1.25-4 放浪の日々
カイゴウとユミータを切ってから、半年後、秋も深まった頃、私はとある宿場にいた。
闇物資の取引をしている商店で、まずは護衛として雇われ、そこで他の組織の襲撃や、シュタイナ王国の取り締まり部隊を、次々と切り捨てた結果、今は別の仕事をしていた。
普段は宿場にある娼館の奥にいる。表向きは娼婦なのだ。これは闇取引で財をなした商人が経営している店で、私はほとんど新しい戸籍を手に入れ、ここで生活する、という体だった。
ただし、客を取ることはない。客に顔を見せることもない。
仕事があるときは、商人の秘書がやってきて、口頭で指示を受ける。部屋は娼館の奥の奥で、完全に二人きりだ。
仕事の内容を知って、細部を話し合い、準備して欲しいことは準備させる。
そうして全てが整うと、私はやっと娼館を出る。
相手は宿場の有力者や、滞在している重要人物で、私は彼らに忍び寄り、事前の計画に従って、その誰かしらを切り捨てる。
可能なかぎり、少ない人数を切るようにしたが、それでも対象一人だけで済まない場合もあった。
今までで一番多かった時は、十人ほどを相手にして、斬り合いになった。
これは相手を切ることより、切った後にどうやって脱出するか、騒動を収めるべきかが、大問題だったけど、どうにかなった。
あの仕事の後は一ヶ月ほど、休みになり、私も外へ出ずに、ひたすら娼館の中庭で剣術の稽古をしていた。
「どなたに稽古をつけてもらったのです?」
商人の護衛のリーダー格である男が、たまに私を訪ねてくる。大概、稽古の最中だ。
彼も相当、使う。私とどちらが強いかは、わからない。
「田舎の剣術家に」
正直に答えているつもりだけど、彼はまともには受け取らない。
「あなた、何歳です? 二十歳は超えているようだが、それでも凄まじい使い手だ」
「残念ながら、かろうじて十代よ」
「へぇ、なおさら、来歴が気になるな」
彼のことは名前も知らない。特に馴れ馴れしくもしたくなかった。
冬になるまでに、四人の対象と、それに付随して十人ほどを切った。
私の剣はいよいよ冴えてきたし、もう心は動じなかった。
斬り合いの最中には、心が凍えるほど冷たくなる。
残酷になっている気持ちはない。むしろ、私は恐怖している。
恐怖すれば恐怖するほど、私の剣はより鋭く、加速していく。
シュタイナ王国にしては珍しく雪が降り、その日、私は稽古を休んで娼館の奥の部屋で、外で降っている雪を見ていた。
「サリーさんは、いつも憂鬱そうね」
娼婦の中でも私に歳が近い少女が、私の部屋に顔を出した。名前は、キラ。
「男に抱かれてみたら?」
キラにそう言われて思わず鼻で笑ってしまった。
「興味ないわね」
「意外に奥深いし、面白いものよ」
「さっさと出て行きな、キラ」
おー、怖い、などと言いつつ、キラが出て行った。
雪は降り続けている。何もかもが白く塗りつぶされていくようだ。
私の心はもう、真っ黒だな。何気なくそう考えると、その考えが頭を離れなくなった。
カイゴウを切るまでの自分とは、まるで違う。そしてあの後、私はどんどんと心に黒を上塗りしていったようなものだ。
この先、どうすればいいんだろう?
