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剣聖と剣聖  作者: 和泉茉樹
第1.75部 喪失と再生
63/136

1.75-6 預けたものと受け取ったもの

 床のマットの上に横たわったキラが、こちらを見上げる。

「旅に出る? どこへ?」

 私もマットの上にいて、それはアキヒコが用意していた寝台に敷くマットだ。予備を全部並べると、建物の中の空き部屋の半分くらいを埋められる。

 今、そのマットの上で、私はキラに護身術の指導をしていた。

 立ち上がったキラが、作業着を整え、こちらに掴みかかってくる。

 彼女の勢いと力のバランスを即座に把握し、私は彼女を投げた。合気とか呼ばれる技で、私はカイゴウにこれを仕込まれた。

 鮮やかと言って良い軌道で、キラがマットに背中から落ちる。とりあえず、受身は覚えている。

 彼女は今度は寝転がったまま、こちらを見た。

「もう一度、訊くけど、どこに旅に出るの?」

「どこか、適当なところへ行くわ」

「なんのツテもなく、いきなり行くの? 無謀じゃない?」

「そんな旅ばかりしてきたから、慣れているわ」

 やっとキラが身を起こして、しかし立ち上がらず座り込んで、こちらを上目遣いに見た。

「また人を殺して、生きていくの?」

「まさか」

 私は笑って見せた。

「薬屋として、生きて行くわ。先生に教えてもらっただけで、実際に見ていない薬草も多いしね」

 すでにアキヒコからの講義は、ただの情報のやり取りに近い。この屋敷の近くの山や野に生えている薬草は、もう全て把握している。アキヒコが最近、講義してくれる薬草は、別の気候のところに生えるものが多く、つまり、アキヒコは自分で書いた絵を見せ、それに言葉での説明を私に聞かせてくれるわけで、実際にその薬草を手に取ることはできない。

 だったら、自分から探しに行ってもいいかな、と思っている。

 まだ私を見ているキラが、溜息を吐いた。

「あなた、自分の体のことをわかって、それを言っている? サリーさんの体、はっきり言って、ボロボロだよ」

「それでも生きていける薬がある」

「薬は対処療法みたいなものじゃないの。体は常に変化するって、先生も言っているでしょ」

 その通りだけど、しかし、まさかこれからずっとアキヒコのそばにいるわけにもいかない、と私は考えていた。

「あ、サリーさん、先生に迷惑をかける、って思っているでしょ」

 おっと、心を読まれた。キラも私と長く接して、私の心理を軽々と想像してくる。

「思っているよ。だって、私は流れ者だし」

「良いじゃないの、過去のことは。先生に専属の薬屋になれば良いのよ」

「だったら、どこかで珍しい薬草なりを、探さなくちゃね」

 ブスッとした顔で、やっとキラが視線を逸らした。

 それから一時間ほど訓練を続け、キラは昼食の準備に行き、私は体力作りのために屋敷の外に出て、柵の外周を走った。

 二周したところで、胸に強烈な痛みが走って、危うく転倒しかけた。一歩、二歩とよろめいてから、ゆっくりと膝をついて、胸を押さえて耐える。

 いつものことだ。すぐ治る。

 痛みは引いていき、あとはゆっくりと歩いて屋敷の庭に入ると、珍しくアキヒコが庭の花を眺めている。こちらに気づき、ちょっと眉を持ち上げる。

「具合が悪そうだな」

「いつものことですよ」

 平然と答えると、アキヒコは追及をする気もないようで、視線を花に移した。

「花は短い時間しか花を咲かせない。不思議に思わないか」

 急に変なことを言われても、返事に困る。

 黙った私のそばで、アキヒコは花を見たまま話す。

「春に芽を出し、夏に花を咲かせたとして、花がしぼめば、後は葉も茎も枯れて、冬には何もかもが消えてしまう。ただ一点、種が残る」

「まあ、そうですね」

 他になんと言えと?

「では、花の目的とは何か。花を咲かす、ということは見た目では分かりやすく、まさにピークと言える。だが、植物が芽を出し、成長し、花を咲かせるとしても、それらは真の目的ではない」

「では、真の目的とは?」

「生き続けることだ」

 こちらにアキヒコが視線を向けた。無表情だが、少しは感情が読み取れる。憂い、だろうか。

「花を咲かせるのは、種を作るためだ。春に芽吹くのも、次なる種を生み出すため。雪解けの後に見る芽も、美しく花も、瞬間瞬間で捉えれば、ハッとさせる場面ではある。しかし実際には、それらは本来の目的のための通過点だ」

「通過点でしょうけど、でも、それなら種を生むことも、通過点でしょう」

 少しだけ、アキヒコの表情に嬉しさのようなものが見えた。

「その通り。全てが通過点で、終わりはない。お前の剣術の腕を私は知らない。しかし、薬に関してはよく学び、よく思考している。私が死んでも、私が身につけた薬学は、お前が受け継いでいる。キラもだ。お前たちは次の誰かに、それを引き継ぐ義務がある」

