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Fish  作者: 真田奏
7/14

炎上

 人一人分くらいがやっと通れるくらいの階段を、貼り付けられている濃い緑のカーペットごと、その重さで踏み潰すように髭豚はきしむ音を響かせながらやってきた。

「おう、マキマキ!」

 と髭豚は今にも太い首でちぎれそうになっている赤い蝶ネクタイをウインナーのような指で緩めながらやって来た。

「お邪魔してるよん」

 私は指を波みたいに揺らして言った。

「なんだい。うちで働く気にでもなったか?」

「良いよ! お巡りさんに捕まりたかったらね」

「へん! その前に風鈴に殺される。この前もカッターでつっつかれたばかりだわ」

 と、もみ上げなのか髭なのか境目が分からない耳の下の硬そうな剛毛を髭豚はさすった。

「また風鈴の前で私の話でもしたの?」

「ちょっとさー、ほんのちょっとだけ、真樹がうちで働いたらいくら稼ぐかなーってかわいい 夢物語を開店前にぽつりとザルうどん食いながら言っただけなんだぞ。ホント冗談通じねーよな。あいつ、お前の話になったりすると」

「ていうかお前の顔がやばいんだって。CIAのファイルとかに危険人物とかで載ってそうだもん」

 と私は笑った。

「俺は人買いかっての。東南アジアにもルートなんか持ってねーぞ」

 と髭豚は鼻をぶひぶひ。

「で、風鈴は?」

「今ダメだ。客とってる」

 と髭豚は天井を指差す。

「そう。じゃあ控え室に行ってるから駒亭こまていに出前頼んどいて。風鈴の仕事が終わる頃には来るじゃん? な。定食OK?!」

と私は風鈴の店に続く階段を上がろうとした。

「勝手なガキだな。何がいいんだよ? 定食の?」

「さばみそ!」

「メシは?」

「ライス大!」

「ん? マキマキ? ちょっと待て。おい」

「何だよもう。あれか? 飲み物のことか? それならブチャ……」

「違うって。お前の背中だよ。何だそれ? 真っ赤だぞ」

と髭豚は私の背中を指差す。

「あん?」

 背中を見てみた。

「わーホントだ。血だらけだー」

 と自分も鼻から血を垂れ流している豚玉が指差した。

(あっちゃー)

 背中には野球ボールくらいの丸い血の後がべっとりとついていた。

(あの猫のやつか)

 ますます私は夢を見ていたわけでも、霊に会ったわけでもないってことがリアルに分かってしまった。

「何でもなーい。心配すんな髭」

 さすがに猫の頭をぶつけられたなんて言っても冗談にしかとられない。私は適当に話を流そうとした。

「おいおい心配するなって、まさかまた刺されてんじゃねーんだろうな? お前、刺し傷数の 最年少記録でも狙ってんのか?」

「バーカ! 背中刺されたら普通死ぬじゃん。あっそうだ! これ、そこの鼻血垂れ流してる 豚にやる。血拭け。血染めで!」

 と私は汗と猫汁でぐちょぐちょになったキャミを脱ぎ捨てて階段の真下へと投げ捨てた。

「おおー! セクシーじゃん。綺麗な鎖骨してんなー。五年後楽しみに待ってるぞ」と髭豚は 手を叩く。

「やったー兄ちゃん! これ汗でびっしょりだよー! 匂いもたっぷりする。うわーうわー国 宝だよー。売らないぞこれだけは!」

 狂喜乱舞した豚玉は私の脱ぎ捨てたキャミに顔面を埋めた。猫汁がついているとも知らずに。

「はぁ……良かったな弟よ」

 髭豚は溜息をつくと悲しいトーンで豚玉の顔を見た。バカな弟を持ってかわいそうな兄貴。


 

