5-7 移植
「キメラを移植してください」
そういう俺を、サリーが物凄い目で睨んだ。俺は微笑みを返しておく。
サリーの後ろに二人の男が立っている。一人は若い、もう一人は初老だ。
見ないようにして、アキヒコを見た。アキヒコの背後にはもっと大勢が立っている。
「いいのか? 支配されるかもしれない」
「左腕は必要です」
アキヒコが頷いて、血の気の引いた顔でこちらを見据えて、もう一度、頷いた。
翌日の昼間、俺の左腕の断面にキメラが植え付けられた。
小さな塊、それも乾燥しているものに見えたが、俺の腕を切り開いて植え付けられると、即座にそこが熱を帯び、正体不明のものが這い回る感覚があった。
熱が灼熱に変わる。俺は横になったまま、耐えた。息も苦しくなる。汗が噴き出した。
左腕が震え始め、制御できなくなる。暴れ始める腕を、サリーが押さえてくれた。
じっと、どうにか自分で制御しようとする。
何かが心に触れたのは、突然だった。
巨大な意思が俺の心を食いつぶし始める。
お前は私。私はお前。
観念がそう告げている。
「違う」
声が漏れた。お前は俺だ。俺は、俺なんだ。
「違う」
繰り返す。
「違う!」
弾けるように正体不明の意識体が消え去った。
震えも収まっている。
すぐ横で、サリーが顔を背け、しかし耐えきれずに嘔吐した。
俺は左腕を見る。
そう、左腕は蘇っていた。指の先まで、ちゃんとある。
持ち上げて、様子を確かめる。自分の腕のように感じた。力を込めてみる。わずかな痙攣の後、指は握られ、そして開かれた。
ホッとしてアキヒコを見ると、彼は泣いていた。
奇妙な師弟だな、と俺はしばし呆れていた。
キメラを移植されたからだろう、他の傷も治りが早くなった。サリーは呆れた様子で、「これじゃあ薬いらずね」と言ったほどだ。
移植から三日後には立上がれたし、体も普通に動かせた。肩の傷も癒えた。
「魔獣の山は見つかりましたか?」
食事の席で、試すように匙を口へ運びつつ、アキヒコに尋ねると、彼は真面目な顔で答えた。
「おおよその当たりはついている。ただ、私には相手ができないと感じているよ」
「捕って食われる、ということですね」
「まさしく」
食事が終わり、またアキヒコはどこかへ行ってしまった。俺はサリーと一緒に薬草を探しに外へ出た。
風が吹き抜けるが、何も揺れない。幻の風だ。
「私の剣をまだ使ってくれていて、嬉しいわ」
小さな声でサリーがそう言った。あの剣は、サリーと交換したものだ。
「俺の剣は捨てたのかい?」
「まさか。ちゃんと持っているわよ。使うことはなくなったけど」
「それがいい。お前は今の方は自然に見える」
サリーが屈み込み、薬草を吟味している。彼女と一緒にいる若い男の幻像を、俺は見据えていた。その男は穏やかに微笑んでいる。何かが嬉しいような、そんな表情。
ゆっくりと歩き回って、一時間ほどで小屋に帰った。それからはサリーが薬を作る様を見ていた。
夕方、俺は体の状態を整えるために軽い運動をしていて、ちょうどそこへアキヒコが帰ってきた。俺を見て、かすかに笑みを見せた。
「回復したようだね。良かった」
「山を教えていただけますか?」
途端に、アキヒコは表情を硬くした。
「今のままでも十分だと思うが、違うのか? 剣を振るえるはずだ」
「俺は力が欲しいのですよ。誰にも負けない力が」
誰かが俺の背後に立った気がした。サリーか? しかし、振り返る義理はない。
背後の圧力を無視して、俺はアキヒコをじっと見据えた。
答えは、やがて言葉になった。
「地図を書くこととしよう。いつ、向かうつもり?」
「すぐにでも」
首を振ってからアキヒコが弱々しい声を出す。
「あなたは自分の状態を把握しているとは思えないな。とてもまだ、万全ではない」
「敵は万全になるまで待ってくれません」
「何をそれほど、焦っている?」
焦っているか。そうだろう。
きっと俺はただ、早くモエのもとに帰りたいのだ。
その一念が、俺を突っ走らせていた。
「全てを早く終わらせたいのです」
幻の像が浮かび上がる。王都が燃えていた。いや、王都ではないかもしれない。どこかの街が、火に包まれている。人々が逃げ惑う。
俺はその中に含まれているようだが、どこにいるのだろう?
「仕方ない、と思うこととする。剣士とは、そういうものなのだな」
とぼとぼとアキヒコが小屋に入るのを見送り、俺は一人で運動を続けた。
炎の幻は、消えた。
翌日の朝、約束通りにアキヒコは簡単な地図を俺に手渡した。すぐそばの山で、片道を行くのに半日あれば十分だとも、教えてくれた。
あまりにも運動から遠ざかっていたが、なんとかなるだろう。
「あなたはバカだと思っていたけど、ここまでとは知らなかった」
出かける寸前に、サリーがそう言って、不快さを隠さない笑みを見せた。
「死にに行くようなものじゃないの。そんなに命を捨てたいのなら、捨てずに別のことに使いなさいよ」
「これが俺の命の使い方さ」
ため息を吐いて、サリーは表情を穏やかなものに変えた。鮮やかな変化といえる。
「帰ってきなさい。怪我をしても私たちが治すから、ただ、帰ってきなさい」
「わかった」
アキヒコは無言だった。彼なりに責任を感じているのかもしれない。
小屋を離れて、道を進む。ここがどこなのかはわからないが、すぐ近くに川が流れているから、俺はそこを流されてきたのだろう。
川沿いに遡っていき、すると僅かずつ傾斜し始める。そのうちに川沿いを離れ、周囲は木立に、そして森林になる。
季節は夏の盛り。木陰が心地いい。
何かが目の前に現れる。狐だろうか。それが俺を導くように、先へ進んでは止まり、先へ進んでは止まりを繰り返す。
実際の狐ではない。幻だ。
しかし無視することはせず、俺はその狐を追って先へ進んだ。地図を見ることもなかった。
そういえば、カイと出会った時、あいつも狐を追いかけていた。今の俺と同じ気持ちだっただろうか。
狐が小さな洞穴に滑り込んだ。人間も、どうにか入り込めそうだ。
躊躇わずに、俺はその中に入っていった。
薄暗い洞窟になっていて、明かりがなくても、自然と俺の目はそこを見通せた。
進んでいく。静かだ。ひんやりとした空気には、何か生物を拒絶すような気配がある。
急に前方が開けた。明るい。
そこは天井が崩落してできた空間で、頭上にはぽっかりと空間ができている。
光が降り注ぐその真ん中に、獣が一頭、蹲っている。
狼だろうか。それにしては大きい。熊よりもひと回りもふた回りも大きいだろう。
その狼が顔を上げ、こちらを見た。
「三つの目を持つものか」
狼が人語を話すわけもない。つまり、狼ではないのだ。
獣ではない。知性がある。
俺は黙って進み出て、狼の前に立った。
「名は? 人間よ」
「ミチヲ・タカツジ。お前を狩る者だ」
狼が立ち上がると、その輪郭がゆらりと揺らぎ、変化し始める。爪が伸び、体の表面を鱗が覆う。巨大な尻尾が生え、力強い両足が地面を踏みしめ、直立。
轟き渡る咆哮が、ビリビリと全てを振動させた。
俺はゆっくりと両手で剣を抜いた。
この存在を切ることで、モエが助かるわけではない。
ただのステップとして、俺が高みへ登るために、俺はこの特別な存在を切らなければいけないのだ。
そこまでして、何になる?
唐突に周囲に無数の人間の像が浮かび上がった。俺が切ってきた人間だ。
彼らの死は、何か意味があったか?
俺は彼らの死で、何かを得たか?
たぶん、何もないんだろう。ただ切ってきた。それだけ。
あるとすれば、自分が生き残るために。
目の前の神のごとき巨獣にも、ただ、俺が生き延びるための犠牲、という立場を強制しようとしている。
なんて傲慢。
そう気づいても、俺は向かっていくしかない。
全力で俺は向かっていった。
勝てる自信はない。負けない確信もない。
それでもぶつかった。
それだけが、今、選びうる最善の道だった。
切りつけ、受け流し、弾き、弾かれ、跳ね、駆け、転び、起き上がり、そうして、戦い続けた。
血が流れ、傷が口を開け、閉じ、血が乾く。
振動と衝撃の混合が全てを震わせた。
咆哮と咆哮。
感情が渦巻き、唸りを上げた。
再びの咆哮。
どれだけの戦いが続いたのか、俺が背中から倒れ込んだ時、巨獣は天を見上げ、咆哮を上げていた。
「強い人間だ。よかろう」
ずるりとその巨体が滲み、弾けた。
大量の黒い液体となり、空間に広がった。
勝ったのか? でも、どうやって? 負けたのではないか?
俺は黒い液体に包まれたまま、呆然と天井を見た。
その上の空を。
夜だ。星が輝いている。
「見事と言うしかないな」
突然の声にも俺は驚かなかった。
視線の先、老人がやってくる。
知っている男だ。
フカミ・テンドー。
(続く)




