二人暮らしの始まり
時間を見ると、朝の九時を回ったところ。ここで初めて、昨日色々やってる途中で寝落ちしたことに気づく私。
「リリー? いたら開けてくれー」
玄関越しに聞こえてくる、たっちゃんの声。最悪だよ、もぉー! ……大丈夫かな? 今たっちゃん入れちゃって、大丈夫かな!?
「はぁーい、すぐ開けるねぇー!!」
……なんて思いつつも、入れてあげないわけには行かなくて。私は玄関を開けて、たっちゃんを迎え入れた。彼は、大きめのスーツケースをもって玄関の前に佇んでいた。
「これから三日間、よろしくな!」
彼に笑顔でそう言われて、私はうつむき気味に「お願いします」と答えた。俯いたのは、顔が赤くなっている気がしたから。
「ちゃんと飯食ってる? まずなんか作ってやるよ。朝食、まだなんだろ?」
「えっ!? うんと、あの……。さっき……食べ……た」
「嘘つけ、今起きたくせに! いちいち遠慮すんな。ベーコントーストでも作っておくから、リリはほら……、その寝癖、直して来い」
私は慌てて髪の毛に手を当てた。げぇっ、ぼっさぼさじゃん! 昨日生乾きで寝落ちしたせいだうわぁぁあん!
「ご……ごめんねっ! 急いで直してくるから……!」
慌ててお風呂場に駆け込んだ私は、もう一つ、大事なことをやり忘れていたことに気づいた。
洗濯物が洗濯機に入ったまんまだ!
幸いにも、洗濯機はお風呂場の横に設置してあるから、なんとかここからでも操作できる。クシを片手に、近くに置いてある洗剤らしきボトルをまさぐり、使えそうなものを探す私。
最悪だよ最悪最悪、もぉ最悪っ! こんなの見られたら、洗濯もろくにできないことがバレちゃう! さっさと洗っちゃわないと!
「……これ……だよね。うん、これだ」
私はそれらしい洗剤のケースを手に取り、蓋を開けた。
「ふむふむ。5杯……半……ね。よ~し!!」
気合いを入れ、洗濯機を開けてバサバサと粉末洗剤を入れてみる。ほら、こんなの私にだって……ん? 落ち着いてよく見てみると、洗濯機の端っこには「洗剤投入口」と表記された謎の穴が。
「……あれ? もしかして、洗剤って……ここにいれなきゃダメだったりする……?」
……。景気よくばらまいた粉末洗剤を、真顔で回収してゆく私。そうよ、慌てちゃダメ。こんなときこそ、冷静にならなくちゃ。……落ち着け、落ち着くんだ磯本理々。
「要するに、こっちの穴に入れればいいってことでしょ? バカにしないでよね、これくらいわた……んんん!?」
よく見ると、「液体洗剤」と書かれた投入口もある。これは……意味不明だ。液体洗剤と粉末洗剤の二種類が必要なのか、それともどちらか一方をその日の気分とテンションに合せて巧みに使い分けるのか……。
とりあえず、何やら液体の入っているボトルを手にとってみる。これが液体洗剤かと思いきや、ラベルには「漂白剤」の文字が。
(……。漂白剤って、液体洗剤のこと? いや、違うと思う。漂白剤なんだから、白くするヤツだよね、たぶん……)
海より深い考察の末、漂白剤は液体洗剤ではないと結論づけた。じゃあ、液体洗剤はこっち? ……選んだボトルには、「柔軟剤」と書かれている。
……いや、色々ありすぎでしょ。これを使えば一発オーケーみたいな、オールマイティーは存在しないの!? リンスinシャンプー的な!
清々しいほどに混乱してきた。でも、たっちゃんには洗濯くらい出来る……ことを示したい。……なんとしてでも。とにかく、ボトルに書いてある説明を片っ端から読もう。一心不乱に読もう。
「ええと……、混ぜるな危険……。酸性タイプの洗剤と混ぜると……塩素ガスが発生して死亡する恐れ!? 洗濯で絶命の危機!?」
私は、洗濯というものを舐めていた。まさか、こんなにも命がけの行為だったなんて……。つまり全国の主婦の皆様は、週に数回、この家事に命をかけているってこと? ……たくましい。たくましすぎるよ主婦……!!
