1.25-1 修練の日々
私は何度も、剣を抜いては、鞘に納めていた。
自然と手が動くように、繰り返し、繰り返し、同じ動きを繰り返した。
春先で空気はひんやりしているのに、私は汗みずくで、素早い動きのせいでその雫がキラキラと宙に舞った。
どれだけ続けたのか、体の動きが鈍いと感じたところで、動きを止める。
「姉さんには頭が下がるよ」
すぐ近くで縄跳びをしていた少年が、やはり動きを止めて声をかけてくる。
弟弟子のリッタだ。私とは四歳ほど年下で、でももう三年の付き合いになる。近くの農家の三男坊で、しかしカイゴウがその才能に目をつけて、連れてきた。
「あんたは努力が足りないのよ」
「こうして稽古しているじゃないか」
ブスッとした顔で、言い返すリッタに、私は思わず笑った。
「あんたの技のキレは、すごいと思うよ。まぁ、あと数年もすれば体も出来上がって、私を追い抜くんじゃないの?」
「お世辞はいいですよ。それ、現実にしてみせますから」
軽く返事をして、私は井戸へ行って水を汲み、一口、飲んだ。冷たくてスッとする。
縄跳びを終わりにして、リッタが脚さばきの稽古を始める。
我らが師匠から直伝の、音階の歩法。シュタイナ王国における剣士の最高位、十三人の剣聖が使うという、幻の技術だ。
私はそれをおおよそ修めている。ただ、まだ自分では納得がいかなくて、稽古は続けていた。
リッタの脚さばきは、私より洗練されて見える。彼の体が複雑なステップで、右へ左へ、踏み出す。鋭いどころではなく、まるで幻のように立ち位置が変わる。
やっぱり、リッタの才能はすごいな。
今は私の方が強い。音階の歩法も、他の攻撃の剣技も私の方が使いこなす。
ただ、彼の方が若いし、一方の私は彼よりも経験を積んでいるのだ。
いずれは彼の体は成長するし、経験も増やしていく。
そうなれば、私も及ばなくなるだろう。
「姉さん、この動きだけど」
急にリッタがこちらを向いて、尋ねてくる。
「和音の歩法に、これはあったかな」
そう言って、彼が三つの音階の歩法を連続させる。
一つ目より二つ目、二つ目より三つ目の踏み込みで、加速する超高等技術。
もし事情を知っている人が見れば、瞠目しただろう。
「あるけど、軌道が不自然じゃない?」
私は意見を口にする。
音階の歩法は七つの歩法から成立し、その中の三つを任意で選んで組み合わせ、三つの踏み込みを連鎖させてより早く移動する、というのが和音の歩法と呼ばれる技術だ。
ただ、今、リッタが見せてくれた三つの歩法は、やや不自然ではある。
「一歩目で踏み込んだ後、二歩目で少し間合いができるようだけど? 三歩目でより早く踏み込んでも、攻撃を察知されるんじゃないかな」
「欺瞞として、使えそうかな、と思ったけどなぁ」
「不意打ちでならいいかもしれないけど、同じ相手には使えないね、たぶん」
「一撃で切るのがうちの流派のモットーじゃないか」
それからリッタはいくつかの動きを試し、一度、姿勢を整えると、構えを変えた。
目の前で起こった動きを、私は何度も吟味して、そしてリッタが繰り返していくのを、じっと見据えた。
ただの一直線に前に出る歩法だ。和音の歩法でも、音階の歩法でもない。
でも、そのただの踏み込みが、私にはものすごく異質に見える。
踏み出した瞬間が察知できない。気づいた時には、リッタはもう一歩進んでいる。
目と鼻の先でリッタが何度も繰り返しているので、動きのきっかけに集中できるけど、その集中がなければ、いつリッタが踏み込んだか、わからないはずだ。
この歩法は、カイゴウが構築している歩法の一つで、瞬きの歩法、と名付けられている。
私も練習を重ねているけど、完璧には程遠い。
リッタのそれはカイゴウさえも凌いでいると私には見えた。
稽古を終えたリッタが、深く息を吐き、深く吸う。そして井戸のそばへやってくる。
