03.『優しい子だね』
読む自己で。
荷物を空き室に置かせてもらってからリビングに戻った。
彼女はソファに座って目を閉じており、綺麗な瑠璃色の瞳は見えない。
ただ、悲しみというのは恐らく抱いていないだろうから、そこまで不安な気持ちにはならなかった。
「ほ、本当に住むと言うの?」
「うん! だって平柳さんに泣いてほしくないもん!」
後悔はしていない。
もし駄目だと言うのなら荷物を持って帰ればいい。
けど言わなかった場合には、それはもう毎日一緒に楽しく過ごしたいと思う。
「はぁ……まあ……いいわよ」
「やった! ということでテスト勉強をさせてもらうね。机借りても――あ」
机の上には彼女の両親からの手紙がそのまま置いてあった。
碓かにお金を振り込む的なことは書かれている。でもだからって放置して家を空けていいわけではないのに。
やむを得ない理由ならともかく、いい気がしたから~なんて判断でどこかに行かれたら悲しいだろう。
広美さんと瀞人さんにそんな置き手紙だけを残されて出ていかれたらショックで寝込む自信があるぞ、ぶーぶー!
「ああそれ……触りたくもなくて置きっぱなしなのよ。不快な気分にさせたわよね、ごめんなさい」
「ううんっ、とにかく机借りるね!」
私は勉強を、平柳さんは読書をはじめて、リビングは静謐な場所になる。
それが私をより集中させていくが、時間が経過していくごとになんとも言えない寂しさが増してきて、40分ぐらい経った後にシャーペンを置いた。
彼女の方を見てみると寂しくないのか文字を目で追って、端になったら紙をめくるを繰り返している。
邪魔をしたいわけではない。だから私はトイレに行くついでに充てがわれた部屋に戻ることにした。
床に直接寝転んで伸びをする。
「広美さんと瀞人さんに会いたい……」
いつもなら一緒に晩ごはんを食べておしゃべりをして盛り上がっている時間だ。
ホームシックにしても早すぎるだろう。うーん……帰りたいような……。
「向坂さん」
「あ、うん」
まさか部屋に訪れるとは思っていなかったからちょっと驚いた。
彼女の家なんだから当然とは言えるが、読書中は反応が本当に鈍いからだ。
さすがに転んでいるままだと失礼だと考えて床に正座。
「帰りたいの?」
私は黙った。
友達が0人でも気にならなかったのに、どうしてだろう。
「……会いたくて、寂しいのここは」
「別にいいわよ? 残るのも帰るのもあなたの自由よ」
彼女は「好きにしなさい」と残して、部屋から出ていった。
好きにしろ、か。彼女を悲しませたくないからという理由で無理やりここに来たのに、自分が寂しさを感じて帰るなんて自分勝手すぎるし、ださいだろう。
でも、なにより堪えるのは広美さん作のごはんが食べられないことだ。ここにいたらお弁当だって作ってもらえない。広美さんに楽をしてもらうと考えればいいのかもしれないけど……。
「べつに学校で会えばいいし、たまに家に遊びにいくとかすればいい、よね?」
悲しんでいた理由は私に嫌われていたと勘違いしていただけだし、いまだって引き止めることもしてこなかったし、しかも今回のは私が無理やりここに訪れただけだ。許可をしてくれたのは荷物を持ってきてしまったからだろうと、帰るためのそれっぽい口実をでっちあげていく。
バッグから荷物は取り出していないのでぎゅっと掴んで、一応帰る前にリビングに寄って、
「平柳さん、やっぱり帰るね」
挨拶をしたものの、読書に夢中でこちらに気づくことはなかった。
だから紙にその旨を書いて、リビングの入り口にそのまま置いておく。
平柳家をあとにして、夜道をひとり歩いて。
家に着いたらリビングに突撃して、お酒を飲んでいた広美さんに抱きついた。
「あらら、寂しくなって帰ってきちゃったの?」
「……迷惑だった?」
「そんなことあるわけないでしょ、あなたのお家はここなんだから」
どうやら瀞人さんはもう寝ているらしい。
どうしてひとりで飲んでいるのかを聞いたら、「寂しくなったからよ」と答えてくれた。
「寂しい?」
「……だって明日から起きてもめーちゃんがいないと思ったら……」
「私も寂しかった! たった数時間離れただけなのに……」
缶をローテーブルに置いてからお母さんは私を抱きしめてくれた。
優しくて温かく暖かい、お父さんには申し訳ないがお母さんのほうが好きだ。
「芽衣ちゃん、おかえり」
「うん、ただいま」
「でも、未琴ちゃんは大丈夫なの?」
お母さんの疑問はもっともだ。
だけど平柳さんは一緒に住むことなんて望んでいないのではないだろうか。
本が好きなのはもう知っているが私がいても読書に集中していたわけだし、そこまでひとりでいることを恐れているわけではないのかもしれない。
それを勝手に勘違いして、悲しませないためとか言いきって。
無理やり荷物を持ってきた挙げ句、たった数十分で音を上げて。
部屋に転んで、寂しさに耐えられず家へと帰ってきて。
「芽衣ちゃん?」
「うん、大丈夫だよ」
強いのはよっぽど平柳さんのほうだから。
それからはお風呂に入ったり、お母さんが作ってくれた遅めの晩ごはんを食べたり、部屋のベッドでゴロゴロしたり。
