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Fish  作者: 真田奏
3/14

魚、跳ねる!

 風が良い。久しぶりに外へ出た。まとわりつくことのない乾いた風が強弱を繰り返しながら私の体を吹き抜けていく。普段はダルそうに歩いているのに、この日だけはおもいっきり走って、勝ヶかつがやま公園を目指した。デニムのチューブトップに迷彩のショーパン。簡単なスタイルのせいか思ったより早く公園に着くことができた。足もサンダルじゃなくスニーカーにして正解。楽だぜコンバース。

 私は公園の中道を足早に歩く。冬実が私をおぶって歩いた道。いつもより人通りが多い感じだ。屋台も普段より多く、道の脇に隙間なく並んでいたので今日は休日だっけか? と私はさらに公園の中を進んで行き、蒸気機関車が飾ってある広場に出た。この蒸気機関車は本物を譲り受けたものらしく、中へも自由に出入りできるようになっている。思ったとおりチビッ子達が凄まじいテンションで登ったり、ぶらさがったりと、はしゃぎ回っていた。

(やだやだ)

 私には探しているものがあったので、悲鳴にも近いチビッ子の声がうっとうしかった。その後しばらくは広場を歩いたのだけど、探しているものがなかなか見つからないので私は、疲れたことあって蒸気機関車のすぐそばに座り込んでいた。

「おおっ?!」

急に首が後ろへ引っ張られた。髪を掴まれたらしい。

「殺すぞ!」

私は振り向きざまにいきなり殴ってやろうと拳を構えたのだけれど、すぐやめた。チビッ子だった。私の髪を掴んだままニコニコと笑っている。ツインテールのおさげっ娘。なんかウサギに羽の生えたキャラクターのプリントが入ったTシャツを着ている。たぶん女の子。

「ありゃりゃ。なんだねキミは? うーん?」

 と私は殴ることもできず、ビビらせてどっかに行かせようとその女の子を睨みつけた。でも×。依然、私の髪を握ったままニコニコバカみたいに笑っている。私の髪は長い。半端じゃなく。染めはするけどチビッ子の頃から切った記憶はほとんどない。腰の辺りまでダラダラと長いのだ。だから掴み放題。細く何本にも編んでおいたやつの一本を掴まれた。

 女の子はひたすら乳搾りのように、ギュギュっと右手で私の髪を握っている。チビッ子はやだ。どうしてかというと、非常に脆く見えてしまうから。触っただけで壊れてしまいそうというか、とにかくダメ。

(あーやだなーもう)

困った。殴られるより辛い。

「タコ!」

 と女の子が言った。私は自分のことを言われたのかと思って、カチンときたのだけど、なぜかお腹が空く匂いがした。ソースの焦げる匂い。よく見ると女の子は左手にタコ焼きを持ち、それを私に向け突き出していた。

(ビンゴ!)

 頭の上に電球が点いた。そんな心境。

「お前、そのタコ焼きどこで買ったの? 公園?」

 女の子は初め、急にテンションを上げた私の態度にキョトンとした表情を見せていたけど、

「ううん、橋!」と速答で力強く答えてくれた。アッサリして良い子。

(橋か)

「サンキュー」

 私は勢いに任せて女の子の手から髪を引き抜き、走った。公園を出て、街の中心に向かう橋に行ってみた。この橋はやたらとバカデカイのだけど、車は通れなくなっている。今日みたいな休日は両端に屋台が並び人通りもかなりあったりする。

 私はタコ焼きの屋台を探す。案外すぐ見つかった。ピンク一色の悪趣味なデザイン。屋台の屋根に描いてある中華帽をかぶった丸メガネのタコ。分かりやすい。

(あれ? いない)

