2.5-7 自分の剣
ふらっとやってきたその人物に、査問部隊の面々は直立して敬礼した。
彼はどこか雑な敬礼を返し、僕を見た。
「君がエダ?」
どうやら僕が目当てらしい。
「はい、そうです」
彼が誰かはさすがに僕も知っている。忘れるわけもない。
ソラ・スイレン。筆頭剣聖、精神剣の使い手、アマヒコの仇。
僕たちは真剣を使って型の訓練をしていて、その剣はみんな、素早く鞘に戻している。
何気ない風に歩いてくるソラを、僕はじっと観察した。ほとんど本能的なもので、この観察は大きな意味を持つ。相手の足の運びを見れば、その全力の運動を把握できるし、身体の揺れや重心の移動を知れば、相手が動き出す兆候を読み取れる。
査問部隊で四年が過ぎ、僕は十七歳になっていた。
今ではもう誰も「訓練荒らし」とは呼ばない。
今はもっと立派で、立派すぎる名前が僕につけられている。
その名は、「絶影」だ。
僕の足さばきはいよいよ凄みを増し、もう誰も追いつけない。今でも昼間に王都を走るけど、飛脚よりも速いし、そのまま長い時間を走れる。
ソラは僕の前に立ち、じっとこちらを見て、そして、笑った。
「僕と戦ってみないか? 嫌か?」
意外な言葉だったけど、背筋が冷えるのは、彼の二つ名も理由の一つだ。
彼は、「処刑の剣聖」と呼ばれていた。挑戦者を徹底的に切り捨てる事実と、成長する可能性のある若者を、無理矢理に切って捨てる、という根も葉もない噂が理由の、通り名だった。
でもその噂も、こうして自分が直面すると嘘とも言い切れない。
「腕自慢だと聞いている。それも、査問部隊の誰よりも強いと」
「僕はただの剣士に過ぎません」
「しかし、カナタの訓練に耐え抜いている。最近では精神剣にも対抗できるそうだな」
カナタと精神剣対策の訓練を継続していることは、カナタと僕と、屋敷の一部の人しか知らない。彼らが噂を流すはずもないから、あるいは、ソラには何か、耳目となるような人間がいるのかもしれない。筆頭剣聖だから、ありそうなことだ。
「僕で試してみないか? その技を」
どうやらソラの中では僕と対峙するのは決定事項らしい。
「手加減はしないけどね」
そんな言葉を付け足されて、普通だったら尻込みしたかもしれない。
ただ、僕は反発心にかられて、彼を強く見返していた。
「先生は、なんておっしゃっていましたか?」
「先生? カナタか?」
ソラは顔をしかめたが、結局、また笑みを見せた。
「カナタには何も聞いていないし、言ってもいない。どうせ、止められるしな。どうする? 先生とやらのご意向を伺って、正々堂々と逃げを打つか?」
挑発だ。
もう三十をだいぶ越しているはずの男性だけど、こういう子どもっぽいところがある。
一方の僕は、ただ普通に、子どもだった。
だから、まるで子ども同士が約束するような形になったのは、仕方ないだろう。
「良いですよ、やりますよ」
軽くソラが頷く。
「精神剣を使っても良いかい?」
「ご自由に」
「よし」大きな手で、ソラが僕の肩を叩いた。「急いだ方が良いな。明日だ。時間は今。場所はここ。良いかい? 諸君、聞いたね?」
周囲にいる査問部隊の面々は、事態の展開に追いつけるはずもなく、混乱しているが、しかし筆頭剣聖に異を唱えるわけにもいかない。結局、誰も何も言わず、首を振るしかできない。
「なんてことを」
その日の深夜、カナタの私邸に帰ると、当のカナタが待ち構えていて、彼の書斎で、嘆かれてしまった。
「相手が誰かわかっているのか? エダ。ソラ・スイレンなんだぞ」
「自信があります」
「それは過信だ」
僕は堂々と応じた。
「先生に教わったことを全て使えば、負けません」
「だから、それが過信だと言っている」
「やってみなくてはわかりません」