けど、ある程度のところで電気を消して目を閉じた。
「大丈夫だよね」
まだあのメモにすら気づいていないかもしれないし、触れたくすらないのかもしれないけど。あの子の両親と同じことをしているのかもしれないけど。
友達として仲を深めていけばいいと考えながら、私は寝たのだった。
期末テストが始まった。
そして今日は既に最終日、さらに言えば最後の教科、ついでにあと10秒で終わるというところまできていた。
「終了ー、集めてきてー」
答案用紙が回収され、私はホッと一息つく。
やはりというか勉強をしていて損はないとわかった。毎日しっかりとしていたおかげで、最後まで手こずることなく乗り越えることができたから。
居残り組、部活組、帰宅組の3グループができあがる。私は帰宅組なので教室をあとにしたわけなのだが。
「こんにちはー!」
黒色のショートカットヘアー。
声は大きいのに笑顔は優しくて、これはこれで素敵だなと思った。
「あれ? き、聞こえてるよね?」
「あ、はい、こんにちは」
「うんうんっ、こんにちは! あ! わたしの名前は麻倉璃沙だよ、よろしくね!」
「私は向坂芽衣です、よろしくお願いします」
また平柳さん関連の人だろうか。
そうでもなければいきなり自己紹介なんてしてこないだろう。
私にのところに来ないことは7月の中旬まで過ごしてわかっていたことだから。
「それで芽衣ちゃんはこの後、暇かな?」
いきなり名前呼びをされたことに困惑しつつも、そうだと伝えておく。
「ちょっとさお茶しない?」
数分後、私たちは学校からそう遠くない喫茶店にいた。
既に注文は済ませており、とりあえず私は椅子に深く腰掛ける。
「ちょっといきなりすぎたかな?」
「いえ、テストが終わったので気が抜けて……」
麻倉先輩は「あー、わたしもホッとしてるから分かるよ」と口にし、水をちょびっと飲んだ。慣れないことをしているため、私も同じように水を飲む。
もう7月ということもあって外は大変暑い。でも、喫茶店内は涼しい。だからこれは単純に緊張しているのだろう私が。それと不安なことは他にもある。
それはあれ以来、平柳さんと会っていないということだ。
テスト勉強をしなくちゃいけないからと言い訳に言い訳を重ね続けた結果、なんとも会いづらくなってしまい……。
「麻倉先輩はお友達がたくさんいますか?」
「それよりよく先輩だって分かったね」
「あ、リボンの色が違うので」
「あっ! そ、そっかぁ、そういえば違うね」
1年は青、2年が赤、3年が緑――そして麻倉先輩は赤色のリボンをつけているということで、2年生の先輩ということになる。
「んー、友達かあ……いるけどいない、かな」
また難しい言い方を……。
自分が友達だと思っていても相手にとっては違うかもしれないという不安、そういうのが麻倉先輩にもあるのかもしれない。
「だってさ、わたしは今日芽衣ちゃんと友達になったつもりだけど、芽衣ちゃんからすればわたしの存在は謎って感じでしょ? そういうことだから断言はできないんだよね」
運ばれてきたパフェを食べて「冷たくて美味しい!」とハイテンションの彼女。
「わたしってね? あんまり好かれてないと思うんだ。ズケズケ突っ込んでいっていきなりで、みんな自分を守ろうとするでしょ? だから合わないんだと思う。芽衣ちゃんはうざいとか思わなかった?」
「思いませんよ? 笑顔が素敵だなとしか思いませんでした」
「ふぇっ!? そ、そうなんだ……?」
「はい」
私も同じようにご褒美で注文したパフェを食べて、美味しいと内心で呟く。
友達が0人なことはもうどうでもいいが、麻倉先輩みたいな人が友達になってくれたら毎日が楽しいだろう。
寂しさとか悲しさとか、そういうのを全部ふっとばしてくれそうな元気さがあって、私もこういう感じでいられたのなら平柳さんを元気づけられたのかなと妄想をして。
「必ず話す人っていませんか?」
「えへへ……へへへ……え? あ、うん! いるよ、未琴ちゃんかな」
やっぱりそうか。
それなら私の気遣いとかはまるで無駄だったわけだ。
この人と一緒にいてどうして寂しくなるのかがわからない。
たかだか私との距離ができただけだぞ?
7月になってから友達が0人ということはそれ相応の理由があるのだと自分でも理解している。態度が気にいらないとか、見た目がとか、そういうの。単純に自分が積極的に動こうとしていないというのも大きいかもしれないけどね。
「私ではなくて平柳さんを誘ったら良かったんじゃないですか?」
「あ、もしかして嫌だった?」
「そういうわけではないですけど、私を誘うよりかは合理的ですよね?」
「だけど芽衣ちゃんに会ってみたかったんだ、未琴ちゃんが毎日話していたからどんな人なのか気になってさ」
私のことを毎日って言うけど、べつに私たちは毎日一緒にいるわけじゃないし、なんなら最初の1ヶ月や数週間会わないとかザラだったんだけど……。
「会ってみて分かったよ」
つまらない女だとわかったのだろうか。
自分から言っておいて勝手に帰る性悪な女だと?
「あなたは、優しい子だね」
「え」