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私次第

 今年で、私は26歳になった。お母さんが亡くなってからはや一年。まだまだ完全に立ち直れたわけではないけれど、気持ちはずいぶん落ち着いた。それもこれも、たっちゃんがずっと一緒にいてくれたお陰だ。


「ふふ、今週の土曜日は、第二土曜日なんだよね」


 デスクに置いてあるカレンダーを見て微笑みながら、私は控えめに呟く。第二土曜日には必ずたっちゃんと会えるから、カレンダーの月が変わると、いつも真っ先にこの日をハートマークで囲むんだ。土曜日まであと3日。今度は、どんな服を着ていこうかな。


「リリちゃん、何かいいことあった?」

「えへ、わかります? 週末、彼と一ヶ月ぶりにデートなんです!」


 先輩社員にのろけ話をしつつも順調に仕事を片付け、帰路についた。帰っても誰もいないのは未だに辛いけど、いつかきっと……たっちゃんと一緒に暮らせるようになるはず。その日を楽しみにして、今は耐えよう。


 家に入る前に郵便受けを確認して、いくつかの封筒を回収する。最近ポストを見ていなかったせいで、結構色々たまっていた。


「えぇと……。大体いらないかなぁ。あ、これこの前の健康診断の通知書……。しまった、来てたんだ」


 健康診断結果在中と書かれた封筒を開けながら、私は家に入った。


「はぁ、疲れた……。ご飯……どうしよう。たっちゃんに教わった料理でも作ろっか……」


 たっちゃんが私の家に泊まり込んでくれたあの日からも、一年近く経っちゃうんだ。あの時は、家事も料理もぜんぜんできなかったけど、彼のお陰で最近はだいぶ形になってきた。自分の成長に少しだけ嬉しくなりつつ、健康診断の結果に目を通す。


「まぁ、だいたい大丈夫だよね。まだ26だし。特に心配するような問題は……」


 ……ない、と通知を畳もうとしたその時。変な赤字が、目に入ってしまう。


「あれっ、うそ。判定E? 要精密検査!?」


 今まで全然問題なかったのに、突然の精密検査指示。しかも、同封されていた再検査の案内書には……


「検査日は、七月十日、土曜? ……って、今週じゃん!!」


 私は慌ててカレンダーを確認した。今週の土曜って、その日は……その日は、楽しみにしていたデートがあるのに……!! どうしてよりによってこの日なの!?


 こんな検査でたっちゃんともう一ヶ月会えなくなるとか、そんなの絶対嫌だよ! どうせ大したことないくせに、大げさなんだから……! でも、会社の指示なのにブッチしたら怒られるかな……。とりあえず電話して聞いてみよう……。


 私は、案内書に書かれていた電話番号へ電話を掛けた。


『お電話ありがとうございます、日青ヘルスセンター、検査受付係です』

「あ……あの、私、興輪株式会社の磯本と申します。本日そちらからの通知書を確認したんですけど、精密検査が必要と書かれていまして、検査の日付が七月十日になっていました。ですが、その日はあの……大切な用事があるので、できれば日を変えて頂きたいのですが……」


 ダメ元でお願いしてみる。でも、こんなにギリギリじゃ厳しいよね……。


『少々お待ちください。……。えーと……。そうですねぇ、そちらの会社様の営業日などの兼ね合いで、日を変えるというのは難しいようです。あとは個人的に行ってもらうという手段がありますが、この場合費用は自己負担になってしまいます。予約もとれるかどうか……』

「そ……そうですか。この検査って、あの……、受けなきゃいけませんか?」

『そうですね、強制というわけではないんですが、できれば受けて頂きたいです。万が一ということもありますので』

「わかり……ました……」


 どうしよう……。検査に行くにしても、たっちゃんにどう説明すればいい? 精密検査に引っかかってデートに行けない、なんて言ったら、たっちゃんすごく心配するだろうし。そんなの、たっちゃんの体に悪いよね。


 私は再びスマホを手に取り、たっちゃんに電話を掛けた。


「……あの、リリだけど」

『おう、久しぶり! そろそろデートだよな! 今度はどこに行くか』

「そのこと……なんだけど。ごめんね、たっちゃん。次の第二土曜日は、会えそうにないんだ……」


 私がそういうと、急に、スマホの向こう側がシンとなった。


『……どうした、会社が忙しいのか?』

「そういう……わけじゃないんだけどね、どうしても……この日じゃないといけないというか……」


 どうしよう、なんて言えばいいんだろう。焦って、いい言い訳が思いつかない。


『デートを断るときは、お互いに納得できる理由を説明する、って決めたじゃないか』

「その……、体調……不良というか……」

『ほんとに? 土曜日は3日後なのに、もう土曜日の体調がわかるの?』

「なんかその、気分が乗らないときだってあるんだよ。そういうんじゃ、ダメ?」


 ダメだよね、そんなの。わかってるんだ。私だってそんなこと言われたら、嫌われてるのかな……って思っちゃう。


「……俺は。毎日毎日リリと会いたくて、絶対に会える第二土曜日をいつもすごく楽しみにしてるんだ。リリもそうだと思ってた。違うのか?」

「私だって、そうだよ! だけど……」

『……俺以外に、好きな人でもできたか?』

「……っ!!」


 たっちゃんのその一言が、ギュウッと、私の心を締め付けた。違うのに。違うのに違うのにっ!! どうして!? なんで私を信じてくれないの!?


「そんなことない! そうじゃないんだよ!」

『じゃあ、どういうことなんだよ!?』


 いつものたっちゃんっぽくない、荒れた声。その声に驚いて、次に何を言おうとしていたのか、忘れてしまった。


『……悪い、高ぶった』

「ううん、私こそごめん」

『俺は、リリのことが大好きだ。でも、リリの気持ちが離れてしまったのだとしたら、……別れても、いいんだぞ?』


 ……この言葉を聞いた瞬間。


 私は、今までずっと忘れていた、そして思い出したくもなかった、あの、「恋を叶える草紙」のことを、思い出してしまった。それと同時に、言いようのない不気味な不安が、さぁっと私の心を包み込む。

 

「や……やだよ! なんでそんなこと言うの!? 私は……今でもたっちゃんのことが大好きなのに!! たっちゃんは違うの!?」


 私は焦った。焦って、冷静でいることができなくなった。


『俺だってリリのことが好きだ!! でも、リリが俺のこと嫌いになってたら、俺にはもう、どうしようもできないだろ!?』

「違うよ。そんなんじゃ……」


 ――【もう別れちゃったよ。今は恋人募集中】


 ……うそ、私、振られちゃうってこと? こんなに急に? 今まで9年も一緒にいたのに? こんなにたくさん、思い出もあるのに? 冗談だよね、たっちゃん……?


 ――ただし、最終的に恋を叶えるのはあなた自身であることをお忘れ無く。


 フッと頭に浮かぶ、あの冊子の説明文。そうだよ、全ては私次第なんだ。私がなんとかすれば、恋は叶う。私さえなんとかすれば……。


「もういい! いいよ、土曜日はたっちゃんとデートするっ! 私だって楽しみだったんだよ! 嬉しいよ、たっちゃんも楽しみに待っててくれて! だから土曜日はデートしよ? これでいいよね!?」


 気づいたら私は、怒濤の勢いでそう喋っていた。とにかく必死だった。必死すぎて、何を言ったのかよく覚えていない。


 ……たっちゃんとのやりとりが終わった後。私は再び、電話をかけた。


「あの、度々すみません。先ほど相談させて頂いた検査の件なんですが、……はい。キャンセルでお願いします」


 ……これで良かったんだよね、たっちゃん。


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