06.『あの空間から』
読む自己で。
「はぁ……はぁ……」
現在の居場所、平柳家の空き部屋。
またもや同じように身ぐるみ剥がされて、長時間放置中。
両腕、両足を縛られ動くこともできず、喉の乾きを潤すこともできず、彼女はこちらを見ることもせず、ただただ時間だけが経過していく。
なんでこうなったんだろう。私は広美さんや瀞人さんと仲良く過ごしていたというのに。
「あなたが悪いのよ」
あの日、唐突に現れた彼女はそう口にし、私の腕を掴んで無理やり家へと連行した。そこから今日、8月1日までずっとこの調子だ。
私に許されるのはトイレに行くことだけ。……同性だとしても拭かれるのはなかなか屈辱的な展開ではある。
私が彼女を睨んでいると、冷たい瑠璃色の瞳がこちらを捉えた。
「あなたが悪いのよ」
そしてまた同じことを口にする。
どうしようもなくて諦めた。そしたら急に嗚咽が聞こえはじめ「あ……なたが悪いのよ」と。
「……どうして、逃げようとするの?」
その旨のメッセージは送った。
ひとりでいるにはこの空間は広すぎるのだ。
「そう、答える気もないのね。それならそれでいいわ、ずっとあなたをそのままにしておくから」
どうせ自力では逃げることは不可能だし、外に出て辱めを受けるのは私だ。
「せ、せめて水を……」
「駄目ね、あと6時間は我慢しなさい」
6時間――それを聞いただけで気が遠くなる。
頭が痛い。体がだるい。ぼうっとする。恨む気力すらなくなってきて。
段々と視界が狭まって、私は自分がしたことを酷く後悔しながらも意味はなく、そのまま……。
「芽衣ちゃんっ!?」
「……ん……」
目を開けると麻倉先輩が私の顔を覗き込んでいた。
目尻に涙を溜めて、私が動いたことによってか涙を流して。
そのままガバリとこちらに抱きついて、「良かった!」と喜んでくれて。
「え……どう……して?」
「未琴ちゃんに頼まれて来たの! 大丈夫っ?」
なんで平柳さんが頼んだんだろう。
というか彼女はどこにいったんだろうか。
いや、いまはそれよりも、
「……うぇぇ……ごめん……喉乾いた……」
喉の乾きがやばかった。あと、痛くて気持ち悪くて仕方ない。
「あ、いま持ってくるね!」と麻倉先輩は部屋から出ていって、数十秒後に飲み物を持って戻ってきてくれた。
「あ……ぬるい」
「いきなり冷たいのを飲んだら体がびっくりしちゃうからね」
お礼を言ってゆっくりと水を飲む。
ちょっと元気になって嬉しくなったんだけど、いまさらになって怖さがやってきて麻倉先輩の体をぎゅっと抱きしめる。
「……こわがっだよぉ……」
「芽衣ちゃん……」
あんな意識が朦朧とする感じははじめてだ。
苦しくて辛い、あんな怖い思いをもう味わいたくない。
「……平柳さんは……?」
「あの子はわたしの家にいるよ。今日はここでわたしとふたりでもいい?」
「うん……麻倉先輩といたい……」
なんか麻倉先輩には私のみすぼらしい体を見せたくなくて慌てて2階へ行き服を着た。先輩のところに戻ったら抱きついて怖さを紛らわせる。
「あははっ、甘えん坊さんだねぇ」
「……離れないで」
「……未琴ちゃんだって芽衣ちゃんといたかっただけなんだよ? 電話をかけてきたときすごい慌ててた。死んじゃったらどうしようって泣いてて、だからとりあえずわたしの家に来なよって、わたしが代わりにお世話をするからって言っていまいるんだ」
一緒にいなかったと思えば今度は過激なことをする。
私も彼女も不器用がすぎる。いろいろと拗らせすぎだろう。
「……大丈夫かな、平柳さん」
「ふふ、やっぱり優しいね、芽衣ちゃんは」
「ううん、だって悲しませてばっかりだもん、全然そんなことないよ」
出ていくのではなく普通に帰ってきてくれと言えば良かったんだ。
寂しいなら広美さんに来てもらえば良かったんだ。瀞人さんはまあ……あんまり余裕な時間がないから難しいかもしれないけど。
「ね、未琴ちゃんに帰ってきてもらおうか」
