3.5-2 動揺
「ちょっと片付けてないけど、我慢しなさい」
モエの部屋に招き入れられたけど、別にときめきもしない。
というか、ちょっとがっかりした。
リビングはものすごく片付いているけど、僕に示された小さな部屋は、ほとんど物置だ。寝台があってその上にも荷物があるけど、それをどかせば生活はできそうだ。
勝手に片付けてから、モエが「夕飯に行くわよ」と声をかけてきたので、二人で外へ出た。
そのままモエが向かったところは、なぜか火事の跡が生々しい、一角だった。モエは「間違えた」とつぶやき、今度こそ、普通の料理屋へ連れて行ってくれた。
「なんでミチヲに会いたい?」
料理が運ばれてきて、食事をしながら、モエが声をかけてきた。
「彼が精神剣の使い手と聞いたからです」
答えた僕に、モエが顔をしかめる。
「そのことを知っているのは極めて限られているわけで、あんたがカナタの弟子となれば、ミチヲのことはソラから聞いたわけだ」
「お二人をご存知なんですね」
「一時期は同じ剣聖として、働いたしね」
どうしてこの女性が剣聖の座を捨てたのか気になったけど、出会って早々にそんなことを聞く勇気はなかった。
「あんたの剣の筋に、気づいたことがある」
「え? なんですか?」
モエは少し思案したようだけど、言うと決めたのが見ていてわかった。
「査問部隊の連中の筋に似ている」
胸の底が冷えるのを感じた。ただ、モエはそれに気づかない。
「あの連中には執拗に狙われたけど、あんたも連中の仲間?」
僕は答えずに、首を横に振るしかできない。
モエとミチヲは、査問部隊を退け続けていたのだ。そしてそうして散った査問部隊の剣の筋に、僕の剣の筋と似たものがあるのは、当たり前だ。何故なら、査問部隊の剣術を高めていたのは、僕だったのだから。
僕の仲間の多くを切ったのが、目の前にいる人ということになる。
何も気づかないまま、モエは雑談を始めたけど、僕は黙っていた。食事も済んで、彼女に促されて席を立った。会計はモエがしてくれた。
「怖い顔しないで、もっと楽しみなさい」
帰り道でモエがそう言った時、僕は剣を抜いていた。
いや、抜こうとした。でも抜けない。
一瞬で僕にピタリと体を沿わせ、モエの手が僕の剣の柄頭を押さえていて、抜かせようとしない。彼女の気迫は強すぎるほど。
「子どもじゃないんだ、場所を弁えなさい」
僕は彼女を睨み付けたけど、彼女は笑っている。
「あんたの様子で、気づいた。査問部隊に剣術を教えたな。それなら納得がいく。連中の剣術が不完全だと感じていたんだ。何かが足りないとね。あんたを見て、どこが足りないかもわかった。あんたはどう思っている?」
黙ったまま、彼女から距離を取ろうとした。
一歩下がる、と動き出した時、ぐっとモエが体を寄せたかと思うと、僕は倒れこんでいた。
奇妙な技だけど、体術の一種だろう。
転がっても剣は抜ける。抜けるはずだった。
立ったままのモエの足が、僕の剣の鍔を踏みつけ、抜かせない。
どこまでも僕の上を行く女性だった。こちらを冷酷な瞳で見下ろしている彼女は、心底から怖い人だと、理解できた。
「答えなよ、クソガキ。あんたにあって、連中にない。それは何だ?」
僕は息を吐いた。
敵わないのだ、この人には。
「僕には、機動力があります」
「よろしい」
足が剣から離れた。
剣を抜く気には、なれなかった。ただ立ち上がり、もうこちらに背を向けているモエの後に続いた。
「ミチヲのところへ連れて行ってあげてもいい」
モエはもうこちらを見ない。
その背中は、いくらでも切れそうな気配だけど、ただ、その隙はまるで誘いのように感じる。
「査問部隊はあんたにくっついている?」
「いない、と思います」
「ミチヲの話をどれくらい聞いている?」
「いえ……。精神剣の持ち主とだけ、聞いています」
ふぅん、と呟いただけで、モエは話をやめてしまった。部屋に着き、リビングで二人で椅子に座って向かい合った。モエはお茶を用意してくれたけど、僕は手をつける気持ちでもない。
余りにいろいろなことが起こりすぎた。
自分が到底かなわない相手。
その相手は、僕の友人を切り続けてきた。
自信を喪失しそうな状態だった。
「ミチヲは、私に付き合ってシュタイナ王国を出た。つまり、私のせいで、今の立場になった」
お茶を飲みつつ、モエが話し始めた。
「あいつが精神剣に目覚めた時期はわからないけど、あれは異常よ。人間の限界を超えている。私も相当な使い手だと自負しているし、ほとんど負けないけど、あいつにはもう勝てないな」
