2.5-5 非情
アマヒコと話をする機会はなかった。
第二王宮の奥の一部屋で、彼の遺体と対面した。片手首を切り落とされ、胸から顎へ傷跡がある。もうどちらも縫い合わされていた。
「何をしている?」
声にゆっくり振り返ると、老人がそこにいる。フカミ・テンドー。ゆっくりと老人は僕の横に並び、アマヒコに黙祷した。
「剣の道とは、やはり非情なものだ」
フカミが静かな声で言う。彼と二人きりになるのは初めてだったけど、生前のアマヒコと話していた時とは、まるで様子が違う。フカミは落ち込んでいる。
僕も、落ち込んでいた。
「才能同士が潰し合う。命同士が奪い合う。虚しいな」
どう答えることもできず、老人と並んで、まだ若い青年の遺体を前に、僕は立ち尽くしていた。
「どうしてお前は剣を取るつもりになった?」
視線を感じて、老人を見ると、視線がピタリと合った。
「たまたまです」
「覚悟はあるんだろうな?」
「わかりません」
一瞬で、フカミの表情に怒りが沸き起こった。
「不甲斐ない!」
一喝されても、僕はまだ悩んでいた。フカミが捲し立てるのを、ただ、聞いた。
「お前はアマヒコの友ではないのか! このものはお前を買っていたぞ! 純粋で、一直線な奴だとな! それが今のお前は何だ! 友人の死を前にして、意気消沈し、心が完全に折れたというのか! それではアマヒコは無駄死にではないか! 私はそうはさせないぞ、絶対にこの失われた命を役立てて見せる! この小僧め、出直してこい!」
フカミは強くこちらを睨みつけ、それから足音を立て、肩で風を切って部屋を出て行った。
「言われたね」
その言葉に、僕は振り返った。
苦笑いしているカナタがいる。その表情がすぐに真面目なものに変わった。カナタもゆっくりと僕の横に進み出て、目を瞑る。
「剣士としては素晴らしいものがあった」
静かにカナタが、呟くように言った。
「ソラの剣技を見たことがあるかい?」
「いえ、ありません」
「音階の歩法と、四弦の振りは、前、見せたと思う。あれは俺が、ソラから教えてもらった技なんだ」
思わず彼を見たけど、彼はアマヒコの方を見ていた。
「今のソラの和音の歩法は完璧だし、四弦の振りもそのはるか高位の技、十六弦の振り、に達している。想像できるかい?」
「それは、うまくできませんが……」
「アマヒコは、それを一度は全て、捌いたよ。あんな技は、見たことがない。俺だってできないだろう。つまり、アマヒコ・エイターは、剣聖に限りなく近い使い手だった」
それはアマヒコへの慰めだったかもしれない。
でもその慰めは、彼の死と引き換えだった。
まさに、虚しい。
「死ぬのが怖くなった?」
ぐっとカナタが僕の肩を抱き寄せた。
「俺はいつでも怖いと思っている。誰にも負けない自信はある。だが、何が起こるかはわからない。ソラはアマヒコの技に拮抗し、打ち破った。もし俺がソラの立場だったら、どうしただろう、そう考えるよ。俺は俺の自信のある剣技でぶつかっていく。でもそれをアマヒコが全て、防いだら? その時、更に深く踏みこめるだろうか。俺に、何ができるのか。答えは出ない」
かすかにかなたの体が震えている気もしたけど、どうだろうか。
「ここでやめるか? あの町へ戻って、飛脚になるか?」
その言葉に含まれているのは、哀願のように感じた。
カナタは、僕が切られるところを見たくないんだろう。
僕が姿勢を整えると、カナタが肩を解放した。
僕たちは向き直って、お互いを正面に見た。
「僕に剣を教えてください」
「本気なんだな?」
「やれるところまでは、やろうと思います」
頷いてから、カナタが表情をやや強張らせ、それを口にした。
