1-7 傭兵としての生活
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俺の周囲には褐色の肌の男たちが、ボロボロの武器を持って、殺気立っていた。
トグロ村を飛び出して、一年が過ぎている。
母さんは、あの後、半年で病気が悪化して、亡くなった。旅の途中で、名前も知らない山の中だった。薬が切れていて、苦しそうだったのが、今、思い出しても涙腺が緩む。
ちゃんとした墓も用意できず、森の中で火葬して、拾えるだけの骨を拾って、持っていた巾着に入れて、土に埋めた。遺骨の少しだけは、今も持っている。
その場には一緒に村を脱走した青年の一人、カブトが一緒だった。
彼は俺と一緒に一度、トグロを村を脱出し、すぐに取って返して、唯一の身内の妹、マイコを今度は脱走させた。
普通ならタツヤがマイコを押さえているはずが、マイコは俺の危機の噂を聞いて、即座に身を隠したらしい。カブトとも、もしもの時の対応を話し合ってあったようだ。
カブトとマイコは、今も放浪生活をしている。
もう一人の青年、タクは、俺の後にやはり村を家族と一緒に抜け出した、と聞いている。でもどこにいるかは、俺も知らない。
さて、それで、周囲の男たちだ。
彼らの仲間の五人が、俺の周囲に倒れている。五人ともまだ息をしていて、血だまりに倒れていても、助かるだろう。
ここはシュタイナ王国の西部国境地帯だった。
俺を囲んでいるのは、シュタイナ王国の西部にある、蛮族の部族の一つの兵士だ。
この地帯は蛮族が無数の集団を作って、協力したり、潰しあったりを繰り返していて、一向に一つの集団にならない、稀有な場所だった。
俺の今の立場は、シュタイナ王国に雇われた傭兵団の一員であり、別に深い理由はないが、今もいつかのように殿を任されていた。
戦闘自体はほとんど痛みわけで、両軍が兵を引きつつある。
しかし一部の部隊が、執拗に追撃し、それを僕が押さえている、という形だ。
蛮族達の背後を、そろそろ味方が制圧するだろう。
俺はじりっと、下がり、さらに下がった。
包囲がゆっくりと解け、代わりに傭兵団の兵士が俺の背後を確保する。
そのまま両方の部隊が撤収し、戦闘は次の段階になる。
負傷者の救助と部隊の再編、捕虜の確保である。
「へい、坊や。なかなかやるな」
傭兵仲間の一人が俺の肩を叩く。
「あれはどういう魔法だ?」
「魔法じゃないですよ、剣術です」
別の傭兵たちも俺の横や背後についてくる。
「一瞬で三つの剣を弾いただろう。こう、円を描くみたいに」
「あれは並の技じゃねえな。どこで習った?」
「俺もできるか? どれくらいで習得できる?」
「世の中には精神器とか呼ばれる奇跡があるが、その一つか?」
質問攻めに俺は無言で応じる。彼らはそれでも諦めず、話を続けていた。
「ミチヲ! ちょっと来い!」
傭兵団の陣地に戻ると、士官の一人が声をかけてくる。俺は小走りでそこへ向かった。
士官と一緒に幕舎に入ると、今回の部隊司令官が待っていた。今回は傭兵団が運用する二個軍団、総勢二千名の中から、二百五十人がここに駆り出されている。部隊司令官はそのトップだ。
司令官を前に敬礼するけれど、ラフなものだ。司令官も似たような敬礼を返してくる。
「殿を引き受けたと聞いたが、班の損耗は?」
俺の指揮下は班と呼ばれる最も小さな単位で三つ、三班を預かっている。一班が八名なので、二十四名で、俺を含めて二十五名となる。
「負傷者が四名です。そのうちの二人は後方への移送が必要です」
周囲の騒動を無視して、ちゃんと自分の班を把握しておく、これは傭兵団に入って最初に学んだ。
「その二人の補充は必要か?」
「一週間は待てますが、それ以上は、不可能です」
「わかった。考えておく」
司令官が頷いて、表情を和らげる。
「だいぶ、うちにも慣れてきたな。不満はないか?」
「何もありません。満足しています」
「団員に剣を教えているらしいな。指導者として、どんな感触だろう?」
俺は少し考えてから、正直に言った。
「彼らに剣術はあまり浸透していません。不必要、とまでは言いませんが、剣術以上のものを、多くの団員が持っています」
「剣術以上のもの、とは?」
「生き抜く知恵というか、純粋な実戦で培われる感覚、でしょうか」
何が面白いのか、司令官もその副官も笑い出した。
「そうか」司令官が目元を指先で拭った。「剣術は我々には無用かな」
「生存本能の一部に組み込める団員が大勢いるので、その点では、生き残るための少しの手助けにはなります」
正直、ムッとしながら、俺は真面目に答えておいた。
それから今後の展開などを聞かれたけど、俺にわかるわけもない。
「実は、これはまだ正式には決まっていないが」
司令官が少し声を潜めて、身を乗り出した。なんだろう?
