5-6 知っている顔
目を覚ました時、強烈すぎる違和感に目を閉じていた。
閉じているはずなのに、見えるものがある。様々な幻。なんだ? これは?
全く知らない場所で、全く知らない相手と切り結ぶ自分。
どこかの子供の笑顔。
滅びる街の姿。
見たくなかった。見たいとは思えない悲惨さ光景が、次々と駆け巡った。
「慣れるまで時間が必要だろう」
唐突の声に目を見開くと、男性がすぐそばにいた。知らない男だが、一目で医者だとわかった。年齢は俺よりもだいぶ上だ。
今、俺がいるのは例の老人の小屋だった。精神剣が無意識に老人の所在を確認する、小屋の中にはいない。
声を出そうとするが、痛みで無理だった。幻はもう見えなかった。
「あの男は奇妙な男だったが、私に言づけていたことがある」
医者が話し始めるのを、俺は見た。
両目で。そう、両目でだ。
「いずれここに最強の剣士が来る。その剣士は左目を失っている。そこに自分の眼を移植するように。私はそう頼まれていた」
俺は鏡を見たかったが、この小屋にそんなものはないだろう。
だが俺の失われた左目の視野が、その像を取り戻している。
医者が寂しそうに笑った。
「私も様々な医療を学んだが、良いことばかりではないな」
それきり医者は黙り、誰かを待つそぶりをした。
小屋の外に人の気配があり、ゆっくりと入ってくる。
知っている顔で、驚いた。向こうはニヤニヤしている。
「久しぶりね、ミチヲ」
髪の毛を短く切っているが、その顔は間違い無く、サリーだった。
「薬は? 手に入ったか?」
医者の言葉に「準備します」とすぐにサリーが作業を始めた。薬を作るらしい。背負っていた小さな背嚢から、草の葉や茎、根が取り出され、あるものは煮立てたり、あるものは火で炙ったりと、サリーが働き始める。
「彼女の知り合いと聞いて、驚いた」
医者がそう言って、今度は嬉しそうに笑う。
「なんでも、命をかけて剣を交わしたとか」
「昔の話ですよ」
素早くサリーが口を挟む。医者はやはり嬉しそうだった。
「私の名前はアキヒコという。医者だ。あの老人を訪ねたのはたまたまだ。少し、アンギラスに用事があってな」
説明するように言われても、俺は頷くしかできない。
その時になって、やっと自分の体を真剣に確認した。
やはり左腕は失われている。もう剣を取ることはできないだろう。他の傷は、左肩の傷が一番酷い。痛みが弱いのが不自然なほど、この二箇所の傷は深いが、おそらく薬が効いているんだろう。
「少し眠れ」
そう言いながら、アキヒコが俺に液薬を飲ませる。甘ったるい薬だった。
酩酊したと思った時には眠っており、また幻を見始めた。
文明のない時代、人々は争い、協力し、生きている。
どこかの老人が殴り倒され、身ぐるみを剥がされた。
死刑執行人が、泣きながら若者の首を落とす。
剣を手にして、切り結ぶ若者たち。
奇妙な生物と戦い、敗れる人々。
悲劇、悲惨が俺の前で展開された。
何故、こんなものを見るのか。これが老人の見ていた世界か?
どれもが幻想ではないのは、まるで直に肌に触れてくるような存在感で、わかる。
過去にあったことが、あの老人には見えたのだ。
そしておそらく、未来さえも。
俺と出会い、俺が自分を殺すと、そう知っていた。
どうして、俺から逃げなかったのだろう? どうして、俺を助けた?
理解不能だった。
ぱちっと目が覚めて、幻も消え去った。
サリーが俺を覗き込んでいる。
「痛い?」
「いや」どうにか言葉が出た。「痛みはそれほどない」
よし、とサリーが頷く。
「だいぶうなされていたから、痛むのかと思った。傷は先生がきっちり縫合したし、処置も万全だから、いずれ塞がると思う。左腕は残念だけど」
俺は力なく笑うしかない。
早く動けるようにならなくては。シュタイナ王国へ行くのだ。
もはや死ぬしかない身だが、目的を果たせずに死ぬのは、ごめんだ。
「あまり悲壮な顔をしないでよ」サリーが顔をしかめている。「あんたは元いた場所に戻るべきよ」
元いた場所。
そんな場所はもう、なくなってしまったのではないか。
俺は帰る場所を、失って、こうしてここまでやってきた。
それもまだ道半ばだ。
「またその顔をする。ちょっと休みなさい」
そっと俺の額を撫でてから、サリーは離れていった。
それから一週間ほどは、俺は動くこともできなかった。ただ、回復は驚くほど早かった。サリーの薬が効いたのだろう。
これからどうやって戦うべきか、俺は考え始めていた。サリーには様々な話をした。モエのことや、不死かと思われる奇妙な存在のこと。ここに来るまでの、次席剣聖との戦い。
そんな時、起き上がった俺に、アキヒコが真剣な顔で話し始めた内容は、渡りに船だった。
「キメラというのを知っているかね」
「いえ」
「人間ではない生物だ。君も戦ったはずだ。シュタイナ王国は密かに研究と開発を進めている」
同席していたサリーが険しい表情でアキヒコを睨んでいるが、アキヒコはそれに一顧だにしなかった。
話が続く。
「キメラに体を支配されると、不死者となる。だが、ただの人形になるのが大半だ。シュタイナ王国での実験では、成功例はない」
「そんなことを、どこで?」
「私も研究に加わっていたのでね。数年前のことだ。大勢が死んだ。私は後悔し、シュタイナ王国を逃れたのだ。ただ、あの悲劇を悲劇のままにしたくなかった」
アキヒコの苦しみをその表情から感じつつ、俺は彼の次の言葉を待った。
「実は……、ここのすぐそばに、キメラが生息する山があると聞いた。伝説に近い。だが、そのキメラと接触すれば、何かわかると考えたのだ。一度、山を探ったが、私には発見できないと悟ったよ」
なるほど、そこで俺の出番というわけだ。
「俺にその魔獣を探せ、ということですか?」
「それは私の欲望だよ。醜い、願望だ。君の左腕にキメラを移植すれば、腕が蘇る。これは研究で確実に実証されているから、間違いない。キメラは他の個体を吸収することがわかっている、そこで魔獣の伝説が重要になる」
「俺に魔獣を吸収しろとでも? なぜ?」
アキヒコの表情はどこまでの真剣だった。
「何が起こるのか、私は知りたい。一方で、君もより強い力を行使できる。どちらにも利がある。そう思わないか?」
この医者はどうやら相当、執着心が強いらしい。シュタイナ王国を逃れても、自分の欲望、好奇心からは逃れられていない。
実験を未だに捨てられないのだ。
でもそれは、俺が剣を捨てられないのに似ているかもしれない。
「考えておいてくれたまえよ」
アキヒコは席を外し、小屋からも出て行った。
残されたサリーが、怒りを隠しきれない顔で俺を見る。
「あの人も、少しずつ変わってきたわ。変な実験に、拘りすぎるのよ」
「俺は左腕を取り戻したい」
「化け物を体に植え付けて? そんなことをしたら、あなた、本当に人間じゃなくなるわよ」
そうかもしれない。
でも今のままじゃ、戦えないのだ。
俺はサリーに尋ねていた。
「お前は剣を捨てたんだな」
「薬屋をやる方が、性に合っているって気づいてね。今でも稽古はたまにやるけど、もう以前ほどの冴えはなくなった。私も歳をとったし、だいぶ無理をしたからね」
それからサリーは俺に受けた傷の事を散々、口汚く罵ってから、一門の剣士に切られたことも話してくれた。その時にアキヒコと出会ったらしい。
彼女とアキヒコが剣聖の傷を治療した、という話もあった。それほどアキヒコは腕利きの医者なのだ。俺の傷の治りが早いのも、その辺りに理由があるかもしれない。
しばらく話してから、「休んで、ゆっくり考えなさい」とサリーはやはり小屋を出て行った。薬草を探しに行くのだろう。
小屋にひとりきりになり、俺はじっと天井を見上げた。
横に老人が座っているのがわかる。
「勝ちなさい。挑みなさい。立ちなさい」
老人はそう言って、例の瞳で俺を見ている。
何かを訴えてくる幻を、俺はじっと見返す。老人の瞳が揺れる。
フッと幻は消え、子供が周囲を駆け回り始める。騒々しいはずが、音がしない。不思議だ。老人の声は聞こえたのに。子供たちが消え、急に周囲に火の手が上がった。爆ぜる音が聞こえる。しかし熱は感じない。
これも幻。
では、幻ではないものって、なんだ?
目を閉じても、まぶたの裏で炎が揺らめく。
どれくらい経ったのか、誰かが小屋に入ってくる。
俺は目を閉じたまま、そこにいるアキヒコを見つめた。
彼の両手が血に染まっている。
これも幻。
全て、幻だ。
(続く)




