2.5-1 韋駄天
僕の生活は味気ないと言っても問題ないものだ。
シュタイナ王国の北部辺境にある町で、飛脚をやっている。会社は全体でも二十人程度の小さなもので、僕はその中でも最年少の十歳だった。
でも足は大人にも負けない。持久力はないけど。そのせいで近場の書簡の配達を担当しているわけで、それは同時に、毎日、家に帰ることができる、ということでもある。
父親は元は兵士で、蛮族との戦いで戦死した。母は僕と妹を置き去りにして逃げたけど、借金だけはちゃんと残してくれた。
その借金のせいで、妹は娼館に売られていって、その時、僕は本気で泣いた。
ひとりきりになり、どうするか考えた時、飛脚をたまたま見た。僕はただむしゃくしゃして、その飛脚の男の横を並走した。
それがきっかけだったのだから、不思議なものである。
その飛脚が僕に笑いかけてきた。
「坊主、足が自慢なら、ついてきな」
もちろん、ついていけない。すぐにペースは落ちて、飛脚とは距離ができる。それでも僕は諦めずにそれを追った。
あっという間に飛脚は見えなくなり、もう町を飛び出している。でも道は一本しかないから、走り続ければ、飛脚に追いつけるかもしれない。
日が暮れて、隣の町に入るという時、僕を飛脚が待ち構えていた。
「いい足だな、坊主。気に入ったよ」
その夜、飛脚は息も絶え絶えの僕を背負って、元の町へ戻った。
それから飛脚屋に加わることになり、僕はもう数年をここで過ごしていた。飛脚屋も飛脚屋で、子どもの飛脚、というのを見世物のように宣伝し、たまに今でも、僕を指名した仕事が来る。
拠点の町はランゲルで、この町、シーナはその隣にある。シーナは僕を見出した男が支店長で、飛脚は他に二人いる。僕を含めて四人が実際に走り回り、たまに他の支店からもやってくる。事務員はなんと飛脚をしている男たちの奥さんや娘などがやっている、奇妙な家族経営じみた店である。
その日は春先のよく晴れた日で、僕はランゲルへ書簡を届け、本店へ寄って書類を受け取り、そこからシーナへ戻るところで、それに出くわした。
道を馬車が走っている。二頭立の小さなものだ。もちろん、全力で走っていないし、それどこ頃か遅すぎるほどのスピードだ。
すぐに僕が追いつき、並走する。
特に並走する理由はなかったけど、なんとなく、馬車の中が気になった。
すると、カーテンを引いて、乗っている人がこちらを見た。
精悍な顔つきの男性だ。
不思議そうにこちらを見て、かすかに目を細めた。
なんだろう? 何か、心を覗き込むような眼差しだ。
どこか不気味に感じて、僕は馬車を追い越し、そのままシーナへ突っ走った。
「本店からの書類です」
事務を取り仕切っている支店長の奥さんに封書を渡すと、「ご苦労さん」と硬貨が放られてくる。別に僕が子どもだからではなく、彼女は他の飛脚たちにもこうしてお小遣いをくれる。
いい人というより、どうも会社の報酬が不当だと思っているらしい。
「ちょっと休みます」
「すぐ戻ってきてね」
僕は硬貨を手に外へ出て、すぐ近くの食料品店でよく冷えた瓶入りのジュースを買った。会計の時に栓を抜いてもらい、店先のベンチで一服する。
と、さっきの馬車がやってきて、そのまま目の前を走って行った。
遅いなぁ。いったい、どんな人が乗っているのやら。
支店の建物に依頼人が入って行ったので、僕は素早くジュースを飲み干し、瓶を返して、会社に戻った。依頼人から受け取った封筒が、ほとんど即座に僕に手渡される。
すぐに外へ走り出て、目的地の隣町、ガーエへ。太陽はてっぺんを超えて、ゆっくりと落ちてくる。その陽射しが心地いいし、体が掻き分ける風も心地いい。
