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剣聖と剣聖  作者: 和泉茉樹
第1.25部 冷酷と無感情の狭間
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1.25-2 生き方という問題

 春の真っ只中で、桜の花が咲いていた。

 カイゴウの屋敷にも大きな桜の木がある。私とリッタは、その下で休んでいた。

「姉さんは四弦の振りを習得されたのですね?」

 それはついさっき、見せた剣術だった。

 超高速の振りを連続で繰り出す技だ。上半身、腕を効率的に使うことで、常識外の高速攻撃が可能になる。

「まぁ、先生は居合が専門だから、喜ばれないだろうけど」

 私がそういうと、リッタが「そんなことはないですよ」と即座に言った。

「剣術は、居合が全てではないですし、居合で決着がつかない相手もいます」

「それを先生にも言える?」

「先生も理解してくださると思います」

 そうかなぁ。

 休憩を終わりにして、お互いに瞬きの歩法と、柳の居合を見せ合い、剣を交わした。

 日が暮れかかった時に稽古を終わりにして、リッタが身支度を整えると言い出したので、私は不思議に思った。

「この時間にどこへ行くの? 夕飯は?」

「兄さんから頼まれたことがあるのです。少し、出ます。すぐ戻りますから」

 兄さんというのは、ユミータのことだろう。

 私は彼を送り出し、一人で料理を始めた。

 と、珍しくカイゴウが調理場に顔を出した。

「ちょっといいか、サリー」

 返事をして、私は彼の前に進み出た。

「まだ剣術を極めるつもりに迷いはないか」

 その話か。

 私は用意していた言葉を返した。

「私は剣に生きるつもりです。その思いに変わりはありません」

「当たり前の生活を望まないのか?」

 頷くと、かすかにカイゴウが口元を引き締めた。

「お前を引き取ったのは私だ。それを盾にとって、お前をどうこうしようとは思わない。だが、剣術家の女など、それほど明るい未来もないだろう」

 私は物心ついた時には、カイゴウの元にいた。

 数年前、カイゴウは私を育てることになった理由を、端的に教えてくれた。それはつまり、どこかの誰かが、この屋敷の前に赤子の私を置き去りにしたのだ。カイゴウはそれを哀れに思い、引き取り、育てたという。

 だから、リッタのように才能を見込まれたわけではない。

 私が今の使い手になったのは、偶然と努力によるのだ。

「剣術家の女も悪くない、と私は思います」

 控えめに反論すると、今度は、カイゴウは息を吐いた。

「剣術は、殺人術だ。お前に人が切れるのか?」

「剣を向けられれば、切る以外にありません」

 私は躊躇なく答えた。

 今まで、人を切った経験はない。人に剣を向けられた経験もない。

 でもなぜか、それができるという確信があった。

 これは妄想だろうか? ただの思い込み?