 ビデオ屋の細長い階段を上がって水道管が血管のように細かく張り巡らされた髭豚が言う所の機関室を通って、店の待合室の前に出る。なんとかコーポとか名前のついた手ごろな二階建てアパートのドアみたいに並んだ、ピンクや黄色のドア。前を通り過ぎれば風鈴の住み込んでいる控え室。私は長く赤いソファが置いてある待合室を横切ろうとした。

「ねえちょっと君、新人? いいじゃん! めちゃかわいい! いくつ? ねえねえ? 今日から?」

 いきなりニキビずらの首元がだらしなくよれよれになったTシャツを着た男が店の入り口から走り寄って来た。

「なになにー? おう! いいじゃん。今日、風鈴ちゃんやめてこのこ娘にするわ!」

 と横からもう一人、金髪でカメレオンみたいに目元が離れた男が私の腕を引っ張ってきた。何か訳の分かんないムーブメントに包まれてしまっている。

(別にここで働いてるわけでもないのだけれども)

 いつもならこんな時は無言で蹴り飛ばすとこなんだけど周りの男どものテンションがあまりに凄かったので何だかビックリしてしまい私はちょっとだけ引いてしまっていた。

「はいはいどいてどいてー。ダメだよー。その娘は店の娘じゃないんだからねー」

 髭豚が手を叩きながら私と客達の間に割り込んできた。

「ええー! じゃあどの店の娘? 教えてよー。エロリスト? 桃源郷?」

 ニキビデブはしつこく食い下がってきた。

「だ・か・ら、この娘は素人さんなんだってばさー。それにまだ十三なんだよ。ねえ? 分かったらそこどいたどいた!」

 髭豚は私の背中を押すようにして男達の壁を押し切った。

「嘘だ! どうして素人がブラでブラブラしてんのさ! それにどう見ても十三じゃないじゃん!」

 皮ジャンの男がもの凄い勢いで気持ちの悪い気合を出しつつ文句を言っている。

(もっと違うことに気合出せよ)と私は思いつつ髭豚が目で早く行けと合図するのでそのまま控え室に向かった。

「ハイ! ハイ! 予約なら受付けるよー。あの娘五年後にうちで働く予定になってるから」後から髭豚の声がした。

(働かないっつーの! 七十五パーセントくらいの確率で)

 控え室のドアにはひどくバランスの悪い貼られ方をしたポスターがある。前髪だけに陰毛みたいなパーマをかけた昔のアイドルが片手に缶チュウハイを持って微笑んでいるやつ。ドアの中央に貼られているんじゃなくてドアの下あたりに斜めに貼ってある。一年くらい前、店に突入してきたお巡りさん達にブチ破られてしまったらしい。ホント、直していけって感じだ。普通にドアを開けようとすると破れた穴のせいでノブごと引っこ抜けそうになる。

(だいたい、いつまでもこんな物貼ってるから直す気がなくなるんだっつーの! 処分です!)

