2.5-9 精神剣殺し
ソラと顔を合わせる機会は、思ったよりも早く訪れた。
訪れたというより、呼び出されたわけだけど。
第二王宮の剣聖の執務室の一つで、僕とソラ、そしてカナタ、フカミが顔を合わせた。
カナタがいるのが心強かった。これで秘密裏に殺されることはない、はずだ。
すでにあの決闘から二つの季節を経て、冬になっている。
「これを見てよ、エダ」
椅子に座ったまま、ソラがグイッと服の襟元を下げると、そこに傷跡が現れた、すでに塞がっているけど、生々しく皮膚が盛り上がっている。
「御典医でも匙を投げる怪我を治すのに苦労したよ」
「え」そんなにひどかったのか。「申し訳ありません」
「こんな負傷は久しぶりだよ。いい経験になった」
襟元を戻し、ソラが姿勢を正す。
「お前をちょっと、とあるところへ送り出そう、という話がある」
「どこでしょうか?」
「まだ分からない」
よくわからない話だった。どこかへ差し向けると言いながら、どこかはわからない。
僕の疑問に答えるように、フカミが口を開いた。
「パンターロだよ。今、相手のいる場所を探っている」
「パンターロ?」
名前は聞いているし、位置も把握しているけど、一般的な知識しかない。山岳地帯だったはずだ。そして、パンターロへ行くには、始祖国アンギラスを抜ける必要がある。
「語学はどうだい? エダ。得意か? 好きか?」
「いえ、あまり語学には力を入れていないのですが」
「よし、明日から一年で、パンターロとアンギラスで自然と会話できる程度に、勉強するんだ。教師はきっちりと、真面目な奴をつかせる。努力しろ」
何やら訳の分からない話になってきた。
「それは、やりますが、いったい僕は誰を訪ねるのですか?」
「逃げた剣聖を覚えているな?」
逃げた剣聖?
「雷の剣聖ですか?」
名前をすぐに思い出せなかった。ただ、女性で、彼女の脱走でできた穴を、未だにシュタイナ王国は埋めていない。今は剣聖は十二人しかいないわけだ。これが市井ではいろいろな噂を呼んでいるけど、僕は真実を知らない。
「彼女は今、パンターロにいるという情報がある。そうだよね、フカミ」
「査問部隊に調査させている」
二人の剣聖がうなずき合い、こちらを見た。
「一年で詳細な情報を集めさせる。お前も一年で万全の支度をするように」
「はい」
僕の返事と同時に、ドアが開き、近衛騎士の一人がソラに「お医者様がお見えです」と告げた。ソラが返事をして、頑張れよ、と立ち上がる。そのままフカミも席を立ち、ソラに続くように部屋を出て行ってしまった。
「僕はその逃げた剣聖を訪問して、どうするのですか? 切るのですか?」
唯一、部屋に残ったカナタが、かすかに笑った。
「逃げた剣聖を訪ねるのは本当の目的ではない。彼女をきっかけに、とある男に接触するのが目的だ」
「誰ですか?」
「肩書きは何もない。ただの剣士だ」
ますますわからない。
それからカナタの執務室に移動してちょっと雑談をした。特に意味のない、世間話だった。珍しいことである。
第二王宮を出ようとした時、医者と、その助手らしい女性二人を目にした。
女性の一人の体の運びが、気になった。剣士のそれだ。それもかなり使う。
でもまさか、問いただすわけにはいかないし、彼女は剣も帯びていない。不思議な人だ。
私邸へ戻っていつもの仕事をしていると、訪問者があった。
妙齢の女性で、穏やかなそうな面持ちの方だ。
「私はマンナ。あなたに語学を教えるためにやってきたけど、時間もないことだし、早くスケジュールを組みましょう」
面持ちとは裏腹に、結構、せっかちかも。
その日は時間の約束をして、翌日から、語学の講義が始まった。