良い季節だった。
ガーエで書類を指定された場所へ届け、規則に従って、ガーエの支店でシーナに運ぶものがないか、確認する。何もなかった。ちぇっ、少しでも稼げるかと思ったのに。
結局、何も持たずに僕はシーナまで走り始めた。
徐々に太陽が落ちてきて、シーナには暗くなるまでに帰るのは無理かな、と思いつつ、しかし自分を鍛えるつもりで、ペースを上げた。
飛脚を始めた頃は、すぐに足が痛んだけど、今はそんなこともない。今はひたすら走れた。
ただ、靴には苦労している。合わない靴はダメで、色々と弊害がある。ということで、しっかりと稼げるようになってからは、オーダーメイドで靴を用意していた。
妹を買い戻すお金は少しずつ貯めているけど、まだ先になりそうだった。
でも絶対に無理じゃない。自分を信じて、走るだけだ。
結局、日が暮れてシーナの町に戻った。支店に入ると、事務員の一人が残っていて、待っていてくれた。
「おかえりなさい。これ、差し入れ」
若い女性の事務員が、ぽいっと包みを投げてくる。受け取ると、中にはハンバーガーが入っていた。
「これ、伝票です。じゃ、帰りますね。遅くまですみません」
伝票を手渡すと、事務員がにっこりと微笑む。
「この町に剣聖が来ている噂、知っている?」
「剣聖ですか? 剣聖?」
「そう、剣聖」
僕にはよくわからなかった。剣聖といえば、剣術家だろうけど、あまり実感もない。えーっと、王都で国王陛下のそばに控えているんじゃなかったか。そう、それで、地方を巡って才能のある若者を探している?
「誰か目当ての人がいるんですか?」
ハンバーガーを食べつつ、我ながら聞き取りづらい声で尋ねると、事務員が眉をハの字にしたので答えはおおよそ推測できた。
「ただの巡察よ。目当てなんていないみたいね」
「そうですか。じゃ、帰ります」
「剣聖の剣術は凄いらしいから、見てくれば良いわ」
「どこにいるんですか?」
事務員はシーナに二つある剣術道場のうちの一つを教えてくれた。
「この時間じゃ、もう、宴会だと思いますけど」
僕がそう言うと、事務員が肩を竦めてくる。どういう意味かわからない。
ハンバーガーの礼をもう一回、繰り返してから、僕は外へ出た。自然と足は例の道場に向かった。ただ、近づいた途端に大きな笑い声の重なりが聞こえてきて、げんなりしてしまった。やっぱり宴会になっているのだ。
そんなわけで、道場に背を向けて、僕は家に帰った。
両親が残してくれた家で、僕の家だけど、僕の家でない部分がほとんどだ。
普通の一軒家で、僕は二階の一部屋だけを、使っている。他の部分は、年若い夫婦と幼児一人の一家に貸している。実に奇抜ながら、玄関は一つ、台所は一つ、風呂も一つ、トイレも一つ。まるで僕がその家族に強引に混ざっているようだけど、仕方ない。
その他所の家族に挨拶をして、風呂に入って、自分の部屋へ移動した。
部屋の明かりを消して布団に入った時、ふと気づいた。
あの昼間に見た馬車が、剣聖の馬車だったのかな。
なら、あの時、カーテンを開けてこちらを見た人が剣聖?
うーん、そうとも思えないけど、でもあの視線には普通の人とどこか違うものがあった。
それでも僕とはただ一瞬、すれ違ったようなもので、何の縁もないだろう。
気づくと眠っていて、目が覚めるとうっすらと明るくなっている。例の家族を起こさないように身支度をして、外へ出た。早朝からやっている店で、適当なパンと飲み物を買って、歩きながら食べた。
よし、今日も元気に働こう。
しかし、飛脚屋の支店に着くと、意外な事態が起こっていた。
(続く)




