貴方も幸せに
その後はしばらく、テレビを一緒に見たり世間話をしたり、昔のアルバムを見て笑い合ったりしながら過ごした。お昼ご飯は、彼と一緒にカレーを作った。ほとんどたっちゃんが作ってくれたようなものだったけど、美味しいカレーができた。……とっても幸せだった。
「夕飯は、昼間のカレーの余りでいいか? その前に風呂入っちゃう?」
日も暮れてきた頃、たっちゃんにそんな提案をされた。新婚さんみたいな台詞が嬉しくて、ちょっとだけ微笑む私。
「お風呂……頂こうかな」
「わかった。じゃあ、カレー温めておくよ。……それとも、一緒に入る?」
「え……ええっ!?」
ちょっとちょっと! 今、さらっとすごいこと言わなかった!? びっくりしてたっちゃんの方を見ると、彼は無邪気に笑っている。冗談なのか本気なのか、……よく分からない。
「うぅ、その……。いやじゃ……ないけど、あの、まだ……心の……」
「冗談だってば。ゆっくり入っておいで!」
「……もぉっ、バカ!」
私は怒ったフリをして、お風呂場に向かった。……本当は、ちょっとだけ……期待してたんだよね。付き合い始めてからの8年間、キス以上のことをしたことがなかったから。でも、たっちゃんにその気がなかったらとっても気まずいし、私も私で恥ずかし過ぎて……結局踏み切れなかった。
「たっちゃんは、どう思ってるんだろ……。男の人って、エッチしないと心が離れちゃうって……昔ハルカが言ってたけど……」
湯船につかりながら、ぼーっと考える。……私は、結婚するまでするべきじゃないって、ずっとそう思ってた。だけどそれは、勇気が出ないことに対する言い訳なのかもしれない。このままじゃ、結婚してもエッチができなくて、たっちゃんに愛想尽かされちゃう気もする。
……もしたっちゃんが迫ってきたら、身を任せてみようかな。
私だってたっちゃんの気持ちは受け入れたいし、そうなったときはもう、腹をくくってしまおうと思った……。……それにしても、たっちゃんはどうして欲しいんだろ……って、さっきから話がぐるぐる回ってる!
色々考えすぎてのぼせそうになった私は、ため息をつきながら湯船から上がった。体を拭こうと、いつものタオルハンガーに手を伸ばす。
「……あれっ? バスタオルが……あっ!!」
そして、今更気づいた。バスタオルもろとも、溜まっていた洗濯物を一式、今朝洗ってしまったということに。それをたっちゃんに任せたまま、恐らく今も、縁側で干しっぱなしになっているということに!!
私は、慌てていつも着替えを入れておく引き出しを開けた。そこに入っていたのは、普通の小さなタオルが一枚だけ。
(うっそぉぉぉおおおっ!!)
ピンチ過ぎる。ここから大声でたっちゃんを呼んで、着るものを持ってきてもらう? いや、それはそれで恥ずかしいし……。そーっと縁側まで行って、バレないように下着だけでも回収できれば……。
私は、鏡の前でタオルを広げた。これで体を最大限に隠すには、どうすればいいんだろう。腰に巻いたら胸が丸出しだし、体の前で広げたらお尻が丸出しになる。せめてもう一枚あれば……。
……仕方ない、前側だけ隠して、背中を常に壁へ向けながら歩こう。万が一たっちゃんと遭遇しても、背を向けなければ恥ずかしくないよね。……いや、それでホントに大丈夫?
まずは脱衣所の引き戸を少しだけ開けて顔を出し、近場の安全を確認する。たっちゃんは……いない。それから、広げたタオルを体の前にあてがって、そっと廊下に出た。ものすごい緊張するんだけど、これ。
(落ち着け、理々。慌てずに、そーっと、そーっと……)
壁に背を向けて、カニのように横歩きする私。……間抜けだ。そのとき、近くで物音がした。心臓が高鳴る。ヤバイ、早くしないと……!!
私はもう、大急ぎで縁側に飛び込んだ。よしっ、ここで下着を着て……
……そう思った私の目の前には。
目をまん丸にして固まる、たっちゃんがいた。というか、ただいま絶賛洗濯物取り込み中だった。うん、ナイスタイミング。たっちゃんの目の前には、タオル一枚で体を隠す私が、立ち尽くしている。
「ぅわぁぁぁぁぁぁぁぁああああ!!」
ハッと思い出したかのように悲鳴を上げた私は、反射的にたっちゃんへ背を向けてしまった。いやいや、何やってんのバカなの私っ!! 後ろは丸出しなんだよ!?
「ぃやぁぁぁあだぁぁぁああああぁ!!」
そして、慌てて前に向き直る。彼の前で一回転しちゃった挙げ句、水で濡れたタオルはくしゃくしゃになってしまって前もほとんど全開に。焦れば焦るほどどうしたらいいのか分からなくなって、後ろを向いたり前を向いたり、てんやわんやになる私。……もぉダメ、羞恥を通り越して死んじゃう。
「ち……ちょっと落ち着け、リリっ! ほら、バスタオル!! 俺……その、見てないから!! 結構がっつり見えてたけど、見てないことにするから!!」
それ、がっつり見てるってことでしょつまりうわぁぁぁぁああん!!
パニックになりすぎた私は、その場にしゃがみ込んで動けなくなってしまった。どうリカバリーしたらいいのかわからなくて、涙が出てしまう。
当てもなくその場にうずくまったまま泣いていると、厚手のタオルケットをたっちゃんがそっとかぶせてくれた。手には、ドライヤーも持っている。
「髪が傷むぞ。昨日も乾かさないで寝たろ?」
そう言いながら彼は、私の髪の毛をおもむろに乾かし始めてくれた。
「まったく、着るものがなかったんなら呼んでくれればいいのに」
呆れ果てたような表情で、咎めるように話しかけてくるたっちゃん。
「無茶なことしやがって……。今日一日の感想を言ってやろうか?」
……今度こそ、ホントのホントに嫌われちゃったのかもしれない。そう感じた私は、恐くなってぎゅうっと目をつむった。
「……マジで可愛すぎるよ、お前」
……彼の口から飛び出してきたのは、予想外の言葉。
「かわ……いい……?」
「うん、可愛い。何だろうなぁ、一生守ってやりたくなるような可愛さ。可愛い女の子の可愛さとは、ちょっと違うんだけど」
「……見た目は地味ってこと?」
「そういうこと」
「そこは否定しないんだよね、いつも」
「そこを否定したら、もうリリじゃないだろ? それにしても……」
たっちゃんはニヤニヤ笑いながら、ドライヤーのスイッチを切った。
「リリの裸が見れたのは、大収穫だったなぁ。あ、ちなみにさっきの『見てないことにする』は嘘。めっちゃ目に焼き付けた」
「ぅいっ……!?」
刹那、タオルケットから出ている私の顔が、ボカンと爆発する。
「うわぁぁぁあん!! たっちゃんのバカばかぁっ!! 早く忘れてよぉっ!!」
「そりゃ無理だ、リリ。だって俺、リリのこと大好きなんだぜ? 白状すれば、高校生の頃からずっと、リリの裸を見たかった」
「うぅ……、えっち……」
恥ずかしいことに変わりはなかったけれど。彼のそんな言葉を聞いたら、なんだかとても素直になれた。……だって、嬉しかったから。
「……見るだけで、いいの?」
「えっと、そうだなぁ、その続きはまた、リリの準備が整うまで待つよ。今朝も言ったけど、リリにはリリのペースがあるもんな。……さて、俺も風呂に入ろ。カレー温まってるから、先に食べてていいよ」
そう言って立ち上がるたっちゃんのズボンの裾を、私はくいっと引っ張った。
「……ん? どうした?」
「……キス。して欲しい」
こくりと頷いて、無言でキスをしてくれるたっちゃん。
その日の夜、私とたっちゃんがエッチなことをしたのかどうかは、内緒。はっきりわかったのは、やっぱり私、たっちゃんのことがダイスキだってこと。彼以外なんて、もう考えられないってこと。
明日は、もっとたっちゃんに色々なことを教えてもらおう。完璧に家事ができるようになってから、胸を張ってお嫁に行きたい。
まだまだ時間はかかるかもしれないけど、私……頑張るから。だから、貴方もお父さんと幸せになってください。
……お母さん。