 屋台は無人だった。

「どこ行っちゃってるわけアイツ?」

 屋台を蹴っ飛ばした。さらに二,三発蹴った。 

「何しとんねんコラ! いてまうぞ!」

 手を拭きながら、凄いスピードで男が走ってきた。

「おい、マンネリ!」

 私は軽く手を上げた。この男は関西人で、しかもタコ焼き屋をやっているので、『ありがちだな』という気持ちを込めて私が勝手に、“マンネリ”と呼んでいる。

「あれ、なんや真樹ちゃん」

 マンネリの頭がテカテカ光っている。暑苦しいオールバックだ。

「何してたんや? 最近。みかけんかったけど」 

とマンネリは屋台の中に戻った。

「これ」

 私は足に巻いた包帯を指差した。

「なんや? その腕章。生徒会か?」

「そんなボケいらない。それに分かりにくい」

 私は冷ややかな目で言った。

「冷たいな自分。分かってるわ。刺されたんやろ。桜子に」

 マンネリはタコ焼きの生地を鉄板に流しながら言った。

「早いねキミ!」パチパチと乾いた拍手でマンネリを称えた私。

「まあな、でも水臭いわ。俺に連絡してくれたら、飛んで行ったのに。ホイ」

 マンネリは焼けたばかりのタコ焼きを一個くれた。いや一個だけしかくれなかった。で、相変わらずまずかった。中がパサついている。一個だけで良かったとホッとする。

「しっかし、桜子も思い切ったことしよるな。真樹ちゃん、あいつに何してん?」

「何もしてない」

「あいつ復学流れてからどんどん自分も流れとるな?」

 マンネリは串でタコ焼きの焼け具合を確かめながら言った。

「お前、いつもどこでそんな情報手に入れてんだよ。毎回」

「真樹ちゃん、時代は情報やで。特に若い娘の情報は金になるんや」

 マンネリは指で輪を作って言った。関西弁で金の話。マンネリだ。

(このまずいタコ焼きに、どうやってその情報を使うんだろう?)

ツッコミを入れたかったけど、マンネリが喜ぶのでやめた。

「桜子の居場所知ってる?」

 本題に入った。

「当然や、知ってるで。」

 マンネリは得意満面な顔で言った。

「教えろマンネリ」私は上品に聞いた。

「教えたってもいいんやけどなータダでわなぁー」

 マンネリは急に歯切れが悪くなった。タコ焼きの串をこねくり回している。

「何? はっきり言え」私はイラついた。

「エッチさせて!」

……

「真樹ちゃん好きやねん! エッチしよ! 絶対、相性バツグンや」

「お前、いくつ?」

「三十」

 こいつの速答はやだ。

「私はいくつナリ?」自分を指差した。

「真樹ちゃんは十三やろ? そやろ?」

「犯罪じゃん」

「そんなん関係ない。問題は見た目なんや! 真樹ちゃんの体はりっぱに大人です。それに俺は国家権力なんかには負けへん! 永遠のチャレンジャーなんや!」

 マンネリの目が輝いている。七色の色欲。

「死ね!」

 私は屋台に蹴りを入れる。鉄板のタコ焼きが揺れる。さらに屋台の屋根を支えている柱にも蹴りをかます。

「わー! なにすんねん!」マンネリの顔が青くなった。

「死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね!」

 連続で屋台を蹴り飛ばした。屋台が揺れる。鰹節や青海苔の缶が落ちていく。

「お願いや! 俺が悪かった。やめてくれ! 壊れてまうー」

 マンネリは泣きそうな顔になっていた。もう一押し。

「教える?」

「うん、うん、教えるからやめて」

「じゃあ一万くれ」私は手を出して言った。

「なんでやねーん! なんで俺が一万払わなあかんねん!」

(あっ! “なんでやねん”じゃなくて“なんでやねーん”だ。伸ばしましたぞこいつ!)

 マイナーチェンジだマンネリ。凄いぞマンネリ! でも関係ない。

ドン! ぐにぐにぐにぐにっと積んであった作り置きのタコ焼き

を上から押し潰す私。

「やめてぇー」

 私の所に一枚、福沢諭吉がやって来た。桜子の居場所と共に。



 電車に乗った。桜子の元へ行く。寝るほどの距離でもないので、暇つぶしに着メロを片っ端から鳴らしていた。

「ウルセー!」

いきなり組んでいた足を蹴っ飛ばされる。

(暇つぶしくらいにはなるかな)

 そう私は思って携帯のパカパカを閉じ、顔を上げて相手を睨んだ。バトル開始のはずだった。が!

