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別れたくない

 結局、翌日の日曜日は一日中冊子に気をとられてしまった。何度も何度も冊子を読み返しては、別れることになる理由を必死に探した。だけどやっぱり、その理由はどこにも書いていなかった。


「なんなの、もう……!!」


 苛立ちを抑えきれなくて、ついつい愚痴が漏れてしまう。これがもし、たっちゃんのいたずらとかだったら……どうしてくれよう。別れはしないけど、駅前の豪華絢爛パフェを3日連続くらいでおごってくれないと、許せない気がする。


 でも、たっちゃんの字体も動揺したように荒れているし、この活字も人が書いたものとは思えない。多分本当に、たっちゃんは未来の自分とやりとりしたんだと思う。私は、たっちゃんを信じることにした。


 そうすると気になってくるのは、私でも未来の自分とやりとりできるのか、ってこと。どうやってやりとりするのかが分からないから、なんともしようがないけど……。例えばこの冊子に私が何か書き込んだりしたら、返事が来たりするんだろうか。


(……試してみようか?)


 一瞬そう思ったけど、やっぱり止めた。それが原因でたっちゃんと別れるようなことになってしまったら嫌だし、余計なことをして今までの出来事が全部リセットされたりしたら本気で困る。


 この冊子に不思議な力が宿っていて、しかも使い方が分からない以上、下手なことはやらないほうがいいよね……。買った本人すら分からない使い方を、どうしてたっちゃんが知ってるのかは謎だけど。


 よし、一旦頭の中を整理しよう。私はとにかく、「たっちゃんに振られるのか」、「私が振るのか」を知りたい。たっちゃんに振られたら救いようがないとしても、私が振るっていうパターンだったら、それは私次第なんだから、どうにでもできる気がする。そこが分かればまだ……


 ……残念ながら、冊子の情報だけだとそれすらも分からない。困ったなぁ、もう頭がぐちゃぐちゃになってきたよ。とりあえず、ご飯食べよう。


 ……でも。夕食をとっても、お風呂に入っても、歯磨きしても、布団に潜り込んでも、冊子のことが頭から離れない。このままだと、また「目の下隈子」に変身してしまう。明日はたっちゃんとたくさんおしゃべりしたいのに、それは困るよ。こんなときは、えーと……。そう、自己暗示!


 私は眠い私は眠い私は眠い……


 ……そして気がついたら、もう翌朝だった。私って単純。


 鏡で自分の顔を眺めて、隈が出てないことを確認した私は、一回大きな深呼吸をした。とにかく今は、自分の気持ちを伝えるんだ。それしかできることはない。冊子については、たっちゃんに何か聞かれない限り黙っておこう。私に内容を読まれた、なんてことを知られたら、気まずいもんね。


 複雑な感情を胸に、私は学校へ向かった。校門をくぐり、桜並木を通過する。そして、生徒玄関に入ろうとしたその時……。


(たっちゃんだ……!)


 下駄箱の前で、なぜか頭を抱えるたっちゃんを見つけた。もしかしたら冊子をなくして困っているのかもしれないけど、あれは返せないんだ、ごめんね。もともと私のだから、許して欲しい。


「たっちゃん」


 私は玄関の外から、たっちゃんを呼んだ。振り向いたたっちゃんは、すごく眠たそうな顔をしていた。……奇遇だね、私も眠いの。


「ど……どうしたリリ。暗いぞ?」


 たっちゃんも、人のこと言えないくらい暗い顔してるくせに。なんとなく理由はわかるけどさ。……きっと、冊子のことだよね。


 私は玄関の中に入り、たっちゃんの隣まで歩いた。そして、彼の澄んだ瞳を凝視する。


「私、たっちゃんにはっきり言っておこうと思って」


 そう言いながら、私はさらにもう一歩、ぐいっとたっちゃんに近づいた。


「私、たっちゃんと別れたくない」


 たっちゃんは、私の目を見たまま固まってしまった。


「……えっ?」

「だから。私、たっちゃんと別れたくないよ」


 たっちゃんはぽかんとしていたけど、私は真剣な表情で彼の瞳を見つめ続ける。……さらっと流されてしまったら困るもん。ただ事じゃない、ちゃんと話を聞かなくちゃ……って思わせないといけない。


「な……なんでわざわざそんなこと」

「大事なことだから」


 間髪入れずに即レスした。私の気迫に押されたのか、たっちゃんはまた黙り込んでしまう。ごめんねたっちゃん。でも、本当に大事なことだから。


「この前、一緒に勉強したとき、たっちゃん言ってたよね? 別れたくないから、私と同じ大学に行きたいって。私もだよ。私も別れたくないから、たっちゃんと同じ大学に通いたい」