「え、でも……」
「大丈夫っ、わたしもいてあげるから! なんなら夏休み中わたしも泊まってあげてもいいよ?」
「え、ほんとっ!? ……麻倉先輩にいてほしいから泊まって?」
「ぐぉっ!?」
これが後輩パワーだとか呟いて鼻を押さえていた。
とにかく麻倉先輩が連絡してくれてから30分くらいして、弱々しい感じの平柳さんが帰ってきた。
こちらにガバリと抱きついてきて、「ごめんなさい!」と涙を流して。
なぜだか無性に私も悲しくなって、同じように「ごめんなさい」と涙を流した。
「未琴ちゃん、一緒にいたい気持ちはわかるけど今回みたいなのはだめだからね」
「……ええ」
「芽衣ちゃんも、ちゃんと伝えないと相手はわかってくれないからさ」
「……うん」
「というわけで、今回の件はこれでお終いね! 未琴ちゃん、芽衣ちゃんの希望でわたしも泊まることになったから! よろしくね!」
「……璃沙がいてくれると心強いわ。私では分からないのよ、距離感が」
「うんっ、まっかせて!」
この明るく優しい先輩が嫌われるわけがない。
どうして自己評価が低いんだろうか。
私にできることなんてたかが知れているけど、協力したいなって心から思った。
夜。
麻倉先輩が作ってくれたごはんを食べたり、お風呂に入ったりしたあとも私はずっとべったりとくっついていた。
「あはは……ちょっと暑いかなあ」
「……離れたくないの」
「頼られるのは嬉しいけど、ごめんね?」
「……ごめんなさい」
静かに離れてちょっと外に出る。
単純に外気に触れたかったのと、そこでも本を読んでいる平柳さんが気になったからだ。
「文字……見えるの?」
「……ええ、リビングの光と月明かりのおかげでね」
「……ごめんね、いきなり出ていって」
「……私だって……ごめんなさい」
彼女は本をぱたと閉じてこちらを見つめた。
夜のせいか綺麗な瑠璃色が濁って見える。
「……あなたがいなくなると胸の辺りが痛くなるのよ」
「胸の辺りが?」
「ええ、きゅっと締め付けられるような感じね」
まだ体験したことがないからわからないけど、それって恋をしたときの症状ではないだろうか。が、私がなにかを言うよりも早く「恋ではないわ」と先に言われてしまう。
「……去られるのは悲しいのよ」
「私はお母さんやお父さんと会えないのが寂しい……」
この近くにいるようで遠くにいる感じが嫌だ。
だからって、どうすれば解決するのかなんてわからない。
だけどわかったことはある。
人が離れるのが嫌なだけで、向坂芽衣だということはどうでもいいのだ。
「麻倉先輩は優しいからいてくれるよ」
「……あなたは?」
「平柳さんにとって私は大切ではないから」
ここを切っても本当のところは大した傷にはならない。
あとはあの優しい先輩だけがいてくれるのだから不満はないだろう。
「過ごしていけば変わるでしょうっ?」
「そうかな? 出会ってから4ヶ月も経過したけど、全然進展している感じしないしっ、酷いことをするし、相性が悪いんだよ!」
冷ややかな目が、顔が怖いんだ。
自分のせいとはわかっているけど、それを向けられたことのない平柳さんにはわからなくて当然だ。
「私はっ! ……麻倉先輩のほうが一緒にいて落ち着く!」
本があって麻倉先輩がいてくれて、あの子や図書委員の人がいてくれて。
私と違って至って普通の生活を送れているじゃないか。
でも、私と関わる度に傷ついて、悲しんで、なにもメリットがないじゃないか。
私にだっていまの時点ではそうだ。
一緒にいても不安、不満、恐れしか抱かないのであれば。
何度も何度も喧嘩別れみたいなことをする羽目になるのならば。
お互いが我慢を続けなければならないのならば。
「あはは……やっぱりさ、なしにしようよ。全部、約束とかも、さ」
ここで縁がなかったということで切るのも、ひとつの選択肢と言えるのではないだろうか。
「……嫌よ、そんなこと許せるわけないじゃない」
「え……平柳さん――痛いっ、離して!」