(うあぁ)

 最悪。悪魔の笑顔。

「真樹ちゃーん、なにやってるのー?」

 冬実はラーメンが伸びるようなダルイ声で話しながら、私の隣に座ってきた。

(ウゼエ)

 私は無視することにした。目標の駅まですぐだ。桜子のことで邪魔されたくない。

「ねえ、ねえ」

 冬実はかなり退屈しているらしく、足をバタつかせてながら私に話しかけてきた。

(もう少し、我慢)

 しばらく我慢していたら、首がチクチクしてきたので目だけを動かし、確認してみた。銀色の冷たい物体が首に当たっている。ナイフ? ナイフ? ナイフだ。残念なお知らせ。冬実と同じように冷たく、手のひらに隠れるくらいの小さいサイズのナイフ。

「ねえ、どこ行くのー?」

 冬実は私の首から顔にかけて、撫でるようにナイフを上下させた。

「うるせー殺すぞ!」

 私が殺されそうな状況なのだけど、私は視線をそらさずに冬実を睨みつけた。でも冬実はさらに激しく足をバタつかせて、

「やーだ! 教えてくれなきゃやーだ!」と言った。

「じゃあナイフ下げろよ。教えてやる」

「やーだ! 真樹ちゃん、すぐどっかに行っちゃうもん!」

 冬実はナイフを下げない。もうすぐ駅に着いてしまう。私はだんだんヤケクソになってきて、

「妹の頼みくらい聞けよ。お前、私のお姉ちゃんなんだろ」と言ってしまった。

 ぱん! ぱん! 冬実はさっとナイフを下げると、凄い笑顔で自分の両頬を叩いている。

「キャハハハハハ! そうなの! 冬実、お姉ちゃんなの!」

 うまくいったみたいだ。冬実はほっぺたを真っ赤にして、見たこともない天まで届きそうなハイテンションではしゃいでいる。驚いた。初めて見た。

「で、どこいくのぉー?」

 冬実は再び私にナイフを向けた。

 妹の負けです、ハイ。

 

 

「ねえねえ真樹ちゃん。自転車乗るの?」

 冬実はいつものようにかかとをあまり上げずに、ペタペタと足を引きずる感じに歩きながら私の後をついてくる。

「なんで私が自転車?」

 私はちょっと面倒な感じで言った。

「だってぇー競輪場に行くんざんしょ?」

 バカッぽい声で冬実は聞いてきた。

「競輪場はチャリに乗ってる奴に金賭ける所じゃん」

「じゃあ真樹ちゃん。お金賭けるんだ?」

 冬実の質問に私は何も答えなかった。競輪場自体が目的じゃない。

(三百六十円のマロン、マロン)

 私はマンネリから聞き出した看板を探して歩く。そのうち銀色の丸い大きな屋根が見えてきた。

(競輪場?)

 自分の思っていた競輪場のイメージと違った。かなり綺麗だ。野球のドームにそっくりと思った。けれど、その綺麗なドームから出てくる人達はみんな醤油で煮詰めたような顔したオッサンばっかりだった。女の子はまったくいない。すごい厚化粧のババアはいるけれども。

「饅頭!」と冬実は手を大きく横に広げ、見上げている。ちょっと面白かった。 

 私はちょこっとだけ、・・・・・・競馬場のことを思い出していた。

 私がまだチビッ子だった頃、母親と色白で小太りな男との三人で暮らしていた。その男は父親だったらしい。「らしい」というのは正確には分からないから。昔、私が砂場で遊んでいた時、他の子が大きな男の人をパパと呼んでいたので、それを真似て家に帰り、小太の男に「パパ」と呼びかけたら、男は無言で殴ってきた。表情では分からなかったけど、ひどく怒っているようだった。詳しくは知らないけど、父親とは違う存在だったのかも知れない。だから男に連れられてどこかへ行くなんてことはほとんどなかったのだけど、だけど、一度だけ、たった一度だけあったのだ。それが競馬場。昔のことなのでよくは覚えてないけどこの競輪場と違って若い女の人もかなりいた気がする。馬のヌイグルミを持った子供もかなりいた。私はかなりはしゃいでいた。産まれて初めて見る人の数、馬、何から何まで初めての体験だったのだ。なので、迷子になった。アッサリと。でも、私は家に帰れた。アッサリと。

