08 幼女大臣
小さな丸椅子に行儀よく膝を揃えてちょこんと腰かけたスーちゃんは、人を殴り殺せそうなぐらい分厚い貴族裁判判例集を両手で胸に抱え、俺を見上げて静かに言った。
「王様、私もっとたくさん勉強します。色んなこと勉強して賢くなって、王様のお役に立ちます。そしたら……そしたら、お嫁さんにしてくれますか?」
「お、ああ、まあ、え?」
返事に困る。
声は昨夜と同じだ。見た目も同じだ。だが突然年齢が10歳上がったかのようで混乱する。
一体何が起きているんだ?
スーちゃんなんだよな? 入れ替わりとかではなく。
痩せた白い頬を僅かに染め、期待を込めてまっすぐ見つめてくるスーちゃんをまじまじ見ていると、段々表情が陰り不安げになってきた。
「もしかして昨日仰られたのはお戯れだったのでしょうか。私を、その……」
「ん? ああいや、それは心からの言葉というか下心からの言葉というか、つまり魂から出た言葉だ。一種の宣言、約束、婚約だな。うん。破棄はしないさ。だからスーちゃんはたくさん勉強していっぱい食べて大きくなって、素敵なレディになってくれ。大人になるまで待ってるぞ」
いじらしい事を言う小さなレディの頭を優しく撫でてやる。もう可愛くてしゃーないわ。大切にしたい。
ただ、俺は子供の「大きくなったらお兄ちゃんのお嫁さんになる!」系の無邪気な言葉を容赦なく本気にするからな。そこは覚悟して欲しい。
スーちゃんが大きくなってからあれは子供の時の話ですからとかいって婚約破棄したら泣くからな。大人気なく床を転がり回ってヤダヤダヤダヤダって叫びながらじたばた泣き喚くぞ。
しかしスーちゃんはナデナデと言葉だけでは納得できないらしく、不満そうに言った。
「王様」
「ん?」
「王様は若年婚による責任能力と自己判断能力の欠如を心配しておられるのでしょうか?」
「…………ん?」
なんだって?
「個人の資質と教育次第で精神年齢と肉体年齢の乖離は容易に起こり得ます。王様ほどの立場におられる方なら、子供じみた無知蒙昧の老人や並の大人より賢明な子供に会った事があるのではありませんか? 私は後者の側だと自負しています。王様と契りを結び王妃となる事の意味、全うすべき国務はちゃんと理解しています。
私は王様のお役に立ちます。今は未熟でも、きっとすぐに。大人になるまでお待たせはしません」
俺はぺこりと頭を下げたスーちゃんに唖然とするしかなかった。
どうした?
スーちゃんどうした?
喋り方だけじゃない。どう考えてもこれ九歳児の知識と考え方じゃないだろ。
一晩で知能指数1000ぐらい上がるじゃん。
昨日との落差で風邪ひきそう。舌ったらず言葉知らずでたどたどしかったスーちゃんはどこへ?
「スーちゃん、何か無理してないか? 昨日と比べて……こう……すごく変わって見えるが」
しゃがんで目線を合わせ、手を取ってにぎにぎしながら尋ねる。
何か色々考えてくれているようだが、難しく考え過ぎているのが心配だ。
王様と婚約? わあい! ぐらいに思って貰えればいいのに。
俺は美少女と婚約? わあい! って思ってるし。
スーちゃんはちょっと恥ずかしそうに手を握り返しながら俯き加減に答えた。
「だって……王様はすごく優しくて、素敵で、魅力的なお方ですから。早くいっぱい勉強して王様に相応しくならないと。私が大人になるまでに他にもっと素敵な女性の方が現れて、その方が王様の目に留まったら――――私なんて」
スーちゃんの声が湿っぽくなる。
その魅力的な王様は昨日二百人の美少女に二百連敗したばかりなんですが?