その夜、私は部屋で眠っていたけど、自然とそれに気づいた。
足音でも気配でもない。
視線のようなものだ。
跳ね起きて剣を手に取った。
一瞬で抜刀と、振り。
甲高い音、火花、手応え。
露わになる相手の気配。
刹那で相手を切る筋が思考を支配し、体が動いた。
剣が振り抜かれる。
湿った音とかすかな手応え。
相手が倒れこみ、私は直立して、それを見下ろした。夜目はもう鍛えられているので、かすかな明かりで相手がわかる。
それでも、部屋のカーテンを開いて、相手を確認した。
相手は、商人の護衛の、例のリーダー格の男だった。手には剣がある。夜這いではない。
まったく、どうしてこうなってしまうのか。
これではこの宿場にもいられない。
幸い、ほとんど音はなかったし、相手も悲鳴一つ上げなかった。
仕方なく相手の懐を探り、財布を盗んだ。
剣と最小限の武器を手にして、私は外へ出た。
すでに雪は止んでいる。足元は真っ白で、これでは足跡がどこまでも続くだろう。
気にするものか。
私は前に踏み出した。ゆっくりと歩いていく。
背後からの追っ手は、大人数だった。宿場を出て、街道の真ん中だ。
時間は明け方で、相手の数が分からないのは見えなかったのではなく、それだけ大勢だったから。
斬り合いがどれだけ続いたか、誰かの悲鳴で、私は自分が生きていることに気づいた。
声のほうを見ると、旅人の装束の男性が腰を抜かして、後ろ向きに這ってこちらから離れようとしている。
朝日が差しているのに、それから気づいた。
周囲にはまさに死屍累々という光景があった。
折り重なって倒れる男たちと、転がる剣、そして真っ白い雪を赤く染める血飛沫の模様。
やっぱり、相手が何人なのか、わからなかった。
ただ、手が疲れている。思考もぼんやりしていた。
私は剣を鞘に戻し、先へ進んだ。そのうちにすれ違う旅人が、こちらを不審そうに見るや否や、走り去る。やっと思考が追いつき、そうか、私は血まみれか、と思い至った。
仕方がないので、街道を外れ、雪が積もっている山の中へ分け入った。
ひたすら歩いているうちに、小さな小屋に辿り着いていた。
「罪人かね?」
中にいたのは白髪の老人で、しかし片腕がない。何をしている老人だろう?
「罪人ですね、どうも」
思わずそう答えると、老人が頷いて、「入りなさい」と招き入れてくれた。
中に入ると、大きな機械が目に入った。機織り機だ。老人がその装置に向かい、片手で器用に織物を始めた。
私ができることは何もない。
「なにか、手伝いましょうか?」
「まずは体を洗え。服を着替えろ」
素っ気なく言われる。
「裏に甕がある。水は無駄にするな。服は奥のタンスに私のものがある」
そんな具合で、私はどうにか身繕いして、再び小屋に戻った。
「そこに砥石がある」
老人が顎をしゃくった方を見ると、小さな砥石がある。
「お前の剣を砥いだほうがいい」
今までも自分で砥いできたけど、そうか、使わせてくれるなら、借りよう。
私は剣を抜いて砥ごうとして、やっと気づいた。
私の剣ははっきり言って、ボロボロだった。刃こぼれも小さいながらいくつもある。
「剣が泣いているのが聞こえないのか?」
機織りを続けながら、老人がそんなことを言った。私は何も言えずに、しかし剣を放っておくこともできず、言い訳をするように砥石でそれを砥ぎ始めた。
老人はその夜、私に粥のようなものを出し、片手でどこかを指差した。
「こちらへ山を降りれば、小さな村に出る。刀鍛冶がいるだろう」
「お金がないんです、実は」
私が正直に言うと、しかし老人は少しも表情を変えず、答えた。
「奇妙な鍛冶屋だ。優れた使い手には、優れた剣を無償でも渡す。お前にはそれだけの技があるように、見受けられる」
「剣を振りもしないのに、私の技量がわかるのですか?」
「体の動かし方だけでも、わかることもはわかる」
そんなものか。
「ご老人は、どうしてここに?」
「妻と娘を切った」
いきなり言われても、理解できない。
「片腕はどうして?」
「罰として、自分で切った」
なるほど。それはすごい精神力が必要だろう。あるいは、絶望からだろうか。
そもそも、妻と娘を切った、というのも、まともな精神状態ではないが。
「しかし、それは私の事情だ。お前には少しも関係ない、それを忘れるな」
「ええ、それは」
どう答えればいいだろう。
「当たり前です」
「瞳に同情があり、後悔が見える。私のことを考える必要はない。いいな?」
「はい、わかりました」
この老人は、どこかカイゴウに似ている。どうしてそう思うんだろう?
答えが出ないまま夜は更け、翌朝、また粥を食べさせてもらい、私は小屋を出た。
「出会いに意味を求めるな」
別れ際に、老人がそう言った。
出会いに意味を求めるな?
どこかで、似た響きの言葉を聞いた。
あれは、カイゴウが剣術は願望だと言った言葉だろうか。
出会いもまた、願望なのかもしれない。
出会うことに理由はない、偶然だ。そこに意味があると考えるのは、願望だろうか。
私は一人で小屋を離れ、教えられた村がある方向へ、山を下って行った。
(続く)