05.『2度目の家出』
読む自己で。
「駄目って、あなたは約束を破ったじゃない」
「だからって髪なんて切らせられるわけがないでしょっ」
なにか大切にしている小物――とかだったら渡すことはできた。碓かに約束を破ったのは私なんだから従う義務がある。だが、髪とかになれば話はべつだ。
「それならなにならいいの? 両手? 両足? 目? それとも処女……とか?」
「ぜ、全部駄目だよ!」
「あなたは残酷なことをしたのよ、四肢や他の部位が嫌なら髪の毛くらいいいじゃない」
試しにどれくらい切るのかと聞いてみたら、麻倉先輩と同じくらいまで切ると言われてしまった。肩くらいまでだから女の尊厳は保てるけど、広美さんを真似していた身としては安心できることではない。
「駄目だって!」
「はぁ……なら守るしかないわよ、1日に1回会うことを」
先程までのそれに比べれば全然マシだ。というか、私には夏休みを共に過ごすような友達がいるわけでもなければ、誰かと遊ぶようなスケジュールも組まれていない。ひたすら広美さんや瀞人さんと会話をし、課題をし、その他諸々のこと――例えば食事、入浴、睡眠をするだけである。
「嘘をつきました……」
「う、嘘?」
「うん……友達は平柳さんだけなんだ本当は。だから夏休みも暇だし問題なかったんだけど、私が弱いから私に関わってくれるのかなって思ってさ」
「な、なんでそんな嘘をついたのよ――と言いたいところだけれど……私もいま嘘をついたしお互い様よね」
「平柳さんが嘘をついたの?」
嘘をついたという嘘をついたということだろうか。
「あ、あんなこと言うわけないじゃない。髪や他の部分も大切だし、なにより向坂さんには楽しそうにしていてほしいのよ。それで、来てほしいのよ私のところに」
「それ!」
彼女は私に指を指され「えっ?」と困惑していた。
困惑したいのは私のほうだと内心で呟きつつも、冷静に続きを口にする。
「どうして私にこだわるの? だって平柳さんには他にも友達がいるじゃん。図書委員の人とか麻倉先輩とか、なのになんで?」
そりゃ基本的に求められないからそう言ってくれるのは素直に嬉しいけど、目的がわからないともやもやする。なにをするわけでも、したいわけでもないのに来られても軽い恐怖しか抱かないわけだ。
「それが……分からないのよ」
「えぇ……」
「だから、分かるまで一緒にいたいの」
でもその言い方じゃ、わかったら興味を失くすってことじゃないか。
そんなどうせ後に消えるくらいの関係なら、お互いに踏み込まないほうがいいのでは? ……少なくとも私は踏み込みたくないと思う。
「……わかったら一緒にいなくなるんだ」
友達0は許容できても友達1から0に変化するのは悲しい。
「だったら約束してよっ、私とずっと一緒にいるって!」
矛盾しているけど、この条件でなら私は納得できる。
こういう強制力から一緒に過ごし、段々と仲良くなっていけばいい。
私は瑠璃色の瞳を見続ける。なにかを言ってくれるまで、「はい」と言ってくれるまでずっと。
「……破ったら?」
「平柳さんのファーストキスをもらう!」
「もし既にファーストじゃなかったら?」
「それならセカンドキスをもらうよ!」
「セカンドでもなかっ――」
「もういいからっ、そういうことだから! あなたの唇を奪うから覚悟しておいてよね!」
彼女となんら変わらない。
所詮は口約束だ。反故にするのなんて酷く簡単で。
でもなぜだか私は無根拠ながらも、彼女ならいてくれると思ったんだ。
「それなら私からも追加の条件があるわ。夏休み中、私の家で過ごしなさい。これは強制よ、あなたに断る権利はないわ」
「ふふふ、破ったら?」
「そうね、あなたのファーストキスをもらうわ!」
「あははっ、私のは完全完璧にファーストだから安心してね!」
「あら、私のだってそうよ、安心しなさい」
「「安心っておかしい……」」
私たちはふたりで笑った。
私としては彼女の笑顔が苦しそうなものではなくて一安心。
「平柳さんの笑顔、好きだよ」
「そういうのはやめなさい、恥ずかしいじゃない」
「えー」
そこで「今日は本を読む気分じゃないから」と雨が降りだしそうなことを言いだした平柳さんによって帰ることとなった。
「夏休み中ってことは明日から?」
歩きながら聞く。
「いえ、今日からにしましょう。あと、誰かさんが寂しいと感じてもいけないし、一緒の部屋で寝ることにしましょうか」
「え、でもどうせ本を読むでしょ?」
「好きだけれど別に四六時中読むというわけではないわ。向坂さんに帰られても嫌だし、あなたに集中してあげる」
「でもさー、破ったらキスって言うけどさ、べつにそれくらいなんてことはないよね」
綺麗な女の子とできるなんてご褒美じゃないか、それでは罰ではない。
「そ、そう? 私は緊張……するけれど」
「いや、私だってするよ? でも、それって罰なのかなって」
「ん……それなら破ったら家で1日中裸でいてもらうわ」
「し、下着もなしに?」
「ええっ、それくらい重くないと!」
ま、まあ、大丈夫大丈夫。
しっかり荷物を持って長期宿泊をするってだけだ。
「ひゃぅ……」
昨夜に忘れ物をしたことに気づいて、早朝に抜け出した結果がこれである。
移動制限を課せられ、1階しか移動できない状況で。
2階に行けないということは替えの服も着ることはできない。
そして私を丸裸にしておきながら彼女は悠然と読書を開始。
「あ、あの……やっぱり下着……って、聞こえてないしぃ!」
どんなプレイだ! これならまだ見てくれたほうがマシである。
そのときインターホンが鳴った。でも、彼女は反応しない。
もう1度鳴っても反応しない。もう1度、2度、3度、来訪者も絶対に諦めないという心意気が伝わってくる。
私は椅子にかけられてあったパーカーを着させてもらう。そして玄関に移動し扉を空けた。
「こんにちはー!」
「あ、麻倉先輩、こんにちは!」
「ふぇ……? め、芽衣ちゃん? しかもなにその格好……」
カクカクシカジカと説明したら、「そ、そうなんだ~」と微妙な反応。
とりあえず上がってもらってリビングに行ってもらう。
「あら、こんにちは」
「おっすおっすー! 未琴ちゃんはいつもどおり綺麗だねー!」
「やめなさい。綺麗と言うなら向坂さんの裸のほうが綺麗だったわよ」
なにを言われているんだろう。
そこを褒められたら困ると困惑と羞恥に包まれていたら「脱ぎなさい」と冷たい顔で言われてしまった。
……もっと時間が長引きそうなので私はジッパーを下ろしパーカーを脱いで、パーカーは椅子にかけておく。
「そ、そう……なんだ!? へ、へぇ……」
露出癖があるというわけではないが一切こちらを見てくれないため大変辛い。
平柳さんは読書を再開してしまったので、私は麻倉先輩のために冷たい飲み物を準備し手渡した。
「あ、ありがとぉ! ……ん~、おいしー……」
仕方ないので隅っこに体操座りをし、しくしくと涙する。
「め、芽衣ちゃんはどうしているの?」
「夏休み終了時まで泊まることになったんです、誰かさんが寂しがり屋で」
「あら、あなただって『一緒にいてよ!』ってぶつけてきたじゃない」
「だって……友達だもん……」
「ふふ、そう言ってくれると嬉しいわ」
裸じゃなければいい会話なんだけどなあ。
「麻倉先輩はどうして来たんですか?」
「あ、未琴ちゃんとお出かけしようと思ったんだー」
「お出かけ? どこに行きたいの?」
「んー、プールとかかなー」
「それなら行きましょうか。向坂さんはどうするの?」
た、試されているのか? ……ま、私の答えは決まっているけど。
「家にいるよ、あんまり夏にはしゃぐと真っ黒になるし」
「……そう。あ、ひとりのときも裸なのは変わらないわよ?」
「はいはい……。麻倉先輩、気をつけて、そして楽しんできてくださいね!」
「うんっ、ありがと!」
ふたりが去り大きい家でひとりとなる。
私は自前のタオルを2階から持ってきて椅子に引いて、そこに座り課題をやることにした。こういうのは早ければ早いほど後が楽だからちょうどいい。
カキカキとやり続けて、少しダレたら休憩し飲み物を飲んだりして。
割と集中力が続くほうなことは分かっていたので、全然苦ではなかった。
これも多分、友達がいないことが影響しているのだろう。
「っくちゅっ! ずずっ……」
風邪を引いたら馬鹿らしいので持ってきていた毛布に包まり私は床に寝転ぶ。
平柳さんの胸囲は脅威なので守るために付いていったほうが良かっただろうか。
それは単純に私が見たいだけなのかもしれないけど、麻倉先輩だとプールに夢中になって全然守ってあげられないだろうし……。
「うぅ……広美さんと瀞人さんに会いたい……」
今朝帰ったりなんかしたせいで恋しくなってしまった。そんなところに裸でひとり放置プレイなんてされると寂しくなってしまう。
いま頃、広美さんはお煎餅をボリボリ齧りながらテレビを見ているだろうなあ。瀞人さんは家族のために一生懸命会社でPCと向き合っているんだろうなあ。
それに比べて私ときたら……夏休みにこんなのでいいのかな。
キスなんてできるわけがない。それが罰でもなんでも無理だ。
裸になるくらいだったらいくらでもしよう。べつに平柳さんが私に愛想が尽きて離れてしまったとしても、あのふたりに会えないことに比べればどうでもいい。
もう7月とはいえ関わった時間は限りなく少ない。学校では放課後くらいにしか会わないし、遊びに行ったことだってない。
彼女はわからなさすぎだ。その点、麻倉先輩は明るくて笑顔が素敵だし接しやすくて気が楽と言える。だからこそ平柳さんも関係が続いているのではないだろうかと考えた。
やっぱりだめだ……このままひとりでいると涙が出そうになる。課題だって本当は全然できていなかった。無理やりそう言い聞かせていただけだ。
一応スマホアプリでその旨のメッセージを送り、荷物を持って出ていこうとしたときのこと。
『出ていったら許さない』
返ってきたのを確認して足を止めた。
「……でも寂しいんだもん、それに私にいじわるしかしないじゃん……」
本をやめるとか言っておいて読書をするし、わかるまで一緒にいるとか言っておいて麻倉先輩とプールに行っちゃうし。
自分はそれでいいのかもしれないけど、こちらの気持ちがまるで考えられていないのはむかつく。
だから私は2度目の家出を決め込んだ。
――これが問題になるとは露にも思っていなかった。