「次は姉さんの番ですよ」
ここ何ヶ月も、リッタは私に瞬きの歩法の稽古をつけてくれる。カイゴウは最近は放任主義的で、弟子の自由にさせていた。と言っても弟子は今、三人しか近くにいない。
私は先ほどのリッタと同じように足を送るけど、自分でもリッタに及ばないのがわかる。
そのリッタは水を少しずつ飲みながら、私に色々と声で指導をし、水を飲み終わると、今度は私の体に実際に触れて、動きを教えてくれた。
そんなことを続けていると、人の気配がして、二人でそちらを見ると、ヒョロヒョロとした体格の男が今、私たちがいるカイゴウの屋敷の敷地に入ってくるところだった。
「精が出ることだな」
男、ユミータは私とリッタの兄弟子だけど、使い手としては平凡だ。今も一応、カイゴウに師事しているようだけど、稽古はほとんどしない。それなのに腰には剣を下げている。
リッタやカイゴウがどう思っているかは知らないけど、私はユミータが好きではない。
彼はそれ以上は何も言わずに、屋敷の玄関の方へ進んでいった。
「兄さんもたまには稽古をすればいいのに」
どこか恨めしそうに、リッタが呟くけど、私は黙っていた。
それから日が暮れるまで、私とリッタは稽古を続け、ユミータは屋敷に入って一時間ほどで出てきて、こちらを一瞥して、去って行ったようだった。
日が暮れてから、私とリッタで食事の支度をする。そして出来上がった料理を、奥の座敷へ運んだ。
そこでじっと座ってカイゴウが待っていた。
「お夕飯です」
膳を前に置くと、カイゴウがかすかに笑みを見せる。
「稽古はどうだ。何か、質問はあるか?」
最近のカイゴウは実際に剣を振らないし、実際に体を動かすことも滅多にない。でも、動きが鈍ったとか、気迫が減じたとか、そんな感じもない。
彼は一本の剣のように、冴え冴えとした気配を発散している。
私はいつもそれにどこか萎縮する気持ちを持つがリッタはそうでもないらしい。
これもいつも通り、リッタがカイゴウに質問した。主に瞬きの歩法の細部についてで、もう一つは、柳の居合、とカイゴウが名付けた居合の技に関してだった。
カイゴウは淡々と、リッタの質問に答える。言葉じゃなくて実際の動きで示せばいいのに、と私は思うけど、二人には何か通じるものがあるのか、もう長い間、議論以外をしていない。
「サリーは何か、あるかね」
カイゴウがこちらを見たので、私は少し考えた。
「瞬きの歩法と柳の居合、二つの融合の可能性は、まだあると思っていますか?」
カイゴウが目を閉じて、黙った。
瞬きの歩法と柳の居合の融合技は、静寂の太刀、とカイゴウが呼んでいる剣技だった。
ただし、未だに誰も使っていいない、とカイゴウは言っている。
おかしな話だけど、カイゴウは名付けておきながら使えず、その未完成の技を私やリッタに、完成させようとしている。
目を開けたカイゴウが、軽く頷いた。
「リッタの瞬きの歩法、そしてサリーの柳の居合、それぞれの完成度は私も把握している」
そうなのだ。
リッタは瞬きの歩法に長じるが、柳の居合の完成度は低い。一方の私は、柳の居合に自信があるが、瞬きの歩法は不完全。
「いずれ、お前たちのどちらかが実際のものとするだろう」
「そうでしょうか。それは、願望ではありませんか?」
「願望か。しかし、全てが願望だろう? 違うか?」
む、よく分からないな。
カイゴウは笑っている。
「最強の剣技を身につければ、誰にも負けない。果したそんなことがあるか? 無敵になる、というのも願望だし、不敗というのもまた願望だ。最強の剣技というのも願望だし、そもそも剣技を身につけるのも、剣技を極めれば勝てる、という願望にすぎない」
「いえ、理屈は、わかりませんが」
「技とは所詮、その程度のものさ。問題は生きるか死ぬかだ」
食事にしよう、とカイゴウが言ったので、話はそこまでになった。
(続く)