 強制的に破ってやった。そして北海道みたいな形に開いてしまっているドアの穴から中を覗いた。

「うあ!」と叫び声がした。

「なんだー?!」と私もその声にビックリして尻餅をつく。

「バカマキ! ビックリするじゃん!」

 穴の向こう側から分厚い下唇と星条旗のネイルアートがチラついた。

「こっちがビックリ! いいから開けろー」

 私はその穴から覗いている雲定規みたいな大きなカーブを描いた眉毛に向かって怒鳴った。

「もう何で勝手にポスター剥がすかなー。風ちゃんに怒られてもしらないから」

 みりんは必要以上に風鈴を怖がっている。あの柳みたいな風鈴を怖がるより私に脅えろって感じ。

「良いよ。お前が剥がしたって言うから。お前の負け! バーカ!」

 私はれろれろと舌を出した。

「その舌使い即戦力。エロガキ」

 風鈴が私の方を信じるのは明白なのでみりんはそれ以上何も言わずにドアを開けた。すると、みりんはきょとんとした顔で私を見た。

「なに見てんの? そんな死んだ目で見られると腐っちゃいそうだからやめてくれる?」

「あ、あんたその格好ってま、まさかホントにうちで働いて……」

「働いてない!」みりんのバカにまで勘違いされた。

 あー服が着たい。本来の服の機能とは関係ない所で私は服が欲しくてたまらなくなった。

「そうよね。いくらうちの店長でもそこまでチャレンジャーじゃないわよねー。ひー今日二度目のビックリ」

 そう言うとみりんは控え室の中に戻ってテーブルに置いてある雑誌を手に取り膝を組んで椅子に座った。みりんは私がどうして上を着ていないのかなんて聞かなかった。この女のそういう無関心な所は好き。ラブリー無関心。

「でさ、みりん」と私が話しかけるとみりんはまるで気づかないふりをしてテーブルの上にあるコーラーの入ったペットボトルに口をつけ、ガラガラガラと一回うがいをして飲み込んだ。

「おい、みりん!」

 腹が立った。無関心は良いけど無視はムカつく。私は控え室にあるロッカーの一つを蹴っ飛ばす。

「ばっかマキーすーぐに怒る♪ だってバカーなんだものー」

 みりんは私の方など見ずに何かバイクの写真がいっぱい載っている雑誌を読み飛ばすくらいの早い勢いでぱらぱらとめくっていた。

「何だね? お姉さんに遊んで欲しいのかな?」

 と長い星条旗のネイルを交差して雑誌を閉じるとみりんは微笑んだ。

「絶対やだ! お前と遊んだらお祭りばっかりじゃん! バイクで青森とか東京とか連れ回されて、しかも男装までさせられて泊まりはラブホだし。っていうか何で私が男役なわけ?」

「面白いよー今度四国行こう。よさこい! よさこい祭り! 百、超えるチームが参加すんの。色んなハッピとかあってカワイイの凄く。それとも麻布十番の納涼祭りがいい? 芸能人に会えるかもよ」

 祭りの話になると目を輝かせる。祭りバカのみりん。

「一人で踊り死ね! 私は行かない!」

「ふん! いいよもう、誘わないから。あんたなんか連れてっても屋台で焼きイカ食ってるだけじゃん。すぐ迷子になっちゃうし」

「うるさいー。祭りより仕事しろ。さ・ぼ・る・な」

 と私は人差し指を、みりんの青っぽいグロスに固められた唇にくっつけた。

「さぼってなーいもん。今日はお休みでーす」

 控え室のドアを開けてすぐの所に六人座りの白いテーブルがある。みりんはその片側三つのパイプ椅子を縦に並べ、そのままそこをベッドみたいにして寝そべっている。そういえばみりんはいつも仕事の時はビキニを着ているのに今日は着てない。黄色で胸のところに赤いドクロがプリントされたタンクトップを着てる。

「決めた。今日はお前にさばみそ、おごらせる」

 と椅子の上で橋みたいになったみりんの体の上に私は座った。虹の形をしたヘソピアスの上に。

「ぐえええー、あんた孫々(そんそん)のラーメン食べたいって言ってなかったけ? 駒亭にしたんだ?」

「だって出前やってないじゃんあそこ? なにさ? 連れてってくれんの?」

 と、おしりの下敷きにしたみりんの、前髪を指にクルクル巻いたり、引っ張ったりして遊ぶ私。

「別にいいけど、もう頼んだんでしょ? 出前。それにあんたと勝手に出かけたら風ちゃんに怒られるし」歯切れの悪い感じにみりん。

「気にするな。出前は仕事が一休みしたころに風鈴が勝手に食うよ。だから連れて行け、孫々。そしておごれ」

 と私がみりんの着ているタンクトップの胸元を引っ張っていたら、

ホラー映画とかで夜中に人知れず子供部屋のドアが開いた時のような頭の中が痒くなってしまう、ぎいいといった軋む音がした。

「二人ともかわいく……ない」

 控え室の入り口。チャイナドレスで仁王立ちした女が一人。お尻の下敷きになったまま、青い唇で青ざめた分厚い唇の女が一人。

「風鈴遅い! きゃはは!」

 その様子をみてバカ笑いの女がもう一人。

 


