0.5-3 進撃の始まり
道場の壁はすぐに修復され、祖父の訓練にも大きな変化があった。
彼は剣術の稽古を半日にし、お昼ご飯と休息の後、僕を外へ連れて行った。
現在のイシザ村をはっきりと見物する、初めての機会になった。記憶の中や想像していたよりも戸数は少なく、商店も少ない。そしてすぐ近くに山が見える。
祖父と二人で、村人の視線を受けつつ、しかし反応もせず、道を急ぐ。
斜面の道をある程度上がり、森に差し掛かったところで、道なき道を選ぶ。
木々が並び立つ中で、祖父は僕に精神剣を発動するように命じてくる。
最初こそ、うまくいかなかった。祖父は初めこそ僕の精神剣を恐れていたようだけど、僕がまともに扱えないとわかると、木刀を持ち出してきて、再び打擲を始めた。
森の中で精神剣の不発と、木刀のめった打ちが一ヶ月を超えた時、やっと手応えがあった。
意識の集中により、僕の両腕に力が渦巻く。
僕自身が怯えていたので、すぐにそれを解放してしまうと、強い風が吹いた程度の力しかない。
でもこの渦を溜め込めるだけ溜め込むと、解放した時の威力も段違いだ。
実際、僕が可能な限り、ギリギリまで力を集めて解放すると、太い木が三本ほど、まとめて抉られ、その三本が倒れた時の地響きがものすごかった。
さすがにこれには祖父も恐れをなしたようで、打擲はなくなった。
でも二人で毎日、森に入り、精神剣の修練を続けた。
最初は力の発動のコツを掴む努力をし、それができるようになると、次は強弱をつける方法を模索した。
強弱を自在に扱えるようになった時、すでに森の木々は色づき、秋になっていた。
訓練は次の段階に入り、発動した不可視の力を、自在に操ることに明け暮れた。
最初は直線でしか放てなかった力は、徐々に曲げられるようになり、曲げることを覚えたら、今度は曲げた後さらに逆方向に曲げるようにイメージした。
周囲に木が無数にあるので、何本かの木の間を力がすり抜け、離れたところの木が、加減された力で倒れるまでではなくヒビが入る程度の衝撃を受ける、という、まるで大道芸のようなことをひたすら繰り返したりした。
寒さが感じられるようになり、雪も降った。
「剣聖を招こうと思うが、どうか」
ある日の朝、朝食の後の稽古が始まる前に、祖父がそう声をかけてきた。
「剣聖を?」
「お前を、剣聖候補生に認定してもらう」
僕が剣聖候補生になる、ということはあまり実感がなかった。
僕が異常な剣術を使いこなし、精神剣さえも使いこなす、というのは、自分でもしっかり把握しているつもりだった。
同じ年齢の相手どころか、十は年上の相手でも、引けを取らないはずだ。
でも、剣聖となると、どこか違うような気がする。
そもそも、剣聖候補生になりたい、と僕は考えたことがなかった。
なかったけど、では、剣術で生きていく以外に、自分にどんな道があるだろう?
剣術以外の何かが身についているわけでもなく、ただ戦うことだけに特化した自分は、実はその一点で何よりも異質なのではないか、とぼんやり考えていた。
「まずは近衛騎士になれ。そして剣聖を切るのだ」
落ち着き払った祖父の言葉に、思考が戻ってくる。
「剣聖を切ると言いますが、剣聖はそう易々と切れないと思います」
どこか祖父が冷静さを失っているような気がして、そう反論していた。
それに対する反応は、目を瞑る、だった。そのまま動かなくなった祖父を僕はじっと見据えた。長いように感じる沈黙の後、祖父はまぶたを上げた。
「私は剣聖に挑まなかった」
祖父の目の色にいつもと違うものがある気がした。
「それは、剣聖に敵わない、と思ったからだった。なぜ敵わないのか。才能がない、努力が足りない、時間がない、様々に言い訳ができる。だから、自分の息子にはそれを全て与えた。才能の有無を努力で塗り潰させ、ありったけの時間を剣術に傾けさせた。結果、あいつは剣聖候補生となり、近衛騎士となり、剣聖に挑んだ」
もう一度、祖父が目をつむった。そのまま、言葉を続ける。
「息子が愚かしいとも思わなかった。むしろ、自分の血筋から剣聖が出る、とさえ夢想した。しかし実際は違った。剣聖ははるかに強かった。息子は、ヤヒコは、退けられた。そうなって初めて、真に愚かなのが、私だったと気付いた」
愚か? 愚かという言葉の意味を、僕は考えた。
祖父は口を止めない。
「全ては力だ。どれだけの才能、どれだけの努力、どれだけの時間、どれだけの栄光、どれだけの地位があっても、剣の前では無意味だ。才能が、努力が、時間が、栄光が、地位が、剣をより早く走らせることはない。それらは全て、わずかにしか作用しないのだ。瞬間的に、相手よりも強い力を出したものが、勝者だ。それでも私はお前のために、お前の全てを犠牲にさせ、その一瞬の力の助けになる、わずかな力をお前に与えた」
犠牲。まさにそれだ、と僕の考えは移っていく。
そう、祖父は僕の全てを取り上げ、進路を限定した。祖父はそれを愚かな行為と思わなかったのか。祖父の意向のままに、僕という一人の人間を、意のままに操る。血筋など関係ない、純粋な人権の否定を、祖父は断行した。
でも彼はそれを、愚かだとは捉えない。
祖父こそが愚かだ!
そう思ったけど、僕は黙って、まだまぶたを下ろしている彼を見返した。
「お前は私が知っているどの剣士よりも優れている。その年齢にしてだ。さらなる伸びしろが、十分に保障されている。その上、精神剣さえも手に入れた。お前が最強だ。誰も、お前には敵わない。だから、剣聖候補生になれ。まずはそこからだ。いずれは剣聖を倒すのだ。お前の父の仇を」
すうっと胸が冷えた。
祖父の愚かさ、狂気と呼んでもいいその行動は、結局は、息子を失った、という要素を地盤にしているのだと、理解できた。
でも僕は父ではない。僕は僕だ。
「剣聖に悪意はありません」
僕がそう応じると、祖父がカッと目を見開いた。
「剣聖に悪意はない! 当たり前だ! 悪意は別にあるのだ!」
突然、祖父が掴みかかってきて、僕は両肩を強く掴まれた。
「シュタイナ王国の十三人の剣聖! その仕組みにこそ、悪意がある! 無駄に若い才能を失わせる、その仕組みこそ、悪だ! だからこそ私たちはそれに挑まなくてはならない! あの悪意で固められた構造の頂点にお前が立つ! それで、私たちの悲願にして宿願、復讐がなるのだ! わかるか? わかるか!」
黙っていると、祖父は深く息を吸い、僕の肩を解放すると、座り込み、天を仰いだ。
もちろん、天井しか見えないだろう。
でもそれ以外が見えるような、そんな素振りだった。
「剣聖など……、剣聖など……」
祖父はそう呟いて、でももう言葉を続けなかった。
剣聖を招くことを、僕は承知した。
(続く)