 私は挨拶よりも、家の住所を言うのが得意な変な娘だった。そのころの私は、家にいると小太り男に殴られるので近所の小汚いババアの家にいつも入り浸っていた。別にこのババアは優しくもなく、お菓子などをくれる分けでもなかったのだけど、勝手に家に入っても何も言わなかった。その代わりいつも家に入る時、

「お前どこの娘じゃ?」と聞いてきた。私がそれで言えないと、

「何度教えれば分かる!」と言って私が言えるまで何度も私の住んでいるアパートの住所を教えてきた。そんなわけで私は競馬場で迷子になった時にも、住所を警備の人間にハッキリと言え、ちゃんと家に帰ることができた。今思えばいつもフラフラとしている私が迷子になっても大丈夫なように教えてくれていたのかもしれない。

 その後、ババアのおかげで無事に家に帰った私なのだけど、小太り男には「なんで帰ってきた!」なんてどなられ、そのまま裸にされ風呂場で水をかけられるわ、眼は殴られて眼下底骨折するわで散々な目にあった。おかげで私の左眼はほとんど見えない。涙もあまり出ない。残念なお知らせ。ちなみにババアは真夏のある日、暖房がガンガンに入った居間で死んでいた。脱水症状で。あとから聞いた話なのだけど、ババアはどんどん思い出を忘れてしまう病気にかかっていたらしい。母親からそう聞いた。

 


 私は競輪場のドームを囲むようにグルッと探し歩いた。競輪場から出てきた客と違い、ドームの周りはレンガ造りでカフェテリアのあるパン屋さんとか、異次元空間のような屋根のフルーツパーラーとか、裏通りには汚くて狭い所だったけどちょっと目つきの悪い黒人が店前に立っているB系のショップとかシルバーアクセのショップもあった。良いじゃんここ! と私は思った。

 捜し歩いているうちにかなり日も落ちてきて、セブンイレブンがやけに明るく見えた。

(マロン・クレープ三百六十円)

マンネリの言っていた立て看板があった。ケーキのお店なのかと思っていたのだけど、普通のコーヒーショップだった。

(片手間でやってるな。不味そう)こんな看板を出しているだけでもダサ。私は二、三席しかないカフェテリアの前から、ぴょんぴょんと飛び跳ねるように店内を覗いた。内装もショボイ。ブラックライトを照らしているのも何か勘違いしちゃってる。あきらかに周りの店から浮いてるし。

 あっ! 桜子発見。獲物を見つけたライオンの気分。興奮! 仲間とも一緒のようだし。

(あー女が二人、一人は栄子えいこじゃん。もう一人は誰?)

 私は念入りに桜子の周りにいるバカ達をチッェクした。マンネリじゃないけれど“情報は金”だ。ううん、命なのだ。男は混じっていないようだった。私は冬実を探した。歩き疲れたのか道路に座り込んでいた。邪魔なので置いて行くことにする。通行人にはもっと邪魔だろうけど。

「冬実。そこで死んでろ。すぐすむから」私は待っているように言う。

「真樹ちゃーん。何人いたのぉー?」

 冬実は自分の前髪を「ふー」と吹き上げながら言った。 

「三人。男ゼロ」私は指を三本立てる。

「つまんなーい完勝じゃん。それよりさーキャンプしよ! サッちんの家でさー」

「あぁー? 桜子の家でナニ?」

「だからーサッちんのお留守にねぇーキャンプファイヤーするの!驚くよーサっちん帰ったら家がファイヤー。わぉ!」

 冬実は一人で興奮しちゃっていた。

「勝手にやれば?」

 あきれた。いつまでもバカに付き合ってはいられない。私は桜子の元へ歩き出す。姿勢良く。静かに。ウインドのすぐ横の座席に桜子達はいる。麦茶みたいな薄いブラウンのかかったウインドガラス。桜子達はバカ丸出しで喋っている。こちらには気づいていない。

