0.5-6 精神剣の使い手
王都まで馬車で五日がかかった。夜は適当な宿場で休み、夜の度にヒラエが色々な知識を教えてくれる。
騎士学校の様子や仕組み、制服や勉強道具の用意のやり方などだ。
剣聖候補生という立場なので、お金に関しては考える必要はないらしい。これは祖父も言っていたけど、僕は信じていなかった。しかしヒラエが言うには、剣聖候補生は生活の全ての面倒をシュタイナ王国が肩代わりしてくれるらしい。
つまり制服も無料、教科書やノート、ペンなども無料であり、寮に入ってもお金は払わないし、食事も無料。これは上限があるらしいが、自由な金銭を受け取ることもできるという。そのお金で街へ出て自由に買い物などができると聞いた時、僕は呆気にとられてしまった。
お金の管理は経験がない。お金に関してはできるだけ、考えないようにしよう、と決めた。
王都に着いてみると、そこはまるで別世界だった。様々な建材で、様々な様式の無数の建物が整然と並んでいる。川には石橋がかかり、その欄干は信じられないほど細密な彫刻が施されている。
前方に巨大な建築物がある、と思っていたら、それがどんどん近づいてくる。
その建物が目的地なのだ。
建物は周囲を川に囲まれているのか、かなり長い橋を渡っていく。
「向かっているところは第二王宮だよ」ヒラエが愉快そうに話す。「ちなみにこれは川でなく、堀だ」
「堀?」
概念では知っていたけど、こんなに巨大とは思わなかった。どうやって掘ったんだろう? 数年ではとても足りないのではないか。
橋の先で門を抜け、前庭らしいところを抜け、建物中に入った。もちろん、馬車から降りていない。馬車が入ることができるほど、建物が巨大なのだ。
馬車が止まり、まずヒラエが降り、僕も続く。
巨大な構造物の中で、目の前に二人の騎士が立っている。近衛騎士だろう。どちらも腰に剣を帯びている。その二人に挟まれて、ヒラエに先導されて先へ進もうとした時だった。
「待ちなさい、ヒラエ」
建物の奥から老人が小走りにやってきた。
マントを羽織っていて、それはヒラエのものとそっくりだが、色が違う。老人のマントは真っ黒だ。ヒラエが老人が近づくのを待って、尋ねる。
「何かありましたか、フカミ殿」
「その少年が、例の少年か?」
老人の奇妙な色合いの瞳が僕を見た。
変な揺らぎのある瞳だな。
「ええ、ソラ・スイレン剣聖候補生です。それが何か?」
「剣聖との会見を設定することになった」
「剣聖との会見? どこでですか?」
「円卓の間だ。十三人全員が列席する」
そっとヒラエがこちらを見たけど、僕にはどうすることもできない、という視線を返すしかない。ヒラエは大きく息を吐き、
「良いでしょう。ついてきなさい、ソラ」
こうしてヒラエと、フカミと呼ばれた老人に先導されて、近衛騎士二人と共に建物の中を進む。
「私はフカミ・テンドーだ。第三席の剣聖だ」
老人が自己紹介してくるけど、僕は頭を下げるしかない。老人はムッとしたようで、首を振って嘆くように呟いた。
「こんな子どもが、精神剣とは、な」
こちらが腹を立てても良かったけど、確かに僕は子どもだし、老人には敬意を払うべきだろう。祖父と長く過ごしたせいか、どうも老人は無下にはできない。
かなり長い距離を歩いて、その部屋にたどり着いた。近衛騎士は通路に残り、フカミ、ヒラエ、そして僕の順番で中に入った。
広い空間に大きな円卓があった。そこにすでに十一人が腰かけている。男女の比率は少し偏っていて、女性は二人しかいない。
もちろん、誰も知っている人はいない。
と、部屋の隅に一人の少年が立っているのが見えた。僕と同じくらいの歳に見える。
その少年がこちらを見て、微笑んでくる。僕も微笑み返した。
もうフカミもヒラエも空いている席に座り、それを合図に、三十代くらいの男性が声をかけてくる。
「ソラ・スイレン剣聖候補生か?」
「はい」
男性が軽く頷き、目を細める。
「精神剣を使う、と聞いた。本当か?」
「はい」
「見せてみろ」
僕は思わず相手を凝視してしまった。見せてみろも何も、どうすればいいんだろう。
と、いきなり男性が円卓の上に置かれていたグラスをこちらへ放り投げた。
咄嗟の判断だった。
精神剣を瞬間的に発動し、軽い力でグラスを跳ね飛ばす。
グラスから飛び散った中身の液体は、音階の歩法の一つで回避した。
カツーンと高い音を立ててグラスが床に転がり、あとは部屋を静寂が支配した。
「見事」男性が頷く。「認めよう」
ホッとする僕の目の前で、今度はフカミがグラスを投げた。
でも、僕に対してではない。
部屋の隅にいる少年に投げたのだ。
それもグラスはかなりの速さだった。僕は反射的に視線を向けた。
何もない空間で、誰も触れていないのにそのグラスが弾かれるのははっきり見えた。
液体も弾かれ、少年にかかることなく、不自然に床に飛び散った。
「彼は」フカミが低い声で言った。「カナタ・ハルナツ。お前と同じ剣聖候補生にして、精神剣の使い手だ」
僕はもうカナタから視線を外せなかった。
カナタこそが、ヒラエが僕に教えてくれた、もう一人の精神剣の使い手だ!
でも、彼は真剣な表情の陰に、どこか怯えのようなものを滲ませている。
その怯えが、特に気になった。
精神剣という特別な力を持ちながら、どうしてそんなに自信がないんだ?
「君たちが高め合うことを望む。退出してよろしい、ソラ、カナタ」
男性がそう言ったので、僕は頭を下げ、カナタと一緒に外に出た。
「えっと」
通路で、どこへ行くかもわからないので、とりあえずカナタに声をかけた。
「僕は、ソラ・スイレン。よろしく、カナタ」
自然な言葉だったはずだけど、カナタは激しく動揺していた。
「僕が怖くないの? きみは」
「なんで?」
正直な感想だった。何も怖くはないし、怯える理由もない。
「僕が、異常だと思わないの?」
どうやらそこにカナタの怯えの原因があるらしい。
「精神剣のこと? 僕も使えるしね、気にはならない。それに、精神剣が使えても、人間だしね。本当に、何も気にならない」
僕の言葉を受けて、カナタが軽く俯いた。
「学校では、そうはいかないんだ。みんな、僕を化け物みたいに見る」
そうか、そういう世界もあるかもしれない。
僕は学校とは無縁だったし、そもそも人間関係が希薄な今までだった。
「えっと、カナタは、何年生?」
「一年生だよ」
「一年生!」
思わず彼の手を握り、激しく振っていた。
「ヒラエさんから聞いたけど、僕は一年生に編入する。まだ学校が始まって一ヶ月だよね?」
「そ、そうだけど、それは、つまり……?」
「僕たちはきっとクラスメイトになる。二人で他の奴を黙らせてやろう」
まだカナタは困惑しているようだった。
「僕たちを変な目で見る奴らに、僕たちが特別じゃなくて、ひたすら努力を続けている、って見せてやろう。そうじゃないの? カナタだって、訓練を積んだんでしょ?」
「それは、もちろん」
「なら何の問題もない。精神剣の訓練をどうやっていた? 僕は森の中で自然の木を利用してやっていたけど、王都ではそれはできそうにないなぁ。何かやり方を知っている?」
「え? え? 木? え?」
カナタは目を白黒させたが、僕は珍しく興奮していた。
初めて、本当に理解し合える相手を見つけた気がした。
そして、本気でぶつかれる、好敵手が、やっと見つかったんだ、と感動した。
王都に着いたまさにその日は、僕が決定的な一歩を踏み出した日になった。
(続く)




