2.5-3 王都での生活
王都に初めてやってきて、僕は剣聖の私邸に連れて行かれた。
王都はとにかく全てが豪華で、初めて見る王宮は人間が作ったとも思えない。
「俺は色々と忙しいが、まぁ、こいつの指導を仰げばいい」
そう言って、剣聖が僕に示したのは、中年の男性で、平服を着ている。しかしこの男性が使用人で一番偉い立場らしい。
剣聖は名前をカナタ・ハルナツと、あの道場での一件の後、聞いたけど、それ以上の話はなかった。ただ王都で一緒に生活してみよう、と言われたのだ。
彼の秘書である最上位の使用人の男は、名前をアキラという。
アキラはまず僕に私邸の中での様々な仕事を教えた。掃除や洗濯、料理などだ。今まで、ほとんど経験がなかったけど、しかし両親がいなくなって自分でやることもあったので、不慣れではない。
面白かったのは、アキラが毎日、決められた時間、僕に剣術を仕込み始めたことだ。
カナタと木刀を向け合うまで剣術の経験はなかったけど、アキラと木刀を向け合うと、不思議と心が静かになり、集中している自分がいる。
不可解なのは、カナタから感じた、よくわからない圧力はアキラからは放出されない。
なので、純粋な木刀のぶつけ合いのようになる。
もちろん、僕は何の剣術も使わないので、アキラに当てることはできないし、逆がほとんどだ。アキラの木刀は手加減された勢いで、僕を打ち据える。
ほとんど遊びのようなもので、切迫した要素は少しもない。
カナタは日が暮れると帰ってくる。この屋敷でのしきたりらしく、夕食は主であるカナタ以下、全員が揃って食堂で食べる。全員と言っても、使用人、侍女などを全て含めても十人に届かない。それもあってか、全員が一度に挨拶して食べ始める。
その場では様々な話があるけど、僕が加わってからは、主に僕が話題にされた。
これができない、あれができない、これを知らない、あれも知らない、そんな感じで、使用人達が笑っているのを、僕はムッとして、一方のカナタは愉快そうに聞いていた。
一ヶ月が過ぎ、二ヶ月が過ぎ、そんな話題も落ち着いた頃、アキラがカナタに真剣な調子で言った。
「エダを走らせてやりたいのですが、よろしいですか」
カナタが姿勢を正し、こちらを見る。
「エダ、走りたいか?」
「はい、それは」僕は素直に答えていた。「元は飛脚ですから」
冗談のつもりではなかったけど侍女たちが控えめに笑った。カナタも笑みを見せ、
「一日に、どれくらい走りたい?」
正直に言えば、半日くらいは走りたかった。どうも屋敷の中にいると落ち着かないのだ。でも僕は走るためにここにいるわけではないこともわかっている。
「一日に、一時間ほど」
控えめにそう言った僕に、カナタが頷く。
「二時間、時間を作ろう。アキラ、頼む」
「承知しました」
こうしてその翌日から、僕は仕事の一部を免除されて、王都の中を走り始めた。この二ヶ月で、何度も使いに出されていたので、王都のおおよその地図は頭に入っていた。
二時間は、はっきり言って物足りない時間だ。もっと走らないと、体がどんどん鈍る気がした。でも時間は限られているわけで、自然と質を上げるしかない。
王都は平坦な地に作られているけど、坂がないわけじゃない。なので、無理やり坂を駆け上がったりした。
他には、ペースを頻繁に変えて、不規則だけど、全力疾走して、息が切れたらペースを落とし、余裕ができたらまた全力を出す、などしてみた。
季節は真夏で、汗をものすごくかく。顔見知りになった店で、飲み物を買うと、僕がまだ子どもだからだろうけど、ちょっとしたお菓子をくれたりする。
「エダも精が出るね」
店主の女性が声をかけてくる。
「ゆくゆくは剣聖様の飛脚だね」
「そうかもしれません」
健気なふりをしてそう言いつつ、僕自身はそんなこともないのでは、と感じていた。
剣術の稽古は続いていたし、それにカナタが個人的に飛脚を雇う理由はない。剣聖ともなれば大きすぎる権力があると、さすがに僕も気づいていた。
僕がまさかシュタイナ王国で一番足が速い飛脚ではないだろう。カナタの権威を使えば、国中を探して、最も足の速い男を手元に引き寄せることもできる。
では、僕がここにいる理由とは、なんだろう?
季節は移り変わり、秋になり、冬になった。
「カナタ様、一度、エダを見ていただけますか?」
夕食の場で、前置きもなくアキラが発言し、カナタが彼をちらっと見た。僕も理由を理解していなかったので、アキラの方を見た。
「何か、あるのか?」
「剣の筋が、伸びてきました」
全く身に覚えがなかったけど、カナタは軽く頷き、「明日は早く帰る」と答えた。
夕食が終わり、僕は侍女たちと一緒に皿洗いを始めた。
「アキラさんも、容赦ないわねぇ」
「剣の筋だなんて、エダをどうするつもりかしら」
「剣聖候補生でもないのにねぇ」
三人の侍女がかしましく、皿を片付けていく。一人が僕の肩を叩く。
「剣術が嫌なら、そう言って良いのよ」
「嫌ではないんです」
そう答えると、侍女たちが笑う。
「剣聖のそばにいるんですもの、自然とそうなっちゃうのかもね」
「痛い思いをしてまでやるもんじゃないわよ。そもそも剣術は、人を傷つけるものだしねぇ」
人を傷つけるもの。何気ない言葉の、何気ないその表現が、ストンと胸の底に落ちたのを、僕は感じた。
ここのところ、アキラとの剣術の稽古は、ほぼ腕前が拮抗しつつある。アキラの剣術の腕前はかなりのものだけど、やはり彼の方が年を取っていて、持久力がない。稽古を続ければ続けるほど、こちらの動きのキレの方が有利になる場面が増えた。
自分でも驚くけど、僕は木刀を自在に扱えるようになっていたのだ。
だから、アキラはカナタに意見したのかな?
皿洗いが終わる頃、アキラがフラッとやってきた。
「エダ、いいか?」
「はい」
二人で中庭に出て、ベンチに腰掛けた。すでに夕闇が降りてきていて、空には星が見えた。
「カナタ様に、全力をぶつけるのだ。何も考えず、全てを出しなさい」
「明日のことですか?」
「そうだ。ただ、これは明日に限られたことではない」
どういうことかわからない僕に、アキラが静かな眼差しを向けてくる。
「どんな場面でも、一回しかやってこない、そう考えて、出し惜しみをしない。それが何よりも重要になる。それを今、伝えておく」
どう答えるべきかわからないままの僕に、かすかにアキラが笑みを見せ、それから天を仰いだ。そのまま少しの沈黙があり、彼はゆっくりと口を開いた。
「剣とは非情なものだ。それを私は、お前に教えてやれなかった」
「まだ、教えていただける機会はあります」
「どうだろうな」
そう言ったきり、アキラは黙り、空を見上げていた。
彼がもう一度こちらを見て、「中に入ろう」と口にして席を立ち、話は終わってしまった。
(続く)