カフェテリアの椅子は結構重い。下腹、子宮にパワーを込める。バカ女達はまだ気づかない。椅子を頭の上まで振り上げる。ずっしりとした重量感を膝に感じた。骨のきしむ音が聞こえてきそうで感じ良い。

「そーれー」

 私は助走をつけると、ウインドガラスめがけて一気に椅子を振り落とした。振動が両手を電流みたいに駆け上がってくる。破片がキラキラと舞い、頬が少し切れた。ガラスの破壊音のあと、一瞬周りの空気を押さえ込むような静けさが漂う。桜子がいた。座ってはいない。座席の横に立っている。ぽかーんと口を開けて固まっている。枝毛だらけの金髪パーマで。

「あーん! 桜子懐かしいぃー誰だかわ・か・る?」

 私は手を振ってニッコリと笑った。

「マ、真樹?」桜子がやっと喋った。

「誰だか分かったら、死ね!」

 桜子めがけて椅子を投げつける。桜子は驚きすぎて避けられない。

メガ・ヒット! その場に倒れ込む。

「おーし、そこにいろ! 今殺す!」

良いテンション。盛り上がってまいりました。私はソファに散らばったガラスの破片を蹴っ飛ばし、足元で頭を抱え震えているガラスまみれの栄子の背中を踏んづけた。

「アァー」

 背中を押し潰す私の足を背中の痒い亀みたいに必死にはずそうとする栄子。良い顔をしている。家に着いたのは良いけど着ているオーバーオールがなかなか脱げなくて便器の蓋に手をかけたままウンチを漏らした奴みたいなツラだ。

「お前なんかに脊髄いらねーよ。提供しろ誰かに」

 ぐりぐりぐり。栄子の背脂に私の足が食い込む。ソファがズブズブ沈んでいく。

「いいギィィ」栄子の背中があぶられたイカの足みたいにひしゃげ、反っていく。

 可哀想になったので背中から足をはずしてやる。でも私を見上げた栄子の顔が溶けかかった雪女みたいな顔面をしていたので、Vゴールと言って蹴っ飛ばしておいた。栄子は寝ちゃった。サヨナラ。

「桜子!」

 私はソファから飛び降りて桜子に殴りかかった。だけど横から誰かに突き飛ばされる。私は少しよろけたけど、何とかふんばる。

 銀髪、唇に二重のピアス、カラコンを入れているのか目が赤い。色白のヒョロっとした女が桜子の前に立っている。

(見たことない)

「綺麗な顔してるじゃん。でも、桜子なんかとつるんでると枝毛が増え……」

 と私が言い終わらないうちに、カラコン女のパンチが飛んできた。すれすれで何とか避けたけど、パンチじゃなかった。光っている。冬実のとは比べ物にならないくらいの大きなサバイバルナイフ。

「ダメじゃん! 最近の若い娘はすぐ切れるんだからぁー」

 そう言いながら、私はドキドキしていた。肌がぴりぴりしてきてたまんない。あれが刺さると私は死ぬ。肉が裂け、血が噴水みたいに噴出して。

 カラコン女は間を空けずに突いてきた。私は後ろに下がりながら海底のワカメみたいになんとか攻撃を避ける。相手の息、目、仕草、なんとなく分かってしまう。私のどこを傷つけたいのか。憎いのか。

 いつも見ていた。小太りの男。眉毛をかきむしったらお腹を殴ってくる。息を深く吐くと、私の腕を絞って床に押し潰す。ゲームが上手く出来なかったとか、煙草が切れたとかの理由で。幼児なりの防衛本能、あまり痛くないように体を丸めたり、別のことを考えたり、これは私じゃないんだと思ったり、そのうちに、病気のように人の仕草が気になってしまうようになった。傷つけられないように。

