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剣聖と剣聖  作者: 和泉茉樹
第0.5部 剣聖の黎明
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0.5-5 旅立ちの春

 イシザ村に馬車がやってきた時、どうやら村人の大半は事情を知っていたらしい。

 春の色が濃い時期で、ちょうど学校が始まる頃だ。祖父はもしかしたら、僕が騎士学校に入学する時期まで考えていたのかもしれない。

 馬車は二頭立で、後になってみれば簡素なものだったけど、それでもイシザ村のような貧しい村では、そもそも馬車が珍しい。彼らは馬を飼うのは稀で、飼っているのは力のある牛か、そうでなければ豚のような食肉にするための動物だ。

 馬車が来る前から、僕と祖父、そして母と二人の使用人が外に出て、待ち構える形になった。

 僕は怪我を負った後になって、母屋に使用人が二人いることを知った。それまで家の中のことはすべて母が処理していると考えていたのだ。でもどうやら、毎回の料理は母が用意していたらしい。

 母の料理を食べて育ったことは、僕にとっては幸福だったけど、祖父はどうだっただろうと、後になって考えた。

 母の料理の腕のせいで、祖父の息子、つまり僕の父親は、不運に転落した、と祖父が考えないとは言い切れなかった。

 そんなわけで、ほとんど関係らしい関係を認識できないまま、使用人が用意した、上等な服を着て僕は馬車を待った。さすがに祖父も礼服を着て、その胸には初めて見る勲章が二つ、あった。祖父が勲章を受けていることも、初めて知ったことの一つだ。

 母も着飾っているけど、やはり表情は冴えない。

 いよいよ馬車が到着し、中からヒラエが降りてきた。笑顔で祖父と握手し、次に母と握手をした。

 最後に僕の前に立ち、

「緊張しているかな?」

 と、微笑みつつ、手を差し出してくる。僕は握り返す。

 緊張するに決まっている。剣を向けあった時より、今の方が緊張しているかもしれない。

「お孫さんは、正式に剣聖候補生として登録されたことを、ここにお伝えします」

 剣聖自ら、懐から封筒を取り出し、それを祖父に手渡した。祖父は中を検めもせず、捧げ持つようにしてから、それをそっと背広の内側に滑り込ませた。

 その表情は、まだ険しい。

 まるで、これで終わりではないぞ、と僕に告げているようだった。

「では、行こうか、ソラ。別れは済ませているか?」

 まず祖父、次に母を見た。

 二人とも何も言わない。母は顔を合わせようともしなかった。

 祖父は軽く瞑目し、次に、軽く頷いた。

 別れというものを、もっと形式張ったもの、芝居めいたもの、と僕は想像していたけど、どうやらそれは想像力が逞しすぎたらしい、と考え直した。

 実際の別れなんて、あっさりしたものだ。

 僕はまだ幼いからか、二人といつでも会えるような気がしていた。

 ここに戻ってくれば、自然と顔を合わせられる。そういう想像だ。

 これもまた、過剰な想像力かな、と思いつつ、僕は二人の前で直立して見せた。

「行ってきます」

 自然と、その言葉が出た。祖父はまた軽く顎を引き、母は軽く目元を押さえた。

 僕は二人と使用人達に背を向け、馬車に乗り込む。後からヒラエが乗ってきた。扉が閉じられ、御者がムチを振るう音の後、ゆっくりと馬車が動き出した。

 外を見ると、祖父と母がこちらをじっと見ている。

 その姿はすぐに見えなくなり、僕はなんとなく視線のやり場に困って、外を見た。

「怪我の具合はどうだ?」

 しばらくして、ヒラエが尋ねてきたので僕は彼を見て、頷いた。

「もう何ともありません。深い傷でもありませんから」

「先生からどう聞いている?」

「どう、とはどういうことですか?」

 逆に尋ね返す僕に、ヒラエは困ったような顔になった。

「あの時、私はあやうく君を殺すところだった。それを、先生が見抜けないわけがない」

 そうか、あの一撃は、確かに受け損なうと危険だったな、と僕は自分の中の評価を再確認した。それであの時、祖父は僕の前に飛び出したのだ。

 思い返すと、自分の行動も記憶が蘇った。

「僕こそ、容赦ない攻撃をしてしまいました」

 謝罪のつもりで言ったけれど、ヒラエには冗談のように聞こえたのか、彼は声を上げて笑った。何がそんなに面白いんだろう?

「面白いな、ソラ」彼は目元の涙を拭って、自然とそのことを口にした。「あの場で私が切られていたら、その時は、きみが剣聖になっていたよ。それが剣聖における絶対の掟だ」

「僕が剣聖? なんでですか?」

「私が剣聖で、きみが剣聖を破れば、きみが剣聖なんだよ」

 理屈としてはわかる。わかるけど、実際的ではない。

「僕は、イシザ村の、それもあの道場の中しか知りません。人との交流も、祖父か、母か、わずかな村人の顔を見た、という程度です。それなのに、剣聖を切ったら、剣聖なのですか?」

「そうだ。それが決まりなんだ。絶対に曲げることのできない、剣聖の使命でもある」

 僕は納得できずに、黙り込んでいて、それもまたヒラエには面白いらしい。彼はすっと外を指差した。ちょうど田園地帯に差し掛かっていて、多くの農民が畑を耕している様子が見えた。

「あれが見えるかい? 私は農民の出身ではないから、農民の暮らしの不自由さや苦しさは、体感としては理解していない。でも私は多くの農民の生活の様子を見てきている。剣聖として、地方への巡察が仕事の一部で、もう数え切れないほど、王国中を巡っているんだ。そうすると、商人の生活もわかってくる。私の中の知識は、剣聖になってから身についたものの方が多い」

 僕はじっと外を眺めた。

 僕が知らない世界が、果ての果てまで広がっている、となんとなく理解しかけていた。

 今までは道場の中、もしくは村の近くの森の中で、全てが完結していた。

 でも剣聖になれば、もっと広い世界を見れるし、剣聖にならないとしても、今の僕は騎士学校という新しい場所に踏み込むわけだ。

 僕の世界が一回りも二回りも大きくなる、そんな実感が急にやってきた。

「君がもし、あの場で私を切ったとして」ヒラエがこちらに微笑んでくる。「君は剣聖になるが、未熟なのは誰もが知っている。しかし、それと同時に誰もが、剣聖として君が成長する様子を見守っただろう。剣聖というのは、そういう視線を受ける立場でもある。期待に応えるプレッシャーもあるが、それと同時に、期待されることは、後押しでもある。ま、いずれ君もわかるだろう」

「はい、勉強させていただきます」

 僕の返事に、ヒラエが頷く。

 その表情が真面目なものに変わった。

「これはすぐに分かるだろうから、先に話しておく」

「なんでしょうか?」

 僕は身構えた。ヒラエは少し困ったような顔になりつつ、

「精神剣の持ち主が、もう一人、いる」

 そう言った。

 僕は少し混乱し、

「はあ」

 としか、言えなかった。

 もう一人いる? 精神剣の持ち主が?





(続く)


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