骨が折れそうになるくらいの力で抱きしめてくる。
麻倉先輩に抱きしめられたときは暖かさに満ちあふれていたのに、平柳さんに抱きしめられたいまは怖さしかない。
「麻倉……先輩っ、助けてっ!」
だけど彼女は家の中にいる。
アイスが大好きだって言ってて、恐らくいまは食べているはずだ。
だから来ない、私はそう思っていた。
「未琴ちゃんだめだよ!」
「璃沙……」
……なんでだろうか、家の中からじゃなにもわからないはずなのに。
「離してあげて!」
彼女は渋々といった感じだったけど離してくれた。
「もう芽衣ちゃんは帰ったほうがいいかもね、お互いに良くないと思うから」
「……あなたまでそんなことを言うのね璃沙」
「だって、未琴ちゃんは勝手だよ! そんなことを続けたって芽衣ちゃんの心は離れていくだけだよ!?」
「もういいわっ、好きに帰ったらいいじゃない! ……知らないわもう……」
中に入って行ったと思ったらすぐに出てきて、私の荷物を無造作に投げつけてきた。それが体に当たり、すごく悲しくなって馬鹿みたいに涙が出てきて。……それでもさっき自分が言ったように、一緒にいてもお互いが苦しい思いをするくらいだったら、一緒になんていないほうがいい。
「麻倉先輩、ありがとうございました。……もう、帰りますね」
何回同じ失敗を繰り返すんだろう。何回同じ喧嘩を繰り返すんだろう。
「待って! わたしも行っていい?」
「え、麻倉――」
「璃沙でいーよ! あのね? このまま放っておきたくないんだ」
「……璃沙さんは平柳さんといてあげてください」
「ううん……多分、入れてくれないから夏休み中には。いや……あのさ、わたしも怖いんだよね、人に冷たい顔をされたり目で見られたりするのが。だから……行ってもいいかな? ……芽衣ちゃんのお母さんとお父さんは明るいって聞いたし、暖かさに触れていたんだ」
そういうことならと璃沙さんを家に連れて行った。
「なるほどね、ありがとねりーちゃん!」
「り、りーちゃん……?」
「うん、私はみんなそういうふうに呼んでるんだ。あ、いくらでも泊まっていてくれていいからね!」
「そうだぞ、我が家だと思って過ごしてくれよな!」
「あ、ありがとうございますっ」
うん、やっぱり広美さんと瀞人さんは暖かい人たちだ。
とはいえ、璃沙さんも両親といたら気を遣ってゆっくりできないだろう。
だから私は彼女を部屋へと案内し、ベッドに寝転んだ。
「楽にしてくださいね、あんまり楽しい空間ではないかもしれないですけど」
「そんなことないよ! 広美さんも瀞人さんもいい人でわたし嬉しかった! 気持ちが軽くなったから……」
「璃沙さん……」
私、この人のためになにかしてあげたい。
「璃沙さん、なにかしてほしいことってありませんか?」
「ん? んー、抱きしめて?」
「そういうことでしたら」
まだ突っ立ったままだった彼女のところに移動して抱きしめる。
温かくていいにおい。柔らかくて暖かい。
「あとね、敬語はやめてほしいんだ。それと、さんもいらないからさ」
「でも、先輩……」
「さっきだって喋ってくれていたでしょ?」
「……璃沙、いてくれてありがとっ」
「うん、どういたしまして」
だけどなんだろう。
すっごく暖かい気持ちになる反面、あのままにしておけないという気持ちがあるのは。
自分から終わらせるのもひとつの選択肢とか考えたくせに、泣かせたくせに心配になるのは。
「璃沙……私、少なくとも平柳さんと喧嘩別れ状態で終わりたくないの」
「うん、わたしもそう思うよ」
踏み込みすぎず、かといって上辺だけでも終わらせない。
それを璃沙がいてくれればできる気がする。
「璃沙。私、平柳さんを家に連れて来ようと思うんだけど、無理そうかな?」
「ううんっ、きっとうまくいくよ!」
そうだよ、あの子をあの空間から出せばいいんだ。
絶対に家に泊まらせてやる。
芽衣の行動が矛盾まみれだけど、高校生とかならこんな感じだと思いたい。