「あぁっ! オラ!」

 カラコン女は攻撃がなかなか私に当たらないのでイライラしてきたのか、かなり熱くなってきたみたい。さっきまでの無口でクールなイメージがすっかり失われてしまっていた。カッコ悪い。

 狭い席と席との間の通路を後ろへ後ろへと避け続ける私。当然、徐々に突き当たりの壁が私の背中へと迫ってくる。私はすぐ横のテーブルへと飛び移った。ナーイス! 予想通りにカラコン女は足を切りつけてきた。でもそれより早くカラコン女の顔面へ私の足の裏がクリーンヒット! カラコン女はズルっと膝から崩れ……落ちたと思ったら、足首を掴まれた。

(やば!)

私は足を引っ張られ床に落とされる。背中から床に落ちた。カラコン女が私の上に乗っかってきて、そのままナイフを振り降ろす。

 だけど動きが鈍い。私の蹴りが効いたのかな? 私はナイフの根元を掴むと、グっとおもいっきり握り締め女へと押し返す。手から血がしたたり落ちて私の顔を逆上した画家が腹いせに塗りつぶした恋人の絵みたいにグチャグチャと真っ赤に染めていく。同時に手へ激痛が走った。痛い。最低。

カラコン女はナイフに両手を添え、体重をかけ、ナイフごと私を押し潰すようにますます力を込めてくる。凄い力。私もパワーはある方だけどこのカラコン女の力はちょっと違う感じでなんていうか、その、重量感がある。こんなに細いのに。

 カラコン女の腕や肩の筋肉がだんだんと盛り上がっていくのが見えた。血管も網のように浮き出ている。

(こいつ男じゃーん)直感!

綺麗な顔や、きゃしゃな体に騙されたのだ。間違いない。私は自分にいくら力があるといっても、メスであるということくらい十分過ぎるほど自覚しちゃってる。男とパワー勝負するなんてバカの王様。こういうとき女が男に取る行動なんて一つだ。

「がぁ!」

 私の膝がカラコン女、いやカラコン男の精子製作所(有)に突き刺さった。速攻でカラコン男の腕から力が消える。やっぱ男。男に対して私は、綺麗に勝とうとかは思わない。そんなことしているとや殺られるだけ。私はカラコン男の手の指に噛みついた。全パワーを歯茎に集中させる。

「ぎぎぎぎぎぎー!」

「ぎゃ! 離せ! ぎゃあああああああああああああ!」

 離したのはカラコン男の方だった。ナイフが床へ転がる。私は拾われないように指へ噛みついたまま、足でナイフを蹴っ飛ばした。

 カラコン男は噛みついて離さない私の頭を気が狂ったようにドツキ回してきたので、こっちも狂ったように指へ噛み付いたまま顔に頭突きを食らわす。

 少しずつカラコン男の抵抗が鈍く、遅くなり始め、やがて静かになった。ドラムみたいに私の頭を叩いていた手が止まる。我に返ってカラコン男の顔を見ると気を失っていた。前歯がウットリするくらい、見事に折れていた。アホな顔面。口を閉じたままジュースを飲めるっていうくらいの特典しかなさそう。私はゆっくりと潰れたカラコン男を見下ろしながら、立ち上がった。頭の中がもやもやする。口の中に異物も感じる。

「くちゅ。ぺっ」

 口の中から、タコウインナーみたいな物が出てきた。鉄と血の生臭さと一緒に。気持ちわるぅー。ひどいレバーを食ったみたい。

私は少し冷静さを取り戻し周りをゆっくりと見渡した。ウェイトレスが水の入ったコップを持ったまま凍りついたように固まり、こっちを見ている。私はフラフラとそのウェイトレスに近づき、「水」と一言だけ言い、手を伸ばした。単純に水で口を洗いたかったから。

「や、いやー」

 とウェイトレスはコップを落っことし、どこかに走り去って行った。

(ん?)