珍しいことに、二人共が黙ってにらみ合う形になった。
沈黙の後、カナタが息を吐き、席を立ったかと思うと、部屋の隅にあった長い箱をとってこちらへやってきた。その箱はしばらく前から書斎にあるのは知っていたけど、中身を聞いたりはしなかった。
その箱が僕の眼の前で開封されると、中から剣が現れた。
幅の狭い、細い剣だ。
「お前のために作らせた」
すっと差し出された剣を、思わず受け取っていた。
受け取ってみると、今までの剣よりも軽い。
「これは……」
なんて言ったらいいかわからない僕に、カナタは不機嫌そうな顔のまま、重い口調で言う。
「お前の剣術は、機動力が全てだ。剣は重い。だが、剣を持たないわけにはいかない。だから、お前のための軽い剣を作らせた、だが、良いか、エダ。その剣には耐久力がない。重い攻撃を受ければ折れるだろう。だから、受けるな。攻撃も、当たると思うまで、当てるな」
なるほど、それもそうだ。
僕はカナタから数歩下がり、剣を抜いてみた。
やはり細い。だけど、格段に軽い。
何度か素振りをしている僕に、カナタはまだ渋面だ。
「外で素振りでもして、馴染ませろ。いきなり明日とか言い出すから、習熟する間もない」
「先生」僕は鞘を剣に戻し、頭を下げた。「ありがとうございます」
「ふざけた奴だ」
顔を上げると、カナタの顔には今度は不安が浮かんでいるとわかった。
「死ぬなよ。お前は、俺の宝だからな」
「はい」
そう答えるしかできなかった。
一度、中庭に出て、剣を繰り返し振った。バランスが理解できてきて、問題はなさそうだ。部屋に帰り、届けられていた手紙を読んだ。
実は、カナタに見出され、近衛騎士たちと訓練するようになったあたりから、カナタの力添えのおかげで、近衛騎士団から給金が出ていた。それは査問部隊に入ってからも支払われて、結果、妹を娼館から身受けできる額が用意できたのは、もう何年も前だ。
だけど、妹はすでに客の一人に身受けされており、妹の方から僕を探していたようだった。
まさか剣士になっているとは思わなかっただろう。
そんなすれ違いが解消されて、僕と妹は顔を合わせはしないものの、文通を欠かさず、僕は用意していた金を、妹に全て渡してしまった。妹を身受けしたのは、小さな商店を営む若い男性で、どうやら善良らしい。
今日の妹の手紙を読んで、遅い時間ながら、返事を書こうと思った。
でも、明日のことを考えると、その気持ちが大きく揺らいだ。
明日、僕は死ぬんだろうか?
筆頭剣聖が、僕を殺さないわけがない。真剣で、本気でやるのだ。
その上、精神剣を使うとも宣言している。
ここで妹に、僕の生活は変わらないとか、平和だとか、嘘を伝えて、その嘘が嘘だと知ったら、妹はどう思うか。
でも、筆頭剣聖と立ち合いをする、とも書けない。
不安にさせるだけだろう。
結局、その夜は僕は手紙を書かなかった。布団に入って、すぐに眠りがやってきたのは、不思議だった。とても眠れるような心理ではないはずが、体は正直だ。
翌朝は早く目が覚め、今も続けている私邸での雑事をこなす。使用人達は何も知らないので、いつも通りにしている。
朝食を食べ、また仕事。お昼ご飯を食べて、外へ出た。
決めているコースを、走った。もう数え切れないほど走り続けた道だった。
走っているうちに不安がこみ上げてくるけど、息が上がり始めると、それも消えた。
無心。何も考えないまま、足を動かし、息をする。
私邸に戻って、僕は井戸から汲んだ水を一息に飲んだ。
立ち合いのことは、もう心の中を占めなかった。
昨夜のように中庭に出て、剣を振ってみる。昨日よりは自然になっただろう。
剣の重心を心に刻み込んでいるうちに、太陽が下がってくる。
重要な意味を持つ夜が、やってこようとしていた。
(続く)