 なぞなぞ風に言えば夜なのに明るい場所。そこを三人で歩いている。風鈴、私、みりん。

 あんまり相乗効果が望めそうにない並び方で店が連なっている。キャバクラ、本屋、立ち飲み屋、百円ショップ。カメラ屋、またキャバクラで、そんでもってそば屋にゲーセン。外観バラバラに建ち並んだ店に、二階が昔のホームドラマに出てくるみたいな物干し台になっているコンビニとか、大福って赤い字で書かれた看板の店でランニング一枚、中華包丁を片手に魚を切っているスキンヘッドのおっさんとか、メチャクチャ面白い。

「ねえ。このエリアってこんなに人多かった?」

 風鈴はボウタイ付きのシャツが好きらしくて、お店が休みの時とかはよく着ている。今日も白いボウタイを首の中央で大きくリボンみたいに作って巻いている。もちろんシャツも白。ベージュのボトムスと合わせて風鈴らしい、さっぱりしたスタイル。みりんが着ても地味でただもっさりとした感じの、デビューからまだ一年も経っていないのに事務所の方針で演歌歌手に転向させられてしまったアイドルみたいになるだけだと思った。清潔感とは程遠い仕事なのに涼しげで、スッキリした顔の風鈴だから似合う。もっとも無駄な清潔感だけどねー。

「んー真樹ちゃんそうね。今日は人が多いわね。どうしてかしら?」

 風鈴は私に抱きついて言った。うっとうしい。

「ふふ、近くに屋台村が出来たんですよ。と・く・に・おでん屋のロールキャベツが美味しいんです。それにみんな群がってるんですよ」

 みりんがふふんと偉そうな顔で言った。

 私はみりんのロッカーから勝手にTシャツをパクッて着ていた。背中には摩周湖と描かれている。非常時でもないととても着られないようなセンスの物だ。それでもみりんは気に入っていたらしく、私の着替え中、ずっとブツブツ言っていた。

「あっそう。ふーん凄いね」

 と風鈴はまだ勝手にみりんと二人でメシを食いに行こうとしたことに腹を立てているらしい。ただ二人といっても風鈴が私に怒りを向けるはずもなく、涼しい顔とは裏腹にどろどろとした性質を持つ風鈴の粘着系な怒りは全部みりんに向けられていた。

「ねえねえ風ちゃん。ほら見てあの猫、超かわいい! 抱いていきません? 抱かせてもらえるんですよあの店」

 といかにも機嫌とりという態度でみりんがペットショップの方を指差し、膨れっ面した風鈴へさかんに安いスマイルを送っている。でも風鈴は、

「仕事が終わった後に一人寂しくペットショップで猫抱いてるような女にはなりたくないわよねー」と私の頭を撫でながら言った。私はお前も別の所で猫抱いてんじゃんと寸止め程度のツッコミを入れたかったけどやめた。後がしつこい。

