3.5-4 最高峰の使い手
ミチヲは剣を抜くでも、姿勢を変えるでもなく僕の前にいる。
「そいつ、いきなり殺しにくるよー」
モエが声をかけている相手はミチヲだけど、まるで僕に言っているようでもある。
それくらい、ミチヲの様子には薄気味悪いものがある。
僕はゆっくりと剣を抜いた。ミチヲはやはり、無反応。
間合いは僕の絶影で十分な距離だ。一瞬で、側面、もしくは背後を取れるだろう。
それを即座に実行に移さないのは、僕もモエや傭兵たちとの数日で、慎重になったのかもしれない。
じりっと、僕は姿勢を変えた。
次に起こったことは、数年を経ても事実とは思えないことだった。
目の前にミチヲがいる。
剣は抜いていないけど、もちろん、僕はその殺傷範囲に取り込まれている。
速いなんてものじゃない、モエ以上だ。モエは像が揺れるというか、踏み込んだ瞬間を後から推測できた。でもミチヲはまるで違う。いつ動き出したのか、読めなかったし、検証もできないのだ。
何よりの事実として、これが稽古や腕試しではなく実戦なら、僕はもう死んでいる。
すっとミチヲが身を引いて、今度はゆっくりと元いた地点へ戻って行く。背を向けてだ。
振り向いて、こちらに笑みを見せてくる。無害に見える笑みだ。
「じゃ、君の技を見せてくれ」
僕は唾を飲み込んで、どうにか呼吸を整えた。冷や汗が止まらないけど、ここで怖気付くわけにはいかない。
僕は全力で地を蹴った。
絶影。
念を入れて、ミチヲの側面で一度、動きを緩め、再加速で背後へ。
ミチヲの剣が搔き消える。
速い。でもソラで経験済みだ。
それに、ソラよりも遅い。
ミチヲが繰り出す十二連撃を僕は機動力ですり抜け、範囲外へ。
が、そこを待ち構えていたように、攻撃がやってくる。
驚きの中で理解した。
ミチヲは両手に剣を抜いている。二刀流だ!
正面から押し寄せる二度目の十二連撃を必死でくぐり抜け、どうにかミチヲをこちらの剣の範囲へ置くべく、動きを維持する。
胸に強烈な衝撃!
吹っ飛んで背中から地面に倒れこんで、息が詰まる。咳き込みつつ、それでも素早く上体を起こす。
「なかなか速いね」
両手に剣を下げて、ミチヲがこちらを見ている。攻めてはこない。
僕の胸を蹴りつけたんだ。どうにか上体を起こせたけど、呼吸がまだ荒いまま、整わない。蹴りもあるけど、絶影をあまりに長く続けすぎた。
「でももう死んでいるね」
すっとミチヲが剣を鞘に差し込む。鞘の両端に一本ずつが入った。なるほど、そういう剣だったのか。
起き上がって、僕も剣を鞘に戻した。頭を下げる。
「お願いします、精神剣を、見せてください!」
ミチヲが返事をしないので、僕はさらに深く首を垂れた。
「そのために来たのです。どうか、お願いします!」
「今、使ったよ」
顔を上げると、ミチヲは困ったような顔で、しかし笑っている。
「どこで、でしょうか?」
「俺の精神剣の説明は、難しい。正確には、精神器だしね」
ミチヲが足元の石を拾い上げると、振り返りざまにどこかに投げつけた。
なんだ? と思っていると、ミチヲがそちらへゆっくりと進んでいく。藪のようなところをかき分けて行ったミチヲの姿が消え、少しすると戻ってくる。
その手にはウサギがある。
「わかりづらいなぁ」
モエがぼやくように言って、腕を組んでいる。
「どういうことですか?」
「俺の精神器は、知覚に関係するものだ」
「知覚?」
「把握できる範囲なら、全てを把握できる、ってことだな」
その広場のような場所の隅にある岩に、ミチヲが腰かけた。ポンポンと横を叩くので、僕がそこに座った。モエはミチヲに気を失っているウサギを投げ渡され、小屋の方へ行ってしまった。
二人きりになると、ミチヲが話し始めた。
「さっきのお前の超高速機動は、俺にはよく見えた。見えたというより、感じ取れた。もし精神器がなければ、俺はあっさり切られただろうな。もちろん、経験としては、モエとの稽古があるから、対処したかもしれないが、お前がもう少し機動力で俺を翻弄すれば、勝機はある」
「あなたの精神器は、それだけですか?」
「そうだよ。見えるだけだ。さっきの対処法を解説しておく。まず片手での十二連撃で、お前に回避を強制する。回避する先は限られている、体が瞬間的に空間を飛び越えるわけじゃないからな。そこへもう一方の剣で、連続攻撃を叩きつければ、さらにお前は進むべき場所が限定される。案の定、お前は攻撃を諦めなかった。諦めずに、俺が設定した、お前が攻撃可能な地点へまんまと飛び込んだ、ということだ」
理屈ではわかる。でもそれを一瞬で、ぶっつけ本番で出来る剣士は、いないだろう。