「剣聖候補生にはしない。それが、俺の交換条件だ。もしそれが不服なら、フカミにでも認定してもらうといい。どうだ?」
「剣聖候補生になるつもりはありません。今まで通り、先生の教えを請いたいと思います」
「わかった。俺も本気でやろう」
この日から、僕の生活の一部は大きく前進し始める。
アマヒコが死んで、二年が過ぎる頃には僕は騎士学校の実技のクラスのレベルを超え、王属軍団の訓練をも凌ぎ、ついに近衛騎士団の訓練の場に混ざっていた。
変な通り名がささやかれ始めたのも、いつからだっただろうか。
それは「訓練荒らし」というもので、僕自身からしても、その通りだった。
訓練の場で真剣ではない木刀を使った訓練になると、僕は近衛騎士を次々と打ち倒していた。
カナタと比べれば、彼らは隙だらけだし、技も未熟だ。
そう、カナタと訓練を積める、それが大きかったんだろう。シュタイナ王国で二番目の使い手と、毎日、力をぶつけ合っているのだ。
あのアマヒコが死んだ日の後、カナタは僕に音階の歩法、そして一弦の振りを習得させようとした。でも僕には和音の歩法を習得することはできなかった。どうしてもうまく足が運べない。カナタも無理に教えようとせず、歩法に関しては別の方向へ舵を切った。
どうもカナタは最初の最初、あのシーナの道場で僕を前にした時か、僕にその歩法の萌芽を見ていたようだ。
他の誰にも真似できない、とカナタは表現している。
それはつまり、カナタも筋道を立て、論理立てて教えられない、ということだった。
僕独自の歩法を練り上げる中で、僕はかろうじて一弦の振りを身につけ、それを使いこなせるようになると、途端に騎士学校の生徒も、王属軍団の兵士も問題にならなくなり、驚いたことを覚えている。
それだけカナタの強さ、剣聖の強さが、特別だということだ。
近衛騎士団では、最初は手こずった。ここでは一弦の振りの使い手は数人いるし、歩法も、音階の歩法を部分的に使う者もいる。
短い期間とはいえ、ここで鎬を削る状態になったのは、僕には幸運だった。
近衛騎士に対抗する意志や、それ以前に、どうしたら近衛騎士を倒せるのか、思考し、模索するのが一番の意味になった。
カナタとともに形を作っていった歩法は、成果を上げ始める。
誰よりも早く踏み込む技。
その足捌きに、カナタはまず、八番目の音階、と名付けた。
音階の歩法の進化系という位置づけらしいけど、実際には異なる。音階の歩法は、七つの踏み込みの仕方で成立し、一方で八番目の音階は、踏み込みではなく、もっと総合的な動き、間合いの詰め方のテクニックだった。
この歩法の発展と、一弦の振りに代表される攻撃を身につけさせる一方で、カナタは繰り返し、精神剣への対処法を僕に伝え始めた。
精神剣の攻撃は、不可視の力の流れなので、目視できない。
察知するのは、自分でもよくわからない感覚だった。その感覚を、とにかく研ぎ澄ませるしかない。
精神剣の使い手は今、ソラとカナタしかいない。だから、精神剣への対処を磨くというのは、ソラ、もしくはカナタと雌雄を決するのを前提としているように思うけど、それをカナタは否定した。
「いつ、精神剣の持ち主が現れるともわからないしね」
そんなことを言われて、僕は考えるのをやめた。
カナタの真意は、カナタが知っていればいい。僕は僕のできることをやるまでだ。
時間をかけて技を更に練り上げていき、いよいよ近衛騎士では僕に歯が立たなくなるのは、自明だった。
近衛騎士と一年ほどの訓練に明け暮れ、僕が十三歳を迎えてしばらくし、カナタは僕に稽古をつけてから、その話を始めた。
「査問部隊を知っているか?」
僕が首を振ると、カナタが頷き、話し始めた。
(続く)