1.5-10 再びの旅
サリーが姿を消して、一週間後、その日も雪だったけど、俺とモエはキールに別れを告げた。
キールは俺とモエが農作業を手伝ったりした報酬を払う、と申し出てくれたけど、俺たちはそれを全部、医者に渡すように頼んだ。サリーの命を助けたあの医者の努力にはとても足りない額だけど、何もしないよりはいい。
「ここからどこへ行くの?」
キールがまるで自分が旅に出るような不安そのものの表情で俺たちを見た。
「あまりここにいても、キールに迷惑をかけるよ」
「僕は構わないけど、密入国するってことは、罪人なんだね?」
「そう言えないこともない」
俺の言葉に、キールはもう追及をやめる気になったらしい。
「保存食を渡すよ。金はお医者への支払いに当てて欲しいらしいから。だろ?」
「うん、そうだね。保存食、ありがたく受け取るよ」
「防寒着も渡す。僕のことは気にしないで」
こうして雪の中、俺とモエはキールに別れを告げ、歩き出した。
「良い人だったね。この国がそういう人ばかりだと良いけど」
「始祖国アンギラスに入るのは、久しぶりだよ」
傭兵として、数回、入国していた。兵士たちの訓練に付き合ったんだけど、彼らはシュタイナ王国の軍とは少し違った。集団戦を得意としていて、シュタイナ王国の、剣聖に代表されるような個人剣技の発展とは違う道を選んだらしい。
雪がどんどん積もる中、先へ先へ進む。息が白く染まり、防寒着の中で体が汗ばむ。
医者がいる集落を抜け、さらに先へ。
キールの小屋で生活する中で、アンギラスのここら一帯の地図を見せてもらい、それは俺もモエも頭に入れていた。
日が落ちかかった頃、その宿場にたどり着いた。
どうにか空室のある旅籠に転がり込むと、店員が驚いていた。どこから来たのか、と聞かれて、曖昧に答えておいた。
「悪いんだけど」俺は店員が驚きから回復する前に、言った。「金がない」
「金がない?」
店員はさらに困惑したが、俺がもう一度、「金がないんだけど、泊めて欲しい」と図々しく言うと、彼は店主に聞いてくる、と奥へ行ってしまった。
「何か、売るものを持っている?」
モエに尋ねるけど、不機嫌そうな顔が返ってくる。
「ないわね。この雪の中、放り出されたら命に関わると思うけど、どういう考えなの?」
「その命に関わるという常識を盾に取る作戦」
店主がやってきて、とりあえず一晩は使用人の部屋の一角を貸す、と言ってくれた。
「あまり馬鹿なことをするものじゃない」店主はほとんど激怒していた。「この雪をついて、どこへ行くんだ?」
「考えが甘かったです。すみません」
俺が謝ると、店主は溜飲を下げたようで、奥へ戻っていった。
「情けにつけ込むのは、卑怯じゃない?」
モエの指摘に、俺は肩をすくめておく。生き残るのに必要な技術だ。
その夜はその旅籠で過ごした。翌日にはやっとその宿場の全容がわかってきた。小規模で、冬なので人の出入りはそれほど激しくない。雪も手伝って、旅行者もいないし、運送会社も活動量は落ちている。
結局、旅籠の店主に頼み込んで、雑用をやらせてもらって、収入ゼロのまま、どうにか衣食住を安定させる道を選んだ。
査問部隊が国境を越えてくる可能性はあるけど、さすがにいきなりは実行できないはずだ。まずは国境を越えた事実を掴もうとするはずで、その事実を掴んでから、アンギラスと交渉するだろう。
まさか何の通告もなく武装した兵士を他国に送り込むことは、シュタイナ王国もしないはず。そう思いたい。
旅籠で様々な雑用をこなして、春になった。
店主はだいぶ前から嫌そうな顔をしていて、雪解けを待たずに小春日和のその日、俺とモエを追い出した。
「どうやって生きていくつもり?」
「そうだね」俺は歩きながら考えた。「大道芸でもやるか」
「あんたの精神器を使えば、なんでもできるものね。それなら私は客引きかしら?」
「どうにかして、生きていかなくちゃな」
宿場を抜け、街道を行く。雪がぐちゃぐちゃに溶け、足場が悪いけど、構わずに進む。
次の宿場に行って、これからのことを考えよう。
「あの女のことを今でも考えるわ」
何気ない様子で、モエが言った。サリーのことだ。
「あんな使い手、そういるものじゃない。どういう出自なのかしらね」
「それを言ったら、俺だってそうじゃないか。ただのど田舎の小作人だった」
「それはそうだけど……」
どうにもモエには腑に落ちないようだ。
俺の感覚が確かなら、サリーは場合によっては剣聖候補生になっていたかもしれない。でも世の中には日の当たる場所へ出ることが叶わない人間が、大勢いる。
俺だって、たまたまうまくここまで進んできたようなものだ。何かを間違えば、例えば鉱山で落盤に巻き込まれたり、肺を病んだかもしれない。民兵をやっているうちに、殺されるか、傷を負って不自由な生活になるか、そのまま病んで死ぬ可能性もあった。傭兵の時もだ。
サリーだって、似たようなものだったんじゃないかな、と思っていた。
剣技を磨いて、それを頼りに生きてきた。
その生き方は不安定かもしれない。危険に満ちているかもしれない。正気じゃないかもしれない。
でもそれだって、一つの生き方だと、俺は思っていた。
人を斬ることで、何かを得られることはない。
剣を振って得られる満足も、虚しいように思う。
それでも俺たちは剣を取ると決めて、実際に振るい、生き残った。
自分と剣を切り離せない、不自然な人間。
それでも生きているし、生き残りたいと思う。
「どこにいるのかしらねぇ」
どこか遠いところへ意識を向けているようなモエの声に、俺は答えなかった。
彼女の剣技は、俺に敗北したことで、万全ではなくなった。
俺だったら、万全を失った時、どうするかを考えれば、それははっきりしている。今の体で、絶対に負けないと思える剣技を探し、身につけるだろう。
もし、彼女が新しい剣技を見つけ、それを完璧に使いこなせるようになったら、また会ってみたい。
彼女ほどの使い手が、このままどこかで腐ったり、誰かの手にかかることもない、という確信がある。
「ねえ、ミチヲ。また会いたいと思っているでしょう?」
そう言われて、モエが俺の肩を叩く。
「私はまた会いたいと思っているわよ」
「へぇ」意外な言葉だ。「珍しいね。どういう心境の変化?」
荒い鼻息を吐いて、モエがポンポンと自分の剣の柄を叩く。
「あの女は私が切るのよ、正面からね」
いい勝負になるかもな、と俺は心の中に止めておいた。
「何よ。何か言いたげじゃない」
「何でもないよ。稽古を続けて、絶対に勝てるようにしよう」
「勝者の余裕ね。まったく、面白くない」
自然と無言になり、先へ進んだ。
俺の腰には、サリーの剣がある。サリーの腰には、俺の剣があるだろう。
またいつか、この剣をまた取り替えることがあるだろうか。
その時のサリーに恥ずかしくないように、俺も技を磨くことにしよう。
宿場にたどり着いて、かすかに聞こえる声に、俺たちは顔を見合わせた。
気合いの表れである大声は、なるほど、シュタイナ王国と同じだ。声の方へ行くと、大きな建物がある。看板の文字を見ると、剣術道場だとはっきりした。
「道場破りなんて、大人気ないと思うけど?」
「でも、興味あるんじゃない? アンギラスの剣術に」
「それは完全には否定できないけどねぇ」
道場の外にいる町人に混ざって、二人で剣術の稽古を見ていた。
こういう光景を見ていると、自分がどこか怠けているような気持ちになって、焦ってくる。
なので、あまりそこにもいられずに、モエも自然と、同時にその場を離れた。
「因果なものね」
モエがポツリと呟く。
因果、か。
「いいじゃないか」
俺はそう答えた。
誰だって、どこかで、何かと戦うことになる。
勝つこともあれば、負けることもある。
負けないように、勝ち越せるように、生きるしかない。
また頭の中にサリーの像が浮かんだ。
彼女がどこかで戦っていると思うと、どこか、力が湧く。
モエとはまた違う力を僕に与えてくれる存在になっていた。
「前へ、進もう」
かすかにモエが頷いたのがわかった。
俺たちは先へ進む。
恐れるものはない、と思おうとした。
恐れている暇はない。
進もう。
前へ、前へ。
(第1.5部 了)




