1-9 予想外の再会
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事態はとんでもない方向へ流れ始めた。
それは俺たちが優秀だったせいか、もしくはシュタイナ王国の連中が間抜けだったからだ。
連中の斥候を捕獲してしまった。
まぁ、こちらも間抜けといえば間抜けだ。知らん顔しておけばよかった。
正確には捕らえたのは俺たちではなく、俺たちの生徒だった、ということを主張したい。
つまり、蛮族の男に斥候のなんたるかを教えている最中に、シュタイナ軍の斥候と鉢合わせした。
蛮族に指導中の優秀なる俺の部下は、その頭脳をしても迷っただろう。
その迷いの間に、蛮族の男が剣を抜き、相手のシュタイナ王国兵士と一緒にいた、別の部族の蛮族も剣を抜いた。
あとはちょっとした切り合いになり、相手の蛮族が逃げ出し、残されたシュタイナ王国軍兵士はこちらに身を預けた。
「どうします?」捕虜となったシュタイナ王国軍の斥候を前に、マルーサが言う。「返してやりますか?」
「この手傷でか?」
捕虜となった兵士は足に包帯を巻かれ、今もそれはどんどん白から赤に変わっている。
「生きているんだから、良いでしょう。手傷どうこうより、重要な事実がありますしね。蛮族のみなさんは敵は皆殺しという原始的な価値観しかない」
「尋問はお前に任せるよ。終わったら、適当なところへ放り出してやれ」
俺は捕虜を入れている小屋を一人で出た。
集落は山の裾に近い位置にあり、元は森林だったことがうかがわれる。広場に日差しが落ちてきて、眩しい。
その広場で二十人の蛮族の男たちが一心不乱に棒を振るっている。指導している傭兵は五人で、時に体の動かし方を示したり、手を触れて体を動かしたりしている。
中にはやる気のないものもいて、そんな男は容赦なく木で打ち据え、輪から外そうとするが、その段になると大抵はやる気を取り戻す。
「武器の用意はどうなっていたかな?」
広場の隅で訓練を眺めていた副官に任命されている中年男性、ビッカの横まで進んだ。
「俺たち自身の分と、調練のために用意した剣が三十ですね。槍は十だけ。弓は三丁に、矢が五十本」
スラスラとした答えに俺は眉を顰めた。
「蛮族を含めると、全員に武器が行き届かないな」
「連中が用意している武器を信じましょう」
どうやら俺が疑問を持つ前に、ビッカもその点を気にしたらしい。彼もシュタイナ王国軍の存在は知っている。
「イノシシやクマを捌くのとは訳が違うんだがな」
「仕方ありませんよ」
その日のうちに敵と思われる斥候は、敵になるだろう部族の集落の近くで解放した。
こちらは斥候の数を四班から八班に増やした。二十五人ほどが動いていることになる。
シュタイナ王国軍はとりあえずの最大の脅威だが、さらに別の部族が同調したり、あるいは隙をついて攻めてくる可能性がある。全方位に警戒が必要だった。
夕方になると、どうやらシュタイナ王国軍と蛮族の混成部隊が動き出しそうだ、という報告があった。
今日の夜に移動して、朝には陣形を組んでいる、というところか。
「こちらの集落を包囲してくるかもな」
俺のつぶやきに、ビッカもマルーサも頷く。
「人数の上で考えれば絶対とは言えませんが、妥当な線でしょう。こちらには城壁も堀も何もない。ただの山の中の開けた土地で、裸も同然です」
「やり方は一つしかないな、先に別働隊を離れたところで待機させよう。編成は、ジェソンを指揮官にして、三十名だ。ジェソンを呼んでこい」
マルーサが小屋を出て行く。ビッカがこちらを横目で見る。
「斥候も含めると、戦力の半分を失いますけど、良いのですか?」
「持ちこたえるしかないな。いざとなったらさっさと逃げよう」
ジェソンがやってきて、状況を把握すると、俺の子飼いの傭兵から四人を指名し、俺はそれを受け入れた。他はどうするか尋ねると、蛮族の若者を選ぶ、と言っている。
不安だが、仕方ない。
俺は老人、女、子供、病人も連れて行くようにジェソンに指示した。
それから幾つかの打ち合わせをして、解散になった。
篝が焚かれ、夜になっても昼のように明るい。
すでに蛮族にも事態を告げてあるので、集落は殺気立っている。ジェソンはもう外へ出ていた。斥候からの報告も次々と来る。
やはりシュタイナ王国軍と蛮族の混成部隊は動き出し、こちらに向かっている。
俺は時計を見た。正確ではないが、もう日付が変わる頃だ。
蛮族の男を編成して、なけなしの武器を与える。まだ槍の稽古は十分じゃないが、我慢だ。
本当は柵でも作りたかった。相手に馬はいないとわかっているので、それほどの効果はないが、一時的でも兵士の進路を限定できる。
でも、そんなに都合よく材料があるわけでもないし、時間もない。なので俺は、集落の周囲に丸太を何本か立てさせた。
これは傭兵団では最後の手法とされていて、お互いに戦いづらくなる。
戦いづらい中で、技量で勝つ。
蛮族たちにはしんどいだろうけど、これだけは譲れなかった。
朝になると、斥候のほぼ全部が帰ってきた。
シュタイナ王国軍と蛮族の混成部隊は約百名。こちらを緩く包囲している。
部族長にそのことを話すと、最初は慌てふためいて、自分たちの言葉で話し、次に思い出しだように、シュタイナ語の片言で行った。
「訓練、終わる、ない。戦い、どう、やる?」
「こちらで指示します。落ち着いてください」
じわじわと包囲が狭まり、その頃にはこちらも配置が完了していた。
別働隊を編成したため、こちらの戦力はあまりに頼りない。こうなっては一騎当千の働き、というヤツに期待するしかない。
日がまだ低い位置にある段階で、攻撃が始まった。
しかも全周で同時にだ。
とんでもない大混戦になった。
シュタイナ王国の連中は何を考えているんだ? こちらを押しつぶして、どんな利益がある?
俺は襲いかかってくる蛮族を次々と切っていく。彼らは本気だった。こちらも本気にならざるをえ得ない。
剣が空気を焦がすような速度で翻り、風を切る音が死神を呼ぶ。
瞬く間に剣が切れなくなり、近くに転がっていたシュタイナ王国軍の兵士の剣を奪った。
そのうちにやっと事態が膠着し、シュタイナ王国軍と蛮族の混成部隊が僅かに引こうとする。
俺たち傭兵団にその気はなかったが、蛮族たちが追撃していく。
その一角で、三人ほどが一気に崩れるのが見えた。
俺はそこへ飛び込む。
最初、何かの勘違いかと思った。
真っ白い制服。袖には軍の階級を示す飾り。
そして薄い黄色のローブ。
銀の鞘が腰にあり、手には銀色の剣。
剣聖。
剣聖がここで何を?
俺は剣を構えて、逃げていく蛮族の背後を守り、剣聖と対峙した。
勝てるとは、思わなかった。負けるとしか思えなかった。
ただ、ここは戦場で、俺は傭兵だ。
逃げてはいけない場面がある。
剣聖は女だった。
女?
彼女は無表情のまま剣を構える、剣を自分の手元に引き寄せて、足の位置は、強く地を蹴る形だった。
俺の意識が瞬間で、最大出力で周囲を把握しようとする。
一瞬だった。
だが、その一瞬は俺の中ではものすごく長い。
緩慢に剣聖がこちらへ飛び出し、剣を繰り出す。
それが緩慢に見える。向こうの攻撃の筋も意図も、速さも強さも、全部がわかった。
だから、どうすればいいのか、よくわかったのだ。
甲高い音ともに俺の剣が折れた。
剣の代わりに、剣聖の必殺の突きは俺の胸に当たるまでのほんのわずかな猶予ができ、俺は体を開いて、切っ先を避けた。
転がるようにして距離を取り、近くに転がっていた剣を手に取る。切れそうもないが、武器がないよりはマシだ。
剣聖は目を丸くしたまま剣を構え直し、すぐにもう一度、驚いた顔になる。
「ミチヲ?」
声を聞いて、やっと俺にもわかった。
「モエか!」
この思わぬ再会により、事態は平和に向かって舵を切ることになった。
モエは指揮官でもなんでもなく、視察としてこの場に来ていたらしい。
だから本来は何かを指示するような立場ではないのだが、そこは剣聖だ。剣聖は王を守る十三人しかいない特別な地位である。
その剣聖の指示に従わない、シュタイナ王国軍の指揮官も兵士もいないのだ。
俺たちが守っている部族への包囲は解かれ、敵部隊は少し離れたところに陣を敷いた。
そして俺に、交渉の用意がある、という通知を持った使者がやってきた。
「剣聖と顔見知りで戦いを止める人間なんて、初めてですよ」
マルーサがぼやく。ビッカも似たような雰囲気だ。
「偶然だよ」
「で、どういう関係です?」
「ただの幼なじみ」
「持つべきは剣聖の幼なじみですな。友情で戦場がなくなるなんて、前代未聞ですが」
その日は夕方まで負傷兵の治療や部隊の再編で忙殺された。武器も回収して、研ぎ直したり手入れをする必要もあった。
翌朝には俺は部族長とマルーサを連れて、敵の部隊の陣地へ向かった。
さすがに対等の立場で交渉する、というわけにはいかないのだ。
陣では、モエと、蛮族の部族長らしい男、そしてシュタイナ王国軍の制服の男が一人、待っていた。
武器を取り上げられ、営舎の一つに入る。全員が握手を交わしてから、着席した。
モエはニコニコと笑って、一番最初に口を開いた。
「不幸な行き違いもありましたが、こうして剣を収めて話し合うことができるのを、嬉しく思います」
モエの声は六年前と、なんら変わっていなかった。
(続く)