帰ってきた冊子
「じゃあ、また月曜日な」
楽しかった時間はあっという間に過ぎ去って、気がつけば……外は暗くなっていた。今日も、もう終わっちゃうんだ。
「……うん、こんなに遅くまで付き合わせてごめんね」
「なに謝ってんだよ。俺は、リリと一緒に過ごせて楽しかったぞ? 本当は、まだまだ一緒にいたいんだけど……」
「もぉ、嬉しいよたっちゃん……」
「お母さんによろしくな。……じゃ」
「待って、駅まで送る!」
「もう暗いからいいよ。また月曜日、色々話そう。家についたらメールもするし。リリは家で休め」
「……うん、わかった。それじゃあ、気をつけてね」
名残惜しむ会話もそこそこに、たっちゃんは私の家から出て行ってしまった。どうせまた月曜日に会えるはずなのに、妙なむなしさと寂しさが、私を襲う。
「私も、もっと一緒にいたかった」
玄関の前でぽつりとそう呟いた後、そっと自分の部屋へ引き返した。まだたっちゃんのぬくもりがなんとなく残るその部屋は、私の心をより一層、締め付けてきた。
ため息をつき、辺りに散乱した自分の教科書や参考書をまとめ始める。勉強会っていうのは一種の口実だったつもりなのに、思い返せば結構本気で勉強してた。お互いにお互いをダメにし合うカップルも中にはいるらしいけど、私たちは違うな。一緒にいた方が、絶対輝ける。
「あれっ、これは……」
その時私は、見覚えのあるものを発見した。サイズはB5くらい、和紙のようなもので加工された薄緑色の表紙……。これってまさか……
「なんで……!?」
あの冊子だ。一ヶ月くらい前に私を翻弄した、あの「恋を叶える草紙」だ、これ!
「どうしてここに……? たっちゃんが持ってたはずじゃ……」
あの冊子は、私が苦労してたっちゃんの鞄へねじ込み、その後の行方は不明だった。私も、もうほとんど忘れかけていた。……結局、今のたっちゃんとの関係を築けたのは、この冊子のお陰だったんだろうか。正直、そうとは思っていなかった。
「何か意味があったのかな、これ……。そもそも、たっちゃんはずっと、これを持ち歩いてたってこと? 一体なんで? こんな白紙の冊子をわざわざ……」
パラパラと冊子をめくってみた私は、驚いた。
白紙だったはずの冊子には、色々な書き込みがしてあったんだ。もしかしたら、見ちゃいけないものだったのかもしれないけど、私のこの好奇心を押さえつけておくことは、とてもできそうになかった。
「何が……書いてあるんだろう……」
そっと、最初のページを開く。
『篠原拓哉 バカヤロー!』
目に飛び込んできた、たっちゃんの荒れた字。これは……どんな心境だったのかなぁ。なんでこんなことをこのノートに書き込んだのか、私に知る由はない。でも、相当ご乱心だったことは間違いないね。
まぁ、これはこれでいいとして(あまりよくないけど)、もっと気になるのは、その下に書かれている文字。
【こんにちは。ずいぶんご機嫌斜めだね。どうしたの?】
……これ、もしたっちゃん自身が書いていたのだとしたら、ちょっと引いてしまう。いや、引きはしないけど、心配になる。だって、自分で「バカヤロー」って書いておきながら、直後に「ずいぶんご機嫌斜めだね。どうしたの?」……って。心配になるでしょ?
それに、この文にはおかしなところがもう一つ。「バカヤロー」は明らかにたっちゃんの直筆なんだけど、その下の「こんにちは……」のほうは、人が書いた字に見えないんだ。活字……っていうのかな、パソコンで印刷したような、そんな感じだった。
……これ、人力だったとしたらかなり手間がかかっていると思う。もしたっちゃんが自作自演でそこまでやっていたら、……私、彼にどう接したらいいのかわからない。
「……なにか秘密があるんだ、きっと」
気になって次の文章を見た私は、自分の目を疑った。
『うるせぇよ! 誰だよテメー!』
【俺は、未来の君だよ】
「……えっ? み……未来?」
この活字調の文章を書き込んでいるのは、未来のたっちゃんってコト……!? そんなバカな!! いや、そんなバカな、でしょ!? そんなバカなをこれ以上適切に使ったこと、多分ないよ!?
「な……なんなのこの冊子……!!」
ありえないよね、未来の自分からの返事なんて。そもそも、未来のたっちゃんがどうやってこの冊子に文字を残したんだろう。謎すぎる。手の込んだたっちゃんのいたずらなのかな? ……それにしたって、手、込みすぎでしょ。こんな無意味ないたずらに時間掛けるような性格じゃないと思うんだよね、彼は。
その後もページをめくってゆくと、「たっちゃんの直筆」→「活字」というやりとりがしばらく続いていた。ちなみに、相手のたっちゃんがいるのは二○二八年らしい。今は二○十八年だから、ちょうど10年後ってこと。
だとすれば、10年後、この恋はどうなっているんだろう……。そんな胸騒ぎに襲われ始めた頃、私は……その答えとも言える文に辿り着く。
『彼女は? 好きな人はいるのか?』
【俺が好きなのは 磯本理々】
思わず笑顔になってしまった。これが本当なのだとしたら、未来のたっちゃんも私のことを好きでいてくれてるってことだよね。……つまり、今後10年は安泰ってこと? なにそれ、すごく嬉しいんだけど!
……なんて喜ぶ私を、次の文章は奈落の底へと突き落としてくれた。
『10年後もまだ磯本と付き合っているのか?』
【もう別れちゃったよ。今は恋人募集中】
……。どういうコト……?
頭が真っ白になる私。クラクラして、全身から嫌な汗がにじみ出てくる。そんな……嫌だよ。別れるなんて嫌だ……!
私は慌ててページをめくった。
『ちょっと待て。今の状況を詳しく説明してみろ』
【それはさ、別に知らなくていいことだと思う。ただね、今磯本に告白すれば、絶対にOKしてくれるよ。俺が経験してるんだから、間違いない】
「なんで……!? なんで!? 知りたいに決まってるじゃん!! どうして別れたのか教えてよっ!」
意地悪な未来のたっちゃんに苛立ち、ばんっと冊子を思い切り叩いてしまった。ジンジンと、手のひらが痛む。
「教えてよ……。別れたくないよ……」
泣きそうになりながらも、私は次のページをめくった。
『やっぱり俺、磯本に告白しようかと思う』
【どうして?】
『やっぱり好きだから。お前もそうなんだろ?』
【まぁね。でも、絶対別れることになるんだぜ? いいのか?】
……そっか、こんな流れでたっちゃんは私に告白してくれたんだ。この冊子を通じて、未来の自分にそそのかされていたんだね。
でもこれ、未来のたっちゃんが偶然私のこと好きだったから成り立っただけで、違う人が好きだったら効果なかったってことじゃん。それに……
最終的にはいつか、別れちゃうってことでしょ、私たち……。私は、嫌だよ。10年後も絶対、たっちゃんと一緒にいるんだから……。