に話しかけてきた。
見上げるほどの筋骨隆々とした巨体、スキンヘッド、もじゃついた顎髭、厳つい顔――――誰かと思えばウチの軍を統括する将軍だ。
「そこの使用人!」
「え?」
「お前だ、お前!」
「……ん?」
地平線の端と端で会話でもしているのかという大声で二度言われ、やっと俺に話しかけられていると分かった。
我、王ぞ? 使用人呼ばわりするとは何事かね。総辞職させちゃうぞ。
まあ真面目なところ、いつもと全然違う市民が着ているような着古しの服だから分からなかったのだろう。髪型も変えているし。
しかし王様の顔ぐらい覚え……いや俺も官僚達の顔と名前全員一致してないしな。まあいいや。お互い様という事にしておこう。
ちょっと面白いので使用人のフリをして畏まり返事をしてみる。
「はい、何か御用でしょうか?」
「ちょうど良い! 今から我々はクーデターを起こす! この剣を持て! お前も手伝え!」
「!!??」