 少しの間を置いてから。たっちゃんは、口を開いた。


「当たり前だろ? リリはただ自分の行きたい大学を目指せ。俺はお前を追いかける」


 そのたっちゃんの言葉に、私はにっこり微笑みながら、大きく頷いた。


 そしてこの日から、たっちゃんと私は、県内の国立大学進学に向かって共に走り始めたんだ。相変わらず私の中にモヤモヤはあったんだけど、たっちゃんと一緒に勉強している間は、忘れることができた。


 でも、こんな気持ちをどこかに抱えながら過ごす毎日は、やっぱり少し辛くて。その週の金曜日は、家に着くなりお風呂にも入らないまま寝てしまった。メールの返信もできなかったけど、許してたっちゃん……。


 ハッと目を覚ますと、土曜日のお昼過ぎだった。最高にテンションの下がる休日の迎え方だよ、これ。しかも、ものすごく辛くて、苦しい夢を見ていた気がするんだ。内容は覚えてないんだけど、とっても気分が悪い。お昼まで寝てると、本当にロクなことがないね……。


「……はぁ、もう十月六日かぁ」


 カレンダーを見ながら、ため息をつく。一週間がぽっかり抜けていたような気がする。それもこれも、全部あの冊子のせいなんだよ、くそぅ。


 私はまだ半分眠っている頭を抱えながら、冊子を手に取った。先週は躊躇してしまったけど、やっぱり、やっぱりどうしても気になる。


 これを使えば、私も……未来の自分と話せるのか……ってことが。


 好奇心に負けて、恐る恐るペンを手に取った。そして、ページをめくる。出てきた白紙のページの真ん中に、とうとう私は、書き込んでしまった。


『私も、別れたくないよ』


 未来のたっちゃんでも、未来の私でもいい。とにかく、この気持ちを伝えたかった。どんなに辛いことがあっても、諦めないで一緒にい続けて欲しいという、この気持ちを。


 その後私は、冊子に何か変化が起こるのか、ずっと見つめ続けた。ずっと、ずっと見つめたけど、特に何の変化も現れなかった。


「……でもきっと、伝わったよね?」


 冊子に変化はなかったけど、なぜか吹っ切れた気がした。この冊子に書き込めば、実現するような気がして、安心できた。これでもう、大丈夫。その日から私は、冊子のことをほとんど考えないようになっていった。


 それと同時に、受験に向かって本格的な勉強を開始することができたんだ。


「中和点は必ず中性ってわけじゃない。弱塩基と強酸の中和点は弱酸性だ! 組み合わせを考えろ!」

「えー、強い酸と弱い酸ってどうやって見分ければいいの!?」


 理系が得意だったたっちゃんは、私に理科や数学を教え、


「違う違う! 求む、は下二段活用だよ! いつもここ間違えるんだから! やり直し!」

「えっ、これ全部やりなおしか!?」


 文系が得意だった私は、たっちゃんに国語や社会科を教えた。


「カイロの雨温図は3番じゃないよ! たっちゃん、カイロがどこにあるのか知ってる!? いい加減覚えてよ!!」


 お互いに足りない部分を補い合い、


「このシグマは等比数列だって! 等差数列の公式じゃ解けないぞ! 雰囲気だけで解こうとするな!!」


 時には昆布茶を飲みながら、一日中私の家で勉強して、


「この前の模試、A判定だったぜ!」


 時には追い越され、


「じゃーん! 私、現代文の偏差値が60超えたよー! たっちゃんはどうだった?」


 時には追い越し。


 それでも着実に、私とたっちゃんは大学進学に向けて力をつけていった。同じ大学に入らなくちゃ、別れることになっちゃう……。そんな気持ちが、私をここまで奮い立たせるなんて……。やっぱり、恋ってスゴいな。


 そして……。


「もし俺だけ落ちてたら、どうする?」

「今年一年、私がつきっきりでしばき続けてあげる!」


 ついに、合格発表の日がやってきた。自分の受験票と合格者の書かれた看板を交互に見ながら、私の番号である1139を探した。1134、1136、1137……あ……。


「あった。ご……合格だ……。リリは!?」

「私もっ! 私も合格!」

「まじか!?」

「まじなのだ!!」

「「やったぁーっっっっ!!」」


 二人とも、県内の同じ国立大学への進学を、果すことができたんだ。


 合格者が書かれている看板の前で、たっちゃんと私は思い切り抱きしめ合った。たっちゃんと付き合い始めてから、こんなにちゃんと抱きしめ合ったのは初めてだった。そう言えば、まだキスもしたことないんだ、私たち。だけど、焦らなくても時間はたっぷりある。


 ゆっくりゆっくり、お互いに近づいていけばいいよね。


 この頃の私はもう、冊子の事なんてほとんど完全に忘れてしまっていた。

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