「もう風ちゃん怒んないでー。バカマキが悪いんじゃないよぉー」

「何よ! ちょっと待っててくれるくらい、いいじゃない。あのタコ焼屋のお客さん、延長好きでしつこいってみーちゃんも知ってたくせにさ!」

 と風鈴は私を抱きしめながら視線はみりんを睨んでいる。

「もうー風ちゃん、真樹を甘やかしすぎー。ろくな大人になんない!」

 と頬を膨らませるみりん。

「私はすでにご立派だ。だからもっと甘やかせ」と言う私の話を、みりんはまったく前を見ず、後ろ向きに歩きながら聞いていたのでおもいっきり人にぶつかってしまっていた。

「あっ! ごめん」

 みりんはぶつかったと分かるとすぐに謝った。

「痛ってぇー、最悪ぅー」

 と金髪で坊主の男がニヤニヤした顔で私も含め、三人の女の顔をまじまじと見ている。

「あーマジ痛てぇーどうしてくれるわけ?」

 引き続き金髪坊主はニヤニヤしてみりんの肩を抱いてきた。なんとまあ、古典的というかきっとヤンキーの手引書なんかあったら三十年くらい前から第一ページに記載されてそうな手段。名前をつけるなら【ぶつかっちゃって、ぶっちゃけ、なんだコノヤロー法。(注)軽い接触を折れたとか言ったりしてお金や女を稼ぐ方法】って感じか。

「抱きたいなら金払え。そんな奴でも五十分三万六千円だよ?」

 と私は速攻でその金髪坊主の膝の皿を蹴ってやった。単純に体がでかい奴だったので足を殺ろうと思った。サンダルのかかとが見事前蹴り気味に相手の膝の皿にヒット。

「あっあ!!」

 金髪坊主、膝を抱えたまま路上でのたうち回る。望みどおりに痛くしてやった。金髪坊主の絶叫と共にさざ波のような音を立て集まってくる人込みは瞬く間に私達の周りを囲み、やじ馬の体勢を作っていく。

「真樹やめなさい!」

 私の腕を掴んで風鈴は言った。

「何で? いいじゃーん遊びたいよーからみたいよぉー」

 と私はゴネながら道路に転がっている金髪坊主の背中を足でつっつく。

「おいガキっ! 犯すぞコラっ!」

 うずくまったまま金髪坊主がすごいギョロ目で睨んできた。それにしても「ガキ」と言っておきながらその後に「犯すぞコラッ!」っていうのはどうだろ? ロリコンかな? あーん、元・巨乳小学生としては困っちゃう!

「い・つ・で・も犯してぇー私栄子って言うのぉー」

 あんまり私の顔を見てないようだっだので嘘をついてやった。こういう遊び心も大事。

「ねえーもう行こうー」

 みりんが他人事みたいに間延びした声でほざく。ムカついたけどお腹がペコペコでしょうがないので、こんな金色に塗ったウニみたいなアホにスケジュールを消費していたくないとみりんの意見に同意する私。

「どけ邪魔っ削るぞ!」

 同じブレザーとリボンの五,六人の女子高生っぽい女どもが前を塞ぐように立っていて邪魔だったので私は優しく道を明けて下さいと頼んだ。でも、

 ニヤ……

(カッチーン!)

 その女どもの一人が道を開ける瞬間バカにしたように笑った。

「何だその口は。ダッチワイフかっ! 塞いでやる!」

 とおもいっきり女の口を殴ってやった。

 女は口を抑え倒れた。ぽろっと赤い液体と共に白い物が足元に二、三本落ちた。他の女どもはその歯抜けの女を置いて逃げて行った。歯抜けの女も「あー」と空気の抜けていく力ない奇声を上げて仲間を追っかけるように逃げて行った。おかげで道が開いた。

「よしスッキリしました。行こう。西に東にー」

 と私は言って後ろを振り返った。

「なぜに西、東? 孫々に行くんじゃなかったの?」

 みりんは言った。

「しらん。お前は帰れ!」

 と私が言った瞬間、私の左頬に火花が散った。不意の打撃だったので軽くよろけ、一瞬目の前が暗くなり体から力が抜けて、膝をついてしまった。何事ですかな? といった感じで見てみると、私の目の前で大きく手を広げている風鈴と、蹴られた膝を軽く折り曲げて庇いつつ、凄いブサイクな顔をした男が風鈴の向こう側に立っている。なーるほど、風鈴が庇っているのと、私の蹴りが結構ダメージになっちゃってる金髪坊主という条件が重なって私は連続攻撃を喰らわなくてすんだらしい。ホントなら顔を張られてガクっときた私へ金髪坊主は簡単に二発目をぶち込めたはずなのに。惜っしーい。

「ああーすっかり忘れてた。お前、いたんだ?」

 私はすっかり金髪坊主のことを忘れていたのに気づく。悪いことした。

「ねえ? あの髪金が殴ったの?」

 と風鈴の肩に手をかけ私は自分の痺れる左頬を指で押した。

「あの……かなりー危険みたいなの……ま、真樹ちゃん逃げてくれる? かなぁー」

 震える声、肩、風鈴の背中は小刻みに揺れている。

「あん? 何が?」

と私は風鈴の背中越しに背伸びして向こう側の金髪坊主を覗いた。

(えーまたぁー)

 二十センチくらいのサバイバルナイフ所持。またまた私はめくるめくナイフの旅に巻き込まれたらしい。ここ何ヶ月で桜子、冬実、カラコン男。ブームというか皆さんよくナイフをお持ちでと私はあきれた。マジでもう飽き飽き。そろそろ日本刀とか鎖鎌とか変り種が欲しい。マジ、つまんない。

「風鈴どけ」

 と私は風鈴の肩を叩く。

「だ、だめ。真樹が刺されるじゃない!」

 風鈴頑張ってんなーと思った。涙目なのに歯をおもいっきり食いしばって。かわいい奴。

「いいから、いいから。ねっ!」

 と私は風鈴を横に突き飛ばした。我ながら良いタイミングだった。金髪坊主が突進して来る。

(あーんもう痛い! だから男に掴まれるのってやだ)

 思ったより金髪のお兄様はキレていらっしゃらないらしい。いきなりナイフで切りつけてこなかった。でもそのかわり凄い勢いで私の両肩を掴んで、そのままやじ馬の中に私もろとも突っ込む。たちまち人海が割れていく。

 頭の中でシンバルを叩かれたような音がしたすぐ後、ガタガタといった薄っぺらく騒がしい音が揺れと共に響く。何かの店のシャッターにぶつけられてしまったらしい。

「どうよ? うん? 泣いちゃうか?」

 と言って何度も金髪坊主は私をシャッターに叩きつける。私の前髪が狂ったように踊っている。私は掴まれて身動きが取れないので取り敢えずじっと我慢した。とくにこっちからやることもないので印象でも良くしてやろうかとニッコリ笑ってみる私。マクドナルドにも負けない営業スマイル。体は痛いけれども。

「舐めてんのか?」

 と男はグウで私の顔に一発入れてきた。私は殴られて横に倒れた顔をゆっくり戻す。すると戻した首を止めるように頚動脈へと冷たい感触が走る。銀色に光るデンジャラスな馴染みの・・ナニ。アレじゃないよアレじゃ。

(あらら。こんなにやじ馬ちゃんが見てるのに)

 金髪坊主はかなり良い感じにキレてきたみたい。こんな子供相手にムキになっちゃっていらっしゃる。

(あ、痛ちちち)

 下から持ち上げるみたいに左胸を鷲掴みされた。

「へえー結構あるじゃん胸。やらせろよ。なあ?」

 エロ丸出しで私の胸を揉み上げながら、金髪坊主は顔を三センチ間隔まで近づけてくる。もの凄く香水臭い。体臭を気にしてますと言わんばかりに。

「うーん。ぜんぜん気持ち良くなんない。やっぱ私、まだガキなのかな? こんなのただの脂肪の塊だもん」

「あん? 何言って……」

 私の言葉にけげんな表情を浮かべた金髪坊主の横顔にそっと、そして唐突に私は手を添えた。ぴったりと時間が止まったように静かに。金髪坊主は尖がっていた私の態度が急に柔らかくなったのでビックリした顔で一瞬、固まっていた。私は金髪坊主の目を奥まで突き通すくらいにじっと見つめる。