「二個小隊を蛮族の一部族に、教導のために派遣するかもしれない」
「そうですか」
別に変わったことではない。
傭兵団はシュタイナ王国を主な取引相手としているが、過去には他の国家や蛮族に手を貸したこともあると聞いている。
そもそも傭兵とは、雇われ兵であって、どこかの国家や部族に肩入れするわけではない。
大口の契約主であるシュタイナ王国の不利を招かない程度に、蛮族の部族に協力するんだろう、と思った。
「お前を、その二個小隊の指揮官にしたい」
「無理です」
即座に答えると、司令官は目を丸くし、やはり驚いている副官と目を合わせた。
「他の誰かを指揮官にしてください」
俺は即座に繰り返した。本当はこのまま幕舎を出たかったが、それはやりすぎだろう。
答えを待っている間に、司令官と副官は小声で何か会話をしている。こちらには聞こえない。
「行くことは行ってくれるのか?」
「仕事ですから」
他にどう答えようがあるだろう。
何度か頷いた司令官が、厳かな口調で言った。
「本部にはそのように報告しよう。実際に動くのは、半月後を見込んでいる。その時にはここの戦いも落ち着いているといいが」
「今の班を連れて行っていいですか?」
一つの班が八名、それを五つで一個小隊だ。つまり二個小隊とは、八十名になる。
自分の指揮下の三班の二十四名は、それ相応に経験を積ませたし、訓練もしている。八十名の中に組み込めれば、その八十名はそこそこの集団になりそうだった。
「そのあたりは本部が決める。人材不足は軍も傭兵も一緒だ」
「そうですか」
俺程度の立場ではどうすることもできないか。
失礼します、と、もう一度敬礼をして、俺は幕舎を出た。
自分の部隊の集団に戻ると、ちょうど負傷者が後方へ輸送されるところだった。二人とも若い男で、片方は腕に、片方は腹部に重傷を負っている。どちらも服を脱がされ、包帯が傷口を圧迫しているが、その包帯は真っ赤だった。
痛みがあるはずなのに、二人は俺に謝罪の言葉を口にして、俺は彼らに労いの言葉をかけるしかない。
また戦場で会おう。
それがこういう時、僕が口にする言葉だった。
彼らが移送され、陣では食事の準備が始まる。当番ではないものの中で希望するものが、俺の剣術の指導を受けた。
傭兵団に入ったのは二ヶ月前で、母さんが死んでからの三ヶ月を、俺はシュタイナ王国の辺境地帯の放浪で過ごした。
その間に様々な剣士と出会い、技を教わった。
ラッカスのことを告げると、大抵の剣士は懐かしそうな顔になり、俺を信用してくれる。
しかし一部の剣士は怒りを爆発させ、その場で俺を切り殺さんばかりになる。
どうやらラッカスという男は、誰かに信用される一方、誰かには激しく憎まれたらしい。
俺はラッカス師から教わった剣術を見せ、相手は自分の剣術を見せる。
多くの剣士が言う言葉で共通していることがあった。
生きているものこそが正しい。
死なない剣こそが正しい。
どれだけ技を磨いても、戦いで負ければ、それまで。
そういうことなんだろう。
俺は傭兵たちに様々な剣術を教えていたが、指導するようになって一ヶ月で、俺を唸らせた奴はいない。
ただ、驚くことはある。
棒を使った剣の稽古の時、こちらが決定的な打撃を繰り出した瞬間に、その棒に腕を晒して、自分の棒を俺に当てようとする奴。
それ以前に、こちらが棒で打ち据えても構わずにこちらを打ち据えようとして、お前は死んでいる、と言っても、それは実戦にならなきゃわからない、と、うそぶく奴。
そういう変なふてぶてしさ、というよりは、実戦主義とでも言えるものが、傭兵たちには蔓延している。
もちろん、それが悪いわけじゃない。
こちらの真剣を腕で受け止めて、腕が切り飛ばされてでも、こちらの剣が逸れれば、あるいはその傭兵は死なないかもしれない。その一瞬に反撃し、俺を殺せるかもしれない。
俺の剣が相手の腹を真っ二つに切り裂いても、何らかの理由で、まだ体を動かすことができて、ほとんど相打ちとはいえ、こちらを切り殺せるかもしれない。
この主義は、実戦が第一でありながら、同時に、刹那的でもある。
次を考えていない。
それもそうだ。戦いで命を投げ出す時に、次を考えても仕方ない。
死んでしまえば、次はないのだ。
生きているものこそが、正しい。
ここでも剣士たちの理屈を、思い出した。
最近、俺が指導していることは、反省すること、それしかない。
生き残ったからいいじゃないか、という姿勢ではなく、なぜ生き残れたのか、敵はなぜ生き残れなかったのか、そういうことを考えさせる。
そこからより効率的で、合理的な、生存方法を見つけて欲しかった。
その日の稽古は食事で中断し、食事が終わると、見張りを残してひっそりと傭兵たちは眠りについた。
俺もいつの間にか身についた、戦場特有の、常に意識の一部をはっきりさせたまま眠る、という変な手法で、休息をとった。
眠っているとも言えない眠りが、俺を満たした。
(続く)