完全無欠に要らん心配ですね。むしろ俺の方が成長したスーちゃんが他の男に惚れないか心配だ。
泣きそうになっているスーちゃんを前にどう慰めればいいのか分からず言葉に迷っていると、折り合いよくトリシャが本を抱えた使用人を引き連れて部屋に戻ってきた。
手を取り合い気まずい雰囲気になっている俺達を見て目を瞬かせる。
「スーちゃん様、他国の法律についての記述を含む書簡と、魔法関係の本を中心にお持ちしました。どうかなされましたか?」
「いや、まあ、うん。スーちゃんを一晩で魔改造したのはトリシャか?」
空気を変えようと話を振る。トリシャは使用人に新しい本の塔を作らせながら首を横に振った。
「スーちゃん様は全て御自分で学ばれました。トリシャは手助けをしたに過ぎません。スーちゃん様はとても勉強熱心なのですよ? 本を選ばせた法務官曰く『叡智の神の娘だと言われても驚かない』そうです」
「ほー」
大袈裟なお世辞に聞こえるが、スーちゃんの一晩の激変を見るに本音っぽい。
『男子、三日会わざれば刮目して見よ』と言うが、スーちゃんは一晩。三倍速だ。
神童っているもんなんすね。可愛くて頭もいいとかオーバースペックが過ぎるぞ。
試しに俺も法律の本を一冊手に取って読んでみるが、一ページ目の前書きで既に目が滑る。なんで法律の本ってこんなに専門用語だらけな上にややこしい言い回しするんです? 嫌がらせ?
「俺もしっかり勉強した方がいいんだろうけどな。なかなか時間がとれん」
本を閉じて塔の上に積み直す。ザヴィアー王国の国法は今は亡き兄姉を舌先三寸で煙に巻くためにちょっと齧っただけで、ちゃんと学んだ事はない。
国王たるもの一通りの知識は持っておくべきだとは思うのだが、法務官は痩せてるおじさんかハゲたおじいさんしかいない。眼鏡かけたミステリアスな感じの女教師が手取り足取り教えてくれればやる気も出るんだけどな。
俺がボヤくと、トリシャはきっぱりと言った。
「いいえ! ギルバード様は王ですから、法を学ぶ必要などありません。ギルバード様が定めた法を民が知るのです」
「そんな無茶苦茶な……いや、そういう能力があるんだったか」
「ええ、【法律制定】です。ギルバード様が命じて下さればすぐにでも施行するのですが」
「いや怖いわ」
『国家の王権』トリシャが持つ七つの能力については一通り簡単な説明を受けている。どれも強力で便利な能力なのだが、どれも【内閣総辞職】の時の大惨事が脳裏を過り気軽には使えない。
強すぎる薬は毒になる。トリシャの能力は扱いを間違えれば一瞬で国が滅びる劇薬だ。
王権は世界に五つあり、ウチ以外の四つの王権を持つ四ヵ国はそれぞれ国力を急激に向上させ名を轟かせている。
ちょっと真似できそうもない。トリシャは俺を王として敬ってくれるが、未だに実感が湧かない。
他の王権の王はすげぇよ。よく扱いを間違えないよな。使いこなすどころか触るだけでもちょっと怖くなってしまうへなちょこ王でスマン。
さて、昨日は午後から美少女達をお迎え&サヨナラする半休を取ったが、今日はそうもいかない。国を運営する官僚は不足し過ぎて普通に致命傷で、全員が心身を削って仕事をぶん回してもなお全然足りていない。
朝食を腹に詰め込んで今日も玉座の間で無限に報告を聞き、指示を出す。
昨日と違うのはトリシャだけでなくスーちゃんを膝に乗せている事だ。
玉座の間の美少女密度が倍増し、更に密着する事で美少女成分摂取量も上昇。俺の仕事効率は100倍になる! 気持ち的には。
最初は仕事中は部屋で遊んで待っていてもらって、メイド服か猫耳カチューシャあたりで「おかえりなさい、ご主人様」をしてもらおうと思っていたのだが、一緒にいたいです、とおねだりされて即落ちした。スーちゃんはかわいいなあ! なんでも聞いちゃう! なんでもは言い過ぎか。
スーちゃんの頭を撫でていると、早速目の前に一人目が跪いて問題を並べ立てた。
「御前を失礼致します、ギルバード王。王が計画された食料配給に関してですが、各地で配給馬車強盗が多発しています。護衛を雇えばその護衛が賊の手引きをする始末です。強盗被害を加味した上で馬車を送ってはいますが、捉えた強盗の一部を民衆の前で厳罰に処す事で見せしめとし、事態の収拾を図るのが良いかと。王はどうお考えですか?」
「……ふむ。その厳罰というのはどの程度のものだ?」
「えー、鞭打ち二十回です」
「なるほど」
法務官は手元の巻物の文字を指で追って自信が無さそうに答える。
俺は重々しく頷いた。
うむ、分からん。おしりぺんぺんよりはキツいと考えていいんだよな?