「私が映ってる。やだな、チャンネル変えて良い?」

 グリッ! と私は金髪坊主の頬に添えた手の親指でおもいっきり左の目玉を突き刺してやった。

「うー! うわー!!」

 金髪坊主、目を抑えてよろめきながら後ろに下がり、奇声。

「殺す! 絶対殺す!」

 目を抑えたままナイフを振り回して金髪坊主が吠えた。指パッチンを鳴らし損ねたようなチッという音がした。

「真樹!」

 風鈴が叫ぶ。私の肩が金髪坊主の振り回したナイフで切れたのだ。着ている真っ白いTシャツに赤いラインがにじむ。

「きゃああああ!」

 今ごろになって周りのギャラリーは声をあげ騒ぎ始める。

(ナイフを出した時点で声上げてよ。サポーターども)

 肩はそんなに痛くなかった。かすった程度。私は躊躇なく勢い良くナイフを振り回す金髪坊主に近づく。もう金髪坊主はやみくもにナイフを振り回すだけなので、蝿を目で追うようにじっとよく見て下からナイフを振り上げてきた男の手を左足を軸にして回転ドアみたいに体を回転させ半身で避け、男の手首を確実に掴んだ。大成功! NGなし。そのまま金髪坊主の腕を自分の方へ力いっぱい引っ張ると、カカトで金髪坊主の膝を斜め上から体重をかけて蹴り踏んだ。

「ギギー!」

 押し殺した声で手からナイフを落とし、文字通り膝から崩れ落ちていく金髪坊主。

「なに? もう鳴かないの? もっと鳴いてよ。膝のお皿もさぁー割れてないみたいじゃん。それそれ、どう? 割れそう?」

「ぎゃあああーやめ、やめ、うわあああ!!」

 膝のお皿ってのはそんなに簡単には割れないらしい。つまんない。

「ちょっともうやめなさい」

 風鈴が私の手を掴んで言った。

「やだあーもうちょっとー」

 と私は駄々をこねる。

「周りを見て」

「何が?」

 風鈴に言われたとおり周りを見渡してみた。

 サラリーマン、OL、カップル、色んなユニットがこっちを見ている。珍獣を見るような目つきで。

「ねえ風鈴。そろそろ来ちゃうかな? お巡りさん」

 耳打ちするように私は聞いた。

「交番の奴らは大丈夫だと思う。この時間帯じゃあ彼らだいたい神嶽橋の周りの屋台で飲んでるから。でも通報されてたら……アウトね」と風鈴も私に耳打ち。

「また補導かぁー、じゃあさ! このままフェードアウトしよ?!」

「そうね。こんなちっちゃいこ娘をいじめるこの男が悪いんだし」

 と自分よりでっかい私に抱きついて風鈴は言った。

 二人の意見は一致した。たしかに子供のしたことにいちいちムキになるこの金髪坊主が悪い。へへん!

「ねえ真樹ちゃん肩、大丈夫?」

 風鈴が心配顔で私を見た。なので私は切りつけられた肩を風車みたいに回してみて「ああ回る回る。OK」と言った。

「そう? 良かった。ん? あれ? みーちゃんは?」

「へ?」

 みりんのバカっツラがどこにもない。他のバカ顔は周りに祭りのお面屋みたいにいくらでも並んでいるけど。

「――逃げたのね、みーちゃん」風鈴、深く溜息をつく。

 みりんらしいといえばそれまでだけれども、あきれた。元々あいつのせいなのに。

 はぁ。急にどっと疲れがきた。眠い。胸から下腹部を通って太ももの辺りまで体の中心が汗でじっとりと濡れている。Tシャツやパンツがまとわりついてきて、やたらと重く感じる。しんどい。

「パンツ食い込んでる。最低……」

「やだちょっと! こんなとこで寝ないでよ。真樹ちゃん? 真樹?」

 うるさい。もう眠い。風鈴の声が段々と遠ざかっていった。


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