そっとカップからお茶を飲み、モエが身を乗り出す。
「あんたの剣術の特徴、あの歩法は、ミチヲには通じないわよ」
「それは」どうにか質問できた。「モエさんのように、ミチヲさんも速いからですか?」
「いや、私の方がたぶん、速い。私より速い人に会った?」
答えづらい質問だ。
まだモエの本気をよく知らないけど、昼間の和音の歩法は、ソラよりも速かったかもしれない。カナタよりも速いはず。つまり、モエが最速だろう。
「モエさんが、たぶん、最速です」
「お世辞をありがとう。私が知っている、私より速い人は、数人だけね。でもそんな連中にも、ミチヲは対処できる。まぁ、その辺は実際に会えばわかる」
モエが姿勢を戻し、カップを持ち上げ、かすかに揺らした。
「ミチヲは今、ほとんど人と関わらずに生きている。私を訪ねてくることもないね。私の方から年に一回くらい、会いに行っているくらいで。今でも剣術を磨いているだろうけど、正直、もう私にはわからないわ。あいつは、ほとんど仙人よ」
「仙人?」
「そう。いつの間にやら、剣にしか興味がない人間になっちゃった」
お茶を飲み干し、モエが椅子から立ち上がった。
「あんたの剣術はおおよそ、私には理解できた。傭兵どもの大半には勝てるだろうね。でも、連中とあんたの剣術には、違いもある。その違いを知りたい? 知りたくない?」
「教えてください」
僕は剣術の自信を取り戻したい一心で、そう言っていた。
「傭兵どもは、死んでも構わない剣術を使う。死ぬ気になる、っていうのは、強い要素よ。あんたとは無縁ね。あんたはどんな相手でも自由に調理できたでしょうけど、大半の使い手は、相討ち覚悟を恐れない。だから、強い」
全くわからない理屈だった。いや、どこかで似た要素を見た。
それは、査問部隊、だろうか。
「連中とやってみる?」
「はい、ぜひ」
モエは明日にでもやろうと言って、そのまま部屋を出て行ってしまった。
その日は埃っぽくて硬い寝台で休んで、翌朝、モエが起き出していないので、外へ出た。習慣だけは捨てきれずに、初めてに近い首都を走った。
一時間ほどして部屋に戻ると、モエが朝食を用意していた。
「ご苦労様。食べて、連中に揉んでもらいなさい」
二人で素早く朝食を済ませて、まずは傭兵会社の建物へ行った。ここでモエの秘書と初めて顔を合わせた。そこでモエは秘書に指示を出し、昨日、手合わせをした場所へ行った。歩いて行く途中でモエから聞いたことには、その施設は傭兵会社で借りているらしい。
その運動施設には、すでに三人ほどの傭兵がいて基礎的な訓練を積んでいる。
「へい、あんたら、このクソガキに稽古をつけてあげな」
「なんです、社長」傭兵たちがニヤニヤしつつ近づいてくる。「カイの代わりですか?」
「くだらないことを言ってると、叩き切るよ。とにかく、あんたらの本気を見せな。負けた奴は一ヶ月、便所掃除だ。真剣はダメ、木刀でね」
傭兵たちが木刀を用意し、一本をこちらへ放ってくる。
傭兵の一人が僕の前に立った。
「さっさと来な、坊主。後がつかえているんだ」
僕は流石に頭に来た。
本気でやってやる!
絶影で飛び込む。相手の背後に僕はいて、彼はこちらを振り向こうとしている。
構うもんか。容赦なく木刀を叩きつけた。
傭兵が、肩から突っ込んでくるところへ、木刀をぶつけていく。
僕と傭兵がもつれて床に転がった。もちろん、僕が下だ。
僕が起き上がろうとすると、突然、背中から打ち据えられた。なんだ、と思った時には、もう一発。
傭兵の一人が三度目の打撃のために木刀を振りかぶっている。
「卑怯だぞ!」
「卑怯なもんかい」
僕が立ち上がろうとすると、先に倒した傭兵が僕の腕を掴んで、立ち上がらせない。
木刀が肩を打ち据えた。
「俺たちは一対一で剣術比べをしているんじゃない。命を取り合ってあるんだぜ、坊主」
めちゃくちゃだ!
結局、三人目も加わってきて、めちゃくちゃな乱戦の結果、傭兵たちの木刀を全部、僕が吹っ飛ばしたけど、さすがに息が上がってすぐに座り込みたかった。
「ま、これが傭兵の戦いだわな」
何事もなかったように、モエがこちらにやってくる。
「何回も死んだ気分はどう?」
「これは訓練です」
「実戦だったら、死ななかった?」
こんなデタラメな実戦があるものか。
「今日はよくよく可愛がってもらいな、クソガキ」
こうして夕方まで、僕は次々にやってくる傭兵たちに揉みくちゃにされて、へとへとでモエの部屋に戻った。
何のために、パンターロへ来たのか、わからなかった。
(続く)