不可能を可能にする剣士。
ミチヲは、確かに精神器の持ち主なんだ。
「僕はどうしたらいいですか?」
「どうしたら、とは?」
「いえ、その……僕の技は、ここで終わりでしょうか」
そうだな、とミチヲがかすかに上を向いた。
「技は、単純なものじゃない。今、俺が説明した中で、別の可能性を考えてみよう」
「別の可能性?」
「最初の連続攻撃を受けた時、もっと自在に間合いを支配できたら? それ以前に、二度目の連続攻撃に直面した時、一旦、仕切り直すという選択肢もあった。つまり、戦いは技の強さや速度、練度を競っているわけではない。思考力が強い意味を持つ」
思考力。
「普通の剣士は、戦いの中で自然とそういうものが練り上げられていく。技の習熟に拘らずに、勝ちに拘るようになる。お前の師はカナタ・ハルナツらしいが、おそらく彼を見るお前の目には、彼の技、力、そういうものしか見えないんだろう。剣聖と戦った時、何か感じなかったか?」
ミチヲが言っているのは、僕がソラと立ち合った時のことだろう。
僕はじっと記憶を検証し始めた。
決着の一撃。ソラは精神剣の一撃に、精神剣を衝突させて、僕にぶつけた。
あれは、どう考えても不自然だった。強引なやり口だ。
そうか、あの一撃は、ソラの対応力なんだ。
彼は自分が切られる瞬間に、決定的だった敗北を引き分けに持ち込んだ。
勝ちに拘った。
もちろん、少しでも対応が遅れれば、僕に一撃の方が早く、もしくは深く傷つける事態もあった。
ソラはそれを意識し、ギリギリのところまで、刹那の中の刹那で、勝ちにこだわり、模索したんだろう。
僕はその超高位の思考者を、もう知っていたんだ。
「あの歩法は初めて見た」
ミチヲが話題を変えたので、、僕は彼の方を見た。
「全く新しい技術に見えるが、どこで習った? カナタか?」
「いえ、自分で編み出しました」
「名はつけたか?」
「はい、絶影と」
岩から立ち上がり、ミチヲが小さなステップを踏んだ。
信じられないことに、絶影の基礎的な動きだ。探るような足の運びで、もちろん、遅い。
しかし彼は一度見ただけの僕の歩法を、それだけ理解しているのだ。
悪い夢を見ているようだった。
「どうもうまくいかないな」そんなことを言って、ミチヲが動きを止める。「これが俺の精神器の特徴なんだ。認識できる範囲の動きは、かなり精密に把握できるし、訓練をしたからそれを再現するのも得意なんだ。もう一度、見せてくれるかな?」
僕も岩から離れ、短い距離で、何度か絶影を見せた。ミチヲも繰り返し練習したが、一時間ほど続けただろうか、座り込んで、大げさに喘ぐように呼吸して見せた。
「これはダメだな。息が続かない」
僕はそれほど息も上がっていない。
「どういう鍛え方をしたんだ。どうやら絶影は俺には習得不可能だ」
立ち上がったミチヲが「帰るか」と言ったので、広場を離れて小屋に向かうことになった。
「いつまでここにいる? すぐ帰るのか?」
「特に予定はありません」
「そうか。俺はちょうど、暇を持て余している。やる気があるなら、少し一緒に生活しよう」
思いがけない展開になってきた。
小屋に戻るともう料理は出来上がっていて、モエが帰ってくるのが遅いとプリプリ怒っている。食事の間に、ミチヲがモエに、僕を預かっていいか、質問した。
「私は知らないわよ、そんなの。別にエダだって子どもじゃないんだから、自分で決めさせればいいじゃない」
じっとミチヲがこちらを見たので、僕は頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「じゃ、そういうことで良いね、モエ?」
「私の知ったことじゃない、って言っているでしょ。明日には帰るから、二人でやりたいようにやりなさい」
その言葉の通り、モエは翌日の朝、朝食を食べてから去って行った。
「何をすれば良いですか?」
モエを見送ってからミチヲに尋ねると、彼は少し考えてから、言った。
「エダは何をやりたい?」
うーん、そう言われても……。
「王都にいたんだったね。査問部隊と一緒に訓練をしていたとか。それって、どうしてかな?」
「先生に、求められたからです。僕の剣技に何かを見たんだと思います」
ふーん、とミチヲが返事をして、何度か頷いた。
「絶影を活かす、そういう剣術を模索するか」
「それは、気になりますが、どんな想像をされていますか?」
ミチヲがあっけらかんと言った。
「俺は知らない。お前が見つけ出すんだ」
それは、難しそうだ。
でも、やりがいはあるとも思う。
「よろしくお願いします」
ミチヲが鷹揚に頷いて、笑う。
「こちらこそ」
(続く)