(なんてこったぁ……。一種類の洗剤じゃダメなの? でも、綺麗にならなかったら意味ないし……。混ぜるにしても、どれとどれを使えばいいわけ? さっぱりわからないよ。……お母さん……いないしね……)
途方に暮れてしまった。25にもなって洗濯すらできないなんて、もうほんとどうしようもない。……ついでに言えば、料理もできない。
「リリ? ご飯できたけど……って、どうしたの?」
両手にボトルをぶら下げて、相変わらずボサボサの頭をさらけ出したまま、半泣きになって突っ立っている私。よく見たら、着ているパジャマもびろんびろんに伸びてる。……ダメだこれ。私、今日振られるな。そしたら今度こそ死のう。さようなら、たっちゃん。
「実は私、洗濯……したことなくて。頑張ったんだけど、途中から……何が何だか……わかんなくなった……」
「なんだ、そんなこと? だよなー、洗剤って無駄に種類あるもんな。洗うものは何? 普通の服とか下着とかだったら、これをここに入れて、こいつをちょっとこっちに入れれば大丈夫だよ。設定は……」
慣れた手つきで洗剤を入れて、ピッピッとボタンを押すたっちゃん。……神だ。さすがというか、かっこよすぎる。
「すごいね、たっちゃん……」
「えっ? そんなことないって。こんなの、一回覚えちゃえば誰だってできるようになるから。リリも、次からは大丈夫でしょ?」
「たぶん……」
なんとなく、たっちゃんも自分と同じだと思っていた私が、恥ずかしくてたまらなくなる。こんなに何にもできない25歳って、きっと私だけなんだろうな……。
その後、二人でリビングにあるテーブルに着き、朝食を頂いた。
たっちゃんが作ってくれたベーコンエッグトーストは、なんだか信じられないくらい美味しかった。私なんて、バレンタインのチョコレートすら友達と一緒じゃないと作れないのに。……どんどん、自信がなくなってゆく。
「私には……こんなの作れないよ。なんでもできるんだね」
「ははは、こんなん簡単だってば! 明日の朝は、一緒に作ろう?」
「うん……」
口ではそんなこと言って、本当はもう……見限ってるくせに。そう思いながら落ち込む私を見て、たっちゃんは仕方なさそうに微笑んだ。
「なんだよー、せっかく俺がいるんだから、元気出せって! 俺んち、お袋ががさつで家事とかすんげー適当でさ。だんだん俺がやる割合が増えてきて、気がついたら家事がこなせるようになってたんだ。だから……」
彼は話しながら椅子から立ち上がると、未だにベーコンハムエッグを食べている私の後ろに回った。そして、私の両肩にポンと両手を乗せてから、続きを口にした。
「すぐになんでもできるようになる必要はないよ。リリにはリリのペースがある。お母さんが亡くなったばかりでしんどいと思うし、この三日間は俺に甘えながら、少しずつ家事を覚えればいいと思うぜ? リリならすぐ出来るようになるって!」
そんなたっちゃんの言葉に……
「……ありがとう」
私は、涙を流した。
「励ましてるんだから、泣かないでくれよ。……おっ、洗濯が終わったみたいだ。リリはゆっくりしてて。俺、干してくるから。……あれ? でも、恥ずかしいか、俺がやったら。やっぱり、リリがやる?」
色々な感情がどっと押し寄せてきたこともあって、ほぼ放心状態になっていた私は、涙を拭くのが精一杯で、彼に返事ができない。
「……わかった、俺がやっちゃうな。縁側に物干し竿あったから、そこに部屋干しすればいい?」
私が無言で頷くと、彼は「了解、任せろ!」といって、リビングを出て行った。なんで私、こうやってすぐ人に甘えちゃうんだろう。……弱いな。
私はもうひたすらに泣きながら、たっちゃんが作ってくれたベーコンハムエッグを、もぐもぐもぐもぐ食べ続けた。塩味が涙なのか醤油なのかはよく分からないけど、とにかくそのベーコンハムエッグは美味しかった。
「リリ……? 大丈夫か?」
しばらくして戻ってきたたっちゃんが、泣き続けている私を気遣ってくれた。
「ヴん……。たっぢゃんの……これ……おいしい、すごく……。良かった、じななくて。だから、私のこと見捨てないで……?」
「見捨てるわけないだろ。俺ってそんなに鬼?」
たっちゃんは笑いながら、未だにボサボサになっている私の髪を、優しくとかしてくれた。
時計を見ると、そろそろお昼になろうとしていた。