「義務はないと思いますけど……」

「そうだな、義務ではない」アキヒコが珍しく笑った。「しかし、お前たちが社会の中で生きようとした時、自然と、伝わるだろう。社会、もっといえば、生きる、ということは、すなわち継承なのだよ」

 すっとアキヒコが屋敷の玄関の方へ踏み出したので、私はそれについて歩いた。

 彼の歩き方は、私が知っている剣士たちとはまるで違う。でもこの人が偉大だと、私は感じている。

 剣術、戦闘術、殺人術、そういうものは力としては、はっきりしている。

 でも目の前の医師の気配は、見るものが見れば、畏怖の対象なのだ。

「旅に出たいそうだな。キラから聞いた」

 屋敷の中で食堂へ歩きながら、アキヒコが言う。キラの奴、口が軽いなぁ。まぁ、いずれは伝えなきゃいけなかったし。

「知らない薬草を、この目で見たくなりました」

「好奇心は生きる希望だな」

 わけわからないことを言って、アキヒコは歩き続ける。

「剣を返した方がいいか?」

「それは……」

 旅に出ようと思ってから、剣のことは繰り返し、考えた。

 答えはもう決まっている。

「先生に、預けておきます」

 足を止めて、アキヒコがこちらを振り返る。いつも通りの無表情だ。

「どうして?」

「いつか、剣を受け取りにここへ戻ってくる、その意志をはっきりさせるためです」

「あの剣の由来を聞いていないが、重要なものなのだな」

 私は笑っていただろう。

「私を切った男と、剣を取り替えたんです。私の剣は、その男が持っているでしょう。あの剣は私を切った剣で、つまり、私にとっては大きな戒めです。そして、何よりも大事なものです。捨てたりしないでくださいね」

「わかった。保管しておこう」

 再びアキヒコが歩き出して、私も従った。

「お前の体のための薬を、調合している」

 静かな声で、アキヒコが言う。

「副作用も少なく、効果も高いはずだ。ただ、絶対に安全でもない。作り方を教えるから、旅に出る前に声をかけなさい」

 初めて聞く話だ。そんなことをしていたのか。

「ありがとうございます」

「お前の学習への褒美だと思えばいい。よくやっていると思う」

 食堂に到着し、中に入ると狭いそこで、キラがすでに料理の配膳を終えて自分の席に座っていた。

 私は定位置に座り、アキヒコも席に着く。

「では、いただこう」

 いつものアキヒコの声の後、食事は始まる。

「もう夏も終わりですね」

 食事の途中で、いきなりキラが窓の外を眺めて言う。私は彼女の視線を追った。

 レースのカーテン越しに、日差しが差し込んでいる。弱められても、眩しい。

「あっという間に冬ですよ、嫌になりますね」

 食事を再開したキラを見るけど、彼女は知らん顔でこちらを見もしない。

 きっと、私に春まではここにいて欲しい、と言いたいんだろう。私たちははっきり言葉にしないコミュニケーションが出来る間柄だった。

 そう考えると、人生で初めて、純粋な友人を持ったかもしれない。

 でもその友人のそばにいるわけにはいかない。

 悲しい、寂しい、という気持ちが心にあるのを、はっきり感じた。

 感じても、どうすることもできない。

「山の中の冬なんて、寂しいだけですものね」

 またキラが言う。今度はちらっと私を見た。当然、私はそれを受け止めた。

 かすかに彼女の瞳が揺れる。

「そのうち」私は彼女に答えた。「冬も悪くないと思えるさ」

「なんですか、それ」

「冬の後には春が来る、というかね」

「詩人ですこと」

 三人が黙って食事をして、時間だけが過ぎていく。

 食堂にある振り子時計が、かすかな音を立てる。

 時間は、止まることなく進む。

 一ところに留まることを、時は許さない。

 常に変化し、常に動くのが、この世の常だ。

 急にアキヒコがさっきした花の話が思い浮かんだ。

 私という花は、今、きっと咲いているんだろう。

 あとはどこかに種を残すために、生きるのか。

 それはそれで、悪くないだろう。

 私はもう一度、キラを見た。

 彼女もこちらを見ている。

 彼女が笑ったので、私も笑って返した。

 旅に出る決意が揺らぐけど、きっと、私はここから出て行く。

 もっと見たいものがあるし、やることもある。

 私はアキヒコも見た。

 彼はテーブルの上に視線をとしていて、気づいていない。

 私も食事に戻りつつ、心はどこか別のところへ飛んでいた。

 私はこれから、どこへ行くんだろう。

 思考と意識は、自由に、走り始めた。



(第1.75部 了)

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