5-3 戦いの始まり
驚くべきことに、パンターロの首都に剣聖が滞在しているという情報が手に入った。
俺たちには時間がない。どうして剣聖がこんなところにいるのかは謎だが、しかし、無視もできない。
第六席の剣聖、名前は、ジード・イレイアス。称号は、風の剣聖。
傭兵たちにはモエの警護を任せ、俺は一人で情報にあった場所に向かった。
すでに太陽は高くなりつつある。首都の外れにある旅籠に滞在しているということだったが、斬り合いになれば白昼でのそれになるわけで、目を引くだろう。
しかしそれを構っている余裕もない。
旅籠につき、店のものに誰何される前に、勝手に上がり込んだ。番頭が出てきて押しとどめようとするのを、剣の柄に手を置くことで、黙らせた上に、相手の居場所を吐かせた。
最上階の三階。そのうちの一部屋に、俺は堂々と押し入った。
「来たか」
俺よりも若い男がそこにいて、剣を手にしている。
一瞬だった。
剣撃が衝突する。俺は構わずさらに踏み込み、男を蹴り飛ばした。壁をぶち抜き、男が外へ放り出される。
俺も後を追って飛び降りる。
器用なことに、男は空中で姿勢を作り、余裕を持って着地している。
飛び降りざまの大上段からの一撃を、男が優雅に回避し、お互いに剣を向けて向かい合った。
「ジード・イレイアスだな?」
シュタイナ王国の言葉で話しかけてやる。ジードがニヤッと笑う。嬉しそうな笑みだ。
「そういうあなたが、ミチヲ・タカツジですね?」
「なぜ俺たちを狙う」
「我らが王がそれをお望みです。剣聖という称号を、正き称号とする。それのみが勅命です」
訳がわからない理由だが、それはそれこそ、シュタイナ王に尋ねなければ、わからないだろう。そしてそれは遥かに遠い目標である。
「手を引くというのなら、これで終わりになる。お前たちにとって、俺たちは何の害にもならないはずだ」
「生きていることが害なのです」
この男と問答をしても、意味がないと俺はさすがに悟った。
剣聖特有の自信がこの男を支えているし、それは死ぬ瞬間まで変わることがない。
きっと今まで、誰にも負けなかったのだろう。そうでなければ、自分より強いものが死ぬ場面を多く見たかだ。
どちらにせよ、その自信が過信だと、少しも顧みない姿勢。
愚かしい。虚しい男だ。
剣聖の姿が消える。高速の踏み込み。
昨夜の刺客と同程度の速度。ただ剣が振られる速さは、確かに速い。
姿勢の変化で剣を回避し、反撃。
が、捉えられない。ゆらゆらとジードが奇妙な足さばきで、間合いを変えてくる。
一度、間合いを取り、今度は静寂の太刀で攻める。
居合が空を切る。なるほど、間合いは自在ということか。
逆にジードの剣が俺に向かってくる。見えているのだから、回避は容易い。
わずかな距離で避けた。
避けたはずだった。
痛みを感じ、飛び退って距離を取る。
ジードが笑っている。腕の傷は浅い。しかし傷は傷だ。
見えても避けられない剣、変に伸びてくる剣だった。
なら、回避しないしかないな。
俺は素早く剣を鞘に収めた。剣聖はわずかに驚いた顔になったが、すぐに引き締め、腰をわずかに低くした。
次に来る攻撃が最速だろう。
こちらに攻撃させないつもりか、あるいは攻撃させて、逆襲で仕留めに来る。
そう、相手には俺が特別な知覚を持つことが知られている。
対処しない方がおかしい。
集中を高めた。次で決めるのは、こちらも同じ。
シンと周囲が静まり返った錯覚の後、風が吹いた。
居合の中でも基礎の基礎、ただの抜刀で、俺は剣を振り抜いた。
ぼたぼたっと何かが落ちた音の後、重い音がした。
振り返れば、剣聖が倒れている。ジードはすでに虫の息だった。起き上がろうともがく動きも小さくなり、やがて完全に停止した。
俺は剣から血を払い、考えた。
これからシュタイナ王国まで攻め上がるしかないのだろうか。
すぐには想像しづらい展開だった。
見物人が集まり、悲鳴が上がり、騒ぎ始める。
おかしい……。剣聖の仲間はどこへ消えた? もうシュタイナ王国へ向かっているのか?
いや、モエだ。
俺がここにいるということは、モエの守りが手薄になる。傭兵たちも動いている。
まさか本命に見える剣聖こそが陽動か?
俺は駆け出した。
病院に戻らなくては。
◆
こんなところで戦いになるとは、カイは思っていなかった。
病室の外の通路が、死闘の現場となっていた。
カイはすでに剣を抜いており、相手も剣を構えているが、手傷は相手の方が重い。
と言うより、普通なら絶命するほどの傷を負いながら、相手はまだ立っている。
カイは冷や汗をかきながら、どうするべきか、思案した。
いや、思案する余裕はないし、答えも出ていた。
仕留めるしかない。情報を手に入れることは二の次にしてでも、ここで安全を確保する必要があった。
両者が間合いを計っているかと思いきや、カイだけがそれを考えていた。
だからこそ、カイは意表を突かれた。
明らかにカイが間合いを支配した瞬間に、相手が飛び込んできたからだ。
剣が交錯する。
完全な軌道。
両者がすれ違い、カイの一撃が相手の胸を断ち割っている。
だが刺客はそのまま止まらずに駆けた。
モエがいる病室に向かって。
何を考える余裕もなく、カイはその背中へ疾駆した。
間に合え!
念じた時には、カイの剣が刺客を背後から切りおろした。
それでも刺客は止まらない。
本当に全ての思考が塗り潰された。
◆
病院に着いてみると、多くの患者が屋外に避難しており、騒然としていた。
傭兵が待ち構えていて、俺を案内してくれた。
三階の廊下に、その存在はいた。
いくつもの剣で壁に縫い付けられている人間。しかし死んではいない。俺に反応しこちらを見るが、身動きは取れなくなっていた。
不死存在の刺客。
それがここにいるということは、モエは無事なのだろう。
病室に入ると、警察関係者らしい男とカイが話をしている。俺を見ると、その警察らしい男は不審げな視線を向けてくる。俺は会釈するべきかな、と思ったが、とてもできなかった。
彼らが話し終わるまでに、俺はモエの様子を確認した。無事なようだ。
カイが守ってくれたのだろう。それは彼の服が汚れていることでもわかる。
しばらく警察の男はカイに文句を言っていたが、最後には引き上げていき、通路では例の刺客が連行されていったようだった。連行という言葉が正しいかは疑問だが。
「助かったよ、カイ」
「いえ」カイの顔は今も土気色だ。「危ない場面でした。殺したと思いましたが、なぜか、その……」
俺は彼の肩を叩き、自分が聞いた話をゆっくりと彼に告げた。
「シュタイナ王が? なぜですか?」
「それを知らなくちゃいかん」
俺はカイの顔を見据えた。
「モエはまだ目を覚まさないだろう。彼女の面倒を見る必要があるが、俺はシュタイナ王国へ行く」
「……本気ですか?」
カイはやはり裏表がはっきりしている。今は、俺を批難する言葉を言いたいのに、我慢している。控えめな問いで、俺に疑問を向けているのだ。
俺はそんな彼が眩しかったが、今はそれを褒めたりしている場面でないのが、残念だ。
「それ以外に道はない。狙われているは俺とモエだ。なら、俺は攻めに徹するし、モエは逃げに徹するべきだろう。そうすれば二人を同時に襲撃するには、相手も二手に分かれるしな」
「数では相手が有利です。それでもですか?」
「俺が全ての根元を断ち切ってくる。それが一番、単純だ」
「単純さは必要ありませんよ、先生」
今度は悲しさを滲ませるカイだが、彼はたぶん、泣きたいのだろう。そういう優しさは、この青年から最後まで消え去ることはない。
心をなくしたと告げたこともあったが、彼はちゃんと、全てを取り戻したのだ。
それがわかったことで安心もできた。
信用できる男だ。
「お前に重荷を背負わせるが、頼んだぞ」
すぐには返事をしなかったが、カイは最後には頷いた。
「帰ってきてくれますよね? 先生」
不思議と俺は笑みを返すことができた。
「当たり前だろう」
それから一日で準備が整えられ、俺は首都を発った。
目指す先はシュタイナ王国だ。しかしそこはまだ遥かに遠い。
その上、強敵が待ち構えているのは確実だった。
それでも俺はその道を選んだし、走り出していた。
一人の女のために熱くなる自分が不思議だったが、すぐにそれが自然だと感じた。
俺にとってモエは特別で、彼女を守るのが、俺の生きている理由の一つだった。
それをもう一度、掲げるのだ。
高々と、誇らしく。
(続く)




