05 これをもって初勅とする
初めて座る玉座は趣味が悪いの一言だった。無意味な発光エンチャントが施された大粒の宝石と金銀、高価な魔法金属で飾り立てられ目にいたい。しかも見た目重視で硬い素材ばかり使っているので座っていてすぐに尻が痛くなった。座り心地最悪だ。政務を大臣にぶん投げ放蕩生活を送っていた親父は座る事も無かったのだろう。
俺はその玉座で頭を抱えながら、大粛清を生き伸びた数少ない官僚の報告を聞いていた。
「逃げてぇ……」
「ギルバード様、何か?」
隣に控え、あざといまでの可愛らしさで小首を傾げる全ての元凶に手を振ってなんでもないと合図する。お前アレだぞ。美少女じゃなかったら文句の一つや二つや百や二百言ってるからな。
もうめちゃくちゃだよ。全部めちゃくちゃのしっちゃかめっちゃかだ。
全部。
全部だ!!!!!
神が最初の王に授けたと神話に謳われる超越的アーティファクト、王権。
トリシャが世界に五つある王権の一つ『国家の王権』であるというのは真実だった。
ここ数年、古代遺跡から王権を発見した国家はその絶大な力で周辺諸国を滅ぼしあるいは併呑している。世界地図はすさまじい勢いで書き変わり、毎月毎月、酷いときは隔日で国が消えている。ザヴィアー王国がまだ消えていないのは完全に地理的な偶然に過ぎない。王権にはそれほどの常軌を逸した力があるのだ。
噂でしか聞いた事が無かったから実感が無かった。
なんとなく、王権ってすごいんだなとは思っていた。
ただ、トリシャはあまりにも人間らしかったから。
忠義に厚い、清廉な聖女然とした銀髪巨乳の美少女にしか見えなかったから。
国を容易く一方的に滅ぼせる隔絶した力を秘めた王権だという事を、理屈では理解していても心では理解できていなかった。
これ核ミサイルなの? え? 可愛い女の子にしか見えないけど? なんてのんびり構えていたら言葉の綾で自動発射された気分だ。誰か夢だと言ってくれ。
トリシャの七つの能力の一つ【内閣総辞職】でザヴィアー王国を腐敗させていた王族・貴族・奸臣は軒並みこの世から辞職した。
トリシャ=『国家の王権』は内政系能力に特化していて、国内限定で絶大な力を振るえる。【内閣総辞職】は公務に携わる者を粛清する能力だという。最上級の魔法防御すら貫通し問答無用でぶっ殺す。この世界に蘇生魔法は存在しないから、生き返る事もない。
トリシャは気を利かせてやっておきました風に殺っていたが、これが大惨事を招いた。
確かに王族は国を食い潰していた。貴族は民からあらゆるモノを吸い上げて私腹を肥やしていた。武官や文官も国に尽くしている奴の方が珍しかった。
いっそ死んでくれたらいいのに、と考えなかったとは言わない。生まれてからずっとあれだけの仕打ちを受け続け、家族というだけで幸せを願えるほど俺は聖人じゃない。
消えた方が国のためなんて思ったりもした。
だが悪い奴だから皆殺し! は過激なんてもんじゃない。
ドン引きだし実務面でも大問題だ。
なにしろ国の中枢が丸ごと消えたのだから無事で済むわけがない。
職務怠慢、汚職、不正のオンパレードでも、死んだ彼らは仕事を担っていた。僅かでも粗雑でも仕事をしていた。領分を持ち、権限があった。
それが全部消滅だ。ただでさえ数少ない心ある官僚が心身を削って無理やりぶん回していたところに更に負担が激増。国政は一瞬でパンクした。もう大混乱だ。
大食堂の死体を運び出すために駆り出される料理人!
主人のいなくなった厨房の穴埋めをする裁縫係!
なんで私がという顔で裁縫をする庭師!
枝切りハサミを持って立ち尽くす葬儀屋!
徴税官に命令する者が消え税収停止!
国庫から運び出した財貨をどこに運べばいいか分からず廊下に山積み放置!
手違いで水樽を運ばされた挙句民家に泊められ追い返される外交使節!
酒場の酔っ払い鎮圧に重装備で出動してしまう軍部の最精鋭!
帳簿紛失! 証文焼失!
あ゛ーッ!
もう国が国として機能していない。
さっきから入れ替わり立ち替わり慌ただしく人が報告にやってきて、一時間で同じ報告が三回ぐらい来てるし。
今玉座の前に跪いて巻物を手に報告している文官なんて、五分前に駆けこんできたと思ったら巻物を忘れたとかで慌てて引き返してまたやって来てるんだぞ。無茶苦茶だ。
「――――という事です。早急に対処しなければならないかと。いかが致しますか?」
「…………」
俺は精一杯厳めしい顔を作り、沈黙で考える時間を稼いだ。
さっきから早急に対処しなければならない案件しかねぇじゃん。
いかが致しますかって?
そんなん俺が聞きてぇよ。
分かんねーよ! 馬鹿!
俺は王族だが、王族としての教育を受けていない。親父が一番序列の低い側室に産ませた子で、評判の悪い王族の中でも特に評判の悪かった母は出産後間もなく謎の死を遂げたという。
前世の価値観があるせいでザヴィアー王家的な空気に馴染めなかった俺は孤立し、乳母にも疎まれ、顧みられなかった。事を荒立てないように立ち回ってきたおかげでなんとか死なず五体満足で十五歳になれたが奇跡みたいだ。生きてるだけで褒め讃え崇め奉って欲しい。
我ながら頑張ったよ。よくやったよ俺は。イジメと言うのも生ぬるい嫌がらせと無視と無関心、無理難題の日々の中で、文字と魔法だって覚えたんだぜ?
その上で政治も熟知しておけなんて冗談でも笑えない。
粛清を免れた数少ない善良な官僚の生き残り達は、最後に一人だけ残った王族という事で俺を頼りにしている。あるいは縋りついている。王族一族郎党を処刑し王に成り上がった冷血漢だと恐れている奴もいるようだ。
共通しているのはこの難局を乗り切るために俺に全賭けしているという事だ。
王族だから国を治められると思うなよ。
なんなら君の方が王に向いてるよ?
地位も血筋も無いから誰もついて来ないだろうけど。悲しい。
楽してチヤホヤしてもらえる王様ならとにかく、こんな崩壊したも同然のボロボロの国の王なんてやりたくない。
だがやるしかない。俺がやるしかない。
唯一の拠り所、唯一残った王族の俺が「何も分からない」なんて言ったら士気が崩壊する。
なんもわからん! と泣き喚くリーダーに誰がついていくというのか? 俺だったら絶望するね。機能不全に陥った国を建て直そうというなけなしの意気込みすら消え失せる。
そろそろ沈黙を保つのも限界だ。
俺は脳みそを振り絞って最善と思える答えを返す。
「国庫から必要な物を出して……いやもう空だったか。あー、そうだな、王族の死体から剥いだ装身具があっただろう? それを売って資金に充て必要な物を揃えろ。王の名の下に許可する。売る時は死体から剥いだなんて言うなよ、いくら質が良くても買い叩かれるからな。一度国庫に入れて出し、国庫から出したと言って売れ。それなら嘘にならん。細部は任せる、自分の良心を信じ、良かれと思う事を存分にやれ。困った事があったら王の名を出して構わん。さあ、行け」
「拝命しました」
深々と頭を下げ、急ぎ足で去っていく。それを見送りため息を吐いた。
なんとか納得してもらえる命令ができたようだ。後ろでトリシャがニコニコ睨みを利かせているから納得せざるを得なかっただけかも知れないが……
しかし一息つく間もなくまた次の陳情だ。
「御前を失礼致します、ギルバード王。王族の方々にお売りした装身具八十八点の代金支払いが一年遅れていると、商人三十名の連名で苦情が届いております。いかが致しますか?」
「い゛」
変な呻き声が漏れた。頭痛が酷くなる。
あーあーあーあーあーあーあー!
もうやだ!
こんなんばっかりかよ! いいニュースが一つでもあったか!?
「王?」
「いや、なんでもない。衛兵! 今出て行った奴を呼び戻せ。いや、追いかけて装身具を売るのは中止だと言え。代わりに、そうだな……くそっ。地下牢の一番奥の牢獄の格子だが、あれはミスリル製だ。その十分の一の所有権を売るように言え。切り出しと持ち出しの手間は必ず売り先の商人に負担させろ。苦情を出している商人には装身具をかき集めて返品しろ。それで納得しなくても納得させろ。分かったな? 行け」
「拝命しました」
「王! 財務大臣の死体を民が奪い吊し上げ鞭打っているという報告が――――」
「知らん! ほっとけ! 次!」
「王! 中庭で行ってる王族の方々の火葬ですが、火が兵舎に燃え移りました!」
「アホか! 水系の魔法が使える奴を全員呼び集めて最優先で消火しろ!!!」
「王! 既に三つ最優先がありますが優先順位は?」
「うるせっ……くそ、消火が最優先だ。他は二番目三番目! 行け!」
怒鳴り散らしそうになったがなんとか堪えた。
処理できるかこんなもん。頭がおかしくなりそうだ。
俺は座り心地最悪のけばけばしい見た目だけのギンギラギンの玉座に深く身を沈めた。そして陳情と報告待ちの行列を見て心が折れる。
さっき見た時より列が伸びてる。なんで?
「トリシャ」
「はい、ギルバード様」
「キレそうだ」
「まあ……! おいたわしい。このトリシャ、ギルバード様の御心痛を取り除くためならばなんでもさせて頂きます。どうかご命令下さい」
トリシャは胸に手を当て、気づかわしげに言った。
ああん? なんでも? 今の俺は例え口を滑らせただけでも全力で本気にするぞ。
「今なんでもするって言ったか?」
「はい、ギルバード様。どのようなご命令であっても成し遂げてみせます」
じゃあえっちな事させろや! 今ここでなあ!!!
……とは言えない。綺麗なバラにはトゲがあると言うが、この可愛い宰相ちゃんのトゲは即死毒付き自動発射必中追尾式だ。俺は絶対に傷つけないらしいが、手を出すには怖すぎる。
俺は投げやりに命令した。
「じゃ、国中の美少女をこのザヴィアー城に集めてくれ。全員俺の従者にする」
それぐらいのご褒美ないとやってらんねーよ!
バーカバーカ!