 私が映っている。ウインドガラスに。初めはまだ夕方なのかなと思った。でも違う。夕暮れの陽に照らされたみたいに、顔が真っ赤にスプレーアートみたいに染まっていた。私の口から鉄臭いトマトジュースがこぼれている。瞳が止まっていた。よどんでいるというか、目の黒い部分が広がったままだ。瞳孔というのか、よく分かんないけど。

「魚の眼」

 魚の眼に似ていると思った。夕方五時から安くなるスーパーのやつ。あまり新鮮じゃないって感じの。

(これじゃウェイトレスもビックリだ)

 あーあ、こりゃ逃げ出しちゃうのも無理ないね。ホラー映画みたい。私の顔面。

私はチューブトップを引っ張り上げて唇を拭いた。下から下乳が出たけど気にしねぇー。ワンパクだからね。へへ。

 でもそのチューブトップ自体が血だらけなのであまり意味がなかった。なかなか取れない、このトマトジュース。

(桜子? 逃げた)

 ぼやけた頭のまま桜子を探した。カフェの客はかなりの人数が逃げ出してしまったようだけど、ビックリして固まってしまったままの客もまだいる。私はそのお客様達へ、逃げたウェイトレスの代わりに誠心誠意スマイルを撒き散らしながら手を振った。お客様達はとても良心的な半笑いで私を見てくれた。突き刺すような、ね。

(疲れた)

 私の悪い癖。コロコロと気分が変わってしまう。どんな大事なことをやっていても、どーでも良くなってしまう。アッサリと。何かすっかり桜子に感じていたムカツキがカラコン男とのバトルでスッキリと解消されてしまった気になっちゃってる私。

(眠い、お腹減った)

 めちゃくちゃ帰りたくなった。

 私は自分の割ったウインドガラスから外に出ようとした。するとガラスの破片が飛び散ったソファの脇で、顔を伏せ、しゃがみ込んだウェイトレスがいる。

(さっき逃げ出した奴か?)と思ったけど様子が違う。枝毛だらけの金髪パーマ。私はそのウェイトレスの髪を掴むと、無理やり顔を上げさせた。

「ひィー」

 桜子だった。

「お前、何でウェイトレスの格好なんかしてんの?」

 私は桜子の顔ギリギリに、自分の顔を近づけて聞いた。

 どうやらさっき、私は桜子を見つけたことにテンションが上がってしまっていて、興奮していたのか、桜子の服装にまで気が回らなかったらしい。 

「あうぅあぁ」声にならない。桜子はすっかりビビっている。

私はしかたなく、ホントにしかたなく可哀想だけれども、おもいっきり桜子の顔面をひっぱ叩いた。エへ、うふふふふふ。

「やぁ、やめっ」とますますうろたえる桜子。らちがあかない。

(ホント、こんなバカ女に何で刺されたんだろ?)

 そう思うとまた急にムカついてきた。桜子の髪にネジリも加えながら上へと引っ張る。

「痛い! やだぁやめてぇー」

 桜子、ブサイクに泣く。私、またムカツク。

「うるせー髪全部、枝毛にしてくれる!」

「痛い痛い!」桜子さらに泣く。ダメだこりゃ。

「こい!」私はこのお店を出ることにした。周りの客の中に携帯をかけている奴や写真を撮っている奴がいる。通報でもしているのだろう。わりかし遅くて助かったけど。写真の方は深夜のファミレスで時間潰しトークの時にでも使うのかね? 

 カウンターの下に隠れているつもりなのか、しゃがみ込んでいる背広を着た女の背中が見えた。店長か何かはよく分かんないけど、たぶんこの店の人間だと思う。ただ何もせず震えたままだ。

(客に通報させんなよ。この店ダメだ)と私は思った。

「ご迷惑かけてすみませんでしたぁー。急にナイフを持った奴に襲われちゃってぇー。正当防衛ですよねコレ? あー怖かった怖かったと」 

そう、棒読みしながら私は店を出た。初ドラマのアイドルみたいに。


第三部です。真樹の周りにも少し動きが出てまいりました。感想などよろしくです。

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