3.5-7 闇から闇へ
カイ・エナ、という名前を聞いたのは、どんな時だっただろう。
たぶん最初は二十歳に近い青年が騎士学校に入った、という笑い話だったはずだ。査問部隊の隊員たちがそう言って笑っていたが、一方で、その青年が剣聖候補生で、使い手として類い稀なものを持つ、とも聞いた。
僕も気になって、その青年の情報を集める気になったのは、噂を聞いてから数ヶ月後で、しかし大した情報はなかった。
どうやら他国人、それもパンターロの人間らしい。
カイ、という名前は、ミチヲやモエたちから聞いていた。同一人物だろうか。
その青年は、剣術は抜群で、しかし座学のために騎士学校で低学年に混ざっている。
カナタに質問したけど、「あれはよくわからない奴だ」という返事だった。
僕はカナタの私邸での仕事はもうなくなり、住んでいるのも闇の宮の敷地内にある宿舎である。他の、闇の隊の隊員もそこで生活していた。
僕の身の回りの世話をさせる従者をつける、とカナタは提案してくれたけど、僕は断った。実はあてがわれる部屋ももっと広い部屋のはずだったのを、隊員と同じ間取りにしてもらっていたのだった。
生活は質素が一番いい、と思っている。贅沢も好きになれなかった。
金は貯まるけど、使い道も無いので、ほとんどを妹の元に送金していた。
闇の隊は名付けられてすぐに二度、試すような仕事を受けた。裏で悪事を働く近衛騎士を切る役目で、はっきり言って手応えの無い相手だと、相手をする前からはっきりしていた。
それでも実際のところを確認するため、一回目は十人で当たった。
相手の近衛騎士は、反撃する間もなく命を奪われ、戦いは戦いらしい場面もなく終わった。
二人目には、試しに三人で当たらせた。
今度は相手も剣を抜いたが、闇の隊の隊員は一瞬で制圧し、決着する。
僕の部下は、怪我ひとつ負っていない。
もう少し手応えのある相手が欲しかった。
ただ、そんな相手に恵まれないまま、ひたすら稽古を続け、事故での入れ替えはあったものの、技術を高めるだけの時間が続いた。
僕はその間に情報収集のための部隊の設立を提案し、これはカナタとフカミの後押しもあり、方々から優秀な人材が集められた。
その部隊は名前もないままで、とりえずは、予備隊、と呼ばれることになる。
カイ・エナの名前をはっきりと聞いたのは、予備隊の運用が軌道に乗り始めたところで、闇の隊の設立からかなりの時間が過ぎていた。
情報として、カイ・エナが脱走した、と聞いた時、正直、僕は興奮した。
剣聖候補生、それも優秀と聞いている相手を実戦の場で相手にする機会なのだ。
しかし、カイを追え、という要請は来なかった。僕はそれを今か今かと待ち構えたけど、何の話もないので、こちらからカナタの元に出向いた。
「今回は闇の隊は動かさない」
カナタは僕をまっすぐに見てそう言った。あまりに意気込んでいたので、思わず僕は詰め寄っていた。
「どうしてですか? 彼を殺すつもりはないのですか?」
「剣聖で意見が割れている」
「剣聖で? 脱走者ですよ、彼は。剣聖候補生だからですか? どなたが認定したのです?」
「シタロだ。だが、彼はカイを切るように提案している」
訳がわからない。誰が反対しているんだ?
「ソラが強硬に反対している」
「どういうことです?」
「わからない。だが、追っ手は出した。リー・ファイだ。知っているだろう」
知っているも何も、僕が予備隊を使って集めさせている近衛騎士の情報の中でも、リー・ファイという使い手は、闇の隊に引き抜きたい剣士の一人だった。
剣聖候補生で、いずれは剣聖に挑むとも言われる一人だ。
リーなら、カイを切れるだろうか。
判然としない。カイに関する情報が少なすぎる。
「もし逃げられたら、どうするつもりですか?」
「どうもしない。カイ・エナの身分を知っているか?」
「予備隊によれば、王属軍団の一員だとか」
その通り、とカナタが頷く。
「剣聖候補生だが、栄達の可能性はないし、そもそも、重要な情報にも接していない。問題になっているのが彼が他国人で、しかも任務としてシュタイナ王国の全域を見て回った経験がある、という点だけだ」
「諜報員の疑いがあるということですね」
「形では、そう見られても仕方ない。ただ、ソラはその点を否定しているし、俺も諜報員とは見ていないな。そういう奴じゃない」
僕は考えた。確証があれば、問答無用で切れる。では、確証はどうしたら得られるか。
リー・ファイが、エナに切られれば、それは確証に近い。
「事態が展開したら、また来ます」
カナタが何か言う前に、僕は部屋を出て、そのまま予備隊の詰所へ向かった。
カイ・エナについて徹底的に洗わせた。一週間ほどかけてわかったことは、極めて少ない。アンギラスから流れてきたようだけど、アンギラスの戸籍の真偽は定かではない。顔立ちや肌、体格からすると、アンギラスの人間ではなく、本人の主張にある通りパンターロ人だと推測されるが、シュタイナ王国の調査能力では、パンターロに強い力が働かない。
シュタイナ王国での活動期間は短い。
諜報員という確証は、得られなかった。
ただ、それらの情報が集まったのとほぼ同時に、リー・ファイが殺された、という情報も入った。
僕はもう一度、カナタの執務室へ行ったが、カナタは渋い顔で、闇の隊の出動を否定した。
「どうしてですか? 逃すつもりですか?」
「これはまだはっきりしないが」
少しだけカナタが声をひそめた。
「剣聖の中に離反の動きがある。そのために闇の隊を手薄にしたくない」
全く知らない話だった。予備隊でも聞いていない。予備隊は常にシュタイナ王国の全域に耳と目を張り巡らせる組織になっている。それは王宮の中や剣聖も例外ではない。
それをカナタが知っているのは、何故なのか。
「お前だけが全てを知っているわけじゃないぞ」
そう言われて、僕は黙るしかない。
こうして僕と闇の隊は、カイ・エナが行方不明になったのを、指をくわえて見ているしかない、ということになった。
代わりに、それから二ヶ月ほどが過ぎた頃、実際に剣聖の一人が姿を消し、その瞬間に全力で剣聖を追撃することが可能になった。
カナタの情報は、正しかったのだ。
脱走したのは第六席の剣聖で、名を、アスト・シーブと言う。二十代で、充実しているのは間違いない。
予備隊が情報を徹底的に検証し、剣聖が潜んでいる地点を割り出し、そこへ闇の隊が急行する。現地で予備隊の調査員と連携し、小さな宿場の、小さな旅籠を、予備隊がまず包囲した。
実行するのは、闇の隊だ。
建物の中なので、大人数では逆に不利だ。少しの不安もあったが、僕の決断で、闇の隊から六人を選び、建物に忍び込ませた。まるで盗人のように、音もなく侵入した。
剣聖は眠っておらず、しかし女と同衾していた。
斬り合いになった。
しかし一瞬だ。
血飛沫を撒き散らして、剣聖が倒れこみ、動かなくなる。女は悲鳴をあげる前に、当身で意識を失った。
騒ぎになる前に離脱し、予備隊も引き上げた。
集結地点に全員が顔を合わせ、負傷者も脱落者もいないと確認し、平民の姿で王都へ戻った。
「ご苦労だった」
剣聖が十一人、顔を合わせている場で僕が報告すると、ソラが鷹揚にそう言って労った。僕は頭を下げるだけだ。
こうして闇の隊の初めの、本来の任務は成功したのだった。
(続く)