 カイゴウはじっと黙り、すっと立ち上がると、「また話す」と小さな声で言って調理場を出て行った。

 ほとんど入れ違いに、リッタが帰ってくる。

「あれ? どうしたんですか? 姉さん。変な顔してますけど」

「そんなことはない」

 料理を再開し、リッタとも協力し、いつも通りの夕飯になった。

「シュウラから手紙が来ているぞ」

 食事が終わった時、カイゴウが私たちに紙を差し出した。受け取り、二人でそれを読んだ。

 シュウラというのは私の弟弟子で、リッタの兄弟子になる。カイゴウが武者修行に出した弟子で、手紙によると、シュタイナ王国の南東部で蛮族相手に戦っているようだ。

「怖くないんですかねぇ」

 顔を上げて、リッタが呆れたように言う。

 手紙をカイゴウに戻し、食事は終わった。

 片付けも終わり、私は一人で夜の庭へ出た。

 真剣を腰に帯びていて、今は鞘の中。

 姿勢を変えて、いつでも抜ける姿勢に。これは柳の居合に近いけど、少し変えている。

 その姿勢から、踏み出す。

 瞬きの歩法に近い、しかし少し違う動き。

 数歩の前進から、柳の居合に限りなく近い抜刀。

 切っ先が天に向く。

 もう少しで答えが出そうな気がしていた。

 カイゴウが考えた、瞬きの歩法と柳の居合の合わせ技である静寂の太刀に、至る道が見えてきた。

 瞬きの方法を少し変え、柳の居合を少し変える。

 ただどちらも、それぞれの特徴や長所を失わないように、加減する。

 そのままの二つの技では融合不可能でも、わずかに変えていくことで、ピタリと合う。

 ただ、まだ不完全なのは、はっきりしている。

 もっと自然に、もっと早く、繰り出せる予感がした。それはゴールのその先が見えているのに近い。

 何度も何度も、夜の庭で剣を振った。

「すごいな、姉さんは」

 声の相手の存在には気づいていなかった。

 慌ててそちらを見ると、部屋着姿のリッタがいる。

「すごいじゃないですか、今の剣は」

「まだ未完成だよ。こんな時間に何をしている?」

「いえ、ちょっと、考え事をしようかと」

 彼が縁側に腰かけたので、私も剣を鞘に戻し、彼の前に立った。

「先生に、免許皆伝を認める、と言われました」

 その言葉に、私は少なくない衝撃を受けた。

 カイゴウが免許皆伝を認めた相手はほとんどいないし、それを受けると、この屋敷を出て行くのが慣例だった。

「出て行くの? ここを」

「いえ、辞退しました。もう少し稽古を積みたい、と」

 リッタがどこか悲しそうに笑った。

「今の姉さんの剣を見て、再確認しましたよ。僕が免許皆伝なら、姉さんも免許皆伝です。先生は、僕を追い出したいのかな……」

「何かお考えがあるのだろうけど」

 他にどういうこともできず、私も黙って、何となく天を見上げた。

 夜空に無数の星が散っている。

「リッタは」自然と声が出た。「これからのことをどう考えている?」

「これから、ですか?」

「剣士として、生きていく? それはどういう生き方? 兵隊になって、人と戦う? それともどこかで道場を開いて、剣術を教える?」

 そうですね、とリッタは口にしたけど、考えは追いついていないようで、黙り込んだ。

 私は夜空から視線を下げ、弟弟子を見た。

 彼はまだ十代で、幼さが残る。

 才能はある。技量もある。ただ、心はまだ追いついていない。

 あるいはそこに、カイゴウが免許皆伝を与えた理由があるかもしれない。

 この屋敷の外で経験を積め、という言葉が隠されているのかもしれない。

「僕は、人は切れません」

 絞り出すように、リッタが答えた。

「なら、なんで剣術を修めた? 何を目指した?」

「自分を、鍛えたい、そう思っています。今でもです」

 こちらを強い光を放つ瞳が、見据えてきた。

 私はそれに、微笑んで、頷き返した。

「いいじゃないか、それで。免許皆伝を受けて、どこかで静かに暮らせばいい。別にここじゃなくても、剣術の修行はできる。そうじゃない?」

「ええ、それは……そうですが……」

 唐突に、くしゃっとリッタの顔が歪んだ。

「ここを、出て行きたくないのかも、しれません」

 その言葉の真意が、よくわかった。きっと、私も同じことを考えているからだ。

「そんなことでどうするのよ」

 私は歩み寄って、軽くリッタの肩を叩いた。

「もっと強い心を持ちなさい。世界は広いわよ」

「ええ、はい、はい……」

 目元を拭って、リッタは私に笑顔を見せた。

 それから少しの間、私の未完成の静寂の太刀に対して、リッタは助言をしてくれた。

 汗を流して部屋に戻り、布団に横になる。

 世界は広い、か。

 自分で言っておきながら、私は世界なんてほとんど知らない。この屋敷のある村くらいがせいぜいだ。シュウラが蛮族と戦っているのも、言葉では理解できるし、想像もできるけど、実際の蛮族は知らないし、殺し合いの場も知らない。

 何も知らない私が、なんであんな賢しいことを言えたのか。

 情けなくなり、自分を責めるしかなかった。

 その夜は、なかなか、眠れなかった。





(続く)


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