鞭打ちと言われても馴染みがない。前世の競馬で騎手が馬をバシバシ叩いてるのをテレビで見た事があるが、あんな感じでいいんだろうか。
「鞭打ちというのはどの程度の効果があるのだ?」
「と、言いますと?」
「痛いのか」
ストレートに聞くと、法務官はまた巻物の文字をまた指で辿り、時間をかけて末尾までなぞってから眉根を寄せて固まってしまった。
俺の前に問題を持ってくる官僚達はよくこんな感じになる。上司が丸ごと死に絶え突然五階級ぐらい特進した元下っ端達なのだから無理もない。新入社員が社長に「係長と部長と課長が全員死んだから、明日から君が課長ね」と無茶振りされたようなものだ。頭おかしくなるぞ。
短くない沈黙の後、あーとかうーとか小声で呻き、法務官は恐る恐る答えた。
「苦痛はある、と思われます。過去に反乱鎮圧に使われた刑罰であったと記憶しています。大変効果的であったとか」
「なんだ使用例があるのか。ならそれでよい。細部については任せ――――」
「王様」
「ん? どうしたスーちゃん」
静かにいい子にしていたスーちゃんが俺を見上げて口を挟んできた。
ごめんな、王様は今お仕事中だからね。ご本が読みたいとかだったらお部屋に帰っ
「王国法の刑罰で使用される鞭は蛇節鞭と言いまして、丈夫な蛇の皮に小石を喰い込ませたものです。二十回は屈強な兵士でも死に至ります。あの方が仰っていた過去の反乱鎮圧は三十年前の乱を指しているのだと思いますが、鞭打ち刑は四回執行され、四回とも受刑者が死亡しています」
「は……」
マジで?
法務官の顔色を伺うと、彼も初耳という顔でぽかんとしている。
スーちゃんはすらすらと続けた。
「子供にパンを分け与え続けた母が餓えて神に召される辛い時代です。馬車強盗も決して本意では無かったのではないでしょうか? 苦痛に満ちた死をもって罰するには過剰であるかと。ここは臨時特別法を制定し、またその際にトリシャ様の【法律制定】を活用する良い機会なのではないかと愚考します」
「あっはい」
トリシャの【法律制定】は法律と刑罰執行がセットになった能力だ。
王が定めた法律を全ての国民に周知し、王の法を破った者に王が望む罰を自動的に与える事ができる。
例えば「パンを盗んだら死刑」と定めた場合、全国民が「パンを盗んだら死刑になるらしい」と知る。そしてパンを盗んだ瞬間に謎の力で即死する。王を除き抵抗は一切できない。やばい。
あるいは「ゴミを1つポイ捨てしたら2つ拾わなければならない」と定めた場合、ゴミを捨てた瞬間に体がゴミ拾いを求めて動き出す。これも王を除き抵抗は一切できない。こわい。
ちなみに「人を殺してはいけない」「人助けをしなければならない」というような単純に何かを禁じたり強制したりする法律はできない。「~をしたら、罰として~する」というのがワンセットだ。
法律の設定をミスったら一時間後に国民が全員死んでいてもおかしくない。国民全員を不眠不休でゴミ拾いをし続けるゴミ拾いゾンビに変える事もできる。
強力だが、物騒にもほどがある恐ろしい能力だ。怖くて使えたもんじゃない。
だが、通常の法律を適用しようとして人を何人も、もしかすると何十何百人も残虐に処刑しそうになって【法律制定】を使わなければ安心というわけでもないと知った。
スーちゃんは言うだけ言ってやり遂げた風にふんと鼻を鳴らし得意げだ。かわいい。
法務官くんは感心しきりで何度も頷いている。元下っ端とはいえ、現状の法務を取り仕切っている彼にとっても納得のいく言葉だったらしい。
トリシャはいつも通り王様全肯定BOTの構えで俺の言葉を待っている。
ふむ。スーちゃん先生の御意見を聞きつつ、ここは皆で相談して試しに一つ【法律制定】をしてみる事にしよう。
腐敗したザヴィアー王国は【内閣総辞職】という劇薬で内部崩壊を起こした。
このまま緩やかに滅びるか、再び劇薬を投与して建て直しを計るか、だ。
国のため民のため俺のため、そして何より美少女達が安心して暮らせる平和な国にするために。やってみよう【法律制定】。
今度は人が死なないといいんだが、さて。