まずシュタイナ王国で一般的な絵本が用意され、マンナはそれをアンギラスの言葉、パンターロの言葉で、僕に教え始めた。僕は繰り返しそれを聞いて、同時に紙にペンを走らせ、両国の文字も学んでいく。書き終わったら、今度は僕が話し、曖昧なアンギラスの言葉、パンターロの言葉を口にして、これをマンナがどんどん、訂正する。
この訓練を数ヶ月続けて、どうにか形になると、絵本が短編小説に変わり、同じことを繰り返した。ただ、違いもある。この段階で、マンナの講義の最中は、シュタイナ王国の言葉は使用禁止になった。アンギラスの言葉、もしくはパンターロの言葉しか使ってはいけないと言われた。
やっぱりボロボロの発音で、乏しい語彙でも、コミュニケーションを取るように努力する。
時間はあっという間に過ぎる。僕も緊張感と切迫した気持ちで、集中して勉強した。
夏が過ぎ、秋になり、雪が降る。
「モエ・アサギの所在が分かったよ、エダ」
いつかの様に、ソラ、カナタ、フカミと四人での会合で、ソラが軽い調子で言った。
「パンターロの首都にいる。傭兵会社を経営しているそうだ」
「そこへ向かえばいいのですね?」
「やる気に満ちているな。語学はどうだい?」
「先生には太鼓判を押されています」
事実だった。最近はもうマンナは、僕に特別に講義をせず、アンギラスの言葉とパンターロの言葉をデタラメに混ぜて会話をするという、変な遊びで時間を潰しているのだ。
頷いたソラが一度、席を立ってデスクから分厚い封筒と、小さな袋を持ってくると僕に手渡した。
「封筒には国境を抜けるための書類が揃っている。それで何事もなく、アンギラス、パンターロへ入国できるはずだ。袋の中には金の粒が入っている。路銀にしろ」
「はい、ありがとうございます」
「目的を伝えておく」
そこが重要だ。僕は無意識に姿勢を正した。
「モエ・アサギが逃亡した時から、彼女と行動を共にしている男がいた。ミチヲ・タカツジという男だ。この男と剣を合わせてみろ」
「剣を合わせるのはいいですが、どこにいるのですか?」
「モエが知っている。モエから聞き出せ」
うーん、それはまた、別の難しさがあるな。そんなことを思っている僕をよそに、ソラが続ける。その内容を聞いて、難しさは忘れてしまったのは、誰にも責められないだろう。
「ミチヲは精神剣の使い手だ」
「本当ですか?」
「おそらくとしか言えない。ただ、お前の成長には、あの男の存在は重要だ。ミチヲを探し出し、吸収してこい。いいか?」
僕は頷くしかできなかった。
それからソラがいくつかの情報を僕に伝え、会合は解散になった。
カナタの私邸に戻った時にはすでに日が暮れつつあり、夕飯時だった。使用人達と一緒に食卓を囲んだ。
食事の間に、カナタが使用人たちに、僕が旅に出ることを告げた。彼らもわきまえていて、深く聞くこともなく、拍手をしてくれた。
夜の間に荷造りをして、そっと屋敷を出ると、闇の宮へ向かう。
地下へ降りると、査問部隊の面々が集まってきて、彼らの流儀で激励と、祈りを捧げてくれた。それはそれで、ありがたい。
ちょっと訓練をして、屋敷に戻ると、外でカナタが待っていた。
「もう冬ではないな」
そんなことを言われても、答えに困る。
カナタが笑って、こちらを見た。
「十分に勉強してこい。俺はここで待っている」
「はい、ありがとうございます」
また沈黙。でも、嫌な感じではない。
二人で私邸の外で、深夜の王都を見ていた。輝くばかりに明かりが灯っているのは、第一王宮と第二王宮だ。
「俺は死なない。お前とまた会うまでは」
静かなカナタの声には、どこか凄みがある。強すぎる決意が滲んでいた。
「はい」
そう答えるだけで、僕の心が伝わる気がした。
その数日後、僕は王都を出て、北へ向かった。
まだ見ぬ相手の剣を想像しながら、歩を